Eclipse(エクリプス)〜 日蝕 Nisshoku 〜

三軒長屋 与太郎

第一話 〜序章〜

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――


 この物語は、若きケンタウルスと、人間の娘の出会いから始まる——。


 森は、世界の息吹そのものだった。

鬱蒼と茂る木々は天を覆い、重なり合う葉の隙間から、光が束となって降り注ぐ。

散りばめられた光はまるで、森を清める神聖な霧のように漂い、風が葉を揺らすたびに、無数のさざ波が空中を踊った。

小川は透き通り、流れる水は未来をも映し出しそうなほど清らかで、辺りに響く鳥の囀りや葉擦れの音は、ひとつひとつが生命の讃歌だった。


 そんな森の中を、ひときわ堂々と歩く者がいた。

四本の逞しい脚で大地を確かに踏みしめながら、力強い筋肉は木々の影を撥ね返す。

黄金の鬣は木漏れ日に輝き、風にたなびくその姿は、まさに森そのものと一体であった。


 彼の名は、《カロス》。

ケンタウルス族の若き戦士であり、この森の守護者である。


 カロスは森を闊歩しながら、その瞳で周囲のすべてを捉えていた。

鳥の飛翔、草の揺れ、微かな水音。

すべてが彼の感覚を満たし、自らの存在が森と共にあることを、深く、当然のように感じていた。


 しかし、誇り高きケンタウルスの心には、小さな影が潜む。

彼は、酔いしれていたのだ。

自らの種族の強大さ、美しさ、そしてその血脈の輝き。

それらは彼を誇らしげにしながらも、同時に、誰とも分かち合えない孤独へと向かわせた。


 もとよりケンタウルスの一族は、古(いにしえ)の時代より、森の守護者としての使命を授けられていた。

産声を上げてから、その血が止まり息絶えるまで、五百年余りを森とともに生きる。

カロスも若き戦士とはいえ、この時すでに百を越える時を駆けていた。


 大半のケンタウルスたちは、野蛮である。

それは、森の守護者たる驕りと、あまりにも平和な森での暮らしからくる、退屈さの歪みであった。


 事実、森の生き物たちは、ケンタウルスのひと睨みで平伏す。

ケンタウルス一族は地上世界において、森の女神に次ぐ序列を有し、絶大なる力と威厳を保持していた。


 故に、ほとんどのケンタウルスは傲慢で粗野(そや)と化した。

酒を好み、戦に憧れ……。

今や、あろうことか、森の危機さえ望む者もいた。


 時代と共に荒れる一族を、かろうじてまとめているのが、族長ターレスである。

ケンタウルスたちの英雄ケイロンの友にして、森の危機を幾度も退けてきた時代の生き証人。


 しかし、所詮は地上界にかけられた『時の呪い』を避けられぬ者である。

ターレスも老いた。


 そんなターレスを支える存在。

この時代においても森を想い、一族を憂い、女神への篤信(とくしん)と、ターレスへの忠義を欠かさぬ、数少ないケンタウルスたちがいた。


 勿論、カロスもその一人であり、その中でも突出した存在だった。

世代の長、次世代のリーダー、時代を紡ぐ者。

この責務をカロスは喜び、寧ろ自らの誇りだと疑わずに生きていた。


 そんな自己陶酔を打ち破るかのように、彼の肩に一羽の鳥が舞い降りた。

真紅に染まった小さな鳥は、カロスの耳元でそっと囁き始めた。

声色は穏やかでありながらも、次第に緊迫感を帯びた調子へと変わる。


 カロスの瞳は最初、好奇心に輝き、やがてその光は高揚へと移り行く。

ところが、鳥が最後に告げた言葉は、その光を一瞬にして奪い去った。


 「影が、蠢いています……」


 森を脅かす不吉の予兆。

カロスの胸には不安と憤りが渦巻き、周囲の音は遠のいた。

彼の顔から光は消え、その逞しい体がわずかに震える。


 耐えきれず、鳥は鋭く舞い上がり、赤い羽を散りばめながら飛び去った。


 その瞬間、カロスは天を蹴り、二本の後ろ脚で大地を強く踏みしめた。

疾風のごとく駆け出し、森を抜け、先に見える岩山へと目掛けて突き進む。


 息つく間もなく岩山の頂へ駆け上がると、彼は深く大気を吸い込み、森の彼方へと視線を研ぎ澄ました。


 遠く、見渡す限りの大地。森に漂う微かな…、しかし確かな闇。

それが何をもたらすのか。

この時のカロスには、まだ知る由もなかった。

森もまた、静かに、雄大に、来るべき嵐を待ち構えていた。

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