雪菜子 3
『着てきてくれたらいいね』
売れていった子供服を見、それは自分に向けて呟いたようにみえた。
直後に子供――想定していた子供とはちょっと違ったけれど――を連れてきたわたし。
自分の子を持てない雪菜子。もしかしなくとも、今後一生。
手段はあるだろう。が、そんなこと雪菜子はたくさんたくさん考えたはず。今はそうじゃない。じゃなくて――
子供のお洋服の着せかえ。
親としての至上の喜び、楽しみ……かは、子供を持ったことのないわたしには分からないけれど、でもそれは、例え想像だとしてもとてもとても幸せなひと時なんだろう。
はしゃいでいた姿。今でも脳裏にしっかりと思い描けた。
夢見ていたのか。
「知ってる? うちの社員ってちゃんと売れる人ばっかりなんだよ。月頭に自分に課された売上目標達成するのに必死になっている人達ばかりなんだ。予算は能力に応じて振り分けられてる。あんなお店にいると、私達の必死さって伝わらないかもしれないけどさ」
同情ともつかないわたしの雪菜子に向けた感情を、打ち消さんとする皮肉げな笑み。わたしは心の中で、「今月やば」と、店舗PC見て驚く毎月の雪菜子を思い出す。
「いっぱい人が来る新店舗オープン。全県から集められた選りすぐり社員の中、私が無理やりに引き上げた売れない社員。どんな気分かな」
それを今、わたしに言って、わたしが社員引き上げを了承、納得すると、本気で思っているのか。
そんなことより!
「わたしに雪菜子の名前の秘密教えたのって……」
ぽつりと呟いた。
雪菜子は右脚ギプスに向けていた視線を、左足へと軽く逸らす。
その動作にやっと雪菜子のリピーターの多さの理由を知った。少なくとも、その理由のひとつを、今見つけた。
彼女は頷く。目を逸らしたままで頷き、こぼす。
「お客さんにもやってるよ」
「ばか!!」
叫んでいた。
びくんと彼女の肩が跳ねた。
「……馬鹿って」
そんなこと言われるとは予想だにしていなかったのか、ゆっくりとわたしを見上げる。
名前の秘密、社員引き上げ、退職、身体のこと。まだ秘密四つ目じゃないか。この後、どんな爆弾が来るのか、なんて――どうでもよかった。
どうしても言いたかった。言ってやりたくなった。本当なら言いたくなかったけれど、口から溢れ出した気持ちはどうしようもない。
「仲良くなれたと思ってたのに」
涙がこぼれた。
本当に大変なのは、雪菜子自身なのに、こんなことで声が掠れている自分が情けなかった。
『いやあ、特別な人にだけ私の名前の由来教えたくってさ』
アレは、極めて事務的な意味だったのだ。
距離が近づくどころか、彼女は、雪菜子は、わたしと距離を離す気でいた。想えば秘密の開示。雪菜子の行った雪菜子の名前の由来を教えるというその行動、意味は、頼み事を利き入れやすくする為の一種の布石。
場を和まし、次へと繋げる。
雪菜子が普段売り場でやっているような、それ。
対等、仲良く、なんてとんでもない。彼女がわたしに仕掛けたささやかな意趣返し。復讐。そんなことある? に、対しての雪菜子なりの回答。
わたしは、ひとりで舞い上がっていたんだ。
「馬鹿。おたんこなす」
「ナスではない」
「キャベツ。レタス」
「意味わかんない」
我ながら語彙の貧弱さが嫌になる。
渋面つくる雪菜子がそのままの顔で言った。
「いいじゃん。社員だよ? それに、べつにこんな私と仲良くなったところで」
「良くない! こんな重たいもん押し付けて! 勝手にいなくなるな、馬鹿!」
「うるさいなあ。病院で騒がないでよ。なんでそんな熱くなってんの?」
最早、雪菜子からは完全に仮面が剥がれている。澄ました表情は鳴りを潜め、日常のあらゆることに常々不満を漏らす十代少女といった風。
「なんにしてもだよ。辞める。ここの人は詮索しないから楽でよかったけど、新しい店舗もそうだとは限らないし」
雪菜子はギプスを嵌めてない左手で指折り数え始める。
「私が大っ嫌いな質問ベスト5教えてあげる。1、彼氏は? 2、ご結婚は? 3、お子さんは? 4、いつからいないの? 5、欲しいって思わないの? 言ってくる奴全員死ねばいいのに。高校でさ。みんなが色気づいてきて、クラス内でも付き合う子とかが出てきて、みんなでリア充爆発しろとかふざけて言い合ってる中、私、本気でこいつら爆発しないかなって思ってた」
身体的なハンデ(って言ったら悪いけど。云わせてもらう)があったとしても、雪菜子は実は相当頑固な性格なんだろう。付き合わないって決めたら付き合わない。……いや、違うか。何かの拍子にそんな秘密を知られたら何言われるかわかったもんじゃない。……田舎。そこを想えば、美人で、だけどまだ十代な雪菜子がここまで恋人いない歴=年齢を貫いてきたのにも納得がいった。
ふと外を見た。そうして首を逸らし、枕元から何か小さなものを取り出した。それを見つめながら喋る。
「うち農家でね。前にもいったレタス。こんな場所でこんな必死に働くよりそっち手伝いながらゆくゆく継いじゃった方がよっぽど生活には困らないんだよ。不満もなかったし」
それでも雪菜子は今ここにいる。
「周りがおじいちゃんおばあちゃんばっかりの中、ひとり手伝う若い娘。話の種にのぼるのは避けられないでしょ。それは子供の頃から実感として知ってる。私には、それがどうしても耐えられなかった。年齢が上がるに連れて増えてくる、結婚だとか、良い人だとか、そういう言葉たちを、一度として耳に入れたくなかった。詮索されることは元より、訊かれる尋ねられることすら嫌で嫌で仕方がなかった。どうしても自分の身体の欠陥を認識させられるから」
「欠陥って」
「欠陥だよ。あるはずのものがないんだよ」
投げやり。
「成人式なんだ。今年。行かなかったけど」
投げやり――というより、投げていた。
「それは……」
勿体ない――、とは言えない。
友人知人の『そういう事情』『変化』を、見る、聞くことすら雪菜子は拒んだのだ。
「実家には帰ってないの?」
かろうじてそれだけ問うてみた。
雪菜子は小さく首を振った。
「帰ってない。家を出てから一回も。電話で連絡は取っているけどね? でも、それももういいかなって」
「いいかな?」
問いかけには答えず、雪菜子が持っていたそれをわたしに向けて差し出した。ずっと目には入っていた。それが何かもわたしには分かっていた。あの店舗にいたのなら。見る機会は、見に行く機会はたくさんあったから。わたしだってなんとはなしに眺めたもの。
秘密五つ目。
勘違いじゃなければたぶんこれがそうなのだろうということ。最後なのだということ。
「はい。プレゼント。これが最後の秘密」
それは小さなキーホルダー。
シエラニュータウン。わたしたちのお店『うぇぶり』の目と鼻の先にある新店舗、じゃなくて新しいコーナー。そこにあるそれだ。
「社員祝い。おめでとう。理解っているとは思うけど、断ってもどうせクビ切られるだけだから。ああ、断ったら祝いじゃなくて餞別だね。ふふっ。あはは」
壊れた。
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