回帰 2

 さて。

 時間軸を戻し、あの日、病院で、わたしたちの間で繰り広げられた会話である。


「いるか!!」

 わたしはぺっ、と払うように手をやった。

「えーーー!?」

 雪菜子が絶望的な表情をする。もう、がびーん、なんてオノマトペが聞こえてきそうなくらいの。

「なんで? なんで? なんで?」

「なんでって……、いるかよ。こんな策略に満ちたプレゼント! ガシャガシャの景品じゃねーか! それ! 何円した!」

 口調が荒いのは怒っていたから仕方ない。

「百円」

「二百円ですらない!」

 わたしだってガシャガシャくらいやったことある。百円と二百円三百円のガシャガシャにはそのクオリティに圧倒的な差があることくらいは知っている。わたしは言った。

「せめてもっといい感じのなかったの。なんだそのちょっと前にSNSで流行った作品における微妙な人気の脇キャラ」

「一発目で出たのがコレだったの」

「あたしが貰っても?」

 横から顔がにゅっと出た。わたしは心底驚いた。そこに箒ちゃんがいたのだ。制服だった。つまりは学校帰り。来るとは聞いていたが。来た際の音を聞いていない。

「さっき、叫んでいる時に入ってきたんです。揉めているようだったので、静かに待ってました」

「箒ちゃんないい子だねー。横にいるアルバイターとは違って。あげるう」

 箒ちゃんにはとことん甘いな。それより。

「アルバイターって言うな」

 フリーターよりだいぶ侮蔑のニュアンスを感じる。いや、正しく侮蔑なんだろうけど。

「雪菜子さん辞めちゃうんですか?」

 それでも箒ちゃんはわたしと雪菜子の会話を邪魔しちゃいけないと思ったのか、わたしの後ろに控えている。律儀なものである。雪菜子を伺い見るような様子。表情ははじめて会った時に見た不安そうなそれ。合間から手だけを差し出した箒ちゃん。その箒ちゃんの手のひらに、雪菜子はそっと、微妙なクオリティのキーホルダーを乗せた。質問には応えず、俯くようにする。その動作はほんの少しわざとらしかった。わたしは言う。

「社員にはなる」

「なるんかい」

 流石につっこまれた。

「けれど、雪菜子には付き纏う」

「あ。あたしも」とは、箒ちゃん。

「付き纏うって……。辞めるよ? どっちみち。新しい人間関係築くの面倒って言ったのは本音だから。このお店はそのへん助かったけどさ。人数少ないし。大きい店舗だとどうもね。派遣されてくる社員も、私、知ってるんだけど――会社の集まりとかでね――うるさい奴多いんだよね。とにかく。不躾な質問してくる奴。マジや」

 どうやら『苦手な人でもいるのか』という、わたしが何気なく放った質問は、別段間違っていなかったらしい。

 どうにも口調が崩れている。仮面を脱いでいるにしても毒舌が過ぎる。投げやりといってもいいほどに。

 それもそのはずか。わたしはこの時はじめてそれに至った。思い直した。

 自暴自棄なのだ。

 聞いた話、雪菜子が身体の事情で正式に医師から診断を受けたのはここ数年のことなのだ。ひた隠しにしてきた事情を親に知られ、病院に連れていかれ、診断を下されたのは。

 高校に上がってしばらくして親にバレたと言っていた。雪菜子は今十九。今年二十歳で、誕生日はもうちょっと先のはず。ならばここ二年くらいの間だということになる。

 そんな精神的に不安定になっている最中、会社から異動の通知が下され、築いてきた人間関係を再構築しなければならない。選択はふたつで、辞めて田舎に戻るか、会社に残るか。結局どこかで雪菜子の大嫌いな詮索が待ち受けているかもしれない――。

 誰にも打ち明けられない心の内を抱えていた雪菜子に起こったさらなる事故。

 それは単なる接触じゃない。衝突と云っていい。激突と云ってしまってもいい。

 呪ってしまいたくなったろう。自らの運命を。定めを。己の身に刻まれたハンディキャップを。関係ないのに、関係あるように結びつけ。

 自暴自棄なのだ。正しく。

 投げ出していて、うっちゃっている。

 それでもわたしは言う。ぶつかるしかないと思ったから。

「知らないよ。そんな事情。ていうか、わたし的には言った手前、一回くらい誘わなきゃどうにも気持ち悪いしね。事故って流れて喧嘩別れではいおしまいとか無理だよ。もっとちゃんと話したい。雪菜子と」

 雪菜子は納得したのかしていないのか、どうにも判断のつかない表情で顎に手をやる。

「付き纏うって……具体的に何するの?」

「とりあえずお見舞いはまた来る」

「それだけ?」

「退院祝いにどっか連れてく」

「なら、ラーメン屋がいいな。こってり系の。ゆうすげって知ってる?」

「知ってる。うぇー……。マジのこってり系じゃん。わたしむり。まじむり」

 地元民からすれば有名だった。行ったことないけれど、話だけは知っているってやつ。

 あんな隠れたお店を知っていたことといい、この子は結構なラーメンマニアなのだろう。彼氏はいない。女友達もいそうなのに自分から距離取りまくる、そんな雪菜子は、ひとり暮らししながらもひとりで食べ歩いているのだ。

 寂しい奴。

「じゃ、行かない」

 拗ねた。

「……行くよ」

 胃薬あったかなあ。

「次は?」

 雪菜子は訊きながらちょっと顔をあげ、また俯いた。今度のは自然。

「カフェ?」

「女子か」

 不満そうだ。

「女子だわ。映画? おすすめのアニメ映画が今度――」

「興味ねー」

「……」

 こいつ……。

「あ、家行きたい」

 ぽつりと言った。

 まるで、いいこと思いついたみたいに。

「え? 行っていいの?」

 わたしは訊く。

「なに言ってんの?」

 馬鹿か、みたいな感じで指差された。わたしは言ってる意味を察し、渋面つくった。

「は? うち? やだよ。行かせないよ」

 普通、この歳になって人ん家まで上がらなくない? ひとり暮らしならともかく実家って。どんなに仲良くってもさ。学生じゃないんだから。

 雪菜子はにまにましている。

「やだよじゃないよ。行くから。見たいなあ、どんな部屋してんのか。プライベート空間超犯したい。ね? 箒ちゃん」

 呆れた。

「雪菜子ってさあ。彼氏作らなかったじゃなくて、作れなかった、の、間違いじゃないの?」

「はああ!? もっぺん言ってみろ!!」

「ここ病院ですよ」

 雪菜子がガチで叫び怒り、箒ちゃんに子供みたいに注意された。

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