第125話 蠢く者たち

 共和国南部のパストラ村ではすっかり夜もけ、あかりを消して寝静まる家が増えていた。

 そんな中、煌々こうこうあかりがれていた一軒の家から1人の若者が、その家の主である農夫と共に出てくる。

 若者は最近、初めてこの村を訪れた薬屋だが、豊富な薬の知識と、客への親切な対応で村人らからすっかり信頼を得ていた。

 彼は人の好い笑顔を浮かべて農夫に頭を下げる。


「いやあ。すっかり遅くまでお邪魔してしまって申し訳ないですね」

「いやいや。こちらこそ遅くまで引き止めてしまってすまないな。もう明日の朝には発ってしまうのか。残念だな」


 農夫は名残惜しそうにそう言うと、若者の肩を軽く叩いた。


「また春になったら来てくれるよな。楽しみにしているから」

「毎度ご贔屓ひいきに」


 若者は丁寧ていねいにお辞儀じぎをすると、人なつっこい笑みを浮かべてその場を去って行った。

 農夫が家に戻り、静寂せいじゃくが包み込む夜の農道を薬屋は1人歩き続ける。

 そして先ほどの農夫が叩いた肩を手で払うと、ニヤリと笑った。


「残念ですが、もう来ません。この村とは金輪際こんりんざいオサラバです」


 翌朝、薬屋は村人らに見送られ、惜しまれつつ村を後にした。

 その日の夜からだった。

 村に体調不良者が続出し始めたのは。


 ☆☆☆☆☆☆


「こちらです。チェルシー将軍閣下かっか

 

 シジマはそう言うとチェルシーを2階の部屋に案内した。

 公国から国境を渡って共和国へと入った後、チェルシー一行は協力者たちに案内されて最初の拠点となる森の中の家屋へと辿たどり着いていた。

 木々の間にポツンと一軒だけ建てられているその建物はこじんまりとしていて、チェルシーらの部隊が全員入ると少々手狭てぜまだった。

 しかし管理が行き届いているようで、屋内は清潔に保たれている。


「どこかの貴族の別荘かしら?」

「はい。元々は共和国の弱小貴族の持ち物でしたが、その貴族が没落した後、ある実業家の女が買い取ったそうです」

「そう。出発は明朝よね?」

「いいえ。日中の行動はどうしても目立つので、移動は全て夜間にします。明日の夕刻までここに身を潜めて休息を取り、体力を回復させてから明日の日没と同時に移動を開始する予定です。閣下かっかもしばしごゆるりとお休み下さい。後ほどお食事をお持ちいたしますので」


 そう言うとシジマは一礼して部屋を後にしようとした。

 だがチェルシーはそんな彼を呼び止める。


「シジマ。ショーナを呼んできてちょうだい。手荷物も持ってくるようにと伝えて」

「承知いたしました」


 シジマはうやうやしく頭を下げると部屋を出て行った。

 この別荘は1階に大広間や調理場、浴室などの生活空間があり、2階には主寝室や副寝室、そして来客用の寝室がいくつかあった。

 その中でも部隊の長であるチェルシーには主寝室を1人で使うよう用意されている。

 シジマやショーナなどの上役たちも2階の寝室があてがわれていた。

 その他の部下の男たちは1階の大広間で雑魚ざこ寝をすることになるだろう。 

 

 チェルシーのいる主寝室には大きなベッドが2つ置かれている。

 貴族にしては全体的に地味で質素な造りの建物ではあるもの、昨夜の山中での野宿を思えば、天国のような待遇だ。

 チェルシーはベッドに腰を下ろすと、その柔らかさに嘆息たんそくして自戒じかいする。


「これに慣れてはいけないわね。この先も木陰こかげで雨露をしのぐ日々が続くんだから。それにしても……ワタシ1人で使うには広すぎる」


 もちろん王城にあるチェルシーの私室とは比べるべくもないが、見知らぬ部屋でポツンと1人でいるのも落ち着かないものだ。

 ほどなくしてショーナが部屋を訪れた。


「お呼びでしょうか。チェルシー様」

「手荷物まで持たせたんだから分かるでしょ。あなたもここを使いなさい」


 そう言うとチェルシーはもう一つのベッドを指差した。

 ショーナは一礼するとそちらに腰を下ろす。


「共に寝たいなんて子供の頃以来ですね」

「やめてよ。女はワタシとあなただけなんだからいいでしょ。なるべく部屋を空けて、少しでも部下たちを空いた部屋でゆっくり休ませないと。ここからが作戦の本番なんだから」


