精神世界
融合
前編
人間の価値とは?
富? 名声? 顔? 能力? 人格?
そうであるとも言えるし、そうでないとも言える。
2100年。様々な技術が発達し、あらゆる日常が変化した時代。
人間の価値とは、その人が持つ精神世界によって決まるとされている。
精神世界とは、心の内なる世界であり、その人物を構成するあらゆる要素(人格・能力・趣味・特技・記憶・DNAなど)が具現化して一つの世界となっているもの。
そして今の時代に生きる人々は、他人が持つ精神世界へと入り込み、その世界で旅行を楽しむことができる世の中となっている。
『さぁ今日はなんとあの、精神世界の美しさがギネス世界記録にも登録された人物。ミハエル・シェーラントさんにお越しいただきました。今日はお忙しい中、日本のこんな番組にも出演いただきありがとうございます』
『礼を言われるまでもないさ。なんたって僕は世界一だからね』
『それでは早速ですが、美しい精神世界を作り上げていくために最も大切なことは何だと思いますか?』
『それはズバリ!精神旅行だろう。勿論、生まれつきの容赦や磨けば光る能力たち、その他にも色々と精神世界を構成している要素はあるが、多くの世界を経験することだよ』
『と言いますと?』
『こういう言い方をすると品が下がって嫌なのだが、君は少し頭が弱いようだね。精神旅行とは楽しむためのものだけではない。他人の精神に触れることで、これまでの自分になかった経験が手に入るんだ。精神旅行で培った経験によって、更に己の能力を磨いていけるんだ』
『なるほど、それではこれは単なる興味なのですが』
『何でも聞いてくれたまえ』
『もし、何十、何百、何千万や何億といった異なる精神旅行を経験すれば、どうなってしまうのでしょうか?』
『いくら僕でも何億と言った単位の精神旅行は経験したことがない。専門家ではないから詳しいことは分からないが、例えば約五年で一億ほどの異なる精神旅行を経験したとすると、最早自我を保っていられるかどうか。精神旅行とはその人の精神に少なからず触れることになるんだ。もしかしたら多重人格者やサイコパスなんてことになってしまうかもしれないね』
その瞬間、テレビ局の会場が凍りついた。
『や、やけに具体的な例えですね・・・・・』
『そう昔のことでもないだろう。今から十何年か前に、約五年間で計一億人が植物状態で発見された出来事があっただろう?なんせ精神旅行が本格的に世界に公開され始めたのが約十年前なのだから。何か関係があるかもしれないね』
「ダメ、こいつもダメ、あいつもダメ。はぁ、どいつもこいつも大したことない精神世界を持ってやがる」
男は丁度正午を回った昼間の公園のベンチに腰掛け、目の前の光景に入り込む多様な人間を観察している。
「どこかにいねぇのかよ。このオレの退屈を癒してくれる精神世界を持ってる奴はよぉ」
男の名は希更木 神宮寺。都立龍門高校に通う十七歳の高校二年生である。
「はぁ、久しぶりに学校行くとするか」
神宮寺が学校へ着くと、すでに三十分間設けられている昼休みの時間であり、呆れた様子の担任の教師によって職員室に招かれた。
「とりあえず神宮寺。ここ座れ」
そう言われ担任教師である坂井のデスクの隣のデスクにある椅子へと腰掛ける。
「はぁ〜あ」
「お前なぁ、そんな大きなあくびしてちっとも反省しているようには見えないな」
坂井は呆れていた表情から、少し真剣さを混じえた目つきで神宮寺へと視線を向ける。
「このままじゃ卒業するための単位が足りないぞ。これ以上欠席が続くようなら退学だってありえるんだ。分かってるのか?」
「あーはいはい。退学にしたいんならさっさとしてくれても構いませんよ。別にオレ優秀なんで、この先の人生どうとでもなりますもん」
神宮寺はどこか余裕の笑みを見せながら全くと言っていいほど自分の置かれている状況が分かっていない様子。いや、神宮寺の場合はその優秀さが驕りではなく真実であることもまた事実。
「あのなぁ、優秀な精神世界を持っていたとしても、それだけで人生やっていけるほど甘くはないぞ。これは俺からの慈悲だ」
そう言って坂井は学力テストと記載された五冊の冊子を隣にいる神宮寺の目の前へと突き出した。
「何すかこれ?」
「見た通り、昨日行われた五科目の学力テストの問題用紙だ。冊子の中に解答用紙が入っているから今日の放課後までに解いて俺のとこまで持って来い」
「え?やりたくないんだけど」
「学力テストの成績次第で、俺が理事長にお前の単位を何とか補填できないか掛け合ってみる」
「つまりこれをやれば、まだオレがサボれる期間が伸びるってことか」
「そうは捉えるな。とにかく、できたら持って来いよ。分かったな?」
神宮寺は親身になって向き合おうとしてくれている坂井を軽くあしらうように、しっしっと手のひらをふらふらさせて合図する。
それから約十五分。神宮寺はひたすら坂井の横で問題と向き合っていた。
「よしっ終わった」
「終わっただと?まだ十五分しか経ってないぞ?」
「そう言われても終わったんだから仕方ないだろ?ほら」
神宮寺は椅子から立ち上がると、手に持っていた問題用紙を坂井の目の前へと放り投げる。
「とりあえず問題用紙に丸つけといたから、丸がついてる番号通りに解答用紙に写しといて」
「お前っ、それも含めてテストだろぉが!はぁ、まぁとりあえず確認してみるか」
その後神宮寺の解答をサラッとだが答案と照らし合わせてみると、パッと見ただけだが間違いが一つも見当たらない。
「うそ————」
思わず口から言葉が漏れて、呆気に取られた表情のまま問題用紙と睨めっこしている。
「それじゃあ、もうそろ昼休みも終わるし、オレは教室に戻りますんで」
「あ・・・・・ああ」
「先生さ、大した世界持ってないんだからあんま思い詰めてちゃやっていけないよ」
神宮寺の発言を受けてハッとしたように我に返る坂井。
「余計なお世話だ。まったく、お前は一体どんな世界を持っているんやら」
そうして坂井の下から神宮寺が離れようとしたその時、職員室の扉がガラガラと開かれて長髪の黒髪で顔を隠したびしょ濡れの女子生徒が姿を見せた。
女子生徒の手には、何十冊もつまれたノートが入っている段ボールがある。
その瞬間職員室内は少しの間騒然としたが、誰一人としてその女子生徒に手を差し伸べようとする教師はいなかった。神宮寺の担任である坂井でさえも。
ただ、坂井の表情は固く、何かを悩んでいる真剣な表情になっていた。
女子生徒が職員室を後にした直後、神宮寺は坂井へと一つ質問をする。
「今の生徒は?」
「あ、ああ。三年の三峰花火さんだ。一週間ほど前に転校して来たんだが、酷いいじめを受けていてな。だけど、なぜか本人が助けることを強く拒絶しているんだよ。だから俺たちもヘタに関与はできなくてな」
神宮寺はその後、三峰花火を追って職員室を後にした。
花火の後を追って辿り着いたのは校舎内三階に位置する三年C組の教室。
花火が水滴を滴らせながら窓際一番奥の席に着くと、花火の下へとイタズラな笑みを浮かべた三人組の女子生徒と一人の男子生徒が近づいていく。
「なぁ花火〜、さっきの続きしようや」
「・・・・・・」
「シカトかよ。チッ、こいつトイレまで連れてって」
すると、三人組の女子と一緒にいた男子生徒が花火の湿った髪の毛を鷲掴みにして、教室の前に立ちながらその光景を見ていた神宮寺の目の前を通り、女子トイレへと無理矢理引きずり込んでいった。
「水戸部。誰か来ないか見張ってて」
「オッケー」
花火の髪の毛を鷲掴みにしていた生徒の名前は水戸部と言うらしく。花火を交えた女子四人が薄暗い廊下にある女子トイレへと入っていく中、水戸部は一人トイレの前で見張り番をすることに。
しばらくして距離をとって後を追った神宮寺が水戸部の目の前で立ち止まる。
水戸部の身長は186センチであり、神宮寺の身長は185センチ。ほぼ変わらない身長差のはずなのに、水戸部はなぜか神宮寺へと根拠のない恐怖を抱いた。
「・・・・・何だお前?どっか行けよ」
「オレはこの先の女子トイレに用があるんだが、通してくれないか?」
「お前確か二年の神宮寺だろ?しょっちゅう不登校してる」
「へぇ〜オレのこと知ってんのか」
「そりゃ学年問わず有名人だろぉよ、そんだけアマイマスクを持ってたらな。てか、先輩に対する口の利き方がなってねぇな?」
そう言うと水戸部は右拳を大きく後ろへと引き、勢いよく神宮寺の顔面へと放った。
パァン!と大きな音が廊下に響く。
水戸部の拳は、呆気なく神宮寺の片方の手のひらによって受け止められていた。水戸部も軽く先輩という存在を思い知らせてやるつもりで振るった拳だったが、呆気なく止められた自身の拳に呆気に取られている。
「なぁ先輩」
「イッ⁉︎」
水戸部が拳を引こうとするが、神宮寺の手に握られてびくともしない。
「イッテ!イテテテテテッ—————」
水戸部の拳を握る神宮寺の手のひらには更に力が込められていき、悶絶せずにはいられない痛みが水戸部の拳を襲っていた。
「分かった、分かったから。手を、離してくれ」
「めんどくせぇことさせやがって、始めから実力差くらい見抜いとけよ」
そう言って神宮寺は水戸部から手を離し、床に拳を包んでうずくまる水戸部を置き去りにしてトイレの中へと歩いて行った。
「あははっ、見てよこいつの顔。ちょっと苦しそうじゃん?」
「ホントだ。さっきまで一切表情変えてなかったくせに、面白くなってきたじゃん!」
トイレ内には、女子二人が抵抗できないように花火の両腕を押さえて、もう一人の女子が地面に置かれた水の入ったバケツへと花火の顔を沈めている光景が広がっていた。
髪はボサボサに乱れ、前髪が呼吸を遮っているが、ほとんど表情を変えずにただただされるがままになっている花火。
「おーい、お前ら何やってんの?」
突如背後に現れた神宮寺の存在に女子三人の手が止まる。
「誰っ⁉︎」
「え?二年の神宮寺くんじゃない?何で?」
「は?二年⁉︎何で二年がここにいんだよ。ていうか、ここ女子トイレなんですけど」
主に花火の頭を沈めていた女子がイジメの現場を目撃されたことに物怖じもせず、堂々とした態度で神宮寺へと詰め寄る。
「あんた水戸部はどうしたの?」
「水戸部?」
「とぼけんなよ。トイレの前にでかいのがいたでしょうが」
「ああ、今頃血相かいて教室戻ってるんじゃねぇーの?」
「あんた神宮寺だっけ?二年のくせに調子乗ってんね」
神宮寺はそんな発言を嘲笑うかのような笑みを浮かべる。
