act 3

新緑が眩しい5月、陽射しが強くなり始めた頃。若葉の鮮やかな緑が窓越しに目に飛び込んでくる。法廷では吉本の半生が語られていく。窓の外では小鳥のさえずりが聞こえ、その明るい調べが、時折法廷に漂う沈黙と奇妙な対比を成していた。



裁判長は咳払いをして、静かに法廷内を見渡した。その目は、証人席に座る小柄な中年女性に留まる。彼女の表情には緊張と懐かしさが入り混じっていた。


「では、証人尋問を始めます」裁判長の声が、張り詰めた空気を切り裂いた。「証人の川村美香さん。あなたは被告人吉本晋也の小学校時代の担任教師で間違いありませんね?」


川村は小さく頷いた。「はい、間違いありません」


宣誓を終えた川村に、検察官の青木が質問を始めた。


「川村先生、吉本晋也が小学生だった頃の彼の様子について、具体的にお聞かせください。」


川村は深呼吸をし、20年以上前の記憶を呼び起こすように目を閉じた。彼女が口を開いたとき、法廷内のすべての視線が彼女に注がれていた。


「吉本君は、驚くほど聡明な子どもでした。特に理科の授業では群を抜いていて、小学3年生の時には既に中学レベルの生物学の知識を持っていました。」


川村は具体的なエピソードを思い出したように話を続けた。

「ある日の理科の授業で、植物の観察をしていました。他の子どもたちが葉っぱの形や色を描いている中、吉本君だけが顕微鏡を使って細胞の様子を描いていたんです。その絵の精密さに、私は驚きを隠せませんでした。」


彼女は一瞬言葉を詰まらせ、吉本を見つめた。

「しかし、その才能は時として周囲との軋轢を生みました。4年生の時、理科の自由研究で吉本君が持ってきたのは、なんと近所で見つけた動物の死骸の解剖図だったんです。その精巧さに驚くと同時に、他の生徒たちが怯えるのを見て、どう対応すべきか悩みました。」


川村は目を閉じ、過去の記憶を辿るように続けた。

「運動会の練習の時のことも忘れられません。みんなで踊りの練習をしていた時、吉本君だけが参加せず、端っこで人体の図鑑を読んでいたんです。私が声をかけても、『こっちの方が面白いです』と言って、一向に輪に入ろうとしませんでした。」


「そして、最も印象に残っているのは、5年生の時の出来事です。休み時間に、吉本君が他の生徒たちの胸に耳を当てようとして、大騒ぎになったんです。『心臓の音が聞きたい』と言って...。他の子どもたちは怖がって逃げ出し、吉本君は孤立してしまいました。」


川村の声が震えた。

「その後、吉本君は『僕は悪いことをしたの?』と泣きながら私に聞いてきました。その時の彼の目は、純粋な好奇心と混乱が入り混じっていて...私は適切な言葉をかけてあげられなかったことを、今でも後悔しています。」


彼女は深いため息をついた。

「6年生になると、吉本君の行動はさらに変化しました。図工の時間に、他の子どもたちが風景画を描いている中、吉本君だけが人体解剖図のような絵を描いていたんです。その絵の正確さに、図工の先生も驚いていました。」


「卒業間近には、吉本君が『将来は人間の心を研究したい』と真剣な表情で語ったことを覚えています。当時の私には、それが何を意味するのか、完全には理解できませんでした。」


川村は言葉を詰まらせ、深いため息をついた。

「今思えば、吉本君の言動の一つ一つに、彼の内面の変化が表れていたのかもしれません。私たち教師は、彼の才能を単なる『理科の才能』としか捉えられなかった。もっと深く理解しようとすべきだったのかもしれません...」


裁判長が咳払いをして言った。「分かりました。では、次の証人に移りましょう。」



次の証人として、吉本晋也の中学・高校時代の同級生である加藤優輝(35歳)が証言台に立った。加藤は緊張した様子で宣誓を終えると、検察官の石川恵子が質問を始めた。


「加藤さん、中学・高校時代の被告人はどのような人物でしたか?」


加藤は少し考え込んでから答え始めた。


「実は、驚かれるかもしれませんが、吉本は中学時代、クラスの人気者だったんです。明るくて、面白くて、みんなの中心的な存在でした。特に記憶に残っているのは、文化祭の時のことです。」


加藤は懐かしそうに微笑んだ。


「吉本が中心となって、人体模型を使った『人体の不思議展』というイベントを企画したんです。その展示が素晴らしくて、高校生や大人たちまでもが見学に来るほどでした。吉本の解説は分かりやすく、みんなを魅了していました。」


法廷内にざわめきが起こる。


「でも、高校に入ってから急に変わったんです。」加藤は言葉を選びながら続けた。「突然、哲学や心理学の本ばかり読むようになって...周りの人と話が合わなくなっていったような気がします。」


検察官が更に質問した。「具体的に、どのような変化がありましたか?」


加藤は深呼吸をして答えた。


「例えば、高校1年の終わり頃、吉本が突然『死んだらどうなるんだろう?』って真剣に聞いてきたことがあります。その時の彼の目は...異常なほど輝いていて、少し怖かったです。それから、彼は絵を描くのがすごく上手だったんですが、高校に入ってからは不気味な絵ばかり描くようになりました。」


