奇譚!幼なじみと異界探索日記。
速水静香
第1話
「先輩!起きてください!もう朝ですよ!」
ナズナの声だ。
身体を揺られている。
………
……
…えっと。
夢うつつな俺。
俺は絶えず、揺さぶられている。
まるで、ここで寝たら死ぬくらいの勢いで騒がれている。
「先輩!起きて!先輩!先輩!先輩!起きろ!起きろよ!バカ!ツバキ!山吹ツバキ19歳!起きろ!起きろ!起きろ!」
ショートカットで利発な印象がある、後輩。
大声を出しているナズナの声が可愛い。
彼女は、高校3年生の18歳。
だがしかし、ナズナは、華奢で、か弱い少女。
言い換えれば、小柄で身長が低い。
そんな後輩ナズナに、揺さぶられていると、なんかマッサージでもされているかのよう。
もうひと眠りなんて余裕だ。
もはや、ナズナの揺さぶりのせいで、俺は毎朝、二度寝をしているまである。
賢い俺は、その寝ぼけた頭を少しだけ動かし始めていた。
今日は午後まで講義を入れていない。
そして出席回数には、どの講義も余裕がある。
へーきへーき。
朝から起きなくとも。
大学は高校とは違うんだよ!
だから、ナズナのことを寝たふりして無視した。
「よし!」
なにかを決めたような声が聞こえた。
あっ、ヤバい!
ナズナのやつ、これから俺を攻撃する予定だ。
そう思ったとき、後輩が俺の上に乗っかった。
俺は、妹みたいに思っている幼馴染の後輩に、馬乗りにされている。
俺の鼻は摘ままれた。
口は両手で覆い隠される。
死ぬ!
死ぬって、これ。
呼吸ができない。
身じろぎをしようとするが、後輩が俺に馬乗りになっている。
ナズナの白く細い手が、怪談よろしく口と鼻へ伸びている。
あああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!
死んじゃう!
死ぬぅ!
ツバキくん、死んじゃうよー。
必死の思いで、俺は身を起こす。
「やっと…起きましたね。」
幼馴染の後輩は、ゼイゼイと荒い呼吸を繰り返している。
俺の出身母校の制服を着たまま、ナズナは疲れ果てた様子で、息を整える。
まるで壮絶な戦闘後のような調子だ。
空気を欲しているんだ!って感じ。
俺も、上半身を起こした状態のまま、肩で荒い呼吸を繰り返す。
しばらく、二人で落ち着くための時間が経過していた。
「ナズナ。お前、いつか本当に俺を殺す気か?」
「だって、先輩が起きないんだもん。」
今、この目の前にいるのは、年齢が一つ下で高校3年生、桔梗ナズナ(ききょうなずな)。
彼女は、俺の幼馴染だ。
そして、俺の後輩であり、妹のような感じのやつ。
記憶にある限り、今に至るまでずっと朝はこんな調子だ。
だんだんと手段が過激化している。
俺は、ナズナの成長を恐ろしく思った。
その昔のナズナは、もっとお淑やかだった気がするけどな。
俺をブッキーとかツバキとか呼び捨てにされて。
身長も同じくらいだったから、あっちこっち引っ張られていって。
…いや、思い直せば彼女には、お淑やかな時期はない、な。
昔から、ナズナはナズナのまま。
山吹をブッキーとかいう、ナズナのネーミングセンスとか、強引さは今も昔も健在か。
ああ、そういえば…。
俺のことを先輩と呼ぶ代わりに、名前で呼べ、と言ってきたんだっけ。
ナズナ。
そう呼ばないと、彼女は不機嫌になる。
確かに俺は、異性の名前を気軽に呼ぶような男じゃない。
でも、そこまで言われていると、ナズナに限っては名前で呼びことになっていた。
初めて呼ぶときは恥ずかしかった。
小さな声でボソッといったはずだったのに。
ナズナの奴は、声を拾って喜んでいた。
まあ、それだけなら良かったんだが。
なんか、そのことをしばらく弄られたのが、いただけない。
「じゃあ、先輩。私、朝ごはんの準備をしますね。」
