諦めたはずの騎士からの愛情に溺れそうです
さちさん
第1話キラキラ光る銀の騎士
コンコンと扉が鳴った。
護衛騎士見習いが挨拶に来る、と朝の食事の時に聞いたような気がする。
セラフィは読んでいた本を抱えて静かに寝室へ逃げ込んだ。寝室の横にあるクローゼットの奥は誰も来ない秘密の隠れ家だ。ここにいれば誰も気づかない。仮にも王子がこんなところに隠れるはずがないと思っているから。
「殿下、護衛騎士見習いの方がご挨拶に見えて……、またいらっしゃらないわ。申し訳ありませんが時間をおいてきてもう一度いらしてください」
侍女の声に被さるように、知らない声が聞こえた。
「殿下がいらっしゃらないのに何を平然としているんだ! 一大事ではないか!」
大きな声が聞こえて、セラフィは心臓が跳ねた。侍女の言葉に驚き、憤慨しているようだ。護衛騎士とはいえ見習いなのに偉そうな人。次の護衛騎士は高位貴族の子弟なのかもしれない。
「そうはおっしゃっても殿下はすぐに姿を隠されて、少し経ったら何事もなかったかのようにお戻りになるのです。私に文句を言われても困ります。きっとあなたに会いたくないから隠れていらっしゃるんでしょう」
意地の悪い言葉だ。侍女の言葉には棘しかない。
セラフィが一番嫌いな侍女にあたって、護衛騎士見習いも運が悪い。
「仕事もせず言い訳とは、王宮の侍女も質がしれたものだ」
護衛騎士も負けていなかった。呆れたような声で、侍女にはなんの期待もしていないと隠さずに言った。
「まぁ! まだ見習いのくせに」
「見習いでも今が異常なことはわかる。失礼する」
「侍女長様に言いつけますからね」
言い捨てて侍女は部屋を出ていった。侍女長は口だけの侍女の言葉を鵜呑みにしないから、護衛騎士は怒られないだろう。このまま二度と帰ってこなくていいのにとセラフィは心の中で悪態をついた。やっかいものの第二王子につけられる侍女なんてたかがしれている。いい人がいてもすぐに配置変換されるのだから関係ない。護衛騎士だってそうだ。半年もった例がない。
足音が聞こえた。
早く帰ればいいのに。諦めて、こんな主に仕えたくないと言えばいい。
期待なんてしていない。セラフィはそんな甘い気持ちをどこかへ捨ててしまった。三年前、セラフィが過ちを犯してしまったあの頃に。
「みーつけた。かくれんぼが好きなんですね。私は見つけるのが得意なんですよ」
クローゼットの中の沢山服が掛けられた場所の奥、今まで誰も入ってこなかった場所に光りが差した。月の輝きのような冴えた銀の髪、晴れ渡った空のように澄み切った青い瞳。セラフィは言葉を忘れて口を開けて見上げていた。
「王子殿下、ウィンストン家のアレクシスです。初めてお目にかかります。フフッ。目をそんなに見開かれてはこぼれ落ちてしまいますよ」
はにかむように笑って、アレクシスが手を伸ばす。
「さぁ参りましょう」
アレクシスは兄イグニスと同じ十四歳くらいに見えた。セラフィが差し伸べられた手をおそるおそる握ると嬉しそうに微笑む。セラフィの身体は八歳にしては小さいけれど、アレクシスは簡単にヒョイと抱き上げた。
アレクシスの腕に抱かれると、世界はいつもより広く見えた。視線を感じて顔を横に向けるとアレクシスの青い瞳がとても近くて、セラフィは思わず目を逸らした。トントンと背中を叩かれて、大事にされているような錯覚を起こすほど心地いい。服を着せ替えられる以外で、他人とこんなに近くに触れ合ったのはいつ以来だろうと考えても思い出せない。
セラフィは戸惑いながらもう一度アレクシスの視線を受け止める。
青い瞳に吸い込まれそうだと思った。
「どこに行くの?」
「そうですね。どこでもいいですよ。私は護衛騎士見習いなので、この王宮のどこにでも付いて参ります」
「僕のこと知らないで来たの?」
離宮に隔離されている第二王子、それがセラフィなのに。
「第二王子で、今年八歳。精霊の祝福を沢山いただいていて、将来は風の魔術師になられると聞いています」
将来、というものがあればの話だと言われている。
「人を殺したことがある……とか、風の力を暴走させて人を傷つけたからこんな城の離れに隔離されているとかわかってるの?」
