二日目(3)

 ペドロは、公園の中央にある池の周りをのんびりと歩き出した。僕は、その後をついていく。

 やがて僕たちは、ブランコやすべり台などの遊具が置かれている場所にさしかかった。数人の幼い子供たちが、楽しそうに遊んでいる。そこから少し離れた位置に、お母さんらしき数人の女性たちが何やら話していた。全員、時おりスマホを取り出しては画面を覗いたり触れたりしたあと、再び会話に戻る……そんなやり取りをしている。

 ペドロは、そこで足を止めた。


「なんともはや、嘆かわしい話だな」


 呆れたような口調で、彼は言った。何のことかわからず、僕は聞き返す。


「何がですか?」


「見たまえ。俺がその気になったら、ここにいる全員を殺すのに一分かからないよ。にもかかわらず、母親である彼女たちは、俺たちのことなど気にも留めていない。彼女たちは、どういう計算のもとに、自分たちが安全であると確信しているのだろうか。実に面白い」


 ペドロは呟くように語り、少し離れた位置でじっと子供たちを見ている。

 しかし、母親たちは会話を続けていた。誰ひとり、僕たちに注目していない。僕たちと子供たちとお母さんたちの位置関係は、まるで三角形の三点のようだった。

 正直、僕も驚いていた。ペドロは大男ではない。むしろ、日本人から見ても小柄な部類だろう。服装も地味なスーツ姿だ。

 だが、ペドロの体から感じられる独特の雰囲気……これは絶対に、普通の人間が醸し出せるものではないはず。僕のような引きこもりのニートですら、ペドロを見た瞬間に普通ではないと察知できたのだ。

 しかも、今の僕は知っている。ペドロは、百人以上の人間を殺した男なのだ。そんな男が、子供たちの近く……十メートルも離れていないであろう距離で立っているというのに、母親たちは何の反応も示していない。

 少なくとも、僕らは母親たちにとって見知らぬ男ではある。昼間から妙な男ふたりが、子供たちの遊び場の近くに立っている。なのに、彼女らは警戒していない。

 その時、ペドロがニヤリと笑った──


 彼の笑顔を見た瞬間、たとえようのない不安を覚えた。ペドロは本気で、この場にいる全員を殺してしまうのではないだろうか、という考えが、一瞬ではあるが頭を掠める。

 だが、すぐに思い直した。こんな場所で、いきなり子供たちを皆殺しにする……有り得ない話だ。不合理すぎる行動ではないか。逮捕してくれと言っているも同じではないか。何のメリットも無いのだ。そんなことをする可能性など、宇宙人に遭遇する確率より低いだろう。


 いや……。

 ペドロは、宇宙人よりも恐ろしい男じゃないのか?


 考えてみれば、ペドロは理屈が通用する男ではないのだ。僕ら一般人にとってのリスクやメリットなど、彼にとっては何の意味もないのかもしれない。

 そうなのだ。人間は、損得勘定やリスクの計算だけで生きられはしない。電車の中で痴漢をする男や麻薬をやる人間、果ては衆人環視の中で通り魔をやる人間……それらは皆、リスクを考えたら馬鹿馬鹿しくて出来ないことだ。

 しかし、それらの犯罪は後を経たない。


「ふう、やっと気づいたか。反応が遅すぎるね」


 突然のペドロの声に、僕は我に返った。すると、母親の集団にいたひとりの女性が、じっと僕たちを見ている。明らかに、不審者を見る目だ。

 その視線は不快ではある。だが、ホッとしたのも確かだ。


「彼女たちのひとりが、ようやく怪しげな者の存在に気づいた。しかしね、俺たちがここに来てから、約五分経っている。五分あれば、俺はここに居る全員を皆殺しに出来た。余った時間で、遠くに逃げることが可能だ。なあ、哲也くん……君は、この事実をどう思う?」


「あまりにも不用心だと思います」


 そう答えた。

 実際、不用心にもほどがある。僕は、母親たちに比べれば人生経験も少ない。それでも、ペドロが危険人物であることは一目でわかったのだ。なのに、あの母親たちは何も感じていなかったらしい。

