買いあさる

あべせい

買いあさる




「そうですか。個人タクシーですか。資格をとるのに、ご苦労されたでしょう」

「いいえ。この辺りは、役所も融通が効きますから。で、今夜の宿はまだお決めになっておられないンですよね。さきほどおうかがいしましたので、温泉街に向けて走らせていますが……」

「運転手さんの最もお勧めの宿でいいンですよ。ぜいたくは言いません」

「私にお任せいただけるのですか」

「そのつもりです。どこに行っても、土地のタクシー運転手の方なら、その土地の事情に最も詳しいといいますから。こちらからお願いします」

「ありがとうございます。ちょうどいい宿があるンです。とっておきです。同じ方向でよかった。すぐですよ。この辺りはバスもないので、車に乗れない人は、タクシーを利用するか、バイクか自転車、あとは歩きです。たいへんなところですが、その分、景色がいい。しかも、新緑に包まれた最もいい季節です。お客さんは、本当にいいときに来られました」

「そうですか。でも、少し肌寒いかな。運転手さん、この辺りの名物は何ですか」

「そりゃ、まずこの雄大な大自然でしょう。それから、ヤマメ、岩魚などの川魚、マイタケ、ナメタケのキノコ、採り放題の山菜、いろいろあります」

「山に行けば、どこでもある名物ばかりだ。ほかには?」

「ほかには?……もちろん、温泉です。お客さんも温泉に入りに来られたのでしょう」

「まァ……ほかには?」

「ほかに?……あとは、歴史でしょうか。戦国時代の有名な武将が飲んだ清水とか、腰かけた石とか、願をかけた神社とか、泊まった宿! そォ、これからご案内します宿が、大昔、武田信玄公がお泊まりになった温泉宿といわれています」

「信玄の隠し湯か……まだ、ですか。まだ、着かないの?」

「まもなくです。もう、そこに見えているンですが……おかしいな、もうそこなのに」

「走り始めて、もう30分、たっていますよ。車はどんどん山の中に入っていく。メーターはあがる……帰ります。もう、我慢できない!」

「お客さん、待ってください。ここまで来られたのに、もったいないですよ。ここで短気を起こされて帰られるお客さんがいちばん多いンです。でも、それをお引き留めしないと、決まってあとから、もう少し辛抱すればよかった、どうして引き留めてくれなかったと苦情をいわれるンです。あとで恨まれるのは私ですから」

「君ね、こんなことは言いたくないけれど、騙したンじゃないよね。私が知らない土地だと思っているんでしょうが、ここは私の……」

「着きました! お客さん、ここです。この宿です。いまお荷物を……」

 運転手、素早く車から降りてトランクを開ける。「どうぞ、バッグおひとつですね。いま、女将を呼んできます」

 運転手、宿の玄関に走る。

「これがお勧めの温泉宿? 武田信玄ゆかりの老舗旅館?」

 客、玄関のほうに歩きながら、わら葺き屋根は時代を感じさせるが、ただ古いだけの農家じゃないのか。どう見たって、温泉旅館には見えない……。

 和服の女性が迎えて、

「いらっしゃいませ。お待ちいたしておりました」

「お待ち、って!?……」

「さきほど、兄から電話がありまして……」

「兄、って?」

「姉さん、お客さんをお連れしたからね、あとはしっかり頼むよ」

「タクシー運転手のあなたが、女将のお兄さんなンですか」

「お客さん、これで私は失礼します。お帰りになるときは、ご遠慮なく、お呼びください。すぐに駆けつけますから」

「遠慮なんかしないが。君ね、すぐと言ったって駅から30分はかかるじゃない」

「この近くを走っていれば、5分とかかりません」

「ふだん、この近くを走っているンですか」

「きょうのように、駅で宿が決まらないお客さんが見つかればいいンです」

「そんなことがよくあるンですか?」

「年に一度、あるか、ないかです」

「私は、年に一度の客か」

「どうぞ。お入りくださいませ」

「ここは、土間ですよね。旅館の土間といえは、たいていタイル貼りだけれど、これは土を固めた、たたき。旅館の上がり口は、玄関を入って正面を向いているのがふつう。しかし、ここの上がり口は、玄関を入って左側にある。全く古い農家の造りのままだ」

