龍穴の実存・1

「――では、今まで我々が『ウカノミタマ』として信じていたものは偽物であった、と」

「ある側面ではそうです。しかし真に偽物ではない。彼もまたウカノミタマの一部にすぎないということです」

「そのような情報を今までに聞いたことがないのだが、まだまだ隠し事があるんじゃないか」

「神事にまつわる情報を全開示することは不可能だと、以前にも申し上げております」

 会議室の壁にはプロジェクターによってとある映像が繰り返し再生され続けている。だが、もう誰もその映像に注目していなかった。会議室はふたりの男を囲んで騒然としている。

 ひとりは白衣を身につけた六十歳に差し掛かるだろう男で年齢以上の数の皺を顔中に刻みつけている。怒気を隠せないといった様子だ。一方、白衣の男と対峙するのは黒く長いアウターを身にまとい、灰色の前髪を重く切り揃えた年若い――といってもこの会議室の中ではという意味だ――男だった。

 灰色の前髪の下に装着した橙色のアンダーリムメガネを押し上げると、男のわりに高めの声でもう一度念を押す。その様子は冷淡極まりないものだった。

「再度申し上げます。神事にまつわる情報をすべて明け渡すのは不可能です。現在の状況でさえ、本来であれば許し難い。あなた方は神域を冒す試みばかりをしている。『あの男』の存在が公になったことでウカノミタマの神性が、ある意味では失墜してしまうかもしれない。そうなれば人々が享受している今の生活を崩壊させる一端となりうる――神の実存を暴くことは信仰を崩壊させる」

「こちら側にその情報を提供してくれていれば、その存在を隠すこともできたはずだぞ」

 白衣の男が恨み言のようにその言葉を吐き出す。しかし灰色の髪の男はその言葉をフンと鼻で笑って、吐き捨てた。

「隠す? 研究材料にできた、の間違いでは?」


 慌てて研究室に飛び込んできた藤田を出迎えたのは黄前、川田のふたりだった。藤田の様子を見て何かを悟った黄前は、藤田の私物であるスマートフォンを投げて寄越す。

「……どんなSNSでもいい。『ウカノミタマ』で検索をかけてみろ。面白いものが見れるぞ」

「――じゃあ、やっぱり巫子たちが噂していたのは……」

「いいから見てみろ。百聞は一見にしかず」

 黄前に急かされてスマートフォンの中のSNSアプリを起動する。藤田は自分で検索をかける必要もなく、『ウカノミタマ』とされる人物の動画が次々とタイムラインに流れてくることを確認できた。そしてその動画の冒頭には銃器類で武装した集団とその背後に『宇迦乃御魂神解放戦線』と書かれた垂れ幕が掲げられたシーンが挿入されている。異様なのは彼らが全員狐面を被っているという部分だ。狐といえば、稲荷神社の象徴であり、ウカノミタマの遣いとされている。動画を再生すると中央に座っている男が物々しい口調で語り出した。

『我々はウカノミタマノカミが実在するという情報を入手した。しかし、ウカノミタマノカミはただ人として生まれ、我々とほとんど何も変わらない人である。ウカノミタマノカミは彼の持つ力のために軟禁状態にされている』

 直後、シーンが切り替わり、ドローンカメラでの映像が映し出された。

 金髪をウルフカットに整えた美しい面立ちの人間が袴姿で何らかの稽古をしているシーンだ。顔立ちだけを見れば一瞬男か女か判別がつかないが、全身は鍛え上げられて大柄で、体つきから男だということがわかる。この映像だけ見ていると美しい外国人が武道の稽古をしているのだろうくらいの感想しかない。しかし次の瞬間だ。

 男が手のひらを正面に突き出すと、何もない空間に真っ赤な炎がぶわりと立ち上り、炎に包まれた日本刀が出現した。男はその様子に疑問を抱く様子もなく炎に包まれた日本刀を握り込むと、次は剣術の鍛錬を始める。刀が翻るたびに赤い火の粉が舞い上がり、その様はまさしく神々しいという表現がぴったりだった。

 鍛錬を続けていた男だったが、ある瞬間にピタリと動きを止め、視線が合った。確実にこちらを見たのだ。青み掛かった灰色の視線がカメラ越しにこちらの目を射抜く。呆気に取られていると男は炎の刀を振りかぶり、こちらに向けて勢いよく振り落とす。ドローンは上空から男を撮影していたため、刀身は勿論こちらに届くわけもない。だが、炎が塊となってレンズに向かって突っ込んできた。

 暗転。

『ただいまの映像に映っていた男こそ、我々が日頃使用している電力の源となる龍穴・ウカノミタマノカミの正体だ。だが諸君、我々はこの状態で良いのだろうか。力を持つとは言え、ただ人である男を犠牲に今の豊かさを享受する生活――それを正義と言えるのだろうか。否、我々は過去に火力や水力、原子力といった、人権を侵害しない形で我々の手によって生活を営んできたではないか。この男の人権を踏み躙らずとも、我々は自らの手で豊かな生活を手にすることができるのだ。我々はこのウカノミタマノカミとされる男の人権を守るべく、財団法人稲荷神社と龍穴研究開発の二団体へ男の解放を要求する』

 中央の男がそう宣言した瞬間、周りの人間も「うおおおっ」と雄叫びをあげ、動画が停止する。

「……なんだ、これ?」

 藤田が宇迦乃御魂神解放戦線を名乗る集団の熱量に圧倒されていると、黄前は肩をすくめて今度は藤田の小さなバッグを投げて渡す。本来ならば藤田は退勤時間なのだ。

「さあな。今のところは真偽確認中……だが、室長が緊急で呼び出しを食らってたところを見る限り、真実に近い何かが明るみになったというふうには思える」

「CGじゃないんすか、これ?」

「俺も最初はそれを疑ったよ、勿論……でもな、お前が今なんの実験をしているか思い出してみろ」

「――俺の中に溜めた龍穴を、外に出す実験?」

「間違ってはいないですけど……もう少し正確に言うならテレキネシスのような形で龍穴を動力に変換するのではなく、龍穴そのものを別の場所へ溜め込むというものですね。通常の人間や巫子は体内に龍穴を溜め込めない。そして龍穴を溜め込めないということは即時エネルギー変換をする必要がある。その上、巫子であってもせいぜい物を動かす程度のことしかできません。ですがVさんは違いますよね」

 言葉の足りない藤田の説明を川田は苦笑しながら補足する。自身の実験を引き合いに出された藤田だが、黄前の言いたいことがいまいち掴みきれない。

「で、それと何の関係が?」

「お前、その実験で最終的にいつもどうなってる?」

「……爆発が起こって、吹き飛ばされますね」

「そうだ。龍穴そのものをどうにかすることはできなくても、龍穴が『爆発』や『熱』という事象には変換されている。具現化している。この動画の男は龍穴を『炎』に変換している……とは考えられないか? しかも本人は炎に焼かれている様子はない。お前が爆発を引き起こしても、お前自身が燃えて火傷することがないのと同じ状況だ。着地時にあれだけの熱を放出しているのに、お前に残っている怪我といえばちょっとした打ち身程度だろう」

「…………で?」

 黄前は首を左右に振るとそれに合わせて茶色のポニーテールがゆらゆらと揺れた。その表情は呆れに近いものだった。

「察しが悪いな……あの男とお前が同じ性質を――つまり体内に龍穴を蓄えてそれを具現化する能力を持っているんじゃないかってことだよ」

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