ナズナはそういった。
「わかった、ナズナ。」
俺はベッドから起き上がった。
「よし!じゃあ、先輩は、顔でも洗ってください。」
ナズナは勢いよく立ち上がると、キッチンに向かった。
「ああ、それにしてもな。」
独り言を言いながら、俺は洗面台のある脱衣所へ向かう。
洗面台のあたりは綺麗に整理整頓されている。
歯ブラシもコップも二つある。
もちろん、片方はナズナの奴だ。
俺は、髭をそり始めた。
ぼんやりと、このワンルームアパートについて考えていた。
そう。この俺が住んでいる部屋にあるのは、さっきまで寝ていたベッド。
テレビ。パソコン。冷蔵庫。炊飯器。電子レンジ。洗濯機。
キッチンというのは、流し台と備え付けのコンロで構成された非常に簡単なものだ。
俺は、ほとんど調理をしていない。
ということは、このワンルームのアパートを一番、使用しているのはナズナかもしれない。
そんなことを考えながら、俺は顔を洗いに洗面台の前へ行く。
俺の部屋は、ワンルームではあるがトイレ風呂が別なのだ。
というのも、なぜか物件探しをナズナと一緒にやっていたときに、その条件でナズナが譲らなかったのだ。
その時から、ナズナもこの部屋で泊まる予定だったんだろう。
まあ、薄々分かっていた。
ナズナが俺のアパートに入り浸るようになるのは。
金銭的な上限があるから、ナズナはこの部屋を選んだだけで、本当はもっと広い部屋が良かったんだろうな、と思った。
俺は、洗面台の鏡に映った自分を見る。
山吹ツバキ、19歳。大学1年生。
起きる必要もない朝っぱらから、後輩に起こされる日々。
まあ、俺の大学生活とはこんなものかと思いながら、顔を洗う。
「先輩、できましたよ!」
「分かった、今行く。」
ナズナにそう答えて、顔を拭いて、脱衣所を出た。
小さなちゃぶ台のようなテーブル。
その上には、簡単ではあるが栄養バランスの取れた朝食が並んでいた。
トーストに目玉焼き、サラダ。
サラダは、レタスやキュウリ、トマト、そして中にはツナが乗っていた。
とても、色合いが綺麗だ。
たぶん、俺がろくに確認していない冷蔵庫の中身で作成されたものみたいだ。
しかし、サラダか。
うーん。
トマトはまだ、いいとしても。
サラダか。
「あっ、サラダを見て、先輩が固まってる!」
「そんなことないよ?…えっと、いつもありがとな、ナズナ。」
「えへへ、どういたしまして!」
ピンクの座布団に座っているナズナは、とても嬉しそうだ。
俺は、そんなナズナに向かい合って座った。
「いただきます」
「いただきまーす」
俺とナズナは、朝食を食べ始めた。
「先輩は、ちゃんと野菜を食べないとだめですよ?」
「うん。」
しょんぼりとした様子で、俺はそう答えた。
「あはは。まったく先輩ったら。昔から変わらないんですから。」
そう、俺は野菜が嫌いだ。
だから、サラダにドレッシングを掛ける。
これでもか、と。
「使いすぎですよ。先輩。」
「こうでもしないと、食べれない。」
サラダは、ツナという要素がある。
これとドレッシングの力を借りることによって、レタスやトマト、キュウリを処理することにした。
心を無心にして、俺はパクパクと食べていく。
肉食動物は、肉だけ食べれば健康に生きていけるのに。
ああ、どうして人間は、こんな葉っぱを食べないといけないんだろう。
ナズナは、俺がちゃんと食べていることを確認して、安心しているみたいだ。
まあ、ここまで監視されていると、さすがに食べざるを得ない。
それに、せっかく作ってくれているものを残すほど、俺の精神は腐っていない、ということもある。
でも、レタスって、おいしくないよね。
単純に葉っぱだもん。
全人類のうち、これをありがたがって食べている人間がどれくらいいるんだろう?