「どうぞ。お履物を脱いでお上がりください。いま、すすぎをお持ちいたします」

 女将、奥に消える。

「すすぎ!? すすぎって、時代劇で旅人が汚れた足を洗うのに使う、たらいに入ったすすぎ水のことだろう。いまどき、こんな宿が」

「お待ちどうさま。どうぞ」

 女将、水の入ったたらいを男の足下に置く。

「靴下をお脱ぎになって、おみ足をたらいの中にお入れくださいませ」

「はい……」

 客、靴下を脱ぎ、足をたらいの中へ。

「あァ、気持ちいいィ……すいません。足なんかを洗ってもらって、申し訳ありません」

「いいえ、これはこの宿の決まりごとですから、どうぞ、ご遠慮なさらずに願います」

「気持ちよかった。本当にすっきりしました。ありがとうございます」

「では、お部屋にご案内いたします。どうぞ、こちらへ」

 女将、先に立って奥へ進む。

「あの女将は、鄙にはまれなという言葉があるが、まさにこんな山の中になぜと思わせる美人。年恰好は、31、2といったところか。しかも、無骨でがさつなタクシー運転手の兄とは、まるで似つかない。それに、この宿。旅館ではなく民宿だが、旅行会社はむろんのこと、ガイドブックにも載っていない。この部屋は12畳の畳敷き、元はこの家の寝室だろう。3方が板戸で仕切られていて、庭に面した方にはガラス戸。いまは雨戸が引かれ、ガラス戸のこちら側には紺のカーテンが引いてある。これがこの民宿の客室だとして、ほかに客室は多くてひと部屋しかないに違いない。といっても、今夜の客は私だけらしい。私だけなら、女将1人でどうにかできるだろうが、これで3、4人連れの客があったときはどうするのか」

 戸が開きく。

「城崎さま、ご夕食の準備が整いました。どうぞ、あちらへ」

 城崎、女将に続く。

 隣の部屋は居間になっていて、囲炉裏が切ってあり、そこで一人の男性が、竹串に刺したヤマメを焼いている。

「あなたは、タクシーの……」

 運転手だ。

「落ち着かれましたか?」

「タクシーはいいンですか?」

「タクシーは観光客が多い、土日しかやらないンです。個人タクシーはその点、勝手がききますから。ふだんは、ここを手伝っています。料理は私の役目ですので、楽しみにしてください」

「ハンドルを包丁に持ち替えて、ということですか」

「お客さんは、お住まいはどちらですか?」

「さきほど、宿帳に書きましたが……」

「そうでしたか。私は拝見していませんので」

「兄さん。お客さまは、東京からいらっしゃったの。さっき、言ったでしょう」

「そうだったかな。東京ですか。私も、昔は東京で運転していたことがあります。でも、結局地理が覚えられなくて、戻ってきました」

「東京でも、タクシーですか?」

「東京ではダンプを運転していました。そのほうが金になるので。お客さんは会社員の方ですか?」

「表向きはそうしています」

「表向きというのは?」

「兄さん」

「実は、依頼を受けて調査にきています」

「調査ですか。ますます、気になりますね」

「兄さん。もうよして。すぐにお客さんの身許を聞きたがるンだから」

「かまわないです。秘密にするほどのことでもないですから。千坪ほどの土地を探しています」

「不動産の方ですか?」

「似たようなものですが、デベロッパーといいます」

「デベロッパー!? 聞いたことがあります。テレビのドラマで。土地を大量に、買って買って買い捲って、デカい建物をつくるンでしょう?」

「少し違いますが、そんなところです」

「お客さん、何をお造りになるおつもりですか?」

「女将さんは、こんな話に興味がおありですか?」

「前にも似たような話があったものですから」

「前にもといいますと、いつ頃のお話ですか?」

「兄さん、あの方、どうしたかしら?」

「榊原さんのことか?」

「エエ」

「あの方は、買い占めに失敗したのがもとで、亡くなった。自殺と聞いている。もう、2年になるか。お客さん、ヤマメがいい具合に焼けましたから、どうぞ」

「お話はまたということで、夕食にしましょう。山の中なので、海のものはございませんが、山菜、川魚は新鮮なものばかりです。どうぞ」

「ありがとうございます」


 榊原は、人がよくて優しかった、言いかえれば気が弱過ぎたンだ。この山にゴルフ場をつくるという計画は、土台無理な話だ。こんな山の中に、都心から車で5時間もかかる所に、ゴルフをしに来る客がどれだけいるというンだ。オレは、土地は売るなと地主に言った。ゴルフなんかやるやつのために、故郷の山を壊すのは犯罪だと意見した。あとは判を付けば成立という売買契約が、直前で頓挫した。榊原は、それまで500万ほどの自腹を切っていて、その借金に追われることになった。オレがデベロッパーになったのは、やつの仕事に魅力を覚えたからだが、もっとべつのやり方で、住民に喜ばれる開発をしなければいけない。