 そう言うチェルシーにショーナはそれ以上、何も言わずにうなづいた。

 そんなショーナの表情を見てチェルシーは小さくため息をつく。


「ゆうべからずっと浮かない顔ね……ジュードのことでしょ」

「……ええ。もう二度と会うことはないと思っていました」


 そう言うショーナにチェルシーは静かにうなづいた。

 ジュード。

 チェルシーが幼い頃、突然王国から姿を消した黒髪の少年。

 彼が大きく成長し、大人の男となって再び姿を見せたのは昨夜の山中でのことだ。


「彼が突然いなくなった時は、子供心にさびしさを覚えたわ。よく遊んでくれたから。彼」

「ええ。あの時は何度もチェルシー様からたずねられましたね。ジュードはどこに行ったのか、と」

「……そうだったかしら? よく覚えていないわね」


 チェルシーはショーナの様子がいつもと違うことを気にかけていた。

 その理由は何となく分かる。

 ショーナは黒帯隊ダーク・ベルトでジュードを指導する教官役だったからだ。

 しかしチェルシーは王国軍の将軍として、言いたくないことも言わなければならない。


「ショーナ……あの場で部下たちも見ていた以上、ジュードのことは兄上に報告しなければならないわ」


 王国軍の黒帯隊ダーク・ベルト黒髪術者ダークネスたちの養成機関であり、軍事的な機密の宝庫だ。

 そこから脱走した者は捕まれば厳しい拷問ごうもんを受けた上で、冷酷な処罰が待っている。


「ええ……分かっております」


 そう言ったショーナはある種の覚悟を決めているような表情をしていた。

 チェルシーの頭にはある疑念があった。

 ジュードが脱走した当時、ショーナはそれを知っていてわざと逃がしたのではないかということだ。

 だがそれは今、口にするべきではないと思い、チェルシーは自分の胸に留めた。

 代わりにチェルシーはショーナの表情を見ながら言う。


「でも今は極秘任務中。ここは共和国内で当然のように敵も目を光らせている。どこに監視者がいるかも分からない以上、鳩便はとびんなどあまり余計な動きはしたくない。ジュードのことは全てが終わってからワタシから兄上に報告するわ」


 そう言うチェルシーにショーナは思わず目を見開く。


「し、しかし……それではジュードはどこかに逃げおおせてしまいます。見つけることは困難になりますよ」


 そう言うショーナだが、チェルシーは平然と言葉を返した。


「ええ。そうね。わずか13歳で王国から離反して行方ゆくえをくらました抜け目のない男だもの。きっと見つからないでしょうね。でも仕方ないわ」


 ジュードがいなくなった時、チェルシーはまた1人、自分の前からいなくなったとため息をついた。

 だが、その頃にはチェルシーも自分の所属する王国の異常さを幼いながらに理解できるようになっていたこともあり、あきらめにも似た気持ちがあった。

 そのためか姉のクローディアがいなくなった時のように恨む気持ちにはならなかったのだ。

 どちらかと言えば彼がいなくなったことで、チェルシーは他者に期待する気持ちが完全に冷めてしまった。

 しかし今こうしてショーナの浮かない顔を見ていると、ジュードを冷酷に切り捨てる気持ちになれないのも事実だ。


「チェルシー様……」


 チェルシーの内心に気付いたのか、ショーナの顔にほんの一瞬だけ安堵あんどの色が見えた。

 だがすぐにショーナはかぶりを振る。


「しかしそれではチェルシー様が王より叱責しっせきされます」

「大事の前の小事よ。きちんと目的を果たして帰還すれば兄上も寛大な処置を下されるでしょ。ショーナ。あなたは何も心配することはないわ。だからそんな浮かない顔していないで、いつも通りに任務に集中して」


 そう言われ、ショーナは戸惑いながらも静かに頭を下げた。

 その時、主寝室のとびらがコンコンと叩かれて声がかかる。

 シジマだ。


閣下かっか。浴室の準備が整いました。お食事の前に湯浴ゆあみをどうぞ」

「ええ。ありがとう。シジマ」


 そう言うとチェルシーは立ち上がる。


「ショーナも一緒に来なさい。部下たちも後で入浴をさせてあげたいから、2人でサッと済ませましょ」

「……はい。ワタシは荷物を整理してからすぐに参りますので、チェルシー様はお先にどうぞ」

「分かったわ。早くね」


 そう言うとチェルシーは部屋を後にするのだった。

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