最終話① 彼岸花、繰り返される夢、もしも永遠を誓えるのなら。
僕は警察に電話し、事情を話した。涌井教授は翌早朝、川下で遺体となって発見された。そして彼の家宅捜査も行われ、彼が言った通り、庭からは白骨化した遺体が発見されたらしい。
同時に僕の事情聴取と、僕の証言に従い御影橋の下の川底の調査も行われた。やはり黒いゴルフボールが五個ほど見つかったようだ。それだけで結論は出ないが、友菜さんの死因の再考査が行われるとのことだった。
六年前に僕のしたことについても供述したが、すぐに判断ができないらしく、一時的に保護観察処分となった。僕の父親が呼ばれ、久しぶりの対面となった。父は僕を叱るでもなく、どう接すればいいか困っているような印象だった。
外に出ると、地面が濡れており、夕焼けの茜色を反射している。しばらく警察署に入っていたので分からなかったが、父によると雨は三日ほど降り続いていて、昨日は夜から土砂降りになっていたらしい。
実家に帰ると、自分の部屋は高校を卒業した時と少しも変わっていなかった。ここしばらく、ネットカフェの一人用ソファと、警察署の簡易ベッドで眠る日々だったから、久しぶりにまともなベッドで休もうと思った。正直、心も体もくたくただった。布団を被るとすぐに意識を失った。
目を覚ましたのは、枕元に置いていたスマホからメールの着信音がした時だ。辺りはもう暗くなっていて、通知を知らせるLEDだけが眩しく明滅している。眠い目をこすってスマホを操作し、新着メールを開く。
『星那が見つからないの』
目に飛び込んだその文字に、僕は息を呑んだ。眠気は瞬時に霧散した。
『ずっと探しているのに、全然見つからない。こんなこと今までなかったのに』
子供の頃お世話をしてくれていた千絵さんからのメールだった。今は、星那のお父さんと結婚し、彼女の継母となっている。
僕はベッドから飛び起き、外出の支度をしながら片手でメールを打つ。
『いつから?』
『今日の夕方。スマホを持ってるはずなんだけど、全然連絡がつかなくて』
『分かった』
千絵さんからその連絡が来るということは、星那も地元であるこの街に帰ってきていたんだ。複雑な感情で胸が騒めいていく。
スマホをズボンのポケットに入れ、カメラを掴むと、僕は家を飛び出した。
星那がいなくなった。家族との連絡もつかない。その事実に、不吉な予感がぞわぞわと足元から這い上がる。彼女は家族に連絡せずに遊び歩くような性格ではない。事故だろうか。事件だろうか。
ここ数日の怒涛の出来事で意識できていなかったが、今日は九月十九日、彼岸入りの日だ。この日は、友菜さんの命日でもある。関係ないとは思いながらも、その繋がりが、悪い予感に拍車をかける。
しかし勢いで外に出たはいいが、星那の行方に心当たりはない。何せ六年間も離れているのだ。彼女の実家からカメラで足取りを追うことは出来そうだが、時間がかかる。
ふと気付き、僕はツイッターのアプリを再インストールした。パスワードを変えたと涌井教授に言ったのはハッタリなので、覚えているログイン情報で「ホリー」アカウントにアクセスする。DMにいくつもの通知バッチが付いていた。「リコリス」からだ。ホリーが幼馴染の柊であることを確認するような内容のメッセージがいくつか届いている。
最後に届いていたのはこの言葉だ。
『何度もメッセージを送ってしまって、ごめんなさい。でも、これで最後にします。
彼岸の中日、秋分の日の夕方、もしあなたが柊なら、約束の場所に来てください。伝えたいことがあるんです。ずっと待っています。星那』
星那。約束の場所。僕に伝えたいこと。
指定された日にはまだ早い。けれど、僕たちにとっては特別なあの場所に、今も彼女がいるような気がして、僕は駆け出した。
僕や星那の家から約束の場所に向かうには、御影橋を通る必要がある。友菜さんが落とされ、涌井教授も命を絶った、因縁の場所だ。どうしても足が重くなる。橋に近付くと、立ち入り禁止を示す黄色いテープとそれを止めるポールが、夜の暗さの中で浮かび上がるように見えた。そのテープの内側は、何か強い力で抉られたように橋桁が損傷している。欄干も一部がもぎ取られ、無くなっている。先日の集中豪雨で増水した川に流されたのだろうか。
まさかとは思いながら、僕は祈るような気持ちでカメラをその位置に向けた。
星那のことを想う。まだ幼い時に出逢い、ずっと僕に寄り添ってくれた、大切な人。
仕組まれた悪意に翻弄され、遠ざけて傷付けてしまった、最愛の人。
今なら、僕にだって――。とても遅くなってしまったけれど、遠回りをしてしまったけれど――。僕にだって、君に伝えたいことが、あるんだ。
シャッターボタンを押し、再生画面に切り替える。
*
ハッと気がついたら、辺りは明るくなっていた。
目の前に揺れる花弁が映る。
(白い彼岸花……)
私は急流に呑みこまれて、川底に沈んだはずだった。
――いや、そんな夢を見ていた。
夢のなかで私は、橋の上に寝かされていた。救急車を呼んでくる、という男のひとの声を聞いた。青ざめた十三歳の柊。強く体を揺すられて、五瀬川の奔流に呑みこまれてしまったこと。なんとか柊に気づいてほしくて、川底に呑まれる瞬間に、黒いボールを投げたこと。そのボールは、手のひらにおさまる小さなサイズだった。
(どうしてあんなものが、体の下にあったんだろう)
でも、そのときは必死だった。
目の前で当惑する柊に、「ここにいる」って伝えたかった。
そんなこと、できるはずもないのに。
やっぱり、あれは遠い夢か幻だったんだろうか。
でも――
六年前、母も五瀬川に流された。
だからその記憶を、ねじまがった時間のなかで、いっときだけ共有したのだ。ただの夢で終わらせるには、あまりにも現実味があった。過去に起きた出来事を実際に体験したような、そんな不思議な余韻があった。
なんであんなところに寝かされていたのかは分からない。最後、視界をよぎった影がいまだ脳裏にちらついた。
六年前のあの日の夜。
柊はひとりで五瀬川のほとりを訪れていたのだろう。そこで私の母を見つけて、なんとか助けだそうとした。でも、それは叶わなかった。母の体は川底に沈んで、遺体で発見されたのだ。柊が私を避けた理由は、全部過去に隠されていた。見えなかった真実に、ずっと苦しめられていた。叶わなかった想いに、何度もよみがえる追憶に、胸を穿たれたままでいた。
――と、そのときかすかに、『誰か』が呼ぶ声がした。
聞き間違えようもない響きに、背筋が震えるようだった。
(柊……?)
辺りを見回すと、そこは五瀬川を越えた彼岸――約束の場所だった。
(ここに、流れついていたの……?)
御影橋のある上流から下流に流されてきたのだろうか。たくさん水を飲んだのに、柊の声をきっかけに引き戻されたようだった。
「――星那!」
もう一度呼ぶ声がする。川の向こう側だった。現実の此岸から呼びかける声。
あのときと同じ、白い彼岸花が咲いていた。川の流れは嘘のように、日差しを受けて凪いでいる。すでに夜が明けたのか、辺りは光に包まれていた。
(――柊)
目から涙がこぼれ落ちる。懐かしいなんて言葉では、もう言い表せなかった。
柊がいる。それだけで、涙があふれるくらい嬉しい。
それは、もう夢じゃなかった。
現実にいる柊だった。
「ありがとう。来てくれて」
ようやく、私はそう言った。
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