第三章 異常
第十八章
深夜、新宿署のオフィスで資料を読んでいる大川のところへ優花が来た。
「大川さん、これ見ましたか?」
優花が見せたのは、E社から笠河電気への発注一覧だった。
「どうも、不正発注があるようです」
「不正発注?」大川は驚いたような表情をした。
「ええ、いくつかの発注で、納品物がないようなんです。ないというか、偽物のようなんです。つまり、中身のない発注をして、金だけ支払っているということです。E社が笠河電気に対して」
「なんで?」
「具体的なことは、まだ、わかりませんが、何らかの理由でE社が笠河電気にお金を払う必要があったのでしょう。それで、形式的に仕事を依頼した形を作ったんです」
「でも、納品物がなけりゃ、ばれるんじゃねえの」
「いや、ソフトウェア開発ですから。プログラムなんて、単なるファイルですから。中身のないファイルとか、関係ないプログラムをコピーしたりして、いくらでも、納品物はごまかせるんです。・・・それよりも見てください。これ」
優花は、リストの一部を指差した。
「この不正発注を受けている部署はすべて、一ノ瀬昭夫の部なんです。つまり彼は、この不正発注に全面的にかかわっていたんです」
「ほう」大川はしばらく考えていた。「もしかして、不正を告発されそうになったのかな・・・それで、消したのか・・・」
「まだ、そこまでは・・・ただ、たとえ、奥田彩や菅原姫奈が、一ノ瀬の不正に気付き、それを告発しようとしたのだとしても、それを黙らせるためにわざわざ殺すというのは、大袈裟すぎるような気がします。しかも二人も・・・」
「そうだよな・・・」大川もうなずいた。「確かに、この程度の発注の不正の露見を防ぐために、人を殺すというのは大袈裟すぎるかもしれんな。でも、プライドがあるかもしれんぜ。一ノ瀬にしても、まじめに仕事としてやっていることを、不正だ不正だと、まるで犯罪のように言われて、頭に来て、かっとなって殺したのかもしれん」
「そうかもしれませんが、そうだとしたら、あんな残酷な殺し方はしないでしょう。あんな三日もかけて拷問しますか・・・」
「まあ、そうだなあ。無理があるよな。動機としては小さいよな。それに、もしそうだとしても、最初の事件の北川由理恵とは関係ないしな。でも、そもそも異常な性癖を持っている人間だったら、怒りが爆発した瞬間に、それまで隠し持っていた特殊な心理が面に出てきて・・・つまり、かっとなって、彼女を一発なぐった、その瞬間に、それが気持ちいいという自分に気がついて、二発目を殴った・・・気持ちいいから止められない・・・殴り続ける・・・そして、三日間殴り続けた・・・まあ、あり得なくもないが、ちょっと無理があるかな・・・それで、二人も殺すというのはちょっと変だよな」
「私もそう思います・・・それで、もう一つ思っていることがあります」
「もう一つ? 何?」大川は尋ねた。
「はい。この不正発注は、会社としても、社員に告発されると困りますよね。社としての信用が下がってしまう。おそらくこんな小さな会社なら、それだけで倒産するでしょう。今そうなっているように。そうすると、会社全体で奥田彩や菅原姫奈を黙らせようとしたとしてもおかしくないですよね。つまり都合よく、会社全体で一ノ瀬明夫の連続殺人を支援するという構図は、少し可能性がでてきますよね」
うーん、とうなりながら、大川は腕を組んだ。
「でも、いくら会社として不正を隠蔽したくても、連続殺人事件が代わりに面に出てきたんじゃ、それはそれで困るんじゃないか・・・君も言ったけど、今、現に、それで倒産しかけてんだろう、この会社・・・」
優花はがっかりした表情だった。
「そうですね。そう言われるとそうですね・・・私、もしかして、事件解決しちゃったかなとか、一瞬、思ってたんですけど、だめですね・・・」
優花は照れくさそうに笑い出したが、大川の表情はこわばったままだった。
「いや、そうとも言い切れんぞ。もしかしたら、俺たち、何かの糸口を見つけたんじゃないか・・・」
大川は「ちょっと人に会ってくる」と言って、立ち上がった。「こんな夜中に?」という優花の質問には答えなかった。
*
「まだ夜も暑いなあ」
深夜の喫茶店に入った大川は、そう言いながら、彼を待っていたアキラの前に座った。
アキラは頭を下げた。
「夜遅く、すいません」
「それ、アイスコーヒー?」とアキラが飲んでいるものを確認して、「同じもの」とウェイトレスに注文した大川は尋ねた。
「ミクちゃんは?」
「はい、ちょっと体調を壊していて・・・今日は俺一人で・・・」
大川はしばらく考えてから、つぶやいた。
「彼女なりの考えがあってやってるんだろうから、仕方ないね」
