個性屋さん

@jori2

第1話

 2007年の5月の昼、南光中学校の1年5組で、ふっくらとした体形をした中学生の明夫は自分の席で小説を読んでいた。明夫は小説を読んでいるふうに見せて、”昼休みに話し相手がいない孤独なやつ”と思われないように努めていた。明夫は入学からこれを数週間続けてきたが、小説の内容はこれっぽっちも頭に入っていなかった。昼休みが終わるチャイムが鳴ると、明夫は大きなため息をつく。明夫は、この時間が好きじゃなかった。

午後の授業が始まると、明夫は隣の席の矢谷瑠奈から声を掛けられた。

「ごめん、教科書見せてくれない?」

明夫は、あぁ...、とおどけた返事をして、自分の机を矢谷瑠奈の机にくっつける。椅子はなるべく離して、体が近づかないように配慮する。瑠奈は、明るくかわいらしいクラスのマドンナ的な存在である。明夫はそんな子が間近にいると思うと、体のいたるところから汗がにじんできた。明夫は肥満ぎみな体形であるため、汗臭くないかが気になって仕方がなかった。先生が授業で何か話しているが、あまり頭に入ってこなかった。そんなとき、瑠奈からまた話しかけれられる。

「ごめんけど、鉛筆と消しゴムも貸してもらえない?昨日宿題してたら色々家に置いてきちゃって...」

瑠奈が明夫に申し訳なさそうに言う。明夫はかわいい子から頼られて悪い気はせず、自分の筆箱から鉛筆を取り出して、瑠奈に近い場所に置いた。消しゴムは二人の机の境界線に置いた。

「消しゴムは1個しかないからここで...」

明夫は、一緒に使おう、と言いたかったが、気恥ずかしさが勝って最後まで言葉は出なかった。

「うん、大丈夫。ありがとね」

瑠奈は、そんな明夫を気にも留めない様子で返事した。その直後に瑠奈は、あっ、と何かに気づいて声を出した。

「もしかして"妖カシ”見てるの?」

明夫は瑠奈の言葉にぎょっとした。”妖カシ”とは今放送中の深夜アニメのことで、知名度は高くない。いわゆるアニメオタクと言われるような人しか知らないような作品なのだ。矢谷瑠奈がマイナーなアニメを見ているという意外性に、明夫は、見てる、と言って目を輝かせた。それから明夫と瑠奈は意気投合し、その日の授業が終わるまで、ひそひそと”妖カシ”について語り合った。


 2週間後、少し天気がじめじめとし始めたころ、明夫のクラスで体育の授業があった。男女は別々で、男子は屋外でのサッカーだった。担当の教師がまずはケガをしないように二人組を作って柔軟をするように、と指示した。明夫はペアを作りたかったが、周りに働きかける勇気がなかった。ただ、時間が経つにつれてポツポツとペアができていて、焦りが出てくる。明夫は、孤立すればもっと恥ずかしい思いをする、と考え、勇気を振り絞って、まだペアがいない男子に声を掛けた。すると、その男子は明夫の身体を一瞥して、苦笑いした。

「おまえ汗かきすぎじゃん」

男子生徒はそう言い残すと、別の生徒を探すために歩き出した。たしかに明夫の額には汗がにじんでいた。明夫は長年のコンプレックスである体質を他人から指摘されて、ひどく恥ずかしくなった。明夫なりに努力してきたが、どんなにがんばっても体質による体形を変えることや発汗を抑えることができなかった。自分にはどうしようもない理不尽で他人から嫌われることによって、明夫の尊厳は長く損なわれていた。


 体育の授業が終わった後、明夫は自分の席で顔を伏せていた。ただ、気持ちを落ち着ける時間が欲しかった。

「体育そんなにきつかったの?」

隣から声を掛けられた。声の主は瑠奈だった。顔を上げて隣を向くと瑠奈がニコニコしていた。明夫は何も話したくなくて生返事をすると、瑠奈は、絶対になんかあったでしょ、とムキになった。

いつもは楽しい瑠奈との会話も、今日ばかりは明夫は乗り気になれなかった。しかし、瑠奈がしつこかったため、明夫は体育での出来事をしぶしぶ説明した。

――話を聞いた瑠奈は、そんなこと気にしちゃダメだよ、と言って、明夫の腹をツンツンとつついた。瑠奈の言動が自分を元気づけるためであることに明夫は気づいたが、どうしても不愉快が勝ってしまった。”そんなこと”という瑠奈のちょっとした言葉選びが、明夫の心の傷口に塩を塗った。

「瑠奈には俺のことなんてわかるわけないよ」

そう言って、明夫は教室を飛び出した。突然の出来事に、瑠奈は呆然と走っていく明夫の後ろ姿を見ていることしかできなかった。明夫は正門から学校を飛び出し、帰り道とは反対の方向に向かって進んだ。誰も自分を知らないところに行きたい気分だった。


 明夫は、学校を出てから1時間ほど歩くと、見たこともない路地を見つけ、なんとなく気になって入っていった。路地は2mくらい幅で狭く、人は明夫しかいない静かな場所だった。建物の壁には、生き生きとしたツタが生い茂っている。ツタの合間には建物の入り口や窓があり、ちらほらと店もあって、自然と現代の生活が混じった不思議な雰囲気だった。路地を進みながら新しいものを見ている間、明夫は何もかも忘れられた。気づけば、日が暮れ始めていて、明夫はそろそろ帰ろうと思った。そのとき、ある店が明夫の目に留まる。店の看板には”個性屋 あなたの個性を取り替えます”と書いてあった。

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