きっと、ドレッシングの味をレタスの味を思って食べている人がほとんどじゃなかろうか?
そんなことを思いながら、ナズナの方向を見た。
ふと、ナズナが使っている座布団が目に入った。
その座布団は、ちょっと高めのやつ。
無重力、低反発クッションだ。
確かに、グニュグニュと動いて、ナズナの身体に座布団がフィットしている。
一方、俺の使っているのは、ごく普通のやつだ。
座れればなんでもいいか、と思っていたのだが
ナズナが使っているのを見ると、俺もあれにすれば良かったと思う。
「ん?なんですか、先輩?」
俺の座布団への視線が気になったらしい。
「その座布団、いいなぁ、と思って。」
「だからあの時、先輩にも薦めたのに…いいですよ、これって。」
そう、俺がこの部屋に入居した日。
このテーブルも座布団もナズナといっしょにホームセンターへ行って買ったものだ。
なんか、ネットで買うよりも実物で見た方がいい、というナズナの言い分に説得力があったのだ。
一緒に行って、生活必需品を買ったのだ。
あの時の俺は、親の金であるにも関わらず、なぜか節約しようとしていた。
ああ、買っておけば良かった。
あのクッション、枕としても使用できそうだし…
「私が使っていないときは使っていいですよ、これ。」
「ああ、そうする。」
俺は力なくそう言った。
なんとなく部屋を見回す。
彼女のスキンケア用品から衣類まで置かれている、俺の部屋が見える。
ある棚には、『桔梗ナズナ専用、開けるな!』と張り紙が張ってある。
その棚は、ナズナ専用の棚だ。
俺はまったく触れない。
その中には、彼女の下着だとか置いているんだろうな、きっと。
開けていないから、知らんけど。
まあ、なんだかんだでいろいろとナズナのものがこの部屋には多い。
そのクッションもそうだし、布団も二つあったりする。
大学生と高校生が一緒に寝泊まりするのはどうなんだろう、と思うが。
ナズナは俺の妹みたいな間柄。
それはもしかすると、本物の兄妹よりも仲が良いかもしれない。
俺とナズナの仲は、双方の親公認だった。
「そういえば、先輩」
ナズナが口を開いた。
「今日、朝礼で私がスピーチをするんです。」
「ああ、メンドクサイやつな。」
俺は思い出していた。
「でも、先輩と一緒に作ったカンペで完璧です。」
「そりゃ、良かった。」
そう、俺の高校には、一分間スピーチというものがあった。
それはクラスの人間で当番制で、ホームルーム中にスピーチを行う、というものだ。
なにを話せばいいか、って?
天気とか朝食とか。
なんでもいいのだ。
だけど、やっぱり用意していたほうがいいだろう、ってことで
高校時代の俺とナズナは、なんとなく話すことリストみたいなものを作成したのだ。
それは、俺とナズナのスマホに入っている。
メモ帳アプリに書き書きしていた。
俺はもう消してしまったが。
「あっ、もしかして卒業したら、消したんですか?」
「そうだよ、だって使わないだろ。」
俺はナズナにそう言った。
「私はまだ使うのに、先輩はそんなことをするんだ。ふーん。」
どこか責めるような口調だ。
え?