全てを見破られているな、と思いながらも、アキラは話を続けた。
「それで、ミクさんに、これを大川刑事に説明しておくようにと言われました。それで・・・」
「何を?」
「笠河電気のある社員が見せてくれたファイルです」
二人はまだ、駅のロッカーで見つけたUSBメモリのことを大川に話していなかった。
アキラはパソコンの画面を開くと、いくつかのファイルの中身を大川に見せた。
「これはプログラムです。おそらく、軍事関連のソフトウェアだと思われます。具体的に言うと自衛隊の兵器の制御プログラムだと」
「ほう・・・これを、笠河電気の社員が持っていたと・・・」
「はい。これは特殊なプログラムで、つまり兵器の一部なので、一般の会社が開発したり、あるいは情報を共有したり、公開してはならないものなのです。それを笠河電気の社員が持っていたということは、一種の不正行為が行われていたのではないかと考えています」
「不正行為?」
「ええ。こういうプログラムを開発している、しかも笠河電気に近い位置にある会社はE社だけです。E社の特殊開発部門がこういうソフトを取り扱っています。しかし、これは一般の会社では扱うことができません。つまり、本来はE社が外部に発注してはならないプログラムなのです。それを笠河電気に委託していたのではないかと」
「なるほど・・・でも、そんなことしたら、すぐにばれるだろう。E社だって、あんなに大きな会社なんだから、内部で堂々と不正を行うわけにはいかないだろう」
「おそらく、そうでしょう。俺にもこれ以上のことはわかりませんが、何か巧妙な仕掛けがあるのかもしれません。例えば、お金の流れとモノの流れが違うというような・・・」
「そういうことか・・・」大川は大きくうなずいた。「不正発注に不正行為か・・・アキラ君、わかった。君が言いたいことも、ミクちゃんが考えていることも、わかった・・・多分・・・わかったつもりだよ。それで・・・」
「いや、すみません。それだけです」アキラは謝った。
「例の一ノ瀬明夫の連続殺人との関係はどう考えてんの?」
「E社との間でこういうことができるのは、E社から移動してきた、一ノ瀬明夫と奥田彩です。一ノ瀬明夫は特殊開発部門にいたわけですから、ある意味で容易でしょう。彼らがやったという証拠はありませんが・・・。ただ、もしそうだと仮定しても、・・・それが何らかの内部トラブルを引き起こしたのだとしても、それでも殺人事件につながる可能性はまだ低いと考えています」
「だろうね」
「この程度では殺人の動機にはならないと、ミクも俺も考えています。でも、もしかしたら、何かの参考になるかもと思って、大川さんにお見せしました」
「おお、ありがとう・・・で、そのファイルはもらえないの?」
大川はきょとんとした表情で言った。
「実はミクさんに、それは絶対にしてはならないと言われました」
「どうして? 渡してくれれば、警視庁で、ちゃんと調べるよ。それとも、警察が証拠を隠滅するとでも・・・」
「いえ、実は、そういうことではなくて・・・これらの情報のほとんどが、厳重に暗号化されていて、まだ全部は解読できていません。でも、ミクさんは、それが何か薄々気が付いているようです。それを見たら、命の危険があるかもしれないと、ミクさんは言っていました。だから、現時点でこれを警視庁内で共有するのは危険かと・・・」
「そうか」と言った大川は黙ってしまった。
アキラには大川の考えていることが理解できず、素直にファイルを渡さないのが不満なのだろうと思い、言葉を付け加えた。
「もし、どうしてもというのであれば、ここで俺を逮捕して、このパソコンを強制的に押収していただいてもかまいませんが・・・ただ、俺やミクは決して、捜査の邪魔をしようとしているのではなく、大川さんや優花さんに危険な目にあってほしくないという気持ちから判断しているのだということだけは、理解してほしいです」
大川は財布をポケットから出して、「二人分」と言いながらウェイトレスに金を渡すと、アキラの方を向いた。
「あのさあ。まず情報をくれたことには感謝するよ。おそらく重要なヒントだろうね」
「ありがとうございます」
「ただ、そんなに危険なファイルって、どんなファイルなのか、俺にはちょっとわからんけどな・・・でも・・・もし、それがそんなに危険なファイルだとして・・・もしそうなら、君たち二人は、非常にヤバイことをしているわけだよね。もしかすると、それこそ命の危険があるかもしれないと。君たちの命のね。もしそうなった時には、俺や優花には、君たちを守るという義務があることだけは忘れんでくれよな」
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