異世界サバイバー

山下清太郎

第1話

その男は走っていた。


鬱蒼と茂る森の中を、ひたすらに、がむしゃらに。


身体に当たる枝が皮膚を切り、心臓が張り裂けそうになるのも構わず、ただただ必死に。


肺に酸素が足りず、自身の置かれた状況への不平不満すら声にする事ができないが、それでも男は叫ばずにはいられなかった。


だから、叫ぶ。


心で。


魂で。


(思ってたのと違ぁぁぁあああああう!!)


時間は少し遡る。


その男、並野 仁(なみの じん)は何の変哲もない何処にでもいる、ごく普通の男だ。


30代半ばで中肉中背、特徴らしい特徴のない

可もなく不可もない並の人。


それが並野 仁という人間だ。


そんな彼にも愛してやまない物があった。


それが昨今、人気を博している異世界を題材にした物語である。


職場の後輩から


「暇潰しに丁度良いですよ」


そう言われて読み始めた携帯小説。


初めのうちは何の気無しに読んでいたが、小説で、漫画で、アニメで数多の物語に、見知らぬ世界に触れる度、彼の心はまだ見ぬ世界、異世界の虜になっていった。


(いつか自分も異世界に行きたい!)


気付けば、そう切望するようになっていたが日々過ごすのは変わらぬ日常。


彼の元に非日常が訪れることはなかった。


それでも異世界への憧れを捨てる事のできない彼は、少しでも非日常を求めてソロキャンプに精を出すようになっていた。


人里離れたキャンプ場を見つけては休みを利用し足を運ぶ。


始めたばかりの頃は必要以上にあった道具も今では厳選された物だけになり、バックパック一つに収まっている。


現地に着けば慣れた手付きで火を起こし、できるだけ現地で調達した食材を食す。


訪れる先の異世界が人里からのスタートとは限らない。


森の中から始まる物語も定番の一つだ。


その時が来ても困らないよう彼がシミュレーションを欠かす事はない。


自身で起こした焚き火の揺らめきを眺めながら、いつか訪れる日に、異世界に想いを馳せるのだ。


そして、その日は唐突に訪れた。


いつもと変わらぬソロキャンプからの帰り道。


橋を渡っている最中に川上から子どもの悲痛な叫び声が聞こえてきた。


「だ、誰か助けて……」


見れば子どもが川に流され溺れている。


周りには自分以外誰もいない。


このままでは助からないのは火を見るより明らかな状態。


故に彼は川に飛び込んだ。


考えるより先に身体が動いていた。


水分を含んだ服が重みを増し、徐々に身体の自由を奪っていくが、それでも何とか子どもまで辿り着く。


「もう大丈夫! しっかり掴まって!」


子どもを抱え、水の流れに逆らい、川岸を目指す。


もう、思ったように身体が動かない。


だが確実に川岸へ近付いていく。


そして、彼の手が遂に陸地を捉えると一気に子ども岸に押し上げる。


「あ、ありがとう」


子どもからの感謝の言葉が聞こえる。


どうやら子どもは無事なようだ。


しかし、その声は再び悲痛な声に変わってしまう。


「おじさん!」


子どもの無事を確認して力が抜けたのか、それとも水流に足を取られたのかは分からない。


しかし、彼は。


並野 仁は陸に上がる事ができず、そのまま川に呑まれ流されてしまった。


どんなに踠いても重い衣類を纏った身体が浮く事はなく、水面と共に意識も遠のいていき、遂には手放してしまうのだった。

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