第14話 過ち

「ただいま〜。」

玄関から声がして、俺はすぐに駆けつけた。

「翔吾!無事だったのか!」

「無事だけどよー…。ちょっと今日は出費がかさんじまったよ…。」

「コラぁ!やっぱり30万払わされてるじゃねえか!」

「え?何で知ってんの?」

俺は愕然としながらリビングに戻った。三木くんの部屋からは、先ほどからカタカタと聞き慣れない音がしている。

翔吾は靴を脱いで家に上がると、手に持っていた大量の紙袋をドサッと床に下ろした。

「メイちゃん、お茶が大好きみたいでさあ。お茶の同好会みたいなのに入ってるんだよ。オレもすげえ勧められて、調子乗って買っちった。」

もはやこのバカは救いようがない。

「どうせお前はHOPESのときみたいに、ろくに説明も聞かないでサインしてきたんだろ?」

「サイン?あー、したした。なんか高額な買い物だから、同意書が必要なんだろ?」

「クソぉ、色々手遅れか…。だいたいなんでタコ部屋の住人が30万も持ってんだよ。」

「いや、オレ普通に結構金持ってるぜ?黒服時代に、嬢たちのおこぼれでメチャクチャ稼いでたからな。何かあったときに必要だし、貯金してあんだよ。」

「えぇ…この裏切り者が…。お前の大胆さは、懐の余裕から来てたのか…。」

そういえば、こいつの部屋にはテレビやらゲームやらがたくさんある。何となく金はあるんだろうと思っていたが、全部中古で買い揃えているあたり、意外と根は堅実なのかもしれない。

「翔吾、帰ってきたの〜?」

三木くんが目を擦りながら部屋から出てきた。

「おうミッキー。なんか変な音してたけど、何やってんだ?」

「タイプで小説のシナリオを考えてるんだ。僕、決めたよ。またコンペに応募して、仕事のチャンスを掴むって。そしていつか、小畑くんと一緒に作品を創りたいんだ。」

三木くんは誇らしげに言った。

「…あ、三木くんさ、そういえば…小畑くんと連絡取り合ったりしてる?愛衣について、何か言ってなかった?」

「あー、言ってたよ。来週の日曜、お茶会に来ないか誘われたって。仕事が入ってて断ったらしいけど。」

やはり白石さんの読み通り、小畑くんも狙われていたか…。

「翔吾、次の”デート”はいつだ?」

「来週の日曜!今度はお茶会のイベントに誘ってくれるんだってよ!カワイイよなあ!」

「よし、確定だ!あいつらと作戦を立て直す!」





「…そして入会金30万。最後にそう言われたわけですね。」

藤崎さんはこめかみを押さえた。

「はい。マルチの一種だとはすぐに分かったので、俺は断りましたけど。…だからアキラ、お前が誘ってきたとき、最初はスワンと手を組んでるのかと思ってたんだ。」

コボは当時の状況を説明した。

「だけど、HOPESに入ってから、スワンは別の組織なんだと気が付いた。そうなると、スワンをこちら側に勧誘するには、MLM同士の戦いになるだろ?だから、頭脳戦に強いジョニーを先に仲間にするべきだと言ったんだよ。」

「あれはそういう意味だったのか…。でも、だったら最初からそう説明してくれればいいじゃん。」

「…えっと…そう、なんだけどさ……。」

コボは何やら口ごもっている。

「いずれにしても、その勧誘スキームはお茶会で間違いありません。シャングリラ時代からほとんど変わっていませんね。僕だったら、スワンさんの奪還は諦めます…。」

「そんなに面倒な話か?こっちにはもう3人揃ってる。あとはコイツの力があれば、引き抜きは容易だと思うがな。」

ジョニーはそう言って、俺の肩に手を乗せた。

「先ほど言った通り、連中は”思想団体”です。ジョニーさん、あなたは自分が”洗脳される”なんてイメージは全く湧かないでしょう?今、お茶会に所属している人たちも、最初はみんなそうなんですよ。だけど、最終的には加入している。それだけ大きな心境変化を及ぼす正体不明の力より強く、人の心を引っ張り抜くことが簡単にできるでしょうか?」

「………。」

「それに、組織脱退には必ず、トップである天堂の承認が必要です。僕はシャングリラの解体と同時に足を抜けたので上手く逃げられましたが、現在の体制では難しいと思いますよ。」

ジョニーは暫く考え込んでいるが、俺のやることは決まっている。

「とりあえず、どのみちスワンとは直接俺が話さないと始まらないだろ。なんであいつがコボだけに話をしたのか分からないけど、まだ俺はあいつが2年でどう変わっちまったのか知らないんだからよ。」

