第2話 絶望
自分の部屋に戻ったローザマリアは、まだ何が何だか分からない状態であった。
どうやって部屋に戻ったのかも覚えていない。
ローザマリアの部屋は、家族とは遠く離れた、1階の端にあった。6歳の頃から領地で暮らし始めたため、部屋には簡素なベッドと本棚、それと領地から持ってきた荷物が、荷解きされずに置いてあるだけで、およそ侯爵令嬢の部屋とは思えないほど質素だった。
ーー辺境伯と結婚?しかもあの血塗れの辺境伯と?どうして私が…。私は、ずっと家のために尽くしてきたのに…。それにエミリオ様のことも…。一体どうなっているの?
そうして部屋で立ち尽くして考え込んでいると、急にガチャリとドアが開く音が聞こえた。
「ああ、お義姉様、かわいそうに!あの恐ろしい血塗れの辺境伯に嫁ぐだなんて!」
そう言ってアマーリエは、義母とエミリオを引き連れ、ずかずかと部屋に入ってきた。
「…何か用?」
「何か用、ですって?わざわざ可愛い義妹が顔を見に来てあげたっていうのに、なんて冷たいのかしら。」
「そうよ。せっかくだからって、最後に顔を見に来てあげたっていうのに、相変わらず人の心が分からない子ね。まあ、その忌々しい黒髪を見るのも今日で最後かと思うと清々するわ!」
義母と義妹はいつもこうだった。ローザマリアが何もしていなくとも、顔を合わせる度に嫌味を言って罵ってくる。特に、母のリリアーナと侯爵の政略結婚が決まる前から、侯爵を恋慕っていた義母にとっては、前妻と同じ髪色と顔立ちをしたローゼマリアを徹底的に蔑まないと気が済まないらしい。
いつもであれば、義母たちの気が済むまで好きに言わせておくのだが、先ほどの衝撃の後では、流石に応える物があった。特に、義母たちと同じような顔でこちらを見るエミリオの姿に、ローザマリアはショックを隠せなかった。
「エミリオ様も納得しておられるのですか?」
「ああ、もちろんだよ。私とアマーリエ様が侯爵家を継ぐ。お前には辺境がお似合いさ。」
「そうよ、お義姉様!最初から、後継は私だったのだから。何も問題なんかないわよ。」
「最初から、ですって?」
「ああ、そうだ。ちっぽけな国の血を引く君と、由緒あるアーヴァイン家の血を引くアマーリエ。どちらが家を継ぐに相応しいかなんて、一目瞭然だろう。さっき侯爵もおっしゃっていたじゃないか。聞いてなかったのかい?これまでは、君の母親との婚姻を進めた前国王の目があったから、機会を待っていただけさ。最初から君に継承権なんてものは存在しない!」
「本当に長かったわ。あの前国王のせいで、私と旦那様は引き裂かれたのよ!お前のような間違いも産まれてしまった!でも、これでやっと元通りよ。」
シーラン国では、基本的に男児が家を継ぐとはいえ、男児がいない場合は女児に継承が認められている。しかし病気や怪我、能力の有無によっては、当主の裁量で、次子以降が後継になることも認められていた。ただその場合は、必ず王の許しが必要となってくる。
母の出身であるナウル国との政略結婚を命じた前国王は、数年前から病気がちで、表舞台から徐々に手を引き始めている。そこに現国王からの王命による、辺境伯との政略結婚。義母達にとっては、渡りに船だったのであろう。
ーー最初から、後継ではなかった?
ローザマリアは愕然とした。これまで明確には言われていなかったが、ローザマリアは長子であり、さらに領地も任されていたことから、大きな失敗がなければ、自分が跡を継ぐものと疑いもしなかった。
あまりのことに、言葉が出ない。後継になるべく必死に学んだ淑女教育のおかげで、表情に現れていないことだけが幸いである。もし少しでも取り乱せば、苦しむ姿を見たい義母たちの思う壺であった。
しかしそんなローザマリアに追い討ちをかけるように、エミリオはさらに口を開いた。
「良かったな。たまたま王命が下されて。こちらも強硬手段を取らずにすんだ。本当に、この日をどれほど待っていたか。これでやっと、お前のような陰険な女の相手をしなくてすむ。不吉な髪のお前と話すのは苦痛でしかなかった。明日からは、堂々とアマーリエ様と一緒にいられる。」
「そうですわ。エミリオ様。明日からの社交シーズンは、私をエスコートしてくださいませね。」
「もちろん、あなたのように美しく高貴なレディーをエスコートできるなんて光栄だよ。」
そう言ってエミリオは、見せつけるようにアマーリエの手の甲を取り、そこに口付けた。アマーリエも満更ではないように微笑み、優越感のこもった目で、ローザマリアを見つめてくる。
ーーエミリオ様をずっとお慕いしていたのに。全て偽りの優しさだったなんて…。
幼い頃からのエミリオとの思い出が、浮かんでは消えていった。手紙を送っても返ってこず、顔を合わせる機会も減ってはいたが、それでも幼少の頃の言葉を、あの時の笑顔を信じて、これまでやってきたというのに。その全てが偽りだったのだろうか。
信じていたものが全て崩れ去り、ローザマリアの心はもう限界だった。仲睦まじくしている二人の姿など見たくもないのに、身体は言うことを聞かず、目を離すことができなかった。
「そういうわけですから、お義姉様。アーヴァイン家のことはご心配なさらないで?元より、お義姉様が心配するようなことなんてありませんもの。安心して辺境に嫁いでくださいませ。ああ、でもお相手はあの血塗れの辺境伯でしたわね。うふふ、まさかそんな人がお相手だなんて…。」
「お似合いの相手じゃないか。血に塗れながら、魔物も人も見境なく殺すんという噂だよ。」
「まあ、魔物より恐ろしいわ。」
「お前のような不吉な黒髪を見たら、すぐに殺されてしまうかもしれないわね。」
心底嬉しいといった顔を隠しもせずに、義母達は笑い合った。もし本当にローザマリアが殺されたとしても、一ミリも悲しむことなく、むしろ嬉々として喜ぶだろう姿がありありと想像できた。
ーー後継になれず、エミリオ様もいない…。さらには、恐ろしい噂のある辺境伯と婚約…?今までやってきたことは、全て無駄だったの…?
産まれた時から母はおらず、頼れるはずの父親や他の家族からも冷たくされ、蔑まれてきた。しかし侯爵令嬢としての教育や衣食住は保証されていたため、貴族の義務として、家のため、領民のために必死に学び、尽くしてきた。だというのに、後継の座は奪われ、信じていたエミリオには裏切られ、その上、恐ろしい人物との王命による結婚。
今まで信じ、積み重ねてきた物が一瞬で崩れ去ってしまい、これからどうすれば良いのか、ローザマリアにも分からなかった。
「分かったなら、さっさと準備をしなさい。明日の朝一で馬車を準備するよう頼んでおいたわ。感謝なさいね。」
「さようなら、お義姉様。もう会うことはないかもしれませんけどね。」
「お前のような不吉な女とも、これで最後だな。まあ精々、辺境で頑張るんだな。」
散々言いたてて、ショックを受けて二の句が続かないローザマリアを見て満足した3人は、入ってきた時と同じように騒々しく部屋を出て行った。
バタンと響くドアの音が聞こえるや否や、ローザマリアはその場に崩れ落ちた。
それまで騒々しかった部屋が一瞬にして静寂に包まれ、ローザマリア一人だけが取り残されたように感じた。
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