姫君
つまらない世界
昼と言っても深い霧のせいで薄暗く、視界もあまりない。
私は城の中庭の片端に立つと、手のひらを上に向けて火球を生成した。火球は思いのままに操れ、右に左、上昇させて周囲を明るく照らすと何か勘違いしたらしい鳥が寄ってきて、近づいたその熱さに驚いて飛び去ってゆく。
そのまま中庭のもう片方に置いた、木片で適当に作った的めがけて火球を放つとそれはちゃんと目標に当たって的をあっという間に跡形もなく燃やし尽くした。
空想の世界に不可思議な術はつきもの。
そしてこの世界も例にもれず、城にあった本を見るとそういった術の類があり、時としてそれは天変地異かと思えるほどの凄まじい力をもつらしい。その中から私は簡単そうなものをこうして試してはいたが、実際どういう風に使ってみようというような考えはなかった。
「ここにいらっしゃいましたか、姫さま」
見ると、参謀の気狐がこちらに歩いてくるところだった。
「妖術の鍛錬……いえ……」
周囲を軽く見まわし、「鍛錬というよりかは確認と言った方が正しいでしょうか?」と言った。
参謀というだけあってこの城の中でもっとも頭が切れ、理解力もかなりのものらしい。実際、今もこの状況を少し見ただけで私がやっていたことがわかったようだ。
人の世では摩訶不思議な術は魔法という言葉で通っているようだったが、魔族は魔法のことを妖術と呼ぶ。前にその違いを気狐に聞いたが、差異はなく、ただ魔族と人間の間で呼び方が異なるだけらしかった。
「正解。自分の力を把握しておくというのは大切なことだと思ってね。出来ることと出来ないこと。一応は理解しておいた方が良いでしょう?」
「圧倒的な力をお持ちになりながら、それに驕ることなく、事実をありのままに把握しようとされる。敬服いたします」
「そんな大げさなものじゃないわ」
私はそう軽く笑った。彼女もそうだが、ここにいるみなはどうしても私を無用に立てたがる。これでも一ヶ月で慣れた方だ。
「それに、単純な腕力という意味では多少は秀でているみたいだけど、妖術の才能は平々凡々みたい。今も、出来たのはちょっとした風を起こしたり、火球を飛ばしたり、少々の水をまき散らしたりする程度のものだったもの」
そのまま中庭から城内へと戻る。気狐は私の後をついてきた。
「恐れながら姫さま。現状でそう決めつけるのは早計というものではないかと存じます」
「と言うと?」
「妖術とは、単純な力などと比べて非常に奥が深く、誰ひとりとしてその深淵にたどり着いた者はおりません。姫さまがどれだけ妖術に才があるか、お生まれになってたかだか一ヶ月程度ではわかりますまい。実際、若かりし頃の御前さまは妖術においては右に出る者はいないと言われておりました」
その言葉に私は疑問の表情を顔に浮かべる。
「だとしたら、その卵核から生まれた私はある程度強い妖術が扱えてもおかしくないんじゃない?」
「妖術とはそう単純なものではないと私は考えております。いえ、妖術だけに限りません。卵核による事象は正直わからないことだらけなのです。事実、姫さまの身体能力はすでに御前さまの最盛期を凌ぐほどだと考えられます」
「つまり、単純に性質や能力を受け継ぐわけではない、と?」
「その通りでございます。卵核となり、そこで何を吸収したかによって能力は様々変わりましょう。加え、姫さまはあまりに特異な例でございます。一概にはとても言えないものと思います。今後、様々な妖術を知り、学んでいくことでその才能が開花するものではないかと考えられます」
「そういったものなのかしらね……?」
私は一つ息を吐いた。まぁ、別にこの際強い妖術が使えるようになろうがこのまま使えないままでもかまわない、というのが私の本音だった。
『滅びの中途にある魔族の中で、どれだけの働きが出来るか期待しているぞ』
名を与えられた時に母はそう言ったものの、だからと言って私に何かしらの責務が与えられることはなかった。言葉にはしたけれどそれはあくまで飾り言葉で、特段私に対してすぐに何かの成果を求めているわけではないのだろう。
と言うより、私が生まれたことこそがとんでもない成果だったのかもしれない。何千、何万と続いてきたらしい王の一族の血筋が保たれたのだ。それでもう十分と考えていたっておかしくない。
事実、この一ヶ月私は特に積極的に何かを成したわけでも成そうとしたわけでもなく、ただ周囲から姫さま姫さまとちやほやされていただけだ。
「っと、無駄話に付き合わせてしまって悪かったわね。用件は……どこかの族長が謁見に来たの?」
「話が早くて助かります。芙蓉族の族長が是非に挨拶をということで謁見を申し込んできました。お手数ですが、謁見の間に」
「ええ、わかったわ」