「だけどアキラ…その…俺にだけ勧誘してきたのには理由があって…。アキラはまだ直接会わない方が…」

「いや、アキラ。お前はスワンと会ってこい。」

ジョニーが突然また口を開いた。

「俺はその天堂ってやつと話を付けてくる。スワンがその場にいれば、逆ABCの2対1で俺の分が悪いからな。どこぞの大将だろうが、サシなら俺はアキラ以外の人間には負けねえ。」

「アキラがスワンを呼び出してる間に、一人で敵地に潜入するってことか?危険すぎる!第一、天堂がいつ何処にいるのか分からないだろう!」

藤崎さんが言いにくそうに割って入った。

「おそらくジョニーさんのお察しのとおり、本拠地は私が知っています…。月に一度、どこかの日曜日には必ず”総会”というイベントが行われ、天堂は必ずスピーチをしに訪れますが…外部の人間が単独で入ることはできませんよ?」

「本拠地までは知らなくていい。翔吾に同伴すれば、愛衣って女が案内してくれるだろ。」

俺は渋い顔をした。

「あいつが連れて行かれるの前提かよ…。でも、なんか本当に30万払ってそうな気もするな…。」

白石さんが同調する。

「私もそんな気はするけど…。でも、ジョニーくんが翔吾くんに同伴するのは無理があると思うよ。愛衣さんは同業者に対して勘が鋭そうだし、ジョニーくんみたいなタイプは手の内が読めないから警戒される。翔吾くんは下心以外なかったから、警戒網をくぐり抜けたのかもしれないけど。」

そう。俺も愛衣の占いを受けたとき、全てを見透かされているような感覚に陥った。

「…確かにな。まあいい、だったら俺は別の侵入ルートを考える。どの日曜が総会とやらの日なのか、その確定だけ欲しい。あとは俺に任せろ。」

「…合コンのときの様子から考えると、たぶん小畑くんも誘われてると思う。翔吾くんと小畑くんが同じ日にお茶会に誘われていれば、総会の日程は確定なはず…。」

「なら、アキラがタコ部屋でその情報を掴んでくれば、作戦を立て直せるな。」

話は一つの方向にまとまりつつある。

「…まさか、本当にやるのか?」

コボが心配そうに尋ねた。

「やるしかないだろ。スワンも必ず、お前らと同じように呼び戻す。そしたらあとは本条だけだ。」

「…分かったよ。だったら俺はアキラと一緒に、スワンの説得に回ろう。アキラがA、俺がBのABCだ。ジョニーの方はくれぐれも気を付けてくれ。カルト団体っていうのは、なぜか高学歴が多いんだ。理屈は分からないけど、お前でも負ける可能性があるってことは、覚悟しておいてくれよ。」





ベルトコンベアが動き出した。

預けていた手荷物たちが順番に現れて、群がっていた人々は、人混みを押し分け合うように手を伸ばす。男は一人、椅子に座り、悠然とその様を見ていた。


人間は流される。

目の前で起こる一つひとつの出来事が、まるで善と悪に、あるいは幸と不幸に分けられるかのように話し、然るべきものを手にし損なったと感じれば、感情を露わにして人生の価値をすぐに判断する。