 しかし、ひとりの母親がようやく気づいたのだ。ペドロという、明らかに異質な空気を持つ者の存在に。五分という時間を費やしたが。

 とにかく、母親のひとりがペドロの存在に気づいた。さすがに、怪物のごとき男といえど何もしないだろう。

 だが、僕の考えは甘かった。


「おやおや、彼女たちの愚かしさは俺の想像以上だな。哲也くん、あの様を見たまえ」


 ペドロが僕に近づき、そっと耳打ちする。僕はさりげなく、母親たちを見てみた。

 母親たちは、相変わらず井戸端会議に夢中だった。時おり、おかしそうに笑う声も聞こえてくる。僕たちを不審な目で見ていたひとりの母親は、皆との会話に戻っている。

 もう、僕たちのことなど見ていない。


「え……」


 僕は愕然となった。あの母親たちは、何を考えているのだ。少なくとも、ひとりは僕たちを怪しいと思ったはずだ。自分の子供のすぐ近くで、立ち話をしている不審な男がふたり。それに気づきながらも、何もしないというのか。子供たちはおろか、母親たちをもまとめて一分以内に殺せる化け物が立っているというのに──


「空気だよ、空気」


 不意にペドロは呟いた。


「ひとりは、俺たちの存在に気づいた。他の母親たちもまた、俺たちの姿を見てはいる。だが、存在に気づいてはいないんだよ。まさに空気と同じようなもの、風景の一部でしかないのさ」


「僕たちが風景の一部、ですか」


 僕には、理解できなかった。ペドロのような男を見て、風景の一部としてしか捉えられないというのだろうか。だが、すぐに疑問を感じた。


「でも、ひとりは気づいてたんですよね。僕たちの存在に」


「ああ、気づいていたね。その彼女は身長百五十センチ体重四十二キロ前後。家で動物を飼っている。また、彼女の趣味は外に出かけて自然に触れること、だろうな。登山、もしくはそれに近い何かだ。普段から、自然や動物に触れているせいか……危機に対する勘は、あの中では一番優れていると思われる」


 淡々と語るペドロ。僕はまたしても、彼の神がかりのような能力に驚かされた。ここから十メートルは離れた位置にいる、初対面の女に関する情報を話しているのだ。


「しかし、彼女は依然として会話を続けている。あの女性は感じたはずだ。俺という人間が、紛れもない危険人物であることを。だが彼女は、自身の勘よりも常識を信じたのだ。まさか、こんな人目のある場所で大それた犯罪を起こす者などいるはずがない、という常識をね。さらに言うなら、彼女は空気を乱すのを恐れた」


「また、空気ですか?」


 僕が言うと、ペドロは僅かに口元を歪めた。


「そう、また空気なんだよ。あの井戸端会議は、彼女たちにとって非常に重要なイベントなのだろうね。そのイベントを、何の根拠もない自分の憶測で邪魔したくない……そんな意識が働いたんだろうね。場の空気を読み、それを乱しかねない自分の意見は押し殺す。結果、俺という子供たちの最大の脅威になりうる存在に目をつぶり、井戸端会議に戻ったのさ」


「そんな……」


 僕は、母親たちの方をもう一度見た。確かに彼の言う通りだ。僕たちふたりの存在など気にも留めず、ひたすら会話に花を咲かせている。

 次の瞬間、ペドロはとんでもないことを言い出した──


「ここでもし、俺が母親たちの目の前で子供を皆殺しにしたなら……彼女たちは、生きている間ずっと後悔し続けるのだろうね。下らん井戸端会議に夢中になっている間に、目の前で自分の子供が殺されたなら、彼女たちはどんな表情を浮かべるだろうか」


「え?」


 僕は思わず聞き返すが、ペドロは母親たちを見ていた。


「ただ全員を殺すよりも、その方が面白いかもしれないね。彼女たちの人生が、どのように狂ったか、気が向いた時に調べてみる。結果、目の前で子供を殺されるという悲惨な体験をした五人の母親が、どのような人生を送ったか……その詳しい情報が得られるわけだ。しかも同じ時、同じ場所で起きた事件に対してね。これは、非常に面白い実験だな」


 淡々とした口調で語っていく。僕は何も言えず、ただ彼の顔を見ているだけだった。この時の僕はペドロと知り合ってから、さほど日にちは経っていない。彼のことについては、ほとんど知らない状態だ。でも、ひとつだけわかっていたことがある。