「調子乗ってんのはどっちだろうな?」
「は?」
「初対面なのに気安く名前呼んでんじゃねぇよ。よくいるんだよな、オレの苗字が神宮寺だと思ってる奴。オレの名前、希更木 神宮寺だから」
「マジでどうでもいいんだけど、てか早く出てけよ。それとも何?あんたこいつのこと助けに来たの?」
そう言って花火の髪の毛を鷲掴みにして顔を前へと向けさせる。
「そう。オレ、ヒーローだからさ。イジメとか見過ごせないんだわ」
「嘘くさっ」
神宮寺の正義の発言をあっさりと鼻で笑って切り捨てる。
その通り、神宮寺はイジメという行為が見過ごせなかったわけではない。イジめられている三峰 花火に興味を抱いたから放っては置けなかった。
「それでどうする?大人しくここから消えるか、それとも・・・・・」
「それとも何?ていうか、ここ女子トイレだし、消えるのはあんたの方でしょ」
「あ、そう」
その瞬間、神宮寺の周囲の空気が凍りつくと同時に、地べたに座り込んだ状態の花火が叫びに近い大声を発した。
「キャア————————‼︎」
そうして花火の叫び声を聞きつけた教師三名が女子トイレへと駆けつけ、その場にいた五名は一先ず職員室へと連行された。
しかし、イジめを行っていた三名の女子は特に咎められることはなく、三峰も含めて教室へと帰され、職員室にただ一人残された神宮寺は女子トイレへと侵入したことについての説教を教頭から受けていた。
「まったく君は、どうしていつもいつも問題ばかり————」
「あの」
「何かね?」
「この意味ない説教はいつまで続くんですかね?オレ、疲れたんで帰ります」
「あ、ちょっ」
そう言うと、神宮寺は問答無用で職員室から姿を消した。
「おぉ、こんなところで何してるんだ?」
職員室を出ると、扉付近で壁を背にして立っていた花火がいた。
「一応お礼は言っておくわ。ありがとう」
「へぇ、先輩普通に話せるんだ。そうだ、オレもう帰るから、先輩も一緒に帰らない?今日はもう、学校にいたくないでしょ?」
「・・・・・そうね」
たったのその一言だけでも不気味さを彷彿とさせる花火を見て、神宮寺の口角が少しだけ上がる。
帰り道、まだ昼時だということもあり、街行く人はほとんど見られない。
元々田舎の島で暮らしている人口も都会と比べればだいぶ少ない。
そんなスカスカの道の中、神宮寺は花火の隣ではなく後ろにピッタリとついて歩いている。
「突然だけどさ先輩。先輩の精神世界ってめちゃくちゃキレイだよな」
「何よ?突然」
「いいや」
花火が後ろを振り返ると、恐怖を覚える不気味な笑みを浮かべた神宮寺が花火に手を伸ばし近づいて来ていた。
しかし花火は冷静。冷静にスカートのポケットに忍ばせておいた無線イヤホンを手に取り、口へと近づける。
「取り押さえて」
神宮寺は「三峰花火」の精神世界へと入り込んだ。
そこは、赤色の薔薇で地面が覆われている一面と、桜のような薄ピンク色の花びらで覆われている一面との二色の花びらによって地面が覆い尽くされている。
先へ進んで行くと、可愛らしく淡い色で彩られた数ある屋台を全て動物の形をしたぬいぐるみたちが運営しており、売られている商品も焼きそばやたこ焼きなどお腹の溜まるものではなく、わたあめやチョコレートフォンデュ、りんご飴など、甘味系の屋台ばかり。
その他食べ物以外には、右側の遠方に遊園地らしきものが見え、逆に左側の遠方には、倒壊している高いビルなどの建物やその中でも立派に佇んでいる学校などが見受けられる。
そうして更に先に進んで行くと、マンホールほどの大きさをしているドクンッドクンッと心臓のように微細な振動を立てる白く透明に透き通った結晶のようなものを発見した。
「見た目に似合わずキレイな色してんじゃねぇーか」
神宮寺の足下にあるこの大きな結晶は、「三峰花火」という人間を構成する核そのものである。
この結晶が砕ければ、相当危険なことが起きることは間違いない。しかし神宮寺は、それが当たり前のように慣れた手つきと表情でその結晶へと手を伸ばした瞬間———
————現実世界へと引き戻された。
「ふぅ〜間に合った」
「こっちとあっちじゃ時間の流れが違うからひやひやしたぜ」
気がつくと、神宮寺は見知らぬ男女五、六人によって手と足と頭が押さえ付けられていた。
「何だこれ?いきなり物騒だな、おい」
「物騒なのは貴方の方よ」
神宮寺は地面に寝転ぶ自分を見下ろしている花火を睨み上げる。
「お前一体何者だ?」
「そうね。ここでは話しずらいから場所を移しましょう」
そう言って神宮寺の首元へと、気絶するほどの電流でスタンガンを当てた。
再び目を覚ますと、一人暮らしをしている自分のアパートにいた。
徐々に意識が覚醒していくに連れ、ある異変に気がつく。それは、手足が椅子に拘束されているのもそうだが、首周りにひんやりとした感覚がする。
必死に首を動かして何かを確認すると、鉄の輪っかのようなものだった。
「何だこれ?」
「それは首輪よ。つけている間は、他人の精神世界に潜ることを遮断するわ」
パッと、ライトが瞳に飛び込むと同時に花火の声が聞こえる。
神宮寺の視線の先には、花火を含めた六名の男女が立ち並んでいた。
「訳がわからないと思うからまずは私の正体から明かさせてもらうわね」
そう言って花火は自身の顔面に垂れる黒髪を掴み後ろへと引っ張ると、取れてしまった。そして取れたところから立派な金色が見え始め、腰ほどまである長い金髪が現れた。
更に、目が小さく、ほうれい線や目の下にクマのある顔の皮を剥いでいく。いや、これもまた本物ではなく、偽物の仮面。変装マスクだ。マスクを取った花火の顔は、綺麗な二重幅の切れ長な目に、シュッとした鼻筋をしている大きくもなく小さすぎもしない綺麗な鼻と濃くも薄くもない唇。それらが一つにまとまった小さな顔に透き通るような白い肌をしている。
「何が何やらさっぱりだ」
「安心してちょうだい。今から話すから」
そうして花火はまず、自分が変装していた経緯から話し始めた。
「私の名前は三峰花火。私立聖界学園の二年生であり、生徒会長。貴方の通う龍門高校には精神世界の調査に関する一環で転校と銘打って潜入していたの」
「聞いたことねぇ学園だなぁ」
「精神旅行が世間に広がる十年前までは優秀な進学率を誇る別の名前の学園として有名だったからね」
花火が龍門高校に潜入していたのは、SNSで虐められている龍門高校の生徒がその虐めの辛さを語っているアカウントを見つけたのが発端だった。花火たち聖界学園の生徒会面々は、その生徒のアカウントを始め、同じような内容の投稿をいくつも見つけることとなり、それらが全て龍門高校の生徒によるものだと発覚した。
「これがその証拠の文章よ」
花火は椅子に縛られたままの神宮寺へとスマホの画面を向け、虐めの辛さを訴えかける生徒たちの投稿を見せる。
今の世の中、その人の外見に現れる態度が内面の精神世界を大きく表している。言い換えれば、素行の悪さが目立つ場所には質の悪い精神世界を持つ者たちが溜まっているという証拠。
「どんな時代であっても、外的あるいは内的に相手の精神を傷つける行為は、傷つけられた側も傷つけた側も精神世界を傷つけてしまうことになる。国は今まさに精神旅行を強く推進しているわ。そのため質の悪い精神世界は矯正していく必要があるのよ。今回私が調査した結果を国に伝えれば、廃校または以後虐めを発見した際の厳罰などの措置が講じられることになるでしょう」
「なるほどな。素行の悪さを知るために、わざと虐められてたんだ。おまけに誰かの救いの手を強く拒んでまで。それってさ、お前の世界が壊れちまう行為じゃねぇの?」
花火は神宮寺の発言を嘲笑うかのような笑みを浮かべる。
「フッ、まさか貴方からそんな発言が飛び出すとはね。私のやっていることは使命。それに対して怒りや悪意なんてものを覚えることはないわ」
「オレなんかってのはどういう意味だ?」
「今話した素行調査の件はあくまでもサブ、メインは貴方よ。希更木 神宮寺くん」
その瞬間、目の前にいる六名の刺すような視線が一斉に神宮寺へと向けられる。
「私たち生徒会の仕事を一言でいうなら、精神世界に関与する悪事を取り締まること。希更木 神宮寺。貴方、一体何人もの人の精神を壊してきたの?それにさっきトイレで私を助けてくれた時も、彼女たちの精神世界を壊そうとしたでしょ?」
その瞬間、神宮寺の中でなぜ自分が椅子に縛られ精神世界に入り込めなくなる首輪を付けられているのか、理解した。
「悪事を取り締まるねぇ・・・・・虐められっ子のくせにやけにキレイな精神世界をしてるわけだ。もう少しでお前の精神世界も壊せたんだけど、残念だ」
「コイツッ—————」
睨みながら神宮寺に向かおうとした一人の男子生徒を花火が制止させる。
「精神旅行が世間に広まり始めた約十年前から時々現れるのよ。通常精神世界に入るために必要な装置を必要とせずに精神世界に無理矢理入り込み、そして精神世界に直接的に干渉して影響を与えることのできる人たちがね」
そして入り込まれて精神世界に害的干渉をされた人たちは、その影響が五感の一つを喪失したり言語障害となったり、体の一部麻痺、一部の記憶消失や心情強制変化などになって表面化してしまう。
「他人の精神世界を覗くことのできる人たちは五十人に一人くらいの確率で現れはするけど、干渉できる人たちはほとんどいない。けれど、貴方の場合は例外よ。例え干渉できるとしても、精神世界の浅瀬の部分にしか干渉された例しかこれまでに見て来なかったわ。それなのに貴方は、他人の精神世界を完全に崩壊させてしまうことができる。悪役非道だわ」
「心外だな。別に誰彼構わず壊してるわけじゃない。キレイな世界を見つけた時にだけ壊すようにしてる。だってそうだろ?つまらねぇ世界を壊したところで何も楽しくない」
「ゲスが」
「貴方は・・・・・」
花火は、怒りを含ませた少し強めの口調で言葉を発する。
「貴方みたいな人がいるからっ—————いえ、感情的になってはダメね」
そう言うと、花火は一度呼吸を落ち着かせてリラックスする。
「貴方のことを調べていく内に分かっただけでも五人の精神世界が貴方の手によって壊されている。今では精神世界・旅行に関する法も制定され、貴方の悪事を警察や世間に突き出せば裁かれるのは確実。だけど、あいにくと無理矢理他人の精神世界に入り込んで害的干渉をできる人たちがいることを世間の多くはまだ知らないわ。そこで提案よ」
