第10話別離

「兄様?」

「正式な騎士となったら、アレクシスは私の護衛騎士とする――。セラフィは勉強のために魔術学園に入学が決まった。今、カリナがその準備に行っている」

「どうして……。学園て何のことですか?」

「前から言われていただろう?」


 アレクシスが結婚しても、イグニスの護衛騎士になってしまっても、普通に会えるのだからセラフィは我慢しようと思っていた。

 振り向いて、後ろに控えているアレクシスの顔を見上げて気づいてしまった。アレクシスはセラフィに会えなくても別に構わないのだ。青い目は、セラフィを静かに見つめていた。寂しいとか残念だとかアレクシスの顔には一切書いていないかった。

 いつも優しくて、我が儘を笑って許してくれた。

 セラフィにとってのアレクシスと同様に、アレクシスにとってもセラフィは特別だと勘違いしていた。


「兄様はずるい! お父様もお母様も一緒にいるのに! アレクまで――酷いっ」


 イグニスが悪いわけじゃない。セラフィは八つ当たりをしただけだった。わかっていても止めることができなかった。感情のままイグニスに叩きつけた言葉はかえらない。

 ポタポタと涙が零れる。胸に渦巻く訳のわからない感情に吐きそうなのに、イグニスは首を横に振る。


「セラフィ、魔術師となるために学園に行きなさい。ここで微睡んでいてはお前のためにならない」


 泣いても叫んでもセラフィの思う通りにはならない。それは七年前、ここに閉じ込められた時に嫌というほど知った。あの時と同じような気持ちが溢れていく。

 掌から魔力が零れていくのをセラフィは慌てて掴もうとした。離宮の魔方陣が吸い込んでも魔力はもう抑える限界なのだ。


「暴走か!」

「セラフィ様!」


 二人は顔色を変えた。

 セラフィは、掌の上に意識を集中した。目に見えるアレクシスの二倍くらいの大きさに膨れ上がった竜巻のような風がセラフィの手の中に集まっていく。小さくなるように意識をすると、人の拳くらいの大きさに縮まっていく。


『消えろ』


 セラフィは魔力の塊を握り潰すようにして拳を握った。

 一瞬にして消え去るのを見て、二人は息を飲んだ。


「セラフィ様! 傷が」


 セラフィが抑え込んだ力はセラフィの拳を血で染めた。傷だらけになった手を後ろに隠すようにして、セラフィは俯いた。


「あんなに勉強したのに……、制御できなかったな。兄様、学園に行きます。アレクシス、もう護衛はしなくて、いい……」


 風で切ってしまった傷口から、ボタボタと血が落ちていく。代わりに涙は消えていった。


「セラフィ様、手当させてください!」


 アレクシスが近寄ろうとするのをセラフィは傷のないほうの手で拒んだ。


「自分でできる。学園に行ったらどうせ一人なんだ。兄様、見送りもいりません」


 可愛がってくれた兄やアレクシスに後ろ脚で砂をかけるような言葉だなと思いながら、セラフィは言った。


「セラフィ! 見送りくらい」

「……お父様やお母様、兄様、アレクシスに見送られて……僕が感情を制御できると思いますか?」


 今でも必死に心を落ち着けようとして苦しい。誰にも怪我などさせたくない。一人になっても、悲しくても寂しくても、大事な人を傷つけたくないという想いは昔から変わっていない。

 イグニスが息を飲んだ音が聞こえた。逡巡した後にゆるく頷く。


「さようなら……」

「セラフィ様!」


 セラフィはついてこようとするアレクシスを見つめた。大好きな銀の髪と青い空の瞳を忘れないように目に焼き付けようと思った。


「今までありがとう。幸せに――」


 相思相愛の人がいるならきっとセラフィのことはすぐに忘れるだろう。アレクシスの幸せを祈って、セラフィは微笑んだ。

 セラフィは離宮の扉に自分の血で魔方陣を書いた。手ではなく、風の力を使って。血がスルスルと自らの意思を持っているかのように動き、セラフィの望むまま陣を描く。


「セラフィ様! どうして――」


 アレクシスはその魔方陣が人を建物にいれないためのものだと一目でわかったようだ。閉めた扉は、セラフィの心の扉だったのかもしれない。魔方陣は正しく起動し、出ていくものを拒まず、入ってくる者を拒んだ。入れるのはセラフィの師匠達だけ。 

 セラフィは眠った。どんなに頑張っても目を開けていることができなかった。三日ほど眠った。起きて部屋に置かれていた果物を食べてまた眠った。


「セラフィ、起きなさい」


 起こしたのは、アレクシスに似ているけれど黒い髪の男の人。カリナの父であり、セラフィの師匠であるエドアルドだった。


「師匠?」

「可哀想に。手が傷だらけではないか。これは跡が残るぞ」

「師匠、ごめんなさい。僕、眠くて……」

「辛かったんだろう。離宮の魔方陣がズタズタになっていた。眠りは癒やしでもあるからね。行こう、セラフィ」

「どこに……?」

「魔術学園だ。沢山魔術師がいる。私の手伝いをしてもらえるかな?」


 エドアルドは学園の学園長でもあった。


「うん。師匠、僕を連れて行って……。僕、ここにいると眠くて……」


 大事なものを壊してしまいそうで、セラフィはここにはいられないと思った。いつか、この傷だらけの手のように大事な人を傷つけてしまうかも知れないと思うと恐ろしかった。


「眠っていなさい。セラフィ、目が覚めたら新しい世界が君をまっているよ」


 エドアルドの声はアレクシスに似ていて心地よかった。瞼を閉じれば、またアレクシスのいる夢の中で微睡むことができた。

 セラフィは、エドアルドとカリナに隠されるようにして城を去った。遠くから見つめる幾つもの瞳が哀しげに瞬くのにも気づかないうちに。



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