第2話 ピンチからの覚醒

 宝箱のある部屋を出てだだっ広い回廊を少し進んだところで、心臓がぎゅっと掴まれたような錯覚に陥った。

 モンスターだ。奴はまだ俺のことに気が付いてはいない。

 敵意をこちらに向けていないってのに、奴から放たれる重圧に押しつぶされそうなほど。これが深層のモンスター……。

 ゴクリと唾を飲み込もうとしたがうまくいかず、乾いた舌の感触に舌打ちしそうになって慌てて途中で止める。

 獅子の頭とヤギの頭の双頭で、獅子の体に蛇の尾を持つこのモンスターはマンティコア。有名なモンスターで俺でも噂だけは知っていた。

 ブルーノの馬鹿が自慢気に言ってたっけ。「俺たちだから倒せたんだぜ、ガハハハハ」とな。

 本当にあの馬鹿が倒せたのか、と鼻で笑ったものだが……。

 幸い、マンティコアの全ての目は閉じている。このまま音を立てぬように進む。一階層と同じように身を隠す瓦礫もある。

 奴の視界に入らぬよう、慎重に慎重に歩け。

 一歩、もう一歩。

 額から汗が滲み、顎を伝って落ちる。汗が目に入り、視界が揺らぐも歩くことに支障はない。大丈夫だ。

 

 蛇の尾がむくりと起き上がり、シャアアアと長く細い舌をこちらに向けた。

 まさか、気が付かれたのか!

 見えてないのに、あちらからは瓦礫が遮っており見えてないはずなのに!

 

 マンティコアの強靭な爪に力が入り、瞬きをする暇もないくらいの刹那の時間で俺のいる瓦礫へ体当たりしてきた。

 ガラガラと瓦礫が崩れ去り、咄嗟に転がって避けたものの飛んできた瓦礫の破片がどこかに突き刺さったようで鋭い痛みが走る。

 あんな攻撃、まともに喰らったら一発でおじゃんだ。

 片手をついて前転し、足の力だけで起き上がる。瓦礫に隠れても無駄だ。蛇の頭が俺の体を正確に捉えてくる。

 瓦礫の粉塵が開けたその時、きっと突っ込んでくるに違いない。

 まっすぐに逃走……ダメだ。奴の方が俺より速い。7メートルほどの巨体だってのに俊敏性まであるなんて酷い話だよ。


「理不尽には慣れっこだ!」

 

 気が付かれているなら声を殺しても同じだ。ならば思いっきり叫んでやる!

 風圧……!?

 盾になるように瓦礫の裏へ転がり込み――。

 ドガアアアン。瓦礫ごと吹き飛ばされてしまった。

 は、速い。煙が晴れるまではと思っていたが、蛇の頭は粉塵さえものともしないらしい。


「ッツ」


 右腕の肘から先の感覚がない。こいつは折れたな。荒く息をするとあばら骨も痛む。

 どうやら数メートル吹き飛んだようで、瓦礫と瓦礫の間にある溝にハマって止まったみたいだ。

 いよいよ進退極まったか……。一か八か使ってやる。

 「ブレイクスキルの書」に手を乗せ、強く念じた。するとブレイクスキルの書が強く輝き出す。

 あまりの光に視界が真っ白になるが、構いはしない。

 

「来い! 神スキル!」


 頭の中に新しく獲得した固有スキル名が浮かぶ。

 「吸収」――と。

 吸収スキル? 聞いたこともないスキルだ。

 っちいい。どう使えばいいのかも分からん。分かっていたさ。俺の運のなさくらいは。

 目的は書物系のアイテムを使った時に放たれる閃光だ。蛇の目は誤魔化せないかもしれんが、獅子とヤギにはたまらんだろう?

 既に俺は全力疾走している。

 

 逃げ切れる? いやいや、無理だ。

 蛇の頭がある限り、奴の方が俺より速いのだからそのうち追いつかれる。

 あいつが俺の何を感知しているのか、何を見て俺を捉えているのかは分からん。生きて帰ったらブルーノじゃないA級かS級探索者にでも聞いてみるか。

 ここを凌げれば……だが。

 

 俺が欲しかったのは僅かな時間。

 

「思ったより、速い!」


 もう、ダメだ。追いつかれる!