提案と口にした花火に対して、横にいる他五名の中には険しい表情をする者はいれど、それ以上顔色を変える者は一人もいない。
つまり、花火たち生徒会の目的は、その提案を神宮寺へと持ち掛けるために龍門高校へ訪ねてきたということだ。
「私立聖界学園に転校して生徒会に入ってちょうだい。生徒会の仕事をしていく上で、精神世界に干渉できる貴方の力は必要なの」
「どうしてオレが?そういうのは警察に任せておけばいいんじゃねぇの?」
「警察は今も昔も、事件が表面化してからしか動いてはくれないわ。私たち生徒会は被害者が出てしまう前に被害を出させないためにいるの。それと私たちは国の指示の下動いているわ。もはや貴方に拒否権はないと思うのだけれど。それに、これは貴方を監視するためでもあるの。一生を独房で過ごすか、私たち生徒会と行動を共にするかのどちらか一つよ」
神宮寺は、自分でも自分が普通ではないことは分かっている。他人の精神世界に無理矢理干渉することのできる特別な力や他人の精神世界を壊すことに楽しささえ覚えてしまっている異常さに。
いわゆる自分はサイコパスというものなのだろう。
これまで整った容姿などで人の目を惹きつけることはあったが、異常さゆえに両親のいない神宮寺はいつも一人だった。誰にも何かを求められることがなかった。
「必要」。その言葉が神宮寺の脳に届いた瞬間、神宮寺の胸が微かに温かみを帯びた気がした。
だから思わず笑ってしまった。
「ぷっ」
「何がおかしいの?」
「いいや」
だから知らない聞いたことのないはずの、ずっと昔から知っているような女性の声が聞こえてしまったのかもしれない。
『—————の大好きな神宮寺の美しい世界を、大切にしてね』
その言葉が胸の内に響いたほんの一瞬、これまで他人の精神世界を壊してきたという行為に後悔を抱いてしまった。
どうして知らないはずの女性の記憶にない言葉で、後悔を一瞬だが抱いてしまったのか神宮寺には理解できなかった。しかし、その一瞬で経験した後悔の気持ちは、じんわりと胸の奥に居座っている気がした。
己が持つ精神世界とは、人から間接的に傷つけられることでも、自身の悪事などの行為によっても質の悪いものとなっていく。
「聖界学園ってのは、どういう場所だ?」
気がつくと神宮寺は質問していた。
「通う生徒はみんな、優秀で美しい精神世界を持っている人たちばかりで、とても立派な学園よ」
その発言を聞いて神宮寺は思った。この心地悪く居座る後悔という感覚を消すことができれば、不意に響いた見知らぬ女性の正体に近づけるかもしれないと。なぜなら、抱いてしまった後悔は、他人の精神世界を壊してしまったことに対してのものだったから。
だから、質の良い精神世界に多く触れることで、サイコパスである自分の傷ついてしまった世界を女性の言っていた「キレイな世界」に戻せるのではないかと思った。
「手伝ってやってもいいぜ生徒会の仕事ってやつを」
「そう言ってもらえて嬉しいわ」
そう発言する花火の表情には特に嬉しさは含まれてはいなかった。
「学費や教材、制服に住む場所は私たちの方で準備するから気にしなくていいわ。それと最後に一つだけ言っておく。貴方はあくまで私たちの監視対象。何か変な動きや貴方の力で被害者を出した時には、遠慮なく警察に突き出す。それだけは覚えておいてちょうだい」
「はいよ」
その後神宮寺は拘束を解かれはしたが、当然首輪はそのままにされ花火たち生徒会六名は帰って行った。
実は、女性の声と同時に神宮寺の世界には、見知らぬ複数の者の声が響いていたのだが、神宮寺には聞こえていなかった。
それから一週間後の六月一日。神宮寺の私立聖界学園への初登校日。
聖界学園はアニメで見る宮殿のような外見をしており、王城のように高い天井と左右の壁に高級そうなランプがかけられ、床一面にレッドカーペットが敷かれている。
レッドカーペットの上を堂々と歩く生徒会一堂へと、一般生徒たちの強い視線が浴びせられていた。
「いよいよか。あいつ一体どんな精神世界を持ってんだろうな?」
真っ赤な髪をツンツンと逆立てた長身の男子生徒が口を開く。
「知らないわよあんなやつ。花火姉さんの精神世界も壊そうとするなんて、ほんとっ許せない!」
ツンケンとした態度のこの女子生徒は、背が低く、性格とは似合わない淡いピンク色の髪にパーマをかけツインテールにしている。
「まぁ確かに壊そうとはしてたけどよ。あれは俺たちがそうなるように誘導する作戦を立てたからだろ?」
「それはどうでしょうか?確かに花火さんの見た目と精神世界とのギャップに興味を抱いたのかもしれませんが、私が思うに彼は、このままの花火さんに対しても興味を抱いたと思いますよ」
赤髪の男子生徒に対して、違う方向からも見解を述べる女子生徒。難しそうな本を抱え、丸メガネをかけた黒髪マッシュの見た目をしている。
「僕もその意見に賛成だ。だけど今回はいじめ調査という目的もあったため、あのような格好を花火にさせてしまったがな」
同じく丸メガネをかけ、髪型は金髪の七三分けというちょっと特殊な髪型をした男子生徒が発言する。
「ほんとにもう、お姉さん心配だったよ〜。花火ちゃんがいじめられてる姿なんて今後はもう見たくないからね。よく耐えた!えらいえらい」
そう言って花火の頭を優しく撫でるこの女子生徒は、生徒会で唯一の三年生。肩ぐらいの長さで純白で透き通る髪を持っている。。いわゆるボブというやつだ。そして両目に青く輝く瞳を宿している。
「何かしら?」
すると、花火たちの視界の先に何やら人だかりが出来ている。
場所は体育館の目の前であり、今日は朝礼があるため既に多くの生徒がいても不思議ではないが、何やらざわついている様子。
花火たちは集団を掻き分けて騒ぎの中心へと入り込むと、そこには聖界学園の制服を着こなした神宮寺の姿があった。
その姿を見て生徒会のメンバーも思わず言葉を失ってしまった。
「貴方・・・・・ほんとに見た目だけはいいわね」
「見た目だけなんて心外だな」
「あら?中身は最低なのだから間違ってはいないはずよね?」
「まぁ、否定できないのが痛いけどな」
私立聖界学園の制服は黒のブラウスに水色のネクタイ、白いブレザーに黒いズボンといった組み合わせであり、スタイルもよく超がつくほどのイケメンな神宮寺は、転校初日にして既に多くの生徒からの注目を集めてしまっている。
「あいつの中身を知りゃあ、みんなドン引くだろうな」
この光景を目にした赤髪の男子生徒が小さく呟いた。
その後、生徒会の六名が神宮寺を連行するように周囲を取り囲み、体育館へと入った後、そのまま舞台裏へと移動した。
そうして体育館が開かれて多くの生徒が続々と入って来ては学年クラスごとに席につき、午前九時を回ったタイミングで朝礼が開始された。
生徒会長の言葉や校長の言葉、生活指導者の言葉などが計十五分ほど述べられた後、生徒会三年生の白髪の少女と神宮寺が舞台へと姿を見せ、向き合うように置かれた椅子へと両者腰掛ける。
「それではこれより、転校生希更木 神宮寺の精神世界の格付けを行います」
花火がマイクを持ち進行役を務める。
聖界学園では格付けされた精神世界には、劣→普→美→聖→国宝の順番でいずれかの評価が与えられる。そして、その評価に応じた学年のクラスへと振り分けられる形となる。
「それでは白葉。お願い」
他人の精神世界を覗くことの出来る生徒会三年生の白葉は、覗いた精神世界の風景をほとんど正確に模写することができるという特技を持っている。
そしてその模写された精神世界の絵を元に職員会議にかけられ、評価された後所属クラスが決定される流れとなる。
「任せといて〜。君も、緊張しなくていいからね。リラックスリラックス」
白葉は目の前に座る神宮寺へと歳上の気品を表す優しい微笑みを向ける。
「いざ自分の精神世界を覗かれるのは、変な感じだな」
「まぁ、精神旅行が広まった今だからみんな当たり前のように他人の精神世界に触れているけど、例え具現化したものが何か分からなくても、他人に精神世界を見せるのは、ちょっと初めは勇気がいるよね。それじゃあ見させてもらうね」
そう言って白葉が手に持っていたスケッチブックを開き、鉛筆を紙に少し触れさせた瞬間、白葉は心の内にある目を神宮寺の精神世界へと向けた。
しかし次の瞬間、覗き始めて五秒と経たずに白葉が悲鳴を上げた。
「キャア—————‼︎」
会場に響き渡ったその悲鳴で生徒たちに動揺が走り、大勢の視線は白葉の目の前で平然とした様子で座っている神宮寺へと向けられていた。
「貴方、一体何をしたの?」
神宮寺を睨むような視線で花火が質問する。
「別に何も」
「ごめんね花火ちゃん。少し驚いちゃっただけだから続けるね」
そうして再び白葉は神宮寺の精神世界を覗き始めた。
神宮寺の精神世界は残酷であり、恐怖そのものだった。まずはじめに白葉が目にしたものは薄暗い空間だった。空は晴れているはずなのに薄暗いその空間の中には、数えきれないほどの無数の白目を剥いた人の顔が浮かんでおり、空間内には顔ほどではないが何人もの白目を剥いて倒れている人の姿があった。それだけだった。他には何もなかった。遠方に視線を向けても薄暗い空間が広がっているだけ。
しかし、ここで白葉はあることに気がつく。それは、一つだけ光っている点が遠方に存在していたのだ。それは、目を凝らせば凝らすほど光を増していったが、ある一定の輝きで止まってしまった。そして見えた。薄暗い空間と光との間には、ガラスのような壁が存在していることを。
白葉は神宮寺の精神世界に入り込んでいるわけではないため、その壁に触れて確かめることはできないが、光が当たって壁の存在が一瞬輝いて見えた。
そこで白葉は覗くことを止め、手元にあったスケッチブックへ視線を向けると、先ほど見たまんまの光景がスケッチブックに模写されていた。絵は白黒だが、神宮寺の精神世界の特徴を光の存在とともにはっきりと表現できている。
「終わったよ」
「ありがとう白葉」
そう言って花火もスケッチブックに目を通した。
その後、花火は集まっていた生徒たちを解散させて教室へと帰した後、今日のところは神宮寺を聖界学園が持つ寮へと帰宅させた。
それから一日かけての職員会議の結果、一応生徒会からのスカウトということで慈悲を受け、二年普クラスの十五人いる内の出席番号十五番の評価を与えられることとなった。
六月二日。
既に神宮寺の存在は学園中に広まっているが、自己紹介のため教室の黒板の前へと立たされていた。
