お誘い 2

 思えば、休憩だって一緒に取ったことはないのだ。雪菜子さんとは、基本擦れ違いか時間合わないかである。

 そんな雪菜子さんがわたしを誘う。うーん、謎。正直あんま良い予感はしない。明日店が潰れるって言われても驚かない自信がわたしにはある。

 雪菜子さん……さん付けだし、敬語使ってるから普段全然意識してないんだけど、雪菜子さんは年下。本来ご飯ならわたしが誘うのが筋ってもん? 上司部下と年上年下、どちらに関係性の重きを置くのか。個人的には後者である。社会人の感覚は違うんだろうか。わたしは社会人って感覚がないからよく分からん。

 考え過ぎか。ラーメン楽しもう。ラーメン。……お店でラーメン食べるってわたしはじめてかも……?

「うっそ!? 今まで!? 一度も!?」

「子供の頃に家族で、とかなら経験ありますけれど、友達で行ったりひとりで行ったりはないですねー」

「まあ、女の子同士だと入り辛いかもねー」

 雪菜子さんはそう言って、交差点を右折した。

 向かう先は市役所近くのラーメン屋だと行っていた。となれば、五分も掛からず着くことになる。

 このシチュエーションもどうなのだろう?

 駐車場狭いし、近いからという理由で一台で向かっている今この状況。

 本来、わたしが運転するべきじゃないのか? どうにもさっきから年下の上司にどう振る舞うべきかっていうこと意識しがちだ。普段全然考えてないのに。

 わたしは今仮面を剥がされている。


「こんな場所にラーメン屋あるんですか?」

「そう。こってり系じゃないから安心して」

 市役所通り過ぎて向かった先は地元の高校だった。箒ちゃんが通っている私立じゃなく、公立の至って普通の高校。偏差値はけっこう高めだったような。

「高校の真ん前って……男子学生の溜まり場になりそうな立地ですね」

「ねー」

 雪菜子さんが車から下りたのを確認して、わたしも車から下りる。バタンとドアを閉まったのを確認し、雪菜子さんが車をロック。

 雪菜子さんの車種。知ってはいたけど、シビックって。

 存じてましたとも。

 わたしが運転しましょうかとも言い難いやん? このフォルム。これ選ぶ理由。もう車種だけで運転上手そうじゃん? 以前訊いたらお父さんが買ってくれたとか。わたしはなんて答えたか覚えてない。改めて思う。ひょっとして雪菜子さん、お金持ちだったり?

 スライド式の扉を開くとむっとした湿気が押し寄せてきた。うっ、とはならない。嫌じゃない香り。どちらかというと食欲そそる……魚介系?

 店内は狭かった。

 正面に調理場があり、そこで大将と奥さん? が、忙しなく動いている。それを囲むようにカウンターが設置されていて、スーツ着たサラリーマン二名と、休日部活?を終えたと思しき学生三名が並んで腰掛けている。外側左右にもそれぞれテーブルがふたつずつ設置されている。雪菜子さんが何も言わず、右手でピースを示した。大将は何も言わない。奥さんは「いらっしゃいませー!」とだけ言ってくる。特に決まっていないのだろう。わたしたちは勝手に入り口側のテーブルへと座った。

「ああっ、すいません」

「いいのいいの」

 お水はセルフで、ピッチャーがカウンター各テーブルにそれぞれ置かれている。コップも手前に積み重なっていて、席に座った瞬間、雪菜子さんがわたしに用意してくれるものだから代わって注ぐ暇もない。

「じゃ、おつかれさま」

「……おつかれさまです」

 気疲れ、じゃない気後れしてしまう。

 軽くふたり片手を上げ乾杯。

「こういうお店、よくひとりで来るんですか?」

「うん。週一で来ちゃう。美味しいよ? あ、はじめてはこれがおすすめ」

「じゃあそれで」

「じゃあ私も。すいませーん!」

 おー。よく知っているとはいえ、手際良すぎて、年上の貫禄示す隙も暇もないな(わたしにそんなもんあればの話だが)。社会人ってこういうの、自然に備わっていくものなのかなあ。やだなあ。

 彼女は傍らに置いたバッグから黒のヘアゴムを取り出すと、長い髪を後ろで括ってみせた。使う? と、もうひとつ手で示される。わたしはふるふると首を振った。様になっている。こんなきれいな子、男は放っておかないだろうに。

 いつか言っていた。

 彼氏は出来たことないと。『そんなことある?』と、わたしは雪菜子さんに敬語忘れ言っていた。なんて返ってきたのかは覚えていない。余程意外だったことは覚えている。

「お近づきの印に。私の秘密を教えてあげる」

「?」

 秘密?

 なんだろう。同性愛者とでも告白受けるのだろうか。わたしは今しがた考えていたことに引っ張られ、さらに仕事終わったテンションで妙にふわふわした気持ちになっている。雪菜子さんと一緒にふたりでご飯食べる。不思議な感覚、シチュ。

「――雪菜子という名前の由来について」

「ごくり」

 生唾をのみ込む――じゃなし。ぽけーっと水飲んでいたら思いの外真面目そうな雰囲気……、どっちだ? 雪菜子さんは腕を顎の下で組み、わたしを見つめている。胡散臭い。すごく。

「由来?」

「そう」

 由来。確かに変わっている名前ではあるけれど、その意味するところは明白に思える。聞いた感じ、ゆきなが、の響きだけだと名字っぽい。けれど字を見れば。

「雪の菜の子。だから春先に咲く花をイメージした名前だと思ってましたけど。ていうかいつか自分で言ってませんでしたっけ?」

「ちっち。そうだけど違うんだなー。ヒント。わたしの出身地」

「出身地って……、佐久ですよね」

「違います」

「違うんかい」

 え。じゃあ、この人、今まで出身地偽ってたってこと? わたし含めた従業員みんなに? ええ……。もしかしなくても、知ってるの本社の人だけだったり……?

 雪菜子さんは現在ひとり暮らしだと聞いている。近くのマンションに住んでいるとも。なんで嘘つく? 嘘付く必要は?

「家出でもしてきたんですか?」

「あ、そんな深刻じゃないからね。安心してね」

 安心できる要素がなかった。あまり、従業員の重たい事情を抱えたくない。

「川上村です」

「かわかみむら……?」

 って、どこだっけ? たしか……。

「県境の……超山ん中……だったような……」

「そう! 山の中っていうより、山の上だけどね! 佐久っちゃ佐久なんだ。郡だけど」

「はあ」

 彼女はひとりテンション上がっている。ああ、これは家出じゃないな。だからと言って何かは分からないけれど。

「雪の菜の子。川上村。はい。ヒントは出揃った」

 わたしはこれでも長野県人。

 なんとなく分かる。たぶんどっちかだろう。

 あてずっぽ。

「キャベツ?」

「ぶっぶー」

「レタス?」

「ピンポンピンポンピンポン! 実は私、雪菜子改めレタスちゃんなのです」

 と、テンションひとり高い雪菜子さん改め、レタスちゃんが高らかに告げた辺りで、「おまちどうさま」とラーメンふたつ運ばれてきた。

 魚介系、煮干しらーめん。

 レタス入ってら。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る