 奴の発する風が背中に触れた気がした。ぽっかり空いた隙間に指をかけ、転がりながらも滑り込む。


「ハアハア……」


 一瞬後に真っすぐマンティコアが通り過ぎていった。間一髪、何とか間に合ったようだ。

 ここは部屋。そう、最初に俺が転移した場所である。

 ――グルウウウオオオオオ!!

 小虫のような俺に体当たりできなかったからか、怒りの咆哮をあげたマンティコアがすぐさま部屋に飛び込んでくる。

 俺はといえば、宝箱の後ろにしゃがみ込んでいた。


「うう、思ったより重てえええ!」


 宝箱を僅かばかり持ち上げ、足先をねじ込んで梃子の要領で斜めに倒す。

 俺の動きなど構いもせず、マンティコアが突っ込んできた。

 宝箱がひしゃげ、その勢いで壁にたたきつけられてしまう。

 宝箱からカチリと音がして、風の唸る音が耳に届く。しかし、俺の位置からでは何が起こっているのか確認できない。


『ギャアアアアアアア!』


 悲鳴があがり、マンティコアが仰向けにひっくり返ったままビクビクと体を震わせていた。

 奴の胴体は大型の槍で貫かれたかのような風穴があき、ドクドクととめどなくどす黒い血が流れ出ている。


「深層の罠……恐るべし……」


 何とか仕留めたぞ……。宝箱の罠ならばダメージを与えることができると賭けに出た。

 そのために「ブレイクスキルの書」を使って僅かな時間を稼いだ。

 まさか罠がマンティコアを倒すほどの威力とまでは思ってなかった。ダメージを与えた後なら逃げ切れると踏んで、この部屋に飛び込んだのだ。

 

「二度は無理だ……ここだとマンティコアでも数ある雑魚の一体なんだよな……」


 一矢報いた。ただそれだけだ。その結果、右腕と肋骨がいかれた。死を覚悟し、幸運もあって九死に一生を得る。

 次はない。どれだけ楽観的な者でも俺と同じ気持ちになるはずだ。

 

 マンティコアが足先から砂のようになって溶けていき、光へと変わっていく。

 いつぶりだろうか、自分でモンスターを倒したのって。久方ぶりに見たモンスターを倒した時の光はキラキラとしていて、荒み切った自分の心をひと時だけでも癒してくれた。

 ん、光が俺に集まってくるじゃないか。

 集まった光は俺の体に吸い込まれていった。

 

「熱い!」


 肋骨や腕の痛みからくる熱さを感じ無くなるほどの熱が俺の体を駆け抜ける。まるで、細胞の一つ一つが焼かれ、生まれ変わっていくような……。

 その時、頭の中にメッセージが浮かぶ。

 

『スピード+++++

 スタミナ+++++

 力+++++

 スキル「麻痺耐性」を獲得しました』

 

「ぐ、ぐうう。吸収スキルの効果……か?」


 メッセージが本当だとすれば、俺の身体能力は大幅に向上したはず。

 熱が収まり、んーと伸びをしてみたが、特に変化は感じないな。ん、あれ、肋骨の痛みがそれほどでもない。

 右腕もあがる。


「信じられん。怪我が一瞬にして癒えた。スタミナがあがったから?」


 モンスターを倒し、光を吸収すれば俺の力に変わる……というのが吸収スキルの能力と仮定しておこう。怪我が回復したのは固有スキルの効果かスタミナがあがったからなのかは様子見だな。

 それにしてもこの固有スキル……とんでもねえぞ。

 

「問題は。俺が生きて帰れるかどうかだな……」


 しかし、先ほどまでの悲壮感はない。スピードがどこまであがったのか、試してみるか。

 ここから俺の無双が始まる……なんてな。

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