第二十七話

 日が暮れかかっていた。夕方の混雑。一ノ瀬明夫と妻の美佑は新宿駅の駅前の通りを歩いていた。

「ねえ、誰も私たちのことに気が付かないね。連続殺人の犯人が、二人並んで歩いているのにね」

「そういうもんみたいだな」明夫は笑いながら答えた。「誰にも、俺たちのことは見えてないみたいだよな。俺たち、本当は存在してないのかもしれない」

「そんなことないよ」美佑は優しく言いながら、彼の手を握った。「私はここにいるし、明夫さんも一緒。私たちはちゃんとここにいる・・・だって、覚えていてくれたでしょう」

「何を?」

「ここだって。ここが、私たちがデートした場所だって。明夫さんだって、ちゃんとわかっていてくれた。私たちは、また、ここで出会うって」

「そうだな」

「私の心の中には明夫さんがいるし、明夫さんの心の中には私がいる。たとえ、誰にも見えなくても、私たちはちゃんと存在してる。私たちは私たちの中にいるよ」

 二人はしばらくの間、黙って歩いた。

「ねえ、私、明夫さんに殺されるの? それって苦しいの?」

 明夫は返事をしなかった。その代わりに別のことを話し始めた。

「俺たち、奥田彩を殺したんだなあ」

「うん、きっとね」

「どうして、俺、彩を殺したんだろうなあ」

「わかんない」

「ひどいことしたんだ。三日間も苦しめて・・・殺すにしても、なんで、すぐに楽にしてあげなかったんだろうな」

「きっと、私たち、狂ってるの。私たち、異常なんだよ。そうだよ。私たち、異常犯罪者なんだよ。だから、仕方ないんだよ」

「やっぱり、あの声が・・・」

「そんなの嘘だよ。そんなの妄想だよ。あの声なんて、存在しないんだよ。しっかりしてよ、明夫さん・・・」

「ああ」

「あのね、私、女の子に会ったよ」

「女の子?」明夫は不思議そうに美佑を見た。

「うん、女の子。片目だった。片目の探偵。左目が義眼だった。その子が私に言ってたの。私は洗脳されてるって。自分でもわかる。そうかもしれないね。でも、みんな、誰かに洗脳されて生きてんじゃないの? それが親なのか、親友なのか、兄弟なのか、わからないけど。でも、誰かによって洗脳されてる。だって、人間は生まれてきた時は真っ白なんでしょう。誰かが、そこに何かを書きこむ。そして、それを真実だと思い込んで生きているだけ。みんな一緒だよ。きっと」

「そうかもしれないなあ」

「そうだよ。私たち、狂ってる。私たち、異常犯罪者。でも、本当は、みんな狂ってる。みんな異常犯罪者。それだけのこと」

「でもなあ。彩のことが・・・」

「明夫さんは、彩さんのことが好きなんですね」

「ごめん」

「いいんですよ。謝らないでください。だって、今でも、ポケットの中に入ってるんでしょう。彩さんにもらったネックレス。アフリカのお土産?」

「うん」明夫は不思議なデザインの男物のネックレスを出して見せた。「変なネックレスだけど。これアフリカの部族が、儀式の時に使うものらしいんだ・・・」

「きっと、彩さんも幸せですよ。明夫さんがずっと大切に持っててくれて・・・」

「でも、俺は奥田彩を殺したんだよな。俺たち、菅原姫奈も・・・あんな素直な子まで・・・あんなに追い詰めて、あんなに苦しめて・・・北川由理恵だって、何にも悪いことしてないのに・・・どうして、こんなことをしたんだろう」

 美佑は立ち止まって一軒の店を指差した。

「ねえ、覚えてます? この靴屋、前にも来たことがありますよね」

「あの時に来たね」

「そう、あの時に、明夫さん、私に靴を買ってくれようとしたんですよ。ハイヒール。私、その時は、何となく照れ臭くて、断っちゃったんだよね。ごめんね。変な遠慮しちゃったね」

「ああ、昔のことだよ。じゃあ、今日、買ってあげようか」

「うれしい・・・でも、もう十分だよ。そう言ってくれただけで。・・・その言葉だけで、もう私、死にそうなぐらいうれしいよ。・・・それにね、死ぬ時には、何にも持っていけないんだよ。地獄に落ちる時は裸足なんだ」

「そうかなあ」

 二人はまた歩き始めた。明夫はまっすぐ前を向いたまま美佑に話しかけた。

「俺はね、お前はきっと天国に行けると思うよ。心が少しも汚れてないから」

「そんなことないよ。私の心なんて、もうドロドロに汚れちゃってるよ。いろんな人に汚されちゃった。でも、明夫さんに会ってからは、少しずつきれいになったのかもね」

「美佑の心はきれいだよ。だから、きっと天国に行けると思うよ」

「じゃあ、一緒に天国に行こう」

「俺は無理だ。俺は地獄に落ちるしかない・・・」

 美佑は明夫の手を強く握りしめた。

「あのね、さっき言った女の子・・・片目の探偵・・・彼女のことは、菅原姫奈さんが教えてくれたんだよ、死ぬ前に・・・あの探偵だけには、真実が見えているって、菅原姫奈さんが言ってたんだ。その探偵、とても不思議なの。変わってるの。私にもね、生きろって言ってくれたよ。何度も。彼女は私の気持ちがわかってるのに、それでも、生きろって。私も彼女だけは信じられるような気がする」

「片目の女の子?」

「そう、左目が義眼なの。親に刺されたんだって。でも、今は探偵なんだよ。以前、私たちのアパートにこっそり入り込んで調べたのも、きっと彼女だよ。この事件を調べてるんだよ。私も、彼女だけは真実にたどり着くと思うよ。私たちですら知らない真実に」

「真実か・・・何だろうね・・・」

「もしかしたら、彼女にかけてみるべきなのかも・・・やっぱり私たち、洗脳されてるのかも・・・」

 明夫は黙っていた。その時、美佑の表情が突然変わった。顔中に微笑みを浮かべながら彼女は言った。

「もう大丈夫だよ。もう、私、明夫さんに殺されてもいいよ」

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