「それじゃあ神宮寺くん。軽くでいいから自己紹介してもらえるかな?」
神宮寺はこの普クラスという評価が何を意味しているかを、一通り花火に昨夜メールで知らされて分かっている。
そして、各自に与えられる出席番号がクラス内での精神世界の評価の順位であることも理解していた。
しかし、形だけ見ればこのクラスで最も劣っていることを理解した上で、神宮寺は余裕を含んだ爽やかな今まで見せたことのない、目の前の生徒たちを蔑むような笑みを浮かべる。
「希更木 神宮寺。これからみんなの精神世界を込みで知っていけたらと思う。よろしく」
聖界学園の生徒の持つ精神世界は質が高いとは言えど、神宮寺が自身の奥に潜む後悔を消し去るために求めているのは、美クラス以上の精神世界を経験すること。普クラスの生徒には興味はない。
今は首輪を付けられているため、他人の精神世界を覗くことはできないが、二年普クラスの教室は、いじめの存在しない龍門高校の教室の雰囲気に多少似ているところがある。
「よしっ、神宮寺くんの席はあそこだっ!」
担任である早乙女が勢いよく指さした先には、窓際一番後ろの空席となった席があった。
「フッ」
「何?何かおかしかったかな?」
突然神宮寺に鼻で笑われた早乙女が、恥ずかしそうに頬を赤らめて背の高い神宮寺を横目で見上げる。
「いいや、何も」
そう言って神宮寺は指示された席へと歩き出した。
普という評価は、一般・普通という単純な意味から来ている。つまり、龍門高校にいる生徒たちと美しさにあまり差がない精神世界を持っているわけだが、昨日あれだけ注目を集めた転校生がまさか普クラスの最後尾の出席番号を与えられているなど、誰一人として思いもしなかっただろう。それだけ神宮寺の容姿は優れているし、目立っていた。
だからといって、誰一人として神宮寺に蔑みの視線、揶揄う視線など、負の感情を向ける者はいなかった。
そう言った些細なことが、聖界学園の生徒と他校の生徒の大きな違い。
むしろ、教室内を堂々と歩く神宮寺にほとんどの女子たちが憧れの視線を向けている。中には、表情が既にとろけてしまっているものもいる。更に女子だけでなく、男子においても神宮寺に釘付けとなったまま口を閉じることを忘れている者もいる。
しかしそんな視線を向けられ慣れている神宮寺は、何事もなかったようにゆっくりと席についた。
「そう言えば体育祭まで残り一週間ね。神宮寺くんには後で体育祭の種目表を渡すから、出たいと思った種目があったら遠慮なく言ってね。神宮寺くんが希望すれば、今からでも特別にエントリーできるみたいだから。それじゃあみんな今日も一日頑張ろう!」
そう言って早乙女が教室を後にすると、しばらくして一限目担当の教師が姿を見せた。
本日は体育祭前ということもあり、特別に授業が四限の昼までとなっている。
そうして一限目のごく普通の数学の授業を終えた後、二限、三限は各自振り分けられた種目ごとの練習を体育館と校庭に分かれて行った。種目のエントリーが済んでいない神宮寺は、その間校内を見学することに。
そしてラストの四限の地理・歴史の授業を終えた生徒たちは、放課後を迎えていた。
各々が仲の良い友達と帰りの支度をしながら軽い談笑に浸っている。
そんな中神宮寺は、今日の放課後に生徒会メンバーの紹介をするからと生徒会室に呼び出されているため、一人静かに教室を出ようとする。
すると、黄色と黒が交互に混ざり合った髪色をした一人の男子生徒が神宮寺の下に近づいてきた。
「おい転校生。お前、体育祭の種目何にするのか決まったのか?」
何やら神宮寺へと睨む視線を向ける男子生徒。
「俺は出席番号一番の小野達也だ。お前、百メートル走と持久走に出ろ」
「なんで?そんなのオレの自由だろ」
「自由じゃない・・・・・美咲ちゃんの心を打ち抜きやがって、許さねぇ」
美咲ちゃんと発した部分は、声が小さすぎて周囲には聞こえてはいなかったが、目の前にいた神宮寺には聞こえていた。
すると、達也の発言を聞いた神宮寺が挑発的な笑みを浮かべる。
「つまり、嫉妬か。小さい奴だな。安心しろ————」
そう言って神宮寺は達也の耳に口を近づける。
「このクラスにオレの興味を引く女は一人もいない。普通のつまんねぇ女には興味ないからな」
次の瞬間、達也が勢いよく神宮寺の胸ぐらを掴みかかった。
「取り消せ!この野郎、ふざけんじゃねぇぞ」
その光景を見た周囲がざわめき始める。
「こうなったら何がなんでもお前を体育祭でこてんぱんにぶちのめしてやる」
「お前程度じゃそれは無理だな」
「は?どの口が言ってんだ?普クラスとは言っても、一応俺は一番だぞ?」
神宮寺は揶揄うような笑みを維持したまま続ける。
「あの生徒会は、一体オレのどんな精神世界を見たのかは知らないが、本当の意味でその精神世界が何を意味するのか知る術が今の世の中にない以上、オレたちに与えられたこの評価が100%正しいとは言い切れないんだよ」
「だけど少なくともお前の精神世界には、このクラスの尻尾に振り分けられるような精神世界が存在するってことには変わりないよな?」
「小野達也って言ったよな?もう既にこの状況からお前の精神世界の価値は程度が知れる」
それがトドメの一言となった。流石に我慢ならなくなった達也が再度神宮寺に掴みかかろうとしたその時、勢いよく開かれた扉から生徒会長である花火が現れた。
「やめなさい!」
花火の周囲には他の生徒会メンバーはいなく、花火だけが神宮寺たちの下に歩み寄る。
「まったく、約束した時間を過ぎて何をしているのかと思えば、転校早々喧嘩かしら?」
「喧嘩?するわけないだろそんなこと」
「そう、仕方ないわね———起動」
すると次の瞬間、神宮寺の首輪が内側に縮み始めた。
「カッ——————アッ⁉︎」
突如苦しみ出した神宮寺を見た達也が困惑した表情を浮かべる。
「なっ・・・・・んだ、これ?」
「今回はただの脅しよ。常に私は貴方のことを管理できること、忘れないでちょうだい————停止」
すると今さっきまでの苦しみが嘘のように消え、首輪は元の大きさへと戻った。
「それじゃあこの後彼は生徒会に用があるから借りていくわね」
花火はそう言って強引に神宮寺の服を掴むと、達也の返事を待たずして教室を後にした。
「服が伸びる」
「そうね。ごめんなさい」
花火は軽い態度で謝罪の言葉を並べると、あっさりと神宮寺の服から手を離した。
「なぁ、さっきのは一体どういう仕組みだ?お前には説明する義務があると思うぜ?」
「まぁいいわ。貴方に付けたその銀の首輪には、この前話した精神世界を覗くこと、入り込むことができなくなる他にもう一つ、装着者の首を閉めることができる機能もあるのよ」
あっさりと怖いことを言う花火に対して、神宮寺から薄く笑みがこぼれる。
「ほんとっ、変人ね。言っておくけど、その首輪は凶器よ。私が止めなければ、いずれ貴方の息の根は止まることになる。今後私に逆らったり、無闇に誰かを傷つけるようなことがあれば、私はその凶器を容赦なく貴方に振るうわ」
「傲慢だな」
「傲慢?笑わせないで。貴方にはこれくらいの罰は背負うべき責任がある。自分がこれまで何をして来たか、忘れないことね」
花火は決してふり返らず歩き続けたが、発した言葉には、とてつもない憎悪が込められていた。
生徒会室。
花火に連れられ中へ入ると、既に神宮寺と花火以外のメンバーは全員が揃っており、中央に置かれた大きな円卓の周りに並べられた椅子へと着席している。
「既に分かっているとは思うけれど、今日みんなに集まってもらったのは、正式に希更木くんとの顔合わせの場を設けるためよ」
「それなのにその本人が遅刻とは、僕たちを馬鹿にしているのか?」
入り口付近に座っていた金髪七三分け丸メガネの男子生徒が神宮寺に背中を向けたまま、不満の態度を漏らす。
「あたり前だろ。仮にも学校のトップに立つ生徒会がこうも大きく生徒の精神世界の評価を間違えたんだ。見下さない方がどうかしてる」
「はいはいいきなり喧嘩しな〜い。君の精神世界の絵を描いたのは私だから、傷つけちゃったなら謝るよ」
そう言って白髪の女子生徒が神宮寺へと近づいて頭を下げようとするが、神宮寺は下げようとする頭を手で制止させる。
「別にショックだったとかそういう風には思ってない。ただまぁ、後日そこの生徒会長に絵のコピーを見させてもらったんだが、本当にあの光景しか見られなかったのか?」
「うん・・・・・ただ先の方に光が見えたんだけど、見えない壁が張られていて景色はそこで止まっていたの」
「まぁ自分の精神世界がどうなってんのか分からないが、さっきまで絡まれてた奴にはクラスの尻尾発言をされたからな。あまりいい気分とは言えない」
すると、神宮寺のすぐ横に座っていたメガネをかけた男子生徒が立ち上がる。
「はぁ、なるほどそういうことだったのか。事情も知らずに済まなかったよ。僕の名前は日下部 翔真だ。クラスは二年美クラス」
「謝るならせめて表情を一致させてからにしろよ」
翔真は下唇を噛み締めながら自己紹介を終えると、静かに席についた。
「それじゃあ次は私だね。一番年上だから最初にやらなきゃいけなかったんだけど、改めて私は三年聖クラスの群雲 白葉です。よろしくねっ神宮寺くん」
そうして次に二つの椅子が同時にガタリと音を立てる。
「ちょっとあんた、譲りなさいよ」
「いやだね」
「はぁ!あっちょっ———」
続いての自己紹介は逆立つ赤髪が特徴的な長身の生徒。
「俺は道上 天。翔真と同じ二年美クラスだ。まぁお前のことは嫌ってる奴も生徒会にはいるが、決まっちまったからには俺は仲良くしたいと思ってるぜ。よろしくな神宮寺」
天は離れたところから握手の手を神宮寺へと差し出すが、届くはずがない。
「ああ、よろしく」
順番を抜かされたことに分かりやすく腹を立てるピンク髪の少女。
「何順番抜かしてくれてんのよまったく。はぁ、私は一年聖クラスの影山 桜よ。ちなみに言っとくと、あんたのことは好きでも嫌いでもない無よ無。本当は、花火姉さんに危害を加えようとしたあんたをぶっ飛ばしてやろうかとも思ったけど、あんたなんかに時間と労力を使うことが勿体ないわ」
「それではいよいよ私の番のようですね」
少女は胸元に抱えていた本を机へと置いて立ち上がると、礼儀正しく神宮寺に向かって一度深く頭を下げる。
「空栗 茜です。一年聖クラスです。こう見えて希更木 神宮寺さん、貴方のことが嫌いです。なので悪しからず」
神宮寺は小さく面白そうに笑う。