一瞬、アレクシスの目が驚きに見開かれた。特別な気分はこれで終わりだ。知らないなら教えてあげないといけない。そうでないとアレクシスにもきっと「どうして言わなかったんだ」と詰られる。
知っていたら無防備に近づいたりしないはずだと思ったセラフィをアレクシスが抱え込む。これが抱擁だということにしばらくしてから気がついた。
アレクシスは目を瞑って息を吐いた。重さを感じるような深い息だった。
セラフィはアレクシスが怒ると思って身体を緊張させた。魔術の教師が怒る時、いつもこんな風に息を吐いてから怒鳴りつけてくるからだ。覚えのある空白の瞬間に思わず身を竦めて目を閉じた。
アレクシスは怒らない。いつまでたっても訪れない怒りの発露を不思議に思い、セラフィは目を開けた。アレクシスの空の青は曇らず、ただ寂しそうに細められたままだった。
「殿下は聡明ですね。あなたは子供だから、ここにいる意味をわかっていないと思っていました」
「帰っていいよ。どうせ皆いなくなる。護衛騎士見習いは皆、兄上との繋がりになるかと思っていたのにとか、外れだといって辞めていった。それに、僕は離宮から出られないから護衛なんていらない」
しばらく仕えれば家族が誰も姿を見せない、皆セラフィを忘れてしまったことくらいすぐに気づく。最初は寂しさを慰めてくれた人も、セラフィの現状に気付けば外れだと文句を言って辛くあたってきた。きっとアレクシスもそうに違いない。
「護衛騎士は私が選んだ道です。私はあなたを守るためにここにいます。たとえあなたが私のことを嫌だと思っても」
護衛騎士は騎士団で決められた人を守るのが仕事だ。アレクシスには選ぶ余地がないのだろう。セラフィはアレクシスの顔を見ていられなくて俯いた。
寝室から出て居間に戻るとアレクシスはセラフィを椅子の上にそっと下ろした。残念なような、ホッとしたような複雑な気分でセラフィは持っていた本をテーブルに置いた。
「難しい本を読んでいるのですね」
「ここから出て行きたい。それには魔術師として認められないと駄目なんだ」
離宮のことではなく、この城、この国以外の場所、どこか知らないところに行きたいとセラフィは願っていた。
「どこへ行きたいのですか?」
「誰も僕を知らない場所へ行きたい」
セラフィが望むのはただそれだけだった。
後ろから包まれて、今度は抱きしめられていることにすぐ気づいた。アレクシスの癖なのだろうか。きっと愛されて育ったのだろう。居心地が悪いと思いながらもセラフィはアレクシスの気がすむまでくすぐったい気持ちで固まっていた。
コンコンと音がすると、アレクシスは離れた。
「はい」
アレクシスはセラフィの椅子の後ろで護衛の仕事を始めたようだ。
「殿下、ネグレス先生がいらっしゃいました。お勉強の時間でございます。あら、今度の護衛騎士見習いはアレクシス殿だったのですね。どうりであの子が文句を言うわけだわ」
「先ほどの使えない侍女のことですか。カリナ」
「相変わらずですこと。六歳も年上の従姉弟に対して呼び捨てですか」
「カリナ姉様と呼んでいては仕事になりません。私のこともアレクシスと呼んでください」
先ほどまでの優しい声は聞き間違いだったのか、別の人なんだろうかと思うほどアレクシスの声は冷たく聞こえた。
「わかりました。まさか本当に殿下の護衛になるなんて……。驚きました」
セラフィは侍女の中で一番安心できるカリナとアレクシスが従姉弟だということに驚いた。よく見れば微笑んだ時の目の形が似ているような気がするけれど、カリナの髪は茶色だし、瞳の色は緑だからか親戚と言われなければわからない。カリナは大人しくて真面目であまり目立たない。意地悪もしないし嫌なことも言わないからセラフィは好きだが、カリナは淡々と仕事をこなしているだけだろう。簡単に人を殺せる子供に仕えたい侍女なんているわけがない。
「アレクシス、教師には注意しなさい」
カリナは通り過ぎざまにアレクシスに耳打ちした。セラフィは風の精霊の祝福があるから聞こうと思えば部屋の外の小鳥の寝言でさえ聞こえる。色んな音が勝手に入ってくるから疲れるので普段は音を拾わないように遮断しているけれど。
カリナの警戒にアレクシスは軽く頭を振った。
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