第39話 調査と合流と決断 9
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「私は忘れたんじゃなくて、そもそも記憶になかった」
「私と麻井さんが二人で出ていく時に、絡みつくような視線を何度も感じた。ああ、そういうこと、って思ってたんですけど」
まずい!と洋二は思った、衣装と高価な買い物で先制攻撃を企んだのだが、やり込められている!と。
「でも、あなたのことを見ていたんじゃない」
「そうでしょうね。すがるような目だった。私を見ていたのならば、睨んでいるよね」
「その目をした女は直ぐに受付からいなくなったでしょう? そして今ここにいる」
「何しに来たの?」
「マウント取りに来たんじゃない。あの家から手を引いて、話はこれだけ」
ここが舞台ならば、早苗は笑うところなのだが、夫の実家の二階でそうはできなかった。
「滑稽だなあー。自分が惨めにならないの?」
「私がここにいるという時点で、あなたの現在の日常を全て把握している、ということになる。私はもう会社を退社しているから、あなたは私を追えない」
だから、この場に自分が現れた時点でイニシアティブは取っているのだ、と安奈は云いたいのだ。
「もうしないよ。今は配達や帳簿で忙しいもの。それよりワイン、キャンセルでいいよ。もうどうだっていいよ、あんなヤツ」
「じゃあ、なんで、あのひとのお子さんに酉の市であんなことを言ったのか?」
初めて早苗がうろたえた。
「あ、ああ、アレ? ああ、そうか、アレでここまで来たんだ」
「妊娠して、堕胎したって本当なの?」
「ウソよ、ウソウソ、悪いことしたよ」
洋二はこのやり取りをちゃんと動画にしてある。
「偶然遇った昔のオトコの息子に悪さをしたくなった?」
「うん、家族の写真はデスクの上に置いてあったから直ぐに気づいた。あの子を見つけた時に友達といたから話しかける気もなかった。でも、見ている間に友達たちがいなくなって、この機会しかない、と思ったんだ」
「なんで?」
「私とのことは一回だけだったんだ。それ以降はそういうふうなことが無かったように最後までふるまった。こっちは既婚者とそういうことになったから、これ以上望むワケにもいかなかったけど、さすがに退職の時まで一切顔色変えずに、いつもの面白おじさんでふるまってくれて、ムカついていた」
「うん、判った。もうあんたには二度と会わない。安心して、約束する」
「あ、ちょっと待って。おかしい。あの息子さんが接点もなく、年齢も離れているあなたに私に証言させてくれと頼むワケない。麻井さんは女にそういう気持ちを踏みにじることで安定を保つから、更にあり得ない。ちょっと、わざわざ、何で?」
「小耳に挟んで、ムカついたの。女として、妊娠を脅しに使うのはよくない、と」
「あなた、あなたが本当に妊娠したんじゃない?」
洋二は早苗のこの発言に驚いたが、カメラ越しにみる安奈の表情には更に驚いた。
それは図星を言い当てられた者の表情だ。
「もう、あんたとは一切関係ないと言った! それがなんなの!」
コツンと洋二はドローンで体当たりした。
それに安奈だけ気づいて、正気を取り戻した。
「判った、判ったよ。でもお願いだから、強く生きてよ。頼むよ」
安奈は自分の役目がとっくに終ったことを知り、階段を駆け下りた。
その勢いのまま、安奈は待っていたハイヤーに飛び乗った。
その日、洋二が安奈に電話とメールをすることはなかった。
洋二というのは、今夜安奈の移動のハイヤーとイメージチェンジで百万近い金を使ったのだが、スマホで調べると、未だ電車で余裕で帰れるとJRの改札へ向かった。
―あの安奈という女は、オレを殺そうと、いや、実際死ぬ様な目に遭わせた女だ。それが堕胎していたとか。
それが、自分への加害の免除にはならないが、そういう体験をした女性に今夜の依頼は酷なのは当然理解している洋二であった。
部屋でのやり取りでは拒否されたので長い話ができなかったが、あの時に谷口早苗に堕胎の有無を聴け、と云うのでなく、遭わせる直前に云ったから、考える時間を結果的に与えなかったのは、どうもフェアじゃない気が、洋二はした。
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