第127話 ヤブランの疑念
王国軍に占領された公国領アリアドの街は大きな混乱もなく統治されていた。
チェルシー将軍が残した命令によって公国の民を尊重するように徹底されていたため、多少の
比較的静かなアリアドの夜。
王国軍が宿舎として使っている家屋の一室で、白髪の少女ヤブランは主から受け取った手紙に目を通していた。
【……今より共和国に越境するので、これ以後の
シジマから届いた最後の
シジマは妹であるオニユリのことを疑っている。
何を疑っているのかをシジマが明確にしないのは、何か理由があってのことだろう。
12歳のヤブランは色々と気の付く娘だが、密偵としての訓練なども受けていない普通の小間使いだ。
それでもシジマがヤブランをそうしてオニユリに近付けさせるのは、シジマの意思をオニユリに伝えるためだろう。
ヤブランがオニユリの前に姿を見せること自体が何らかの警告になるのだ。
何か隠してはいないか。
馬鹿なことはするなよ、と。
ヤブランは思った。
シジマは慎重な性格だが、この件についてはいつも以上に細心の注意を払っているように思える。
そのことがどうしても気にかかった。
(何だろう……オニユリ様は何を隠しているんだろう。そしてシジマ様は何を恐れているんだろう)
ヤブランはどうにも眠ることが出来ず、ベッドから身を起こした。
夜更けにこうして1人で起きていると、好奇心にも似た思いがムクムクと頭に広がっていく。
シジマから
「……少し様子を見るだけだから」
自分に言い聞かせるようにそう言うと、ヤブランは人通りのほとんど無い夜更けの道を歩いていくのだった。
☆☆☆☆☆☆
「坊や。一緒に寝ましょうね」
この夜、エミルがベッドに
紫色の甘い香りを吸ってほろ酔いのような状態で
エミルはビクッとして身をすくめ、彼女に背中を向けた。
だがオニユリは構わずにエミルのすぐ近くに顔を寄せてくる。
ギリギリ触れない距離で彼女はスンスンとエミルの髪の
「いい
その言葉にエミルは歯を食いしばった。
先ほどエミルは他の子供らと共に風呂に入った。
事前に紫色の
同じ年頃の少年たちは優しく親切で、エミルの体や髪を
だが、自らの意思に反してそのようなことをされるのはエミルには
今はようやく体に力が戻り、頭もハッキリしてきてはいるが、まだ軽い頭痛や若干の気持ち悪さが残っている。
まだ10歳のエミルには知る
「んふふ。坊やはあまり吸っちゃダメよ。特別な時だけね」
そう言うとオニユリは背を向けたままのエミルの耳元でしばらく「かわいいわね」とか「食べちゃいたい」などと
エミルは気持ちの悪さを
ベッドから今すぐにでも逃げ出したいが、
(誰か……誰か助けに来て)
エミルは頭の中でそう念じるが、相変わらず
なぜ自分の体から
あの山中で意識を失って以降、エミルの能力は失われたまま戻っていなかった。
あの日、意識を失う直前、昔からたまに夢に出てくる黒髪の女が頭の中に語りかけてきたような気がした。
(そう言えば……あの人の夢も見なくなった)
例の黒髪の女は今までも時折、夢に出てきた。
しかしあの谷での出来事以降、その夢は見ていない。
(あの人と
エミル自身は知らない。
意識を失っている間、その体が別の何者かに乗っ取られ、信じられないような働きを見せたことを。
気付いたらこのオニユリの館で
(外に……出たいな)
エミルはカーテンの
この異常な状況下で、ずっと屋内にいると余計に気が
エミルは自由への
その時だった。
カーテンの向こう側、窓の外に1人の人影が浮かび上がったのだ。
(……誰かいる?)
エミルは背後で寝息を立てているオニユリに気付かれぬよう息を殺し、カーテンにじっと目を
その人影はカーテンの
人影の大きさから見ると大人のそれではなく、少し背が低くて子供のようだ。
(……誰だろう)
エミルは
(ここの子供かな……でも、こんな夜中に?)
その夜、エミルはその人影のことが気になって、なかなか寝付くことが出来なかった。
☆☆☆☆☆☆
ほんの散歩のつもりだった。
オニユリの館の前を通るだけのつもりだった。
ヤブランは知っている。
オニユリの館の屋根の上や、庭木の枝には、白い髪の若い男らが絶えず見張りに立っていることを。
だが、夜更けだからか、この日はたまたまなのか、見張りは1人もいなかった。
そのことがヤブランの好奇心をより刺激したのだ。
(少しだけなら……)
月明かりに照らされる中庭を、出来る限り月光の当たらぬ夜陰を選んで進む。
向かうのは先日、何者かの人影を見かけた建物だ。
そして先日、人影を見かけた窓辺にそっと歩み寄る。
窓は
ヤブランは息を飲み、その
心臓がドキリとした。
(オニユリ様だ……)
ベッドには白い髪の美しい女が肌も
そして……その
その子供は……黒髪の少年だったのだ。
(く、黒髪……?)
ヤブランの
黒髪の子供は1人もいなかったはずだ。
一体何者なのかとヤブランは目を
だがその時、その黒髪の子供がこちらに目を向けて来たのだ。
(まずい!)
ヤブランは思わず弾かれたように窓辺から離れ、そのまま足早に中庭を歩み去っていくのだった。
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