1億円の女

花道優曇華

第1話「発端は一カ月前」

ここは横浜。勘違いしないで欲しい。現実の横浜は平和であろう。

警察もしっかり仕事をするだろう。数多の観光客や住人で賑わうはず。

しかしこれは創作小説である。

港町を擁する場所、そして裏社会ゆえにあくどい行為が横行する。

警察もほとんど手を出さないような事件ばかりだ。代わりに

秩序を守っている組織がある。何の罪もない人間に手を出したとなれば

それは任侠集団に手を出したのと同義である。



「兄ちゃん、その手に持ってる物はしまっておいた方が賢いぜ」


と言う風に怪しい武器を平穏に暮らすカタギにチラつかせ、脅すのなら

容赦はしないのだ。事の発端は一カ月前に遡る。極道組織としての一面と

自警団としての一面を持つ、灰色の組織と称されている神野組。

その構成員の一人である白椿昴の妹である真姫に多額の懸賞金が掛かっている

という話が裏社会に広まっていた。情報屋によってリークされたのだ。


「何かしたのか、昴」

「一応、極道組織でもあるんでしょう。恨みを買ってたのかもしれませんね」


神野組組長、神野真一。彼をヘッドハンティングした人物だ。昴の戦場は

命のやり取りの無いリングの上だった。彼の戦場を命のやり取りの場に

したのは真一なのだ。昴もまた異常な感性を持つ人間。


「女とか、有り得る。リングの貴公子」

「何処からそんな古い情報を引っ張り出してくるんですか」

「雑誌」


何処で拾って来たのかボロボロの雑誌を見せびらかす男。昴より年上。

この世界、それなりに上下関係は厳しい。他と比べればここは緩いが…。

アンニュイな雰囲気を纏った男、鹿野悠斗。


「はぁ、僕には無縁だなぁ…。羨ましい、否、苦労しそうだなぁ…」


神野組が用心棒をするような店には水商売の店が複数ある。昴が顔を出すと

キャバ嬢たちが皆、頬を赤らめるのだ。彼女たちにも知られている有名人。

男優顔負けの容姿と聖人の如き性格。女性たちにモテるのは当たり前か。

組長、親父と呼ばれる真一が構成員たちを集めたのは昴が特に絡んでいる

話がある。


「これ、は…」

「情報屋から伝えられた話だ。昴、お前の妹、懸賞金が掛けられてる」


金額は一億。巨額の富、生死も問わず、とにかく身柄を確保して証拠を

突きつければ金が手に入ってしまう。裏社会にのみ広がったこの情報は

如何なる暴力も許された世界で生きる者たちを発起させる。


「もう一人はどうした」

「この話は知っているので、真姫と一緒にいさせてます」


昴の弟、聖真は小柄な青年だ。彼もまた女性たちに好意を抱かれている。


「そしてその妹も美少女だと…なんて羨ましい、否、妬ましい」

「どっちも似たようなものでしょうが。それで、俺の妹が懸賞首に

なったというだけの話では無いでしょう、親父さん」


話には続きがある。裏社会でカタギの人間が懸賞首になっている。

どんな理由なのか、情報屋が既に動いてくれている。分かっての通り

良い雰囲気ではない。


「弱きを助け、強きを挫く。そして守るべきは罪もなく穏やかに暮らす

一般人。私たちの身内であっても、白椿真姫という少女は我々にとって

カタギである。彼女が何故懸賞首になったのか分からないが、その平穏を

脅かすのであれば、こちらに喧嘩を売ったも同然だ」


穏やかな口調だが鋭い目つきをしている。真一もまた、武闘派たちを

束ねる組長なのだ。自分たちから喧嘩を売ったり、暴力を振るったりしない。

そんな彼らが腰を上げる。


「というわけで、昴、聖真と真姫ちゃんをここに呼んでおいで」

「え?はぁ、分かりました」


事の発端は一カ月前に遡る。白椿聖真と真姫。似てないな。


「何っ!?お前さん、妹なんか!」


店の従業員の男は二人を見比べる。小柄な男と背の高い少女。勘違いするのも

無理は無い。童顔の男と切れ長の瞳の女性であるのだ。明らかに少女の方が

年上に見える。


「頼りねえ兄ちゃんやなぁ…。女かと思ったわ」

「良く間違われます」

「こんな見た目ですけど、頼れる男なので、兄は」


真姫に出来立てのワッフルを手渡した男は隣に立つ聖真を見て、何処かで

見たことがあるような…と記憶を探るように顎を摩る。そしてふと声を上げた。


「兄ちゃん、名前、聞いてもええか」

「?聖真、ですが…」

「聖真…セイマ!?セイマかいな!俺の趣味、格闘技観戦でな。聞いたことが

あると思ったら、一時有名だったボクサーやろ!?」

「よく御存知ですね。僕はほとんど試合を受けてないのですが…」

「通な選手って評判やったな。だが知ってるよ。派手なKO勝ちばっかり、ってな」


小柄な体躯、華奢な体格、格闘家としてはあまりにも劣った体のはずだ。

服を着てしまえばほとんどが隠れている。


「私、知らなかったんだけど…聖真お兄ちゃん、黙ってたの?」

「すみません。あの人が特殊なだけですよ。僕はプロと言っても、ほとんど

試合も出ていませんし、兄の方がよっぽど名前が知れ渡ってますから。その

ワッフルで許してください」


どちらも見た目に反して、格闘家だった。アイドル、俳優並の容姿の持ち主。

穏やかのはずだがどうにも聖真に落ち着きがない。真姫は最近、視線を

感じる。観察されているような、見張られているような視線を浴びている。

如何に平和に暮らして来た一般人でも流石に気付く異様な視線。

相談を持ち掛けられた聖真は警察にも頼れない事情を抱える妹と

行動を共にしていた。


「少し、席を外します」

「あ、ちょっと!?」


聖真を追いかけようと走っても追いつくことは出来ない。

薄々気付いていた。恐らく自分は何か、とんでもないことに当事者として

巻き込まれているという事を。



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