「へぇ〜お前みたいなタイプは誰に対しても興味がないのかと思ってたんだが、俺には負の感情だとしてもあるんだな、興味。おかげでオレもお前に興味が湧いてきた」
その神宮寺の言葉を受け、表情には出さないが明らかに茜が恐怖した。
「やめなさい!」
神宮寺の発言に対して花火がすぐさま止めに入る。
「冗談だっつぅの」
「貴方が言うと冗談には聞こえないから気をつけることね」
「はいはい」
神宮寺がお手上げの意思表示で分かりやすく両手を掲げた様子に、花火は小さくため息をついた。
「はぁ、それじゃあ私が最後ね。二年聖クラスの三峰 花火よ。一応生徒会長をやらせてもらっているわ。改めて生徒会は貴方を監視かつ、利用させてもらうからそのつもりでいてちょうだい」
「まぁ、今は大人しく利用させといてやるよ」
物理的に今の神宮寺は、これまでのように誰かに手を出すこともできないし、目的を達成するまでは、自分自身にとってもこれ以上罪を重ねるわけにはいかない。
次の日、花火は生徒会長の事務仕事があるということで、神宮寺は三年の白葉に学園の案内をされ、校舎の上階層へとやってきていた。
「ここが三年生のフロアで、手前から美クラス、聖クラスの順だよ」
「三年のクラスは一フロアだけなのか?」
一、二年生の劣・普・美・聖クラスの計四クラスは、それぞれ劣と普クラスが同じフロアで、そして美クラスと聖クラスはそれぞれ一フロアずつが用意されている。
そして国宝クラスに関しては例外で、学園の最上階のフロアに学年関係なく、自分たち専用の部屋を持っているのだという。
そのため、美クラスと聖クラスが同じフロアに存在していることに疑問を覚えたのだ。
「三年生になると、劣クラスと普通クラスが消されちゃうんだよ」
「消される?」
「うん。まぁ退学ってことかな。だから二年生のうちにみんなは死に物狂いで美クラス以上に上がろうとするんだ」
その話を聞いても特に表情を変えない神宮寺を見て白葉がふと疑問に思ったことを質問する。
「そういえば神宮寺くんには何か目標があるの?」
「目標?」
「そう。今の世の中は、その人の精神世界の価値が基準になってるのは知ってるよね?」
「まぁな」
「社会人の中には学歴を気にしてる人もいるみたいだけど、精神世界に存在する学歴という一つの要素は、多様に評価される要素の内のたった一つにすぎないんだよ。その証拠に、総理大臣や国会議員のお偉いさんたちはみんな精神世界で評価されて選ばれてる。ただ精神世界の評価の仕方は多種多様だから、目標があるならその目標に沿って精神世界を磨いていった方がオススメだよ」
つまり、精神世界の美しさという一つの価値基準は普遍的な共通認識でありながらも、目指す地位によってはそれぞれの地位で異なる精神世界に存在する要素が判断されると白葉は言っている。
そして、ここ私立聖界学園では精神世界の美しさのみに焦点を当てた評価でクラス分けを行っている。とは言っても、精神世界の美しさが素晴らしければ素晴らしいほど、人間としての価値が高くなる世の中なのは事実。
「この学園の生徒たちは、どういう目標を持って生活してんだ?」
「う〜ん。ほんとに目標は人それぞれだと思うけど、聖界学園で卒業することができれば、希望の進路先に進むことができるんだよ。それこそ、試験なしで超有名な大学に入学したりとかね。確か去年の三年生の中には、聖界学園のコネで芸能事務所に入った先輩もいたみたいだよ」
要するに、自分の進みたい道へ進む権利をこの聖界学園では手にできるということ。
しかし、そんなもの今の神宮寺にはこれっぽっちも興味がない。
「オレには興味が湧かない話だな」
「聞いといて酷いな〜」
そう言ってわざとらしく悲しそうな表情を作る白葉。
「だけどオレにも目標はある」
「へぇ〜どんなどんな?」
妙に神宮寺に対して強い関心を示す白葉。
「内緒だ。ただまぁ一つ確かなことは、今オレが一番精神旅行したいのは先輩だってことだ」
白葉は少し驚いた表情を浮かべた後、視線を逸らして気まずそうに苦笑いを浮かべた。
「それはやめといた方がいいと思うよ。きっと期待しているものと違いすぎて後悔すると思うからさ」
「そうか?先輩は三峰と同じくらい美しい精神世界を持ってる気がするんだけどな」
「はは、気のせいだよ」
どこか元気なく答える白葉。
「それにあれだよ。授業の時以外で精神旅行することは校則で禁止されてるし、授業内でも基本他学年や他クラスとの接触はできないしね」
神宮寺は無理矢理精神世界に入り込めるため装置を必要としないが、一応他の生徒同様に入学時点でヘッドフォン状の装置が一台至急されている。しかし、その授業内であっても、首輪を付けられている神宮寺は精神旅行の授業が受けられない。
「よしっ、それじゃあ切り替えて案内の続きと行こう!」
そうしていつも通りの明るいテンションに戻った白葉によって、カプセル型の精神旅行装置が並ぶ部屋やその他授業で使用する教室に、職員室、銀色の首輪が無数に収納されている倉庫のような場所にまで案内された。
「寮については問題ないよね?」
学園には、自宅から通う生徒がいれば、神宮寺のように寮から通う生徒もいる。
寮には寝室の他に食堂や銭湯、娯楽施設などが完備されているが、すでに使用している神宮寺には案内するまでもない。
「ああ、大丈夫だ」
「それじゃあ案内は以上になるけど、最後に一つ。タメ口を使われるのは嫌だって先輩もいるから気をつけてね」
白葉は笑顔でそう伝えると、神宮寺の前から去っていった。
「さてと、この首輪、マジでどうしたものかな」
神宮寺の目標は、奥底にじんわりと染みつく後悔を消して記憶にない謎の女性の正体を知ること。そして、自身の中に幼い頃の記憶がないことからももしかしたらその女性は、欠落した過去の記憶に眠っている可能性が高い。
つまりは、欠落した記憶を取り戻すことがこの学園に来た目標であると言える。
そのための鍵が女性が言っていた『美しい世界』であるため、美クラス以上の生徒の世界へ旅行する必要があるのだが、その前にこの首輪をなんとかしなければ精神世界を覗くことすら叶わない。
今この状況でいくら考えても首輪を外せそうもないので、できる限り生徒会の仕事などに貢献して精神世界を少しでも良い方向に持ていくのが最善策。それに、そうすることで生徒会の信頼をいつしか得られ、この首輪が外れる日が訪れるかもしれない。
その後の数日の内に神宮寺の体育祭の種目が百メートル走と千五百メートル走に決定した。
そして神宮寺は、クラスの尻尾発言を相当根に持っているため、今後自分を見下すような発言や態度を向けさせないためにも、この体育祭という場で達也との勝負も兼ねて、全校生徒に自分の実力を示しておくことにした。
そうして迎えた体育祭当日。
私立聖界学園の体育祭は、その日一日は某陸上競技場を貸し切って行われるイベントであり、国宝級の生徒はオリンピックを狙えるほどの実力であるため他の生徒の意欲を削いでしまう可能性を考慮され、参加禁止とされている。
聖クラス以下の全生徒は一度学園に集合し、そこから学年クラスごとにバスへと乗り込み、現地の競技場へと向かう形を取っている。開催場所や生徒一人一人の能力面以外では、特筆他校との体育祭に差異はない。
そして文化祭や修学旅行と同様に、体育祭も生徒会が進行役を務める決まりとなっているのだが、なぜだか今年の体育祭に生徒会の姿が一人も見えない。
生徒間からは戸惑いの声が上がりつつも、皆学年クラスごとに綺麗に競技場の中央へと整列している。
そんな中、生徒たちの前に置かれた台の上に立つマイクの下へと、一人の温厚な顔つきをした人物が近づくとマイクを手に取り話し始める。
「生徒会の方々は、昨日突然国からの案件が入ってしまい、そちらの対応に追われています。なので、今年の体育祭は校長である僕が司会役を務めさせてもらうこことします」
そうしてその後は開会式へと移り、一通り競技までのプログラムを終えた後、生徒は各自客席へと移動していった。
しかし、この状況がどうしても受け入れられない生徒が一人いた。名前を小野達也という。
達也は神宮寺が勝負を逃げたと勘違いをしているためかなり怒り心頭であった。
「ちくしょーあの野郎、約束破りやがって!」
しかし今回は不可抗力。神宮寺も生徒会メンバーとなった以上、今回の案件に出向くのは仕方のないこと。
「まぁ生徒会の案件は国からの命令なんだし、流石に仕方ないよ」
興奮する達也を、同じクラスの夢藤が宥める。
夢藤と達也は中学が同じという理由で今ではすっかり仲良しであり、達也が美咲に惚れているという事実を知っている上、達也が神宮寺への嫉妬を抱いているのも分かっている。
「そりゃあ分かってるけどよぉ海斗。それじゃあ俺のこの行き場のない怒りをどこにぶつけたらいいんだよ?」
夢藤はどこか呆れたようなため息をつく。
「それなら、早く告白すればいいんじゃない?佐藤さんが希更木くんに見惚れてたからって、自分が勇気ないだけなのに突っかかるなんておかしいよ」
達也は面食らった様子で目を見開いている。
「お前、そんな風に思ってたのかよ」
「それはそうだよ。中学一年の一目惚れから始まって今の今までずっと引きずって来てさ、行動もしないで取られそうになったら相手に八つ当たり。かっこ悪いよ達也」
「し、仕方ないだろ!美咲ちゃん、高校生になってからは更に可愛くなっちゃうし、勇気が出ないんだよ。それなのに、あんなイケメンが現れて・・・・・あんなん反則だろ!」
神宮寺が教室に足を踏み入れた瞬間、一番前の廊下側の席に座っていた達也は、誰よりも近くで神宮寺の顔面を見てしまった。
今まで見て来たどの人間よりも整ったその容姿に思わず見惚れてしまったのだ。当然、女子は考えるまでもない。
しかし、好きな子が他の男に見惚れてた姿なんて見たくなかった。だから気がつくと神宮寺に突っかかってしまっていたし、相手も言い返して来たことで歯止めが効かなくなってしまったのだ。
夢藤の言う通り達也に勇気がないだけ。告白して振られてしまうかもしれないけど、勝負の土俵にすら上がれずにいる始末。
「だからって、クラスの尻尾なんて言葉は使っちゃダメだったよ」
達也も口走ってしまった時思った。あんな他人を見下す言い方はしていいものじゃない。ましてや転校して来たばかりの、何も悪いことなんてしていない人に向かって使うべき言葉じゃなかった。
そうして達也の中に一つの答えが浮かび上がる。
「それに関してはまぁ謝らないとな」
その発言を聞いて、夢藤はにっこりと笑顔になる。
