act 2

前日の満開の桜から一夜明け、今朝は風に乗って花びらが舞い散る4月上旬の朝。法廷の窓外では、ほんのりピンク色に染まった花吹雪が、これから始まる裁判の緊張感とは不釣り合いな優美さで舞っていた。吉本晋也の入廷と共に、一陣の風が吹き、さらに多くの花びらが舞い落ちる。その様子が、これから始まる異例の裁判の幕開けを告げているかのようだった。



法廷内に微かな心音が響き始めた。傍聴席がざわつく中、全ての視線が入り口に集中した。

そこに現れたのは、吉本晋也。35歳の元病理医であり、デジタルアーティスト。そして、殺人鬼。


被告人席に着席した吉本は、ゆっくりと顔を上げ、法廷内を見渡した。検察官は厳しい表情で資料に目を通しながら、時折鋭い眼差しを吉本に向ける。弁護人は困惑した表情を浮かべつつ、依頼人の異様な雰囲気に圧倒されているようだ。書記官は淡々と記録を取っているが、その手の動きが通常よりも速いことから、内心の動揺が伺える。


吉本の姿は、それだけで法廷の空気を一変させた。彼が身に纏うスーツは、深い赤色をベースに、繊細な金糸で心臓の解剖図が刺繍されている。左胸には特に大きな心臓の刺繍があり、そこから全身に血管のように細い線が走っている。その姿は、まるで彼自身が生きた心臓の化身であるかのようだった。

吉本は、ゆっくりと、しかし確固たる足取りで被告人席に向かう。その表情は冷静そのものだが、鋭い観察眼を持つ者なら、彼の目の奥に潜む興奮の色を見逃すことはないだろう。



裁判長が声を上げた。「被告人から申し出があり、本裁判では被告人による自己弁護を認めることとしました。」


法廷内に緊張が走る。傍聴席からはかすかなざわめきが聞こえた。


吉本は立ち上がり、裁判長に向かって頭を下げた。「ありがとうございます」その声は落ち着いていたが、眼には強い決意の色が宿っていた。


裁判長は続けた。「被告人は当初、公選弁護人の選任を受けていましたが、意見の相違により解任を求めていました。被告人は自身が正気であると主張していましたが、弁護人は死刑回避のために精神錯乱を主張しようとしていたとのことです。」


吉本は頷いた。「はい、その通りです。私の行為は芸術であり、狂気の産物ではありません。それを自らの言葉で説明したいのです。」


裁判長は厳しい表情で吉本を見つめた。「被告人、自己弁護のリスクを十分に理解していますね?」


「はい」吉本の声に迷いはなかった。「私の主張を、私自身の言葉で伝えることが、この裁判にとって最も重要だと考えています。」


裁判長が厳かな声で開廷を告げる。

「これより、被告人吉本晋也に対する殺人等被告事件の公判を開きます。」


裁判長は訴訟関係人を確認した後、検察官に向かって言う。

「検察官、起訴状の朗読をお願いします。」


検察官が立ち上がり、起訴状を手に取る。

「起訴状を朗読いたします。」


主任検察官の青木理恵子が立ち上がり、淡々とした声で読み上げ始めた。


「被告人吉本晋也は、2021年2月5日から2023年11月22日までの間、以下の通り計16件の殺人を行い、被害者の心臓を摘出した。


第1. 2021年2月5日、東京都新宿区において、葉山絵里奈(28歳)の心臓を摘出し、死亡させた。 第2. 2021年3月15日、東京都港区において、朝倉裕太(35歳)の心臓を摘出し、死亡させた。 ...(中略)... 第16. 2023年11月22日、東京都世田谷区において、久我哲也(42歳)の心臓を摘出し、死亡させた。