 突然、戸が開く。

「ごめんくださいませ」

 城崎、振り返り、

「女将……」

「失礼します。お背中をお流しいたします」

 女将、浴室の中に入る。

「それは……」

「ご迷惑でしょうか」

「迷惑ということはありませんが」

「どうぞ。お気になさらずに」

 城崎、女将に背を向けながら、

「こうしたことは、いつもなさっておられるのですか」

「特別な方にだけです。わたしは、独り身ですから……」

「……」

「そういえば、榊原さんのお背中もお流しいたしました」

「いつ頃のことですか?」

「ちょうど2年前のいま頃。お亡くなりになったのは、そのすぐあとです。榊原さんは、ここから10キロほど離れたやまあいの土地が、あと一歩で手に入るようなことをおっしゃって、とてもご機嫌でした。それなのに、あんなことになって……」

「……」

「すいません。しんみりしてしまって。城崎さんは、千坪の土地に何をおつくりなるご予定なのですか」

「私はある不動産会社の依頼で、別荘団地にできる土地を探しています」

「このあたりも、その候補地の1つなんでしょう」

「実を言うと、そうです。もっとも地図を見て選んだだけで、現地に入って直接調べるのは明日からです。このあたりは、10ある候補地の1つで、最も可能性の低い土地でした」

「でした、ということは昇格したのですね」

「実際、こうして宿の周りを拝見しますと、このなだらかな地形は、開発せずに置くのは、惜しい物件です」

「物件ですか」

「失礼しました。女将に、もっと便利なところに移りたいというご希望があれば、お手伝いできると思います」

「口は調法ですね」

「……」

「わたしは、ここに嫁いできてすぐに夫を亡くし、いまは独り。この先も、ここで生涯を終えるつもりです」

「お兄さんもですか」

「あの方の考えはわかりません。直接、聞いてください。でも、わたしの考えは変わりません」

「すいませんでした。ほかの土地を当たります」

「城崎さん」

「はい」

「この土地に来られたのは、もう1つ大切なご用事がおありだったからでしょう?」

「……」

「きょうは、榊原さんの命日です。お墓は、榊原さんがお生まれになった、ふた駅離れた町の墓地にあります」

「ご存知だったのですか」

「わたしも朝に、お参りをすませてきました。そのとき、城崎さんのお姿をお見かけしています」

「お兄さんが駅で私に声を掛けられたのは、偶然だと思っていました」

「ここにお連れしてくださいと頼んだからです」

「では、こちらは旅館でも民宿でもない」

「ごくふつうの民家です」

「……私に何か」

「榊原さんは自殺ではないと思います」

「!」

「城崎さん、あなたは、よくご存知でしょう」

「女将、いや、女将じゃない……」

「わたし、ゆきです。旧姓は榊原」

「榊原ゆき!」

「榊原は兄です」

「榊原には妹がいると聞いたことがありますが、男の兄弟はいないはず……」

「タクシーを運転しているのは、いまの連れ合いです。籍はいじっていません」

「……」

「亡くなった兄は、亡くなる前の晩、『明日、城崎さん親子に会ってくる。あと一歩で売買が成立するが、息子さんが反対しているから、頭が痛い』と言っていました」

「ゆきさん、待ってください。あなた、私がお兄さんをどうかしたと思っているのですか」

 城崎、振り向く。

「それは何ですか!」

「この剃刀は、兄が愛用していたものです」

「刃渡りが10数センチもある、床屋が使う剃刀じゃないですか。危ないですよ。ゆきさん!」

「お背中をお流ししたついでに、おヒゲを当たらせてください」

「待ってください。お話します。2年前のきょう、私は父がいる実家で榊原さんにお会いしました。その日、父が売買契約すると聞いていたため、やめさせるために東京から駆けつけたのです。説得した結果、父がようやく私に任せると言ってくれたので、榊原さんが現れると、彼を外に連れ出しました」