「うんっそうだね。それじゃあ僕たちも移動しよっか」
「だな。まぁだけど不思議だよな?」
「何が?」
「転校生さ、あんなにイケメンで喧嘩も別に弱そうには見えなかったんだよ。こう言っちゃあれだけど、なのに何で普クラスに振り分けられたんだろうな?」
あの時は自分に対する情けなさと嫉妬が渦巻いていたことで勢いで勝負や尻尾などと威勢を張ってしまったが、実際に神宮寺の気迫を目の前で感じた達也だからこそ感じ取った違和感。
「勉強がものすごく苦手とか?」
「だとしてもよ、あんな顔面持ってるならそれだけで美クラスに振り分けらるくらいの精神世界は持ってそうなんだけどな。なんか俺らには想像できない理由があるのかもしれねぇな」
その後、体育祭はどの学年も聖クラスと美クラスの生徒たちが普クラスと劣クラスに圧倒的な活躍の差を見せつけ、進行していった。勿論、美クラスと聖クラスに属する生徒全員が運動を得意としているわけではないが、全体的に高スペックな生徒が多いのも確かである。
体育祭前日に話は戻る。
生徒会のメンバーはこの日の放課後、至急生徒会室へと集められていた。
「毎回案件が入る時は急だけどよ、今回はタイミングが悪いだろ。なんたって明日は体育祭だぜ?まさかとは思うけど、出れないなんてことねぇだろうなぁ?」
「天うるさい。花火姉さんの前で今みたいな文句垂れないでよね」
「別に文句じゃねぇよ。てか桜、俺一応先輩だからな?」
桜は堂々とした態度で頭を軽く振り自身の髪をなびかせる。
「だから何よ?一歳しか違わないし、それにあんた美クラスでしょ?私聖クラスだし」
「うっ⁉︎」
天が自身の胸に両手を当てて、オーバーリアクションをかます。
「お前言っていいことと、悪いことがあるぜまったく」
その瞬間生徒会室の扉が開かれ、多少の賑やかさを纏っていた空間内に一瞬にして静寂が訪れた。
「待たせてごめんなさい。準備をしていて遅くなったわ。早速で悪いのだけれど、今から流す映像を見てくれる?」
そう言って部屋に入って来て早々、円卓の前にある天井に吊されたスクリーンへと、一つの映像が映し出される。
その映像は、ヤンキー漫画などでよくある大人数で殴り合うワンシーンそのものだった。
「この映像がどうかしたのかい?僕にはただ不良たちが殴り合っている映像にしか見えないのだけど」
「そうね。普通はそうとしか見えないわよね。この映像は一週間前に撮影されたものよ。そして明日、映像の右側に映っている不良グループが別の不良グループとぶつかるわ」
すると、何かを感じ取った生徒会のメンバーの顔色に少しずつ不安の表情が見られ始める。
「今の時代に実際にこんなことが起きてるなんて、お姉さんビックリだよ」
「なぁ花火ちゃん。まさか俺らがただの不良の喧嘩を仲裁するわけじゃないよな?」
「安心して、これは紛れもなく精神世界に関する案件よ」
天の発言に対して花火はきっぱり言い切った。
「けどよ、いじめみたいな暴力と違って対等な喧嘩となりゃあ、物理的なダメージは負っても精神的なダメージは関係ないんじゃねぇか?」
不良同士の喧嘩などは、己の強さを証明するためのものであり、強さを育てれど、精神世界に負うダメージはほとんどない。不良という心を持つということ自体、精神世界が美しくない証拠だが、それは精神世界をダメにしているのとはまた違ったことである。
そのため天は、いや天だけではなく生徒会のメンバーは、そんなことにまで口を挟むのかと驚いてしまっているのだ。
「なるほどな」
突然放った神宮寺の確信を持った一言が周囲の視線を自らに集める。
「何か分かったのですか?」
神宮寺の発言に対して一番始めに反応したのは茜。
「なぁ三峰。もう一度映像を見せてくれないか?」
「ちょっと、呼び捨て」
神宮寺の呼び方が気に入らなかったのか、桜が指摘する。
「構わないわ」
花火はそう告げると、巻き戻しボタンを押し、映像を始めから再生し直した。
「一体何が分かったんだよ神宮寺」
「単刀直入に言うと、この映像の中に精神世界に干渉できる奴がいる」
「流石ね」
「———マジかよ。で、一体どいつだ?」
神宮寺は席から立ち上がり映像に近づくと、迷わず一点を指差した。
そこには、目の前で喧嘩をする大勢の不良たちを見守るように、その背後に一人呑気に座っている人物。
「彼の名前は浅宮 朝日。坂神高校に通う三年よ。彼がいる喧嘩には必ず、身体障害を負う生徒が数名現れているわ」
「坂神高校、聞いたことがある。相当有名なヤンキー高校として知られている高校だ。国からの案件からだと言って、無闇に近づきたくはない連中だな。僕の精神世界に少しも影響しないといいんだが・・・・・」
「私たちは明日、体育祭を欠席して被害が出る前に彼を拘束する」
今回、大人数が繰り広げる抗争のど真ん中へと突っ込むこととなる。
この場で誰一人として状況が理解できない者はいない。だからこそ沈黙が訪れた。しかしこの沈黙は怖気付いたからではなく、皆覚悟を決めるための沈黙。
そうして体育祭当日。
場所は都内のとあるガードレール下。
既に坂神高校とその対戦相手である高校合わせて計百人を超える生徒たちが集まっていた。
その様子を少し離れた柱の陰で伺う生徒会。
両校は向き合い、いつ喧嘩が始まってもおかしくない状況。浅宮朝日が動くとすれば騒ぎの最中。自身の精神世界への干渉を喧嘩の影響だと思わせるため。
なので、喧嘩が始まる前に生徒会は動かなければならない。しかし、これだけの人数の圧を目の前にして神宮寺と茜以外のメンバーが尻込みしてしまっている。
それもそのはず、今この状況で声をかけようものなら、両校の生徒に袋叩きにされてしまう可能性が高い。
「花火さん。どうしたんですか?行くなら今しかないと思うのですが」
茜が不思議そうな表情を花火へと向ける。
そんな花火は、向けられた不思議そうな茜の表情に対して不思議そうな表情を浮かべ返した。
「貴方は平気なの?」
「平気?」
「いえ待ってちょうだい、覚悟を決めるわ」
そう言うと、花火は一度大きな深呼吸をして心を落ち着かせる。
けれどすぐには落ち着きそうもなく、その様子を見ていた茜から信じられない発言が飛び出す。
「私は全然平気なので、もうそろそろ喧嘩も始まっちゃいそうですし行って来ますね」
茜は花火が手に持っていた銀色の首輪を手に持つと、一人で向かおうとする。
「オレも行く」
「そうですか。ありがとうございます」
茜は相当神宮寺のことが嫌いなのか、神宮寺の発言に対して、背を向けたまま一回り声を低くして礼を言った。
「それでは行って来ますね」
「待って、待ちなさい茜!」
茜は花火の呼びかけを無視して不良たちの下へと神宮寺と一緒に向かって行った。
「おい朝日」
「ああ、今日はあいつら全員の足を使えなくする勢いで力を使う」
と言いつつも、装置を使わずに連続で精神世界に入り込むのは五回程度が限界。
しかし、五人もの手駒を下半身不全にされたことで再度立ち向かって来るのなら更に被害を出すことができるし、恐怖を植え付けることができたなら、相手は朝日たちの奴隷となり駒となる。
「頼んだぜ朝日。てか、お前が今までやった連中の中には疑問を抱いてる奴も少なくねぇだろうが、お前の仕業だってことに誰一人気づいてねぇんだろうな。ほんと傑作だよアハハハッ」
土管の上に座る朝日の横に立つスキンヘッドの男性が大きな笑い声を上げたその時、自分たちの下に見知らぬ男女がやって来た。
「長髪を後ろで束ねるという男性にしては珍しい髪型。貴方が浅宮朝日さんですね」
朝日ではなく、隣にいたスキンヘッドの男性が茜のほぼゼロ距離まで近づき、睨み見下ろす。
「テメェら誰だ?ここがどこか分かって来てんのか?」
「私が用があるのは浅宮朝日さんだけです。貴方じゃありません」
近くで見ていた神宮寺が茜の肝の据わり具合に少し感心する。
しかしただ肝が据わっているだけであり、今の状況では茜の態度が相手の怒りを更に刺激していく。
「分かんねぇかな?帰れっつってんだよ・・・・・ぶち殺すぞ」
「毛量の少ない方はやはり頭が良くないのですね」
堪忍袋の緒が切れたスキンヘッドの男性がツルツルの頭皮に幾つもの血管を浮き彫りにして、顔面が梅のように真っ赤になっている。そして、勢いよく伸ばした傷だからの腕が茜の胸ぐらを掴もうとした。
「あ?」
しかし、伸ばした手は茜の胸ぐらに届くことなくその寸前で止められる。先へ伸ばそうとしても引こうとしてもピクリとも腕が動かない。
「喧嘩がしたいならオレとやろうぜ」
「すげぇ握力だな。だが、お前とやんのはこのクソ女をぶっ飛ばしてからだ!」
茜は顔面目掛けて蹴りを繰り出されたことで思わず目を瞑ってしまう。
「だ〜か〜ら、オレとやろうぜって」
神宮寺の伸ばされた足が茜の顔面を防ぐように目の前に突き出され、相手からの攻撃を防いだ。
「お前・・・・・普通じゃねぇな」
「お前は、普通以下だな」
「っ⁉︎」
神宮寺は繰り出された相手の足を素早く掴み、反対側の足で喉目掛けて蹴りを入れると、スキンヘッドの男性はたったの一撃で意識を刈り取られ地面へと崩れた。
先ほどまで興味なさげな視線を向けていた朝日だったが、今の神宮寺の蹴りを見て薄く笑みを浮かべている。
「あ、ありがとうございます」
すると隣でもじもじといつものおしとやかな茜らしくない態度で恥ずかしそうにお礼を口にした。
空栗 茜 十六歳。
茜は父、母、兄、弟と、茜以外の全員がヤンキーのヤンキー一家の下に生まれたただ一人のおしとやかな女の子。
家に帰ると、毎日血だらけの兄と弟が迎えてくれる。小さい頃から大人数での喧嘩など飽きるくらい見て来た。そのため、今回に関しても茜にとっては見慣れた光景だったのだ。
しかし茜には一つ落ち度があった。毎回父に連れられ兄たちの喧嘩を見に行かされており、その度に喧嘩なんてくだらないと偉そうに不良たちに言っていたものだ。そしてその度に周囲はピリついていたが兄と父の権力で皆を黙らせていた。
そして今回もいつもと同じ感覚で突っ走ってしまったし、思っていることを抑えようともせずに言ってしまった。
その過ちに気がついたのは、スキンヘッドの男性の腕が自分に向かって伸ばされている光景を目にした時。ここには兄もいなければ父もいない。守ってくれる人たちは誰もいない。
そんな時、嫌いだった神宮寺が自分を助けてくれたのだ。
茜は喧嘩が嫌いだ。人を殴る光景が嫌いだ。
幼い頃から家族が人を殴り喧嘩をするところを頻繁に見て来たことで、人のことを傷つける人間が心の底から嫌いになった。