被告人は、これら16件の殺人により摘出した心臓を、自宅に設置した特殊な保存装置内で保管していた。

以上の行為は、刑法第199条に定める殺人罪及び同法第199条に定める殺人罪に該当するものである。」



裁判長が「被告人、起訴状記載の事実を認めますか」と問うた瞬間、法廷内の空気が凍りついた。


吉本はゆっくりと立ち上がった。その目には、どこか挑戦的な光が宿っていた。


「起訴状に記載された事実を認めます。」吉本の声は冷静だった。「ただし...」


一瞬の沈黙。傍聴席から小さなざわめきが起こる。

「...私の真意については、後ほど詳しく説明させていただきます。」


吉本の口元に、かすかな笑みが浮かんだ。その表情に、傍聴席から息を呑む音が聞こえた。


裁判長は眉をひそめ、厳しい声で言った。「被告人、詳細は後ほどの陳述で伺います。」


吉本は静かに頷き、着席した。しかし、その態度からは、これから何か前代未聞の事態が起こるという予感が漂っていた。


法廷内に奇妙な緊張感が走る。検察官たちが顔を見合わせ、被害者家族が不安そうに身じろぎする。


全員が、これから始まる異常な法廷劇の幕開けを、固唾を呑んで待ち構えているようだった。



裁判長は検察側に目を向けた。

「検察官、冒頭陳述をお願いします。」


主任検察官の青木理恵子がゆっくりと立ち上がった。彼女の表情は厳しく、声には決意が滲んでいた。


「はい、裁判長。」青木は一瞬吉本に視線を向けてから、再び裁判長に向き直った。「検察側の冒頭陳述を始めさせていただきます。」


青木が口を開こうとしたその時、傍聴席から小さなざわめきが聞こえた。全員が、これから語られる凄惨な事件の詳細に身構えているようだった。


検事が立ち上がり、声を震わせながら話し始める。


「裁判長、陪審員の皆様。本件は、被告人吉本晋也が2年間にわたり16名の被害者を殺害し、その心臓を摘出したという極めて重大な事件です。検察は以下の事実を立証いたします。


第一に、2021年1月から2023年12月にかけて、16名の被害者が失踪しました。これらの被害者は、年齢、性別、職業が多岐にわたりますが、いずれも健康で活動的な人物でした。


第二に、2024年1月15日、被告人吉本晋也の自宅の地下室から、16個の人間の心臓が発見されました。これらの心臓は、高度な技術で摘出され、特殊な方法で保存されていました。


第三に、発見された心臓のDNA鑑定の結果、16名の失踪者と一致することが確認されています。


第四に、被告人の所持品から発見された記録には、各被害者の詳細な個人情報と、心臓摘出の手順が克明に記されていました。


第五に、被告人は逮捕時に16件の殺人と心臓摘出を認めており、その供述は証拠と整合しています。


以上の事実から、検察は、被告人吉本晋也が16名の被害者を計画的に殺害し、その心臓を摘出したことを明らかにします。さらに、被告人がこれらの行為を自身の趣味のコレクションのために行ったという動機も立証いたします。


本裁判を通じて、被告人の行為が極めて悪質で計画的であり、16の尊い命を奪った重大犯罪であることを明らかにしてまいります。」


 

裁判長が吉本に向かって言った。「被告人、あなたの冒頭陳述を聞きます。」


吉本はゆっくりと立ち上がった。法廷内の空気が一瞬にして緊張感に包まれる。


「裁判長、そして法廷の皆様。」吉本の声は落ち着いていたが、その目には異様な輝きがあった。「私は起訴状に記載された全ての事実を認めます。しかし、それは事実の一部に過ぎません。」


一瞬の静寂。傍聴席からかすかなざわめきが聞こえる。


「私の行為は、単なる殺人ではありません。それは、芸術と法、倫理と社会の境界を問い直す壮大な実験なのです。」


吉本の声は次第に力強さを増していった。


「この法廷自体が、私の芸術作品の一部です。我々は今、歴史に残る前例のない芸術的・法的実験の渦中にいるのです。」


法廷内のざわめきが大きくなる。裁判長が静粛を求めるが、吉本は構わず続けた。


「私が求めるのは、単なる無罪でも有罪でもありません。この裁判を通じて、芸術と法、倫理と社会の新たな関係性を定義する判例を作り出すこと。それこそが、この作品の真の目的です。」


被害者家族から抑えきれない声が上がる。吉本は一瞬黙り、深呼吸をした後、再び語り始めた。


「さらに申し上げれば、この判例が生み出されるプロセス、そしてそれに反応する社会全体、これら全てを包括した巨大な芸術作品を創造することこそが、私の真の目的なのです。」


吉本の目は法廷内を見渡し、一人一人の反応を確認するかのようだった。


「法廷での議論、判例の形成過程、そしてそれに対する社会の反応—全てが、この壮大な参加型アート作品の一部なのです。我々は今、芸術、法、倫理、そして社会そのものの定義を根本から問い直しているのです。」


法廷内は完全な混乱に陥った。裁判長が厳しい声で制止をかける。


「被告人、これ以上の発言は控えてください。」


吉本は静かに頷き、最後にこう付け加えた。


「私の行為の是非を問うのは簡単です。しかし、その先にある真の問いこそが重要なのです。この裁判を通じて、皆さまと共にその答えを探っていきたいと思います。」


吉本が着席すると、法廷内は重苦しい沈黙に包まれた。彼の「作品」は、確かに始まっていたのだ。






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