第4話 四月(4)
市バスが学校の前に停まるまで、まだ時間があった。高瀬由衣は先ほどの一件で周囲からの注目が薄れ、一人で帰ろうとしていた。話し掛けようとしたが、千尋に声を掛けられ、相手をしている間に見失ってしまった。そして、気が付いた時には私はスクールバスに乗っていたのである。はてさて、どうしたものか。
学校の人と出くわすのが嫌でスクールバスを避けた。同乗している生徒が先輩か同学年か、同級生なのかも分からない状態でスクールバスという逃げ場のない空間に閉じ込められるのが嫌だった。スクールバスは定員二十五名程で、私達の学年だけではなく、先輩達も乗車していた。バスは二台あったが、今日は一台で事足りるようだった。なぜなら教室で「今日は駅まで歩いて帰ろうよ。途中でおしゃれな喫茶店があるんだ」と話し声が聞こえた。半日で下校のため寄り道する生徒も少なくなく、スクールバスに空席があるのだろう。「きっと席は空いてるから、乗っちゃいなよ」という千尋の一言で、私はここにいる。
バスに乗ると、私達は空いていた座席に座った。私が窓側、千尋が通路側だ。荷物は自分の膝の上に置き、程なくしてバスは出発した。
「はあ、疲れた。初日は気疲れしちゃうよね」
「そう? 寧ろ、半日だから楽でしょ?」
私の言葉を簡単に否定する千尋と、この話題を続ける気にはなれず、私は窓の外を眺めながら彼女の言葉に相づちを打つことだけを続けた。
駅までの時間、彼女は延々と話をしていたけれど、私は何を話せばいいのか分からなかった。だって、彼女とは友人と呼べるほど親しい間柄ではなかったし、少なくとも今日一日に対して、全く逆方向の感想を抱いていた。共通の話題があるのかなんて分からなかった。
何か話題を提供しなければならないと思って、私は部活について聞いた。
「千尋って、高校でも陸上部に入るの? そこそこ足速かったよね?」
「これでも一応、東中一の足を持っていたんだけど。認知度はまだまだだったか。アピールしないとな」
「ごめんごめん。他のクラスの事情には疎くて、よく分からないんだよ」
「そう。いいよ。部活、高校はどうしようかな? 任意だって聞いているから、悩んでいいるんだよね。入るなら陸上だけど。そういう陽菜子はどうするの?」
「私は帰宅部。もう決めているんだ」
「そうなの? 中学は何部だったんだっけ?」
「文芸部。本が好きだったから」
読書が趣味。それだけの理由で文芸部に入部した。けれど、
「本当に本が好きで文芸部にいる人たちが半分、部室を私物化している人たちが半分。お世辞にも良い部活とは言えなかったんだよね」
先輩達や声の大きい者が自由に部室を使っていた。真面目に活動しようとしている者は肩身の狭い思いをしたのだ。
「結局は面子が重要。そう思うと、活動内容や面子が分からない時期に入部を決めなければいけないってリスキーじゃない?」
「だから、帰宅部?」
「そう」
何か不服そうではあった。「一緒に陸上部に入ろう」と提案してこないところは助かった。千尋と四六時中一緒にいるのは気が乗らないし、これまで体育の授業以外で身体を動かしていない私にとって、運動部は堪える。
駅に到着すると生徒はちりぢりになった。
千尋とは家の最寄り駅まで一緒なので、あと十分くらいは時間を供にする。他に何か話したいことはと考えたとき、私は高瀬由衣のことを思い出していた。
「新入生代表って、どうやって選ばれるのかな?」
「ん? 高瀬さんのこと?」
「そう。立候補する場があったわけでもないし。あんな大役、私だったらやりたくないなって」
「ああいうのは、入学試験の成績で決まるって聞いたことがある。高瀬さん、相当頭がいいんだよ」
損な役回りを押しつけられるなんて、頭が良すぎるのも考えものだ。
まあ、私には縁のないことだけど。
気の毒だと思った。
「ってかさ、さっきの高瀬さんヤバかったよね」
「入学式の後の?」
千尋がニヤニヤしながら話し始めた。
「だってさ、初日から大声で怒るなんて、短気というか、空気読めないよね」
「質問攻めで苦しかったんじゃない?」
「だとしても、私だったら我慢する。そもそも入学初日から皆に興味を持ってもらえるなんて、そんなことないよ? 新入生代表として挨拶をしたのに勿体ない」
勿体ないか。
そう思える千尋は、やはり人気者の素質があるのかもしれない。
新入生代表というバッジを貰っても私は嬉しくないし、高瀬由衣だってそうは思わなかったのではないだろうか。テストが免除されるわけでもないし、遅刻しても許されるわけでもない。ただみんなからの注目を集めるだけのバッジ。そんなもの、出来ることなら捨ててしまいたいと思う私は贅沢ものなのだろうか。
家の玄関の扉を開くと、お父さんの靴は無かった。午後から仕事へ向かったのだろう。
「ただいま」
「おかえり。陽菜子、思っていたよりちゃんとしていたわね。安心したよ」
入学式の感想だろう。
ちゃんとって。私は歩いていただけだ。どのような心配をしていたのか。
ちゃんとしていたのは高瀬由衣だ。彼女はクラスメイトである私の目にも輝いて見えた。なぜ、そう思うのだろう。可愛いから。髪が綺麗だから。瞳が輝いていたから。そうであるけれど、一番はきっと、私の持っていない芯の通った心に惹かれたのだろう。
自室の鏡で見る自分の姿は、今朝よりもまともな姿になっているような気がした。
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