カッコ良くも何ともない。兄や弟、その仲間たちに喧嘩がくだらないと言っていたのだって、心底そういう連中が嫌いだったからだ。
そして希更木 神宮寺に関する国からの案件が来た時、他人の精神世界に干渉し、精神世界の崩壊を繰り返している他、他人に暴力まで振るっているゲスだと聞かされた。茜は心底神宮寺のことを軽蔑した。関わりたくもなかった。
しかし今、ピンチを悟った自分のことを守ってくれている。あれほど嫌いな暴力のはずが、守るために振るわれた暴力をカッコいいと思ってしまっている。守る神宮寺の姿にときめいてしまっている。
空栗 茜の初恋は、思わぬ形で不意に訪れた。
こんな奴のことを好きになってはいけない。しかし、芽生えてしまった想いに嘘はつけない。
気がつくと茜は、神宮寺へとお礼の言葉を口にしていた。
その直後、遅れて花火たち五名が神宮寺たちの下に近づいて来た。
「希更木くん。茜のことを守ってくれて感謝するわ」
「まぁ見捨てたせいでまた首輪を締められるのは勘弁だからな」
「希更木だと・・・・・」
不意に、驚いたような視線を神宮寺へと向ける朝日。
「お前ひょっとして、希更木 志門博士の息子か?」
希更木 志門博士。確かに苗字は一緒だが、博士なんて称号に心当たりがない。しかし、神宮寺には幼い頃の記憶が全くなく、その中には両親の記憶も含まれている。
浅宮朝日。この男は、自分の過去を知っている人間だ。
「もしかして、オレの過去を知ってるのか?」
朝日は立ち上がり、興味津々な様子で神宮寺へと距離を詰める。
「近くで見ると、どことなく面影があるな・・・・・」
朝日の視線が神宮寺の首輪から茜が手に持つ首輪へと移り、そして二人の背後に立つ生徒会メンバーを一周した後、再び神宮寺へと視線が戻る。
そして一言・・・・・
「なるほど・・・・・バレてたのか」
何かを悟ったような笑みを浮かべた。
「朝日さん。向こうは流石に痺れを切らしてます。深海さんが倒れちまった今、ボスは朝日さんです。俺たちも覚悟はできてるんで、そんな奴らほっといて始めましょう」
すると、坂神高校の不良の一人がこれ以上は待っていられないと、朝日に声をかけに来た。
「俺もそう思ってたところだ」
そう言って朝日は神宮寺たちに背を向け、集団を掻き分けながら先頭へと歩き出す。
「待ちなさい!」
そんな朝日の足を一時的に止めたのは、花火の大声だった。
「貴方のやり方は分かっているわ。喧嘩に乗じて精神世界へと干渉する。もうそんなことさせないわ!」
「お前がどこの誰かは知らないが、先頭に立てば、干渉するのは不可能だ。そうだろ?希更木 神宮寺」
精神世界へと干渉するということは、その前提として精神世界へと入り込む必要がある。その際、意識をなくした体は静止するため完全な無防備となってしまう。つまり、観戦するという立場ではなく、喧嘩する立場として先頭に立つ朝日が喧嘩している最中に精神世界へと干渉することは不可能。
「だからどうしても俺を捕まえたいなら、無理矢理にでも俺にその首輪をつけに来い。その覚悟があればだけどなぁ」
そうして朝日は再び歩き出し、相手の頭と朝日の掛け声を合図として計百人を超える男たちの殴り合いが始まった。
「首輪を貸せ、空栗」
「え?」
茜から強引に首輪を奪い、大乱闘の中へ向かおうとする神宮寺の腕を花火が掴む。
「待ちなさい。彼の挑発に乗ってはダメ。首輪を付けるなら、喧嘩が終わって相手が疲弊している時に付けるべきだわ」
しかし神宮寺はそんな花火の腕を振り払う。
「舐めんなよ。どうしてオレが喧嘩が終わるまで待たなきゃいけない?それじゃオレがビビって何もできないみたいだろ」
「その方が確実だからよ」
「偉そうにするなよ。ビビって何もできずにいたお前は、今回オレに指図する権利なんてないだろ」
「それは・・・・・」
何もできずにいた自分を一番恥じているのは花火自身。だからこそ、花火は言い返せなかった。
「ちょっとあんたいい加減にしなさいよ!いいから花火姉さんの言うことに従って」
我慢ならなくなった桜が眉間にシワを寄せ、不機嫌な態度で神宮寺へと命令口調で発言する。
「黙れよ。お前も同じだろうが、どいつもこいつも生徒会は腰抜けばっかりだな」
「ちょっと—————」
「どうした?またオレの首輪を締めて言うことを聞かせるか?しても構わないけどな、それをしたらお前はただのわがままお姫様だぜ、三峰」
花火はグッと下唇を噛み締める。
「いえ・・・・・貴方に任せるわ」
そうして見下すような視線を生徒会メンバーへと一度向けた後、神宮寺は朝日の下へ突っ走っていった。
「全く、自分勝手な奴だ」
「いえ日下部くん。今回は彼の言う通りだわ。怖気付いていた私たちが指図するのはおかしいもの」
「けど、花火姉さんに向かってあんな言い方・・・・・」
「まぁちょっと言い過ぎだったかもね。お姉さんも驚いちゃったよ。だけどさ、ちょっと強引すぎじゃなかった?何か理由があったのかもね」
「理由ねぇ。何にせよ、俺はあそこに突っ込む勇気はねぇな」
「————カッコいいです」
「「「はっ⁉︎」」」
思わず茜の耳を疑ってしまうような発言に、その場にいた全員が揃えて驚きの声を上げた。
神宮寺はその圧倒的な強さで一撃で不良たちの意識を刈り取っていく。
そして喧嘩の中心へと近づいていく内に相手高の不良に取り囲まれながらも傷ひとつなく余裕の表情を浮かべる朝日を発見し、顔面目掛けて長く足を伸ばして蹴りをお見舞いした。
朝日は不意打ちにも関わらず、見事に神宮寺からの一撃を止めて見せた。
「テコンドーか」
「何だそれ?」
初撃は防がれてしまったものの、神宮寺は己に宿る様々な格闘技を駆使しながら徐々に朝日を追い詰めていく。
当然神宮寺に格闘技など習った経験などない。しかしその答えは記憶の欠落部分にある。
そして神宮寺の目の前にいる浅宮朝日という男は、自分の過去を知っているかもしれない人物である。それは同時に、以前聞こえた謎の女性の正体も知っている可能性があるということ。
「くっ⁉︎どう言う戦闘センスしてんだよ、お前」
「一つ聞きたいんだが、浅宮。お前はオレについて何を知ってる?」
「お前について?」
朝日は苦しい表情の中に、神宮寺を哀れだと思う感情を含ませた薄い笑みを浮かべる。
「何も知らねぇよ。だけど一つだけ教えてやる。俺は幼い頃にお前の今首に付けてる物と似たものを見たことがある。そしてその時、俺はお前のことも見た、それだけだ」
朝日は希更木の名前が聞こえ、神宮寺の首に付けられた首輪と同じものが今この場にあることを理解した瞬間、自分が有する精神世界に干渉できる力を封じに来たのだと悟った。
「つまり浅宮お前は、オレの過去について知ってるわけではないと、そう言うことか?」
「ああ、その通りっ—————」
朝日の言葉を遮るようなバコーッン!という音が響いた。朝日は顔面へと高速に繰り出された神宮寺の蹴り技をもろにくらい、そのまま地面へと伏してしまった。
その後少しして神宮寺以外の全員が地面へと倒れたところで喧嘩は終了した。
その後神宮寺は朝日の首に首輪を付け、生徒会の下へと運ぶ。
「ほら、これで文句はないだろ?」
「貴方って・・・・・」
言葉を失う生徒会メンバー。しかしその中に一人、元気よく神宮寺に絡む者がいた。
「おいおいマジですっげぇーなお前!なぁ白葉、こりゃあもう一回こいつの精神世界を評価し直すべきじゃねぇか?」
イケメンで喧嘩も強い。しかし・・・・・
「その人の精神世界の価値を決めるのは多くの要素が重なった結果よ。希更木くんは多くの人を傷つけすぎたわ。けれど良い精神世界にこれから触れていけば評価も上がっていくはず。まぁ以前白葉が描いてくれた絵はおそらく希更木くんの罪を表す風景ね。つまり、彼の優秀な部分が正確に評価されてないのも確かだわ」
「だね。近いうちにもう一度神宮寺くんの精神世界を覗き直してみようか」
白葉は思った。あの時見えた光の正体が神宮寺くんの罪以外の構成要素なのではないかと。しかし壁に塞がれてしまっている以上、何度評価し直しても結果は変わらないのではないかとも思ってしまった。
「希更木くん。貴方にやってもらいたいことがあるわ」
そう言って花火は神宮寺の首輪へと手をかける。
「ちょっと、花火姉さん?」
「心配ないわ」
焦る桜を花火が落ち着かせる。。
「今から貴方の首輪を外すわ。外したら、浅宮朝日の精神世界に入り、彼の他人の精神世界に干渉できる力だけを失わせて欲しいの」
「ほぉ〜」
「できるかは分からないけど、試してみる価値はあると思うわ」
「なるほどな。だけど、首輪を外したらオレはお前たちの精神世界を壊すかもしれないぜ?」
花火は焦る様子はなく、淡々と続ける。
「さっきの行動もそうだけど、貴方には何か目的があるんじゃない?もし私たちの誰かの精神世界を傷つけようとしたら、迷わず警察に突き出すわ。貴方のこれまでの悪事の証拠は揃っているし、精神世界に干渉できる者がいる事実は国には知っている者たちがいる。世間は騒がしく、多少の混乱を招いてしまうかもしれないけど、貴方は確実に法によって裁かれることになるわ」
神宮寺はそれを聞いて降参の意思表明を両手を上げることで表示する。
「それじゃあよろしく頼むわ」
「はいはい」
浅宮朝日の精神世界でまず始めに見たものは、絵で見た自分の精神世界と少し似た光景だった。一部、怒りを表すが如く黒く染められた空間に人体の腕や足、目や耳などがそこら中に転がっている。神宮寺は悟った。これは、これまで浅宮朝日が障害を負わせた人たちの体の一部だと。
けれど黒く染まった空間は精神世界のほんの一部だけで、その先の空間は左右が雨と晴れの空間とで分けられていた。雨の空間には民家らしきものや公園、飲食店や水族館らしきものが立ち並んでいる。晴れの空間には、喧嘩を彷彿とさせるかのように筋トレ器具や緑が広がる広場などがあり、遠方に見える学校では、何やら祭りのような音楽が響いてくる。しまいには、学校の頭上へと花火が打ち上げられていた。
何となく、悲しい思い出を象徴するような雨エリアと、幸せな思い出を象徴するような晴れエリア。
そして二つのエリアを抜けたその先には、マンホール程度の大きさをした透き通る結晶があったのだが、先客がいる。
そいつは片手に風船を持ち、ピエロのお面を被り、ピエロの格好をしている。腰にチラシのようなものが見受けられることから、バイト中の人間だろうか?
