青春に、アンコールを

@aizawa_138

第1話 酩酊に、ピリオドを

「ああ、私もこんな青春が出来ていたら」


 アパートの薄暗い部屋を照らすのは、毎週録画している恋愛リアリティーショー。私は溜め息を吐くと、新しいビール缶を開けてぐっと傾ける。


「……ぷはぁ」


 ローテーブルに積まれた空のビール缶。視界の端に映る読みかけの自己啓発本。部屋に散らかった物を見て、より深い溜め息が出る。


 私は何を間違えてしまったんだろうか。私が求めていたのはこんな自堕落な生活ではなくて、きらきらとした青春を送る人間だったのに。


 重ねられたビール缶がまた一つ増え、ビニール袋から新たな缶を手探りする。


「……買いに行かんと」


 よろけながら立ち上がり、財布を半ズボンのポケットに突っ込んで、玄関の扉を開ける。一歩外へ踏み出すと、夜の生暖かい風が長い髪に吹き付ける。


 ぬるい風に怯んで、一瞬、外出する面倒臭さに駆られるも、酒に溺れた私に勝てるはずがなかった。


 時間帯が、ということもあり、住宅街は閑散としていた。働き疲れた会社員も、出歩く若者の姿もなく、所々置かれた電灯は、何もない路地にほのかに明かりをもたらす。


 私は何をしているんだろう、ダメダメな社会人にまでなって。それと比べて、輝いていた人たちは、どうせ幸せな人生を送っているのだろう。きっと、あの人たちの青春には続きがあるのだろう。


 なんか、もう──考えるだけでむしゃくしゃする。


「き、気持ち悪い」


 一缶開けた勢いで、相当の本数のビールを飲んでしまったのだろう。思っていたよりもだいぶ酔いが回っていた。


 私は「……うっ」と吐きそうになり、ふらふらとした足取りでブロック塀に寄りかかる。吐き出しそうになるのをぐっと堪え、再び千鳥足で歩き出す。


 とうとう、煌々と光るコンビニの明かりが見えてきた。普段よりも眩しく感じる光に思わず、目を細めてしまう。入店音とともにガラガラの店内に入る。いつもの棚から、いつものビールを何本かカゴに入れ、レジにいる店員に渡す。


「1540円です」


 無愛想な店員から告げられた値段を支払い、彼からビール缶でいっぱいになったレジ袋を受け取る。素っ気ない「ありがとうございました」を背中で受けて、店の外へ出る。


 また、買ってしまった。


 帰り道に手から提げられたビニール袋を見ると、いつも自分が嫌になる。負のループを断ち切らないといけないことはわかっている。でも、体が完全に欲望とくっついて離れないのだ。いっそ、このビニール袋を投げ捨ててしまおう──と思ったのは何回だろうか。酒の力に頼りっぱなしの自分がただただ情けない。


「……ちょっと、散歩でもしようかな」


 真夏の夜空を見上げて、ふと思いついたことをぽつりと独りごちる。ビールを買った帰り道に散歩をする日課があるわけでもない。情けない姿に間抜けな悪あがきだ。私は帰り道から遠回りするように、住宅街の角を曲がった路地へ入る。


「公園なんかあったんだ」


 似ているとはいえ、家からコンビニと駅にしか通わない私にとっては初めて見る街並み。周りを見渡すたびに、今まで知らなかった小さな気づきがひとつ増える。


 さらに住宅街を歩き回っていると、学校が目の前に現れる。私は閉ざされた校門に体を預けて、明かりのない学校をじっと眺める。どっしりと構えた体育館、二階建ての校舎、遠くに見える運動場。私もこんなところで無邪気に遊んでいた時代があったんだと