「どんな絵だったのですか?」検察官が尋ねた。


「人体の内部を描いた絵が多かったです。特に心臓の絵...あまりにもリアルで、見ていて吐き気を催すほどでした。でも、美術の先生はその才能を絶賛していました。」


加藤は言葉を詰まらせ、吉本の方をちらりと見た。吉本は無表情で前を見つめていたが、その目には何か懐かしむような色が浮かんでいた。


「高校時代、吉本には彼女がいました。」加藤は慎重に言葉を選びながら続けた。「名前は...確か渡辺さやかさんだったと思います。二人はとても仲が良かったのですが、ある日突然別れてしまいました。その後の吉本の様子が...尋常ではありませんでした。」


「どのような様子でしたか?」検察官が追及した。


「彼は毎日のように美咲さんの家の前で待ち伏せをしていました。学校にも頻繁に手紙を送っていたようです。ある日、さやかさんが泣きながら職員室に駆け込んでいくのを見ました。その後、吉本は停学処分を受けました。」


加藤は言葉を詰まらせ、深いため息をついた。


「停学から戻ってきた時の吉本は...もう、私たちが知っていた吉本ではありませんでした。誰とも話さず、ずっと一人で過ごしていました。そして、卒業式の日...」


加藤の声が震えた。


「卒業式の日、吉本は突然壇上に上がり、『私は、人間の心の真実を探求する』と宣言したんです。その時の彼の目は...狂気とも情熱ともつかない光で輝いていました。それが、高校時代の吉本との最後の記憶です。」


法廷内は重苦しい沈黙に包まれた。



裁判長が咳払いをして言った。「分かりました。では、次の証人に移りましょう。」



法廷内の緊張が再び高まる中、次の証人として呼ばれたのは、吉本晋也の父親である吉本健一(65歳)だった。吉本健一は、疲れた表情で証言台に立った。彼の姿は、息子の犯した罪の重さに押しつぶされそうだった。


検察官の石川恵子が質問を始める。


「吉本さん、被告人が幼少期どのような子どもだったか、具体的に教えていただけますか?」


吉本健一は、深いため息をついてから答え始めた。


「晋也は...とても聡明な子どもでした。物心ついた頃から、周りの子とは違う特別な才能を持っているように感じました。3歳の時、既に漢字を読み始めていたんです。5歳の頃には、私の医学書を真剣な表情で読んでいました。」


吉本健一は言葉を詰まらせた。法廷内は静まり返っていた。


「しかし、私たち夫婦は仕事に没頭し過ぎて、晋也との時間を十分に持てませんでした。妻の麻子は大学教授で、私は心臓外科医として毎日遅くまで手術に携わっていました。今思えば、それが大きな間違いだったのかもしれません。晋也は常に一人で過ごしていました。家族での団欒の記憶がほとんどないんです。」


検察官石川は、さらに踏み込んだ。

「14歳の時に、被告人が心臓手術の映像を見たという報告がありますが、そのことについてご存知でしたか?」


吉本健一は驚いた表情を見せた。

「いいえ、そのことは知りませんでした。私の仕事用のハードディスクを見たのでしょう。あの頃から、晋也は心臓に異常な興味を示すようになったのかもしれません...」


健一は一瞬言葉を詰まらせ、深く息を吸った。

「実は、その頃のエピソードがあります。ある日、晋也が私の書斎に入ってきて、『お父さん、人間の心って、本当にここにあるの?』と胸を指しながら聞いてきたんです。私は忙しさにかまけて、適当に答えてしまいました。今思えば、あの時こそ、じっくり話を聞くべきだったんです。」


この証言に、法廷内がざわめいた。被告人の吉本晋也は、初めて感情を露わにし、父親を見つめていた。


検察官石川が再び質問を始めた。

「被告人のアート活動について、ご存知でしたか?」

吉本健一は首を横に振った。


「恥ずかしながら、ほとんど知りませんでした。晋也とは、ここ数年ほとんど連絡を取っていなかったんです...ただ、大学時代に一度、彼の展示会に行ったことがあります。」


健一の目に、懐かしさと後悔の色が浮かんだ。

「その展示会で、晋也は人体をモチーフにした作品を展示していました。特に心臓を模した彫刻が印象的でした。しかし、私にはその意味が理解できませんでした。晋也は熱心に説明してくれましたが、私は『医学とアートは別物だ』と一蹴してしまったんです。」



「私は...心臓外科医として多くの命を救うことに人生を捧げてきました。しかし、最も大切な息子の心の叫びを聞くことができなかった。それが、私の最大の失敗だったのかもしれません。晋也、本当に...本当にごめん。」

健一が「晋也、本当に...本当にごめん。」と言い終えたとき、法廷内は重い沈黙に包まれた。


その時、吉本晋也がわずかに体を前に傾けた。傍聴席から小さなざわめきが起こる。しかし、吉本は何も言わなかった。ただ、その目は父親をじっと見つめ、その視線には言葉では表現できない何かが込められていた。


裁判長は、この静かな緊張に気づいたようで、咳払いをして言った。


「本日の証人尋問はこれで終わります。次回の公判では...」


法廷を去る際、吉本晋也は一瞬だけ足を止め、父親の方を振り返った。二人の視線が交差したその瞬間、言葉なしの対話が交わされたかのようだった。

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