本条編

第17話 惜別と集結

紙コップに入ったえんじ色の液体が、くるくるとかき混ざる。エリカは「変な色〜」と言いながら、ゴクリと勢いよく飲んだ。

「うん!マズいね!アルファプラスよりマシだけど!」

「”高次元のエネルギー粒子”とやらの効能は感じられましたか?」

「一杯じゃ分かんないよ。こういうのって、服用量とともに少しずつ依存性が増すんでしょ?”元薬剤師”なら、効果を増幅できたりするかもだけど。」

エリカはそう言って、ヤマトに視線を投げた。

「そうかもしれませんね。」

ヤマトは親指の甲で眼鏡を押し上げる。

「ボス、結局お茶会は検挙されなかったのですね?」

「天堂のことだ。シャングリラ解体時の轍は踏まねえように、法律に抵触するマネは控えたらしい。」

浜本と吉岡は、無言でエリカの”アクセル”をずっと睨みつけている。

「…であれば、ボス。我々もこれを採用すべきです。友志の会でも会員たちに向けて定期的に製品のセミナーが行われていますが、HOPESでこれを実施しているのは、関西連だけです。彼らを中心に、こちらも”ディストリビューター”ではなく”愛用者”発掘を中心とした組織に切り替えることを提言します。」

これを聞いて浜本が身を乗り出した。

「待てヤマト。我々は単なるRELIFEの卸業者ではない。確かにターゲットを愛用者に限定すれば退会率は大幅に減少するが、夢や金銭的利益を追い求めるディストリビューターを削減するのは、多様な新規人材確保の弊害になる。それに、マーケティング関連のセミナー頻度が減ってしまえば、ディストリビューターを中心に掘り進めている吉岡の系列はどうなる?」

「吉岡もPDなのですから、もう系列の拡大は十分でしょう。このタイトルになれば、それだけで生活できる収入があります。」

「そんな誤魔化しは通用しない!ディストリビューターだけで構成された『まだ末端が』組織は、新規の獲得ができなければ下から順に崩壊していく。お前は吉岡の組を潰すつもりなのか?我々の活動資金は各組の上がりから成立しているものだ。お前もタダでは済まされない。」

「ですから…吉岡も末端に愛用者を動員して系列拡大を終わりにすればいいではないですか。愛用者セミナーで提供する製品に”アクセル”の依存性成分を含ませれば、退会率を抑えて崩壊を防ぐことができます。もう現場に出てくる必要もありませんよ。」

「………!」

吉岡は何も言わず、平然としている。

「それにね、浜本。私とエリーはこの組織の行く末を危惧しているのです。我々PD以上のタイトルホルダーと、それ未満の構成員には明確な差別がある。なぜなら、『既に十分な利益がある者』と、『これから利益を上げようとする者』には、目的意識の相違があるからです。上層部の役割は、『今いる構成員を辞めさせないこと』であって、ダウンたちが金銭目的の新規を獲得することに、それほどリソースを割くわけにはいかないのですよ。トップの売上が不安定になれば、それこそ組織そのものが崩壊します。」

ミーティングルームに緊張が走る。

「ボス、いかがですか?」

4人の部下たちは一斉に榊を見た。

「………。」





浜本さんが組長会議だというので、俺たち4人はそれが終わるまで、別のミーティングルームで団欒していた。

「うえぇ…。これ、お茶会の製品よりマズいよ…。」

「スワンくん、”完全食”って知っているかな?」

「このくだり、毎回やんのか…?」

コボは笑いながら、スワンに口直しのミネラルウォーターを差し出した。

「俺たちは製品なんて気にしなくていいんだよ。HOPESはディストリビューターの発掘が主軸なんだから。」

「けど、ゆくゆくは愛用者の獲得も進めなきゃいけないんだろ?浜本さんだって、結局ほとんど愛用者からの売上で儲かってるんだろうし…。俺たちが借金返すには、そろそろ本格的にビジネスの戦略を考えないとな…。」

ジョニーは頭の後ろで手を組んで、背もたれに寄りかかった。

「正直、ビジネスとしてはお茶会のやり方の方が合理的だったな。関西連の話を聞いたときも思ったが、結局マルチは、愛用者に製品を売りつけるのが一番手っ取り早く安定した金になる。なんでわざわざHOPESがディストリビューターにこだわってんのか知らねえが…。アキラじゃなく、スワンが先に俺をお茶会に勧誘してたなら、ぶっちゃけ金回りのアイデアだけはそっちに加担してた可能性もあるぜ。」

「…ジョニーは性格上、天堂と必ず衝突すると思って誘わなかったんだよ…。アキラはお金を貸してくれてた手前、母さんのことは言い出しづらくて連絡できなかったし。コボはなんか…ちゃんと真面目に話を聞いてくれると思ったんだ。」