そのまま気狐を連れ立って謁見の間に向かう。芙蓉族。聞いたことはないが、私が生まれて一ヶ月何も動かなかったのだからあまり知性の高い種族ではないのではないかと推察出来た。
「心中、お察しいたします」
気狐が不意に言った。どういうことかと思うと、彼女はすぐに「ため息をもらしておられましたから」と付け加えた。
「前にも申し上げましたが、魔族の中で姫さまと高度なコミュニケーションを取ることが出来るのはせいぜいこの城で暮らしているか、周辺に集落を作っている種族だけ。他は、言葉は通じるかもしれませんが、こちらの意図を把握してもらうのは困難な種族とお考え下さい」
確かに私が生まれて一週間以内に挨拶に来た種族もあればこうして一ヶ月経たなければ動かない種族もいる。同じ魔族というくくりをしているがその差はきっと大きいのだろう。
姫さまには理解の及ばないことだとは思いますが、と気狐は前置きをしてから続けた。
「こうして謁見に来るということだけでも、その種族はまだマシな方です。そんなことすら思い至らない、言語すら理解出来ない種族もいますので、その差は姫さまがお考えになっている以上なはずです」
「それはもう魔族とかそういったものではなくてただの動物ではないの?」
「人間に害をなすことが多い。その一点のみで魔族というものの中に分類されているのです。ただ、そういった種族は人間の中では魔族ではなく魔物と呼ばれているようで、私どもも実際に我らが同胞と考えて良いのかわからず、便宜上その名を用いることも珍しくありません」
その言葉を聞いてふと思うことがあった。
「ちょっと待って。人間に害をなすことが多いって、この辺りに人間は住んでいないのでしょう? それとも、私たちとは別に他にも……例えばここから遠く離れた見知らぬ場所に魔族の仲間がいるということ?」
「ある程度の知恵を持った魔族、という意味で言うならこの森にしか住んではおりません。が、ほとんど知性のない、動物とも言えるのではないかと思えるような魔族……今に言った魔物ならその限りでなく、人間の集落の近くにあるような一般的な山や森にも棲んでいる場合がそれなりにあるようです。高度な社会性を築くだけの知性がないが故に放置されていると言った方が適切でしょう」
「それもなんだか少し寂しい話ね」
謁見の間に着き、甲冑の兵が最敬礼をしてから扉を開ける。母上はすでに玉座につき、武将の天羽々斬も控えていた。玉座の横には私の座椅子が新しく用意されている。
「遅れて申し訳ありません、お母さま」
「構わん。それよりどうだ、ここでの生活は? もうじきひと月が経つ。慣れてはきただろう?」
「それなり、といったところです」
私は小さく笑った。
ここは母の領地と言っても魔族の国があるわけじゃないらしい。と言うより、多くの魔族に国という概念がないのが本当のようだ。人間の間では『かくりよ』という名で呼ばれていると聞いた。加え、地理上で見ると全然大きいものじゃなく、その環境まで劣悪だった。
周囲は深い森で囲まれており、一年中濃い霧が覆っていて昼でも薄暗い。
北から西に森を抜ければ海が近いようだが、それは凪というものを知らぬ一年中荒れ狂った海で、とても航海など出来るものではないようだ。
逆に南に抜けると、そこにはどこまでも続いているのではないかと思えるほど広い砂漠。
そして、東は年中を通して溶けない雪が積もっている、越えるには死の覚悟が必須という高い山脈が連なっていて、それが人間の住む領域との境になっているらしかった。
お世辞にも暮らしやすい環境とは言えないだろう。前に狼藉を働いたデブの大将が言っていたが、魔族はこのとても人間は住めないような場所に押し込められていると考えてもあながち間違いじゃないのかもしれない。
「それでは入室させます」
控えの兵が言って合図を送り、私は前を向いた。
扉が開けられ、謁見に来た魔族の長が現れる。今回のそれは、大きな花に手足が生えたような魔族だった。サイズは人間よりもやや小型で、服の類もなし。くねくねとどこかうねるように私たちの前に進み、ぎこちない動きで頭をさげてもごもごと何かを言う。
もうこんなことが何回も続いていており、私は一々それを真面目に聞く気はとうになくなっていた。同じ文言を何べんも繰り返されれば、それはもう斬り捨ててしまいたくなっても仕方がないというものだろう。
事実、今回の芙蓉族の族長が言いたかったのは、まとめてしまえば「お姫さまが生まれて嬉しいです」というようなものだった。他の族と何も変わりはしない。
魔族の姫として生まれたと言っても、これではそれにどんなメリットがあるか、今の私には生憎わかりそうにもなかった。
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