その女の子の名前は、三雲鞠と言った。

 三久の一つ年下の中学二年生の後輩で、三久の所属している西中学校音楽部の部員であり、演奏している楽器は、テナーサックスだった。

 鞠は物静かな学生だったけど、そのテナーサックスが奏でる音は、荒々しくて、まるで音に命が宿っているように感じることもあって、三久はなかなか、この女の子の奏でる音が気に入っていた。

 鞠は音楽室にある椅子を移動させて、ピアノの横の位置に座った。

「先輩。なにかあったんですか?」

 鞠は言った。

「なにかって、なにが?」

 楽譜をまとめ、鍵盤を閉じてから、三久は言う。

「ピアノの音に、その、迷いのようなものが感じられたから」

 窓の外に降る雨を見ながら、鞠は言った。

 三久は少し、驚いた。

 自分の音に迷いがあることには気がついていたのだけど、それを、一度、三久の演奏を聞いただけで、鞠が見抜いたからだった。

「別になんでもないよ。ちょっと、調子が悪いだけ」

 小さく笑って、三久は言った。

 それから、三久はピアノの席から立ち上がった。

「今日は部活お休みなのに、三雲さんはどうして音楽室にきたの?」

 三久は言った。

「先輩のピアノの弾いている音が聞こえたから、なんとなく」と(少しだけ照れながら)鞠は言った。

「そうなんだ」

 三久は言う。

 それから二人は、沈黙する。

 雨の降る小さな音だけが、人気のない音楽室の室内に聞こえている。


「……じゃあ、私、もう帰るから」

 学校のカバンを手にとって、三久は言った。

「あの、先輩」

 鞠が言う。

「なに?」

「……その、一緒に帰ってもいいですか?」

 ほんのりと顔を赤くして顔をして鞠は言う。

 三久は少しだけ迷ったのだけど、「……うん。別にいいよ」と鞠に答えた。

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