コボは頭を押さえる。

「…アキラの勧誘も俺が一番最初だったけど…。人望があるのか、それともカモにされやすいのか…。」

俺とスワンは苦笑しながら顔を見合わせた。

「で、本条は連絡ができなかったから、ってわけだな?」

ジョニーが切り出すと、全員が真面目な顔に戻った。

「…ねえ、あいつ、生きてると思う…?」

「あれに関しては、全く情報が手に入らない。うちの親父にも聞いてみたけど、バーのセッションにも現れてないらしい。」

「そのへんで野垂れ死んでんじゃねえのか?それか、自己破産してホームレスになってたりな。」

「いや。」

俺はテーブルの上で拳を握りしめた。

「あいつは絶対、今もギターを背負ってどこかで生きている。あの男だけは、絶対に……。」

3人が俺を見て固まっていると、コンコン、と部屋のドアが鳴った。

「浜本だ。失礼するよ。」

俺たちが立ち上がると同時に、浜本さんは部屋の中に入ってきた。何か、いつもより疲れているように見える。

「ああ、みんな座ってくれ。私から呼び出しておいて、時間を合わせてもらってすまなかったね。」

俺たちは浜本さんの通り道を空け、一番奥の席に案内すると、また自分たちの椅子に座った。

「…ちょっとお疲れですか?」

「いや、大丈夫だ。私の心配はいい。それよりアキラ、改めてこの部屋を見たまえ。」

俺たち4人は何のことやら分からず、互いの顔を確認した。

「2ヶ月だ。アキラ。参入からたった2ヶ月で、リストアップ表の勧誘名簿を上から順に3人クリアした者を、私は今まで見たことがない。」

「え、そうなんですか?エリカさんの組とかに、いくらでもいそうですけど…。」

「もちろん、速度だけで考えればナンバーワンというわけではない。だが、通常こんなことはあり得ないんだ。みんなテレアポのように手当たり次第に勧誘し、連絡がついた者から順にABCへ持ってくる。どんな技量を持ってしても、最後は”時の運”だ。ところが君は、はじめから決めていて、そこだけに全ての時間を割いた。運に頼らず、一人ずつ自分の力で仲間を導いた。これは、とてつもないことなんだ。」

俺は面痒くなって、頭を搔いた。

「まあ、最後はリスト30番の音信不通野郎なんですけどね…。」

「今日はそのことについてだ。」

浜本さんはゴソゴソと自分の鞄を漁りはじめた。

「まさか…情報を掴んだんですか?浜本さんが…?」

「言っただろう。私は空いている時間を惜しみなく君に捧げると。これを見てくれ。」

浜本さんが出してきたのは、あるSNS投稿の切り抜き写真だ。『新進気鋭!実力派プレイヤーたちによる夢の共演バンド”KIMERα(キメラ)”』と書かれたその下には…。

「ねえ、これ本条だよ!」

「なにっ!?」

見ると、5人のプレイヤーたちが並ぶアーティスト写真の一番左端に、本条らしき人物がふてぶてしい顔で映っている。

「君たちが解散する前に名乗っていた”ミリオンダラーズ”というバンドの記事から、画像検索を伝って辿り着いた。同一人物だと思うのだが、どうかね?」

「合ってますよ!コイツです!」

「いや、それにしても驚いたよ。まさか君たちがあの”伝説の巨匠”と…。」

「コイツ、相変わらず腹立つ顔してんな。」

「もっと笑顔で映ればいいのに…。」

「まあまあ、アーティスト写真ってこんなものだろう…。」

3人は本条いじりに勤しんで聞いていない。

「……とにかく、彼は今、キメラと呼ばれる新設バンドの中で、『KAZU』と名乗って活動しているらしい。まだできたばかりのようだが、実力派として密かに注目されていると聞く。これは君たちにとって、由々しき事態なのではないか?」