俺が悪いのか、これ。
「じゃあ、ちょっと見せてみろよ」
「いいですよ。」
ナズナは、テーブルの上にあるいくつかの皿を寄せた。
スマホの画面が見えるように置いた。
天気、朝食、通学…。
さしあたりのない内容だ。
そう俺とナズナが適当に考えた30個くらいのリストだ。
意外としっかりできている。
ふざけて作っていたのに。
俺はそう思った。
そのなかに、『学園祭の出し物』という項目が。
スピーチとは関係ないだろ、これ。
「おい!ナズナ。ここに『学園祭の出し物』って書いてあるぞ」
「あっ!そうですね。先輩のクラスの出し物、お化け屋敷でしたよね」
ナズナの目が輝いた。
「ああ、まあ、ね。」
俺は遠い目をした。
「先輩、いろいろと仕事を押し付けられてましたね。」
「うるさいな。俺は優しいんだよ!」
「先輩が断れない立場になっていた、だけですよね。」
ニコニコとナズナは笑っていた。
当時の俺は、大変だったのだ。
俺が風邪を引いて、学校を欠席している日に学園祭の実行委員会にされていて。
同じクラスの奴らが、一致団結して俺にクラスの出し物の準備を押し付けやがったのだ。
まったく。
ま、ナズナが手伝ってくれたから良かったけど。
「まったく、私が手伝わなかったら、どうする気でいたんですか?」
「どうしようもない。出来ないもんは出来ないもーん。」
当時の俺は、そのまま何もせずに
出し物を休憩室にするという、究極のプランBを進めていた。
「あはは。あの時の先輩の深刻な顔!」
ナズナは、食べ終わった食器をテーブルの隅へと寄せながら、笑っている。
まあ、確かに面白いかもね。
それが、俺がじゃなければ。
他人の不幸は蜜の味。
言い得て妙だと思う。
そんな中、俺はスマホに出ている時間を見る。
「おっと、そろそろ時間だぞ。学校に遅刻するんじゃないか?」
「あ!本当だ!」
ナズナは慌てて立ち上がった。
「先輩、片付けは…」
「後で俺がやっとくから。」
「すいません。」
ナズナは、ちょっと申し訳なさそうだ。
「いや、朝食作ってもらっているしな。」
「そうですか?」
ナズナは、俺のちょっとした気遣いで元気になっているようだ。
ちょろい奴め!
「でも、先輩。お皿、一人でちゃんと洗えます?」
「おいおい…」
俺は、幼稚園児か!
「大丈夫だ。」
「本当ですかぁ?」
ジト目でナズナはこちらを見ていた。
いつから後輩が、俺のお母さんになったんだ!
俺はそう言いたい!
…あっ、でも確かに、この部屋で俺は一切の家事をしてない気がする。
実家だと、ナズナとか親がやっていたし。
「ダイジョウブ、ダイジョウブ!」
「え、なんで片言?」
いや、俺に自信がないわけじゃないよ!
食器を洗うくらい誰でもできるでしょ、たぶん。
ちょっと、今、気が付いたことに衝撃を受けただけ。
「いや、なんでもない。それより、学校へ行こう、な。遅刻は今後の進路に響くぞー。」
「確かにそうですね。」
俺が学校の先生みたいなことを言うと、ナズナも学校へ行く雰囲気になった。
「じゃあ、先輩、一緒に行きましょう。」
「はいはい。」
彼女は、教科書やノート、学習用の端末やらが入った鞄を持った。
俺は、彼女を高校まで送るだけなので、特に何も持っていない。
せいぜい、スマホや財布、家の鍵くらいか。
俺は身の回りを確認していた。
「先輩ー。」
既に彼女は玄関の外で待っていた。
俺の安アパートは、出るとすぐに敷地だ。
さらに俺が住んでいるのは、1階の部屋なので、玄関の扉一枚を超えると、すぐに整地されていない敷地に出てしまう。
まあ、すぐに家から出れていいともいえるし
セキュリティがなっていないともいえる。
俺が、部屋から出る。
部屋の施錠をきっちりとしてから、ナズナの近くに立つ。
「さあ、先輩!行きましょう!」
ナズナにそう言われて、俺は引きずられるように連れて行かれた。
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