神宮寺がそう思っていると、ピエロはその満面な笑みを浮かべた仮面を神宮寺へと向けてきた。
「遅かったですね。神宮寺」
「どうしてオレの名前を知ってるんだ?お前一体何者だ?」
ピエロは表情を変えずに言葉を発する。
「それは内緒です。それよりも、貴方だけだと思わないでくださいね。他人の精神世界を崩壊させられるのは、私も同じです」
神宮寺は美しいと思った花火の精神世界などに驚かされたことはあっても、他人の発言にここまで驚かされたことはなかった。
「何のために壊す?」
それは単純に疑問だった。今まで散々壊してきた自分が言えたことではないが、このピエロは何を考えているのか知りたくなった。
「逆になぜ壊さないんです?先ほど貴方の精神世界を覗かせてもらいましたが、これまで慈悲もなくお遊びとして貴方は数多くの精神世界を壊してきたのでしょう?」
「お前、オレについて何を知ってる?」
「フフッ。全部、と言ったら信じますか?」
そして神宮寺が思考を巡らす暇もなく、ピエロが質問してくる。
「確認します。貴方は、この方の精神世界を崩壊させる気はないのでしょうか?」
「ないな」
神宮寺は迷わずに答えた。
「そうですか」
そう言ってピエロは容赦なく足元にある精神の結晶を踏み砕いた。
「答えろ、お前は一体誰っ————」
その瞬間、神宮寺は一気に現実世界へと引き戻され、気がつくと全身を生徒会メンバー全員に取り押さえられていた。
「希更木くん。貴方何をしてるの!」
「おい、神宮寺。俺はお前のこと少しは認めたんだけどな、だけどこれは流石に理解できねぇよ」
神宮寺は唯一動かせる頭を朝日の方向へ向けると、白目を剥いて壊れた人形のようになってしまっている。
「・・・・・オレじゃねぇよ」
「じゃあ一体、誰の仕業だって言うのよ!」
桜の声がキーッンと耳に響いたが、直感的に神宮寺は横に広がる坂の上へと視線を向ける。
そして神宮寺の視線に釣られて他のメンバーもそちらに視線を向けると、ゆらゆらと揺らめく風船を片手に持ったピエロの仮面を被った何者かが、自分を見下ろしていた。
「浅宮朝日の精神世界を壊したのはあいつだ。オレは見た。あいつが精神の核を壊す瞬間を」
「本当なの?」
「ああ、本当だ」
「あの野郎!」
すると、天が猛ダッシュで坂を駆け上がりピエロを追いかけていったが、あまりの足の速さに撒かれてしまったらしく、息を切らせて神宮寺たちの下へと帰ってきた。
「悪りぃ、逃げられちまった」
「・・・・・まさか、希更木くん以外にも精神世界を崩壊させることができる人がいたなんて・・・・・国もあの者の存在を掴めていないと言うことは、今後更に被害が拡大していくのは確実だわ」
深刻な表情を浮かべる生徒会一同。
精神世界の一部だけでも干渉可能な存在は、国から危険視されているのだから、精神世界そのものを崩壊させられる存在など、自然で例えると災害級の危険度である。
そしてその災害級の力を有していた希更木 神宮寺は、聖界学園の生徒会という檻の中に閉じ込めることができたが、同じ存在がまだいたなど花火たちにとっては信じたくはない現実であった。
「一先ず、彼を病院へと送り届けないと」
「だな。こんな状態でここにお置いてはいけねぇからな」
「他の不良どもはどうする?」
「彼らに関しては私たちはこれ以上関与しないわ。あくまで私たちの目的は浅宮朝日よ。そして、彼を病院まで送り届けたら、私たちの役目も終わり」
今回国から命令されたのは、浅宮朝日の対処。つまり、彼の害ある行動が収まれば最悪生死は問わないと言うこと。
花火たちはその後、近くにあった病院へと植物状態となってしまった浅宮朝日を送り届け、そのまま解散する流れとなった。
「みんな、お疲れ様。また明後日の休み明けに会いましょう」
任務は成功・・・・・けれど、拭いきれない悔しさのような違和感が残っていた。
神宮寺に関しても思うところはある。しかしそれは他のメンバーが抱く悔しさではなく、自身の過去を知っているピエロに対しての心の奥底からじわじわと込み上げてくる興味。
けれど、神宮寺にはケリをつけなければならない相手が一人残っていた。
「三峰。今から学園のグラウンドを使うことってできるか?」
「グラウンド?急にどうして?」
時刻は午後五時。プラス今日は体育祭ということもあり、学園にいる教師生徒はほとんどいない。
「喧嘩売られたまま、無視するわけにはいかないからな。体育祭でやれなかった勝負を、今からやりに行く」
勝負とは、体育祭前に達也と約束した百メートル走と千五百メートル走の勝負のこと。
しかし神宮寺は知らない。既に達也が神宮寺との勝負を望んではいないということを。そして、達也が神宮寺へと謝罪をしようとしていることを。
「あー、そういえばそんな約束をしていたらしいわね。いいわ、今回の活躍を考慮して特別に私の付き添いありでグラウンドの使用を許可してあげるわ」
その後、帰る姿勢を見せていた生徒会メンバーたちも勝負のことが気になるらしく、花火と神宮寺と一緒に学園へと戻りグラウンドへ移動した。
すると、既にそこには花火の生徒会長権力の行使による根回しにより連絡を受け取っていた達也の姿があった。
この状況は、達也にとってもありがたいものだった。明日は体育祭の翌日で学園が休みとなるため、神宮寺への謝罪は明後日にしようかと思っていたからだ。今日のうちに謝罪することができるのならば、願ってもないことだ。
「勝負の前に一つ忠告しとくぜ。観客は少ないとはいえ、全力を出さなきゃ盛大に恥をかくことになる」
既に謝罪のことしか頭になかった達也は神宮寺の口から勝負という単語が飛び出して、一瞬動揺してしまった。
「その話なんだけどよぉ————」
達也の以前との態度の差に違和感を感じた神宮寺から挑発するような一言が飛び出した。
「逃げるのか?」
「何?」
「お前から言い出しといて勝負を捨てて逃げるのかよ」
逃げる?達也は決して逃げようとしているわけではない。突っ走り酷いことを言ってしまった自分の非を認め、謝罪の意を示そうとしている。
「お前の好きな子に対する気持ちは、そんなすぐに冷めるものだったのか?」
「そんなわけないだろ!」
達也は思わず言い返してしまった。
その発言を聞いた神宮寺の口角が少し上がる。
「オレに喧嘩売っといて、謝罪だけで許されると思うなよ」
神宮寺は小さな声でボソッと呟いた。
大勢の前で恥をかかせることはできなかったが、圧倒的な差を見せつけて相手の心を折ることはできる。
「証明して見せろよ。お前の気持ちが本物だってことをな」
「・・・・・分かった、証明してやるよ。俺は、この勝負に勝って美咲ちゃんに告白する!そして、俺の気持ちをバカにした発言に対して謝罪をしてもらうからな」
「それじゃあオレが勝った時の見返りは何を提示する?」
「同じく、お前のことを侮辱した発言、態度の全てに謝罪をするし、今後お前のことをバカにしない」
以上の条件により、勝負は成立した。
そして、二人のやりとりを嘲笑う桜と翔真に、どこか楽しそうな白葉と天、真剣な表情で見守る茜に挟まれた花火が勝負の進行役を務める。
そうしてまず初めに開始されたのは百メートル走だ。
学園のグラウンドは競技場ほどの広さはないが、地面の作りは全く同じである。そのため、二人はどこから持ってきたのかも分からない花火が用意した競技用のシューズに履き替え、いざスタートラインへ。
花火の合図でスタートしたのはほぼ同時だった。しかし、みるみるうちに差はついていき、ゴールした時には三秒ほどの差が空いていた。
正確ではないが、花火が手に持っていたストップウォッチで測ったタイムによると、達也のタイム13.65秒に対して神宮寺のタイムは10.95秒。高校生男子陸上の優勝タイムとほとんど変わらないタイムである。
「何、これ?」
花火は目の前で起こる現実が夢ではないかと錯覚する現象に陥り始めるが、なんとか気持ちを切り替えて次の種目へ。
ラストは、中距離の千五百メートル走である。高校生ならば、競技場のタイムで四分台はざらにいる。しかし、三分台に到達することがあれば、優勝の二文字が見えてくるレベルだ。
果たして——————
先ほどと同様に花火の合図でスタートを切った二名。今回は、中距離ということもあり開始数秒は大した差がついてはいなかった。
しかし、結果は神宮寺が達也に一分以上もの差をつけての圧勝となった。神宮寺のタイムは三分五十秒を切るタイムで、達也は四分後半というタイムだった。
達也は勝負を始めにふっかけたにしては呆気ない敗北となった。
「彼は一体何者なんだ?」
「あり得ないでしょ・・・・・どっちも優勝を狙えるレベルじゃないの?それに・・・・・」
翔真と桜は驚きの表情を隠そうともしない。いや、隠すことができないくらい面食らってしまっている。
「神宮寺くん、少し息が乱れてる程度で疲れた様子は見えないね。ねぇ、茜ちゃん」
「・・・・・・」
白葉が茜に視線を向けるが、反応がない。どうやら見惚れてしまって言葉にならないらしい。
「おーい茜ちゃん?反応がないなぁ・・・・・天はどう思う?」
「どうって?」
「陸上部の期待のエースから見て、神宮寺くんの走りはどうなのかってさ」
「まぁ俺の専門は高跳びだから正確なことは分かんねぇけど、二年で今のタイムよりも早いのは現状二、三人ってとこだな。神宮寺はまだまだ本気じゃねぇみたいだし、おそらく本気を出したら三年ですら勝てるかどうかのラインだと思うぜ」
これはあくまで天の推測。推測よりも下回る可能性があれば当然上回る可能性もある。
「希更木くん。貴方には陸上の経験があるの?」
「ないな。知っての通り、オレはこの学園に来るまで悪事ばかりに手を染めていたからな」
神宮寺自身にも、なぜ自分にこんな力があるのかは分からない。体が知らないうちに強化でもされているみたいな気分。つまりこれも全て欠落している記憶の中に答えがある可能性が高い。
「そう。そうだったわね」
花火はどこか気まずそうに神宮寺から視線を逸らした。
「神宮寺。悪かったよ。あの時は自分の情けなさや嫉妬とかが色々と込み上げてきて、お前にひでぇこと言っちまった。お前のことを侮辱するような言い方してマジで悪かった」
そんな達也の謝罪を受け入れたのか、少し笑みを浮かべながら肩に手を置き耳に口を近づける。
「告白して来い」
そう一言言い残して神宮寺は早々と学園の寮へと帰って行った。
休み明け、勇気を出した達也の告白は呆気なく断られ、中学一年生から高校二年生の今まで抱いてきた長い恋心に終止符を打ったのだった。
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