俺たちは冷静になって考えた。

「…本条、もうそのバンドでやってくつもりなのかな…?」

「確かに…アイツは元々、俺達には釣り合わねえ程の実力があったからな。借金はどうしたか知らねえが、このまま一人で行っちまう可能性も考えられる。」

「そんなことはないだろ…!あいつだって約束を覚えてるはずだ。アキラ、そうだろ?」

俺は暫く目を瞑って考えた。

分からない。あり得なくはない。なら…。

「…直接聞くしかねえ。俺はお前らのときも、ずっとそうしてきたんだからな。」





「カズ。……おい、カズ!」

ボーカルの男はギターのチューニングをする本条の肩を叩いた。

「お前だよ、本条一成。なんでいっつも自分の名前で反応しねーんだ!」

本条はのっそりと顔を上げる。

「今までそう呼ばれたことがないんでな。」

「じゃあもう馴れてくれ…。俺達、これから打ち上げに行くけど、お前どうする?」

「俺は残ってソロの練習がしたい。」

「…そうかよ。全く、これから一緒にやってくってのに、先が思いやられるぜ…。」

男はワシャワシャと髪を搔き回すと、「行くぞ!」と言って、残りのメンバーたちと楽屋を出ていった。

バタンとドアが閉まると、部屋の中にはわずかな弦の振動音だけが響く。

素早く、正確でいて、なおかつ独創的な指捌き。

だが、本条は何度も同じところだけを練習していた。

納得がいかない。

あらゆるコンテストの優勝タイトルを持つ実力者たちに囲まれ、ステージ上ではかつて体感したことがないクオリティの音響に晒される。その中で、本条は自分の居場所を探していた。

(まだ足りない。俺にはまだ、何かが足りていない…。)

ガチャッと音がして、再び楽屋のドアが開いた。

本条は指を止めた。

「やあカズくん。練習熱心なのはいいことだが、たまには仲間たちと酒でも飲みに行ってきたらどうだい?」

入ってきた男は、黄金色の腕時計をチラつかせながら薄笑みを浮かべている。

「君は私の見立て通り、実に卓越したプレイヤーだ。メンバーの中で一番優れた君が、少し羽を伸ばしたところで誰も文句は言うまい。」

「そんなはずはない。俺が思い浮かべた夢の中で、俺はこんなプレイはしていない。」

本条は再び弦を触り始めた。

「…夢か……。君は恨んでいるのかね?私が君たちの会社を倒産させたことを。」

「………。」

「君の夢なら、私がここで叶えてあげられる。私に預けた借金は、君が成功するまでのデポジットだ。かつての君の仲間たちには悪いが、あのままでは君の才能が埋もれてしまっていただろう。」

「…何も恨んでなどいない。俺の夢は最初から、パーカーと同じ景色を見ることだけだ。」

男はそれを聞くと、「そうそう」と言って手を打った。

「今度、ダニエル・パーカーの来日だ。実に2年ぶりだな。来月のバンドフェスティバルに合わせて、スポンサーとして来てくれる。お前たちにはラストを飾ってもらう予定だから、ぜひ公演後に感想をもらうといい。」

男は満足そうに髭を撫でると、楽屋を出ていった。

残された本条は、ギターを置いて虚空を見つめる。

「俺の夢は…俺の夢はまだ……。」





「ああぁ〜!!」

突然大きな声が聞こえて、俺はリビングに飛び出した。

「何事だ!?」

見ると、黒髪になった翔吾も自分の部屋のドアから顔を覗かせている。

リビングでは、三木くんが茶封筒から出した書類を掲げている。

「通った!通ったよ!!僕の小説!」

俺が書類を取り上げて読むと、そこには『採用』の文字とともに、契約の案内文のようなものが書かれていた。

「これって…。」

「編集社専属のシナリオライターだよ!応募した作品が雑誌の小説コーナーに連載されて、その後は静岡の本社で働けるんだ!」

俺と翔吾は歓喜の声を上げた。

「ミッキー、すげえじゃん!」

「おめでとう!夢が叶ったのか!」

三木くんは泣きそうになりながら笑顔を作っている。

「ここまで本当に色々あったよ…。母さんとお姉ちゃんにも、ようやく顔向けできる…。もうバイト生活からは解放されるんだ……。」

俺はそれを聞いて、ハッと我に返った。

「…翔吾…お前もそういえば…。」

「オレも就活始めたぜ!この2ヶ月はニートだったからな。金の余裕はあるけど、メイちゃんと暮らしていくのに無職はやべえから。あのインチキオヤジに挨拶なんてしねえけど、結婚するならオレの実家には連れていかねえと…なー……。」

翔吾の語気が収まってくると、3人が状況を飲み込み、黙り込んでしまった。

「…アキラ……。」

俺は三木くんの座る椅子の背もたれに腕を乗せた。

「…お前ら、『卒業』だな……。」

翔吾は珍しく真面目な顔をしている。

「アキラ、お前はどうすんだ?」

「俺はこのままいくしかねえ。借金返すまでは、終わりじゃねえ。」

「でもこの家は……。」

「……タコ部屋トリオは解散だ。」


2人はこのHOPESで、自分たちの”希望”を見つけた。俺は取り残された。俺の希望は、まだずっと先にあるのだろうか?全ての借金を完済するまで、どのくらいかかるのだろうか?

未来のことは分からない。それでも俺は、最後の男を取り返すまで、立ち止まれはしない。


「本条、そこで待っていろ。」


俺たちはきっと、もうすぐその答えに辿り着く。

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