「彼が亡くなった見晴台ですね」

「ハイカーのために町が造った見晴台です。ベンチがあり、じっくり話せると思ったからです。しかし、最初から彼は挑戦的でした。『息子じゃ、話にならない。土地の名義人と話をしなきゃ、何も進まない』の一点張りで、私の話を聞こうとしません。挙げ句、『この売買が成立しないと、オレは生きていけない。この仕事のために500万円の借金を作ってしまった。土地を売ってくれないと、オレはここから飛び降りなければならない。こうして……』といって、見晴台を囲んでいる柵の上に立ちあがりました」

「まさか……」

「私は、『危ない。その下は数百メートルある崖です。危ないから降りてください』と言いましたが、彼は、狂ったようにとりみだし、聞き入れません。彼にすれば脅しのつもりだったのかも知れません。しかし、例え冗談でも、足を踏み外せば命取りになると考え、彼を柵から引き下ろすため、近付こうとしました。私がしたことは、それだけです」

「兄は自分から谷底に落ちたというのですか」

「私が近寄ったと同時に、体のバランスを崩し、アッという間に見えなくなりました。ですから、自殺ではなく、事故です」

「城崎さん。あなたには罪がないとおっしゃるのですか?」

「……」

「どうして、すぐに救急車を呼ぼうとしなかったのですか。警察に連絡を入れてもいい。携帯はお持ちだったでしょうに。そういうのを、見殺しというのじゃないですか」

「弁解になりますが、あの高さから落ちれば、命はない。前にも、ハイカーが転落して亡くなっています」

「あなたは、ご自分が疑われるのが怖くて、現場から逃げた。そうじゃありませんか! 売買契約でもめていたことがわかると、争いになって突き落としたと疑われる。実際、そうじゃなかったという証拠はありません。本当は兄を突き落としたのでしょう!」

「ゆきさん。それは、あまりにもひどい邪推です。待って! 剃刀はそんな風に持つものではない。刀じゃないのですから。危ない!」

「城崎さん。ここで誤って、剃刀があなたのノドに当たったとします。警察は、なんと思うでしょうね。宿がなくて困っておられる旅行者を親切に泊めたところが、旅行者は浴室にそこの女主人を呼び、よからぬことをしようとしたため、浴室にあった剃刀で女主人の返り討ちに遭った」

「危ない! 何をするンですか。例え冗談でも、刃物を振り回し、刃先が当たればキズがつきます。ゆきさん、あなたは罪人になってもいいンですか。連れ合いの方が悲しみますよ」

「連れ合いは、わたしの気持ちを知って、協力してくれています。逃げようとしても、出入口は釘を打って出入りできなくなっています」

「それは殺人です」

「例え、わたしが切りつけなくても、あなたがぶつかってくれば、防ぎようがない。仕方ないことです。兄と同じ命日になることを喜んでください」

「バカな! 腕から血が! やめてください。いまなら、まだ、取り返しがつきます。ゆきさん、正気になってください」

「正気!? あなたも兄の前にいたとき、正気でいられましたか。正気でなかったから、逃げられたのでしょう」

「それは、あんな場合……仕方ない」

「仕方ない! こんなときも仕方ない!」

 ゆき、剃刀を横に払う。

「ゆきさん、私は裸なンです。あなたは和服を着ています。これは不公平だ。私にも服を着させてください」

「いまさら、服を着てどうするンです!」

「あなたは、裸の私の上に和服姿で馬乗りになっている。これ、って、おかしくないですか?」

「ちっとも。裸馬を乗りこなしている、ってことでしょう。この剃刀が手綱だわ」

「手綱が首筋に当たった。血が、血が流れ出しています」

「こんどは、手綱をノドに当てるから、動かないで!」

「動いたら、どうなります?」

「動いたら? 馬が死ぬだけよ」

「私は、馬ですか!」

「馬並みといいたいところだけど、馬以下よ」

「馬以下って、何です?」

「サルよ」

「サル? どうしてですか」

「デベロッパーとして、この辺りの土地を買いあサル」

                (了)

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買いあさる あべせい @abesei

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