世界は結局、物質と現象から成立しているに過ぎない。人間もただ、そのはたらきの一部であるだけだ。

何も変わりはしない。

風が吹くことも、花が咲くことも。

生きることも、死ぬことも。


人が疎らになったころ、男はようやく立ち上がり、荷物を引き取る。

出口の自動ドアを通過してロビーに出ると、そこには部下が待っていた。

「香港は楽しめたか?。」

「マヒロ、お前が来ねえから退屈だったぞ。」

榊は吉岡に荷物を預けて、歩き出す。

「エリーから連絡があった。藤崎の経歴が漏れたらしい。」

「どのみち知られることだ。俺たちもそのうち明らかにされるだろう。」

「……マヒロ。お前は俺に着いてきてか?」

吉岡は前を向いたまま答えた。

「きっと、アキラがそれを証明してくれる。」

二人は靴音を響かせて、バスターミナルへ消えた。





「こちら、ご注文の”黒ハーブティー”になります。ごゆっくりどうぞ。」

ジョニーは注意深く口を付けた。

…普通に美味い。さすがに店頭で出してるものは、製品をそのままぶち込んでるだけってわけじゃなさそうだな。

ドリンクは全てカウンターの中で作られているようだが、見えているそれぞれの材料が何なのかは判然としない。

「ね、美味しいでしょ?」

「ほんとだね!甘過ぎなくて美味しい!」

「他にも体に良いお茶がいっぱいあるの。ほら、これとか…。」

ジョニーは入り口近くの席で盛り上がっている女性2人組に目を付けると、すぐに立ち上がり、カウンターに向かった。

「おい、すまない。俺は黒ハーブティーってのを頼んだんだが、砂糖を抜いたやつをもう一杯くれないか?血糖値を気にしてるんでな。」

「おや、甘かったですか?でもそれ、実は砂糖が入ってないんですよ!うちのお茶は全て、天然甘味料で調味してるんです。健康に良い素材しか使っていませんよ!」

「へえ、そうなのか。健康にいいって言うと、例えば血圧を下げたり、神経を落ち着かせたりするお茶もあるか?職場のストレスが溜まってるんだ。」

「ええ。それでしたら、”紫ハーブティー”がお勧めです!飲んだ途端、すぐに落ち着いてリラックスできると評判ですよ。」

「ほう、それはいい。上司の目の前で毎日飲んでやりたいぐらいだ。」

「ええ、毎日うちに通っていただいても良いのですが…。」

店員はチラッと入り口のテーブルに目配せをした。座っていた女の一人は、こちらの会話をずっと聞いていたようだ。すぐに立ち上がって歩いてきた。

「お兄さん、お仕事大変なんですか?」

「ん?ああ、もう毎日が辛くてな。人生嫌になっちまうよ。いっそこの店に通って紫ハーブティーを飲み続けるしかねえと思ってるところだ。」

「そうなんだあ…。ねえ、お兄さんも一緒に来ませんか?私たち、今からお茶会のイベントに行くの。嫌なことは、楽しんで忘れなきゃ!」





な…なんだこの空気感は。

2人とも何も喋らない。”B”であるコボが何故か黙り込んでいる。俺が何か言わなければ…。

「おっ…」

「アキラも連れて来たんだね。」

スワンはコボを冷たく睨みつけた。コボは深刻な面持ちで眼差しを返す。

「お前たちは、どうせ話をしなくちゃならない。」

再び空気が張り詰める。

スワンは静かに目を閉じた。そして…。

「ま、そうだね!急な再会だったから、ちょっとビックリしただけだよ。空気悪くしちゃってゴメンゴメン!アキラ、久しぶりだなあ〜。」

俺は突然の豹変ぶりに動揺したが、確かにこっちが本来のスワンだ。

「お…おう…!なんだ、その…元気か?」

「うん、元気だよ!アキラは全然変わってないね。まあ、2年くらいじゃそんなもんかあ。」

「お前も全然…変わってない…な?」

コボをチラ見すると、相変わらず険しい表情をしている。

「アキラは何して暮らしてるの?まさか…またバイト地獄?」

「そ…そうだよ!朝から晩までせっせと働いてらあ。」

「わーお…。ま、実は俺もなんだけどね〜。」

「いやー、4000万はやべえよなー!ど、どう?スワンは返せそうか?」

「全然だよ〜…。完済するころにはヨボヨボになってるかも…。」

「そ、そうだよなーっ。いや、そうそう。だからよ、何か他に手段を探さないといけないと思うんだよ。」

「でも会社員になるっていうのも大変そうだよね。イマドキの会社って、残業代も出さないで長時間労働させるらしいよ…。俺には耐えられないかも…。」

「あー、分かる分かる!バイトにはバイトの良さがあるっていうか…」

「2人とも、いい加減にしろ。肝心な話が全く進んでない。」

コボが会話をピシャリと両断した。

俺とスワンは固まってしまった。

「スワン、この状況を見れば、今のお前なら分かるだろう?俺たちはMLMに手を付けた。これはABCだ。だけど、ビジネス勧誘の前にやらなきゃいけないことを、俺たちはもう分かってる。」

スワンは再び、はじめのトーンに戻る。

「そう。だったら余計なお世話だよ。俺は自分で今の居場所を選んだんだ。」

それを聞いて、俺もいつもの調子に戻った。

「そんな場所、お前のいるべきところじゃないだろ!俺たちのところに帰ってこいよ!」

「そこは、俺がいるところと何が違うの?結局、自分の夢だとか仲間だとか、理想を語り合える環境にお金を注ぎ込んで安心していたいんでしょ?そうやって何かに熱中しているうちは、まだ自分が”不幸”なんだってことを、認めなくて済むんでしょ?」

俺は驚いて口を開けた。

「スワン、お前……なのか…?」

「洗脳なんて、人は生きてたらみんな受けるもんだよ。親にかけられた言葉も、学校の先生から習ったことも、電車の広告に書かれていることだって、全部おんなじだ。それを”分かってて”、受け入れるかどうかってだけさ。」

「お前はじゃあ、”高次元のエネルギー粒子”とかいうのを受け入れたってのかよ?そんなもんに頼らなくたって、俺たちはやってきただろ!これからまた、5人で借金返していけばいいじゃねえか!」

「みんながアキラみたいに強く生きていけるわけじゃない!!この世には…人間の力じゃどうにもならないことだってあるんだ!お金はいつか返ってきても…母さんはもう帰ってこない…。俺が……借金さえなければ……。」

コボが見たこともない苦悶の表情を浮かべている。

俺はとんでもない過ちを犯したことを理解した。

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