 ペドロは、冗談やハッタリを言う男ではない。


「特に、俺たちを見ていた彼女……あの女の後悔は、想像するだけで愉快だね。あの中でただひとり、俺という人間の脅威に気づいていた。にもかかわらず、他の女たちと同様の反応をした。自らの勘を信じることが出来ず、空気を乱すことを恐れ、結果的に俺という危険を無視することに決めた。実に愚かな話だ。その愚かさゆえの報いを、彼女に与えたいね」


 そう言うと、ペドロは子供たちに視線を移す。


「あの子供たちを全員殺すのには、十秒あれば充分だ。哲也くん、すまないが君との付き合いもこれまでだ。予定が変わったよ。俺は子供たちを皆殺しにした後、ここを立ち去る」


「え……」


 僕は凍りついた。いったい何を言い出すのだろう。本気で、今この場で子供たちを殺してしまう気なのだろうか?


「俺は見たくなったんだよ。目の前で子供たちが殺された時の、彼女たちの反応を。特に、俺の危険に気付きながらも、愚かなる井戸端会議の方を優先した女……彼女は恐らく、一生後悔し続けるだろうね。その後悔が、人生にどのような影響をもたらすだろう」


「ちょ、ちょっと待ってくださいよ……本当にやるんですか?」


 聞いたが、ペドロは僕の方を見ようともしない。真っ直ぐ子供たちを見ている。

 だが、それよりも恐ろしいことに気づいた。母親たちは、何の反応もしていないのだ。ペドロはさっきから、じっと子供たちを見ている。僕たちと、遊んでいる子供たちとの距離は、先ほどよりも近づいているのだ。仮にペドロのような怪物でなく、僕のようなひ弱な人間でも……本気で殺す気ならば、止められる前にひとりは殺すことが出来るだろう。

 なのに、警戒する気配が先ほどからまるで感じられない。ペドロも僕も、まともな勤め人には見えないはずだ……いや、見た目以前の問題である。昼間から、こんな公園で奇妙な男ふたりが自分の子供のすぐ近くで、五分以上立ち話をしている。おかしいとは思わないのだろうか。


 早く警察呼べよ。

 でないと、子供たちが皆殺しにされるかもしれないんだぞ。


 思わず、心の中でそう叫んでいた。だが、母親たちは相変わらず話し続けている。


「本当に、愚かな女たちだね。愚かさは罪となることもあるんだよ。それを知る、いい機会でもあるな。では哲也くん、短い間だったが楽しかったよ。君との会話は、なかなか楽しかった。俺から学んだことを、今後の人生に役立てていきたまえ」


 僕がなぜ、そんな行動をしたのか……未だによくわからない。

 確かなことは……その瞬間、僕がペドロの腕を掴んでいたことだった。


「やめてください。お願いですから」


 するとペドロは、僕の顔を見た。次いで、僕の手を見る。彼の腕を掴んでいる手を……慌てて、彼の腕を離した。


「君は何故、そんなことを言うのかな? その理由を教えてくれないか?」


 ペドロは再び僕の顔に視線を移し、そんなことを聞いてきた。答えられずにいると、彼は笑みを浮かべる。


「ここの子供たちが全員死んだからといって、君の人生には何の影響もない。少なくとも、君は痛くも痒くもないだろう。むしろ、面白いものが観られるんだよ。これだけの子供たちが、一瞬のうちに死体に変わる……そんな場面、この日本で普通に生きていたら、まず観られない貴重なものだよ」


「そんなの、貴重じゃありません。人を殺す場面なんて、断じて貴重じゃありません。僕は、そんなの観たくない。僕が観たくないから、やめて欲しいんですよ」


 何故か言い返していた。何のために言い返したのか、それも未だにわからない。ただ気が付くと、僕はペドロを睨んでいたのだ。

 しかし、ペドロは僕の態度の変化など、気にも留めていなかった。


「そうかな? では何故、人は残酷な映像を観たがるんだ? 君だって観たことがあるはずだよ、残酷な映像を……違う、とは言わせないよ」


「それは……」


 ペドロの言葉に対し、僕は口ごもっていた。確かに、残酷な映像は世に満ちている。目を背けてしまうようなものも少なくない。しかし、そういったものを見る人間は確実に存在するのだ。

 そして僕の中にも、そういったものを見たいという部分はある。

 黙りこんだ僕だったが、ペドロはお構い無しに話を続ける。


「だったら、君に聞きたい。仮に、俺が子供を殺すのをやめるとしよう。それに代わる娯楽を、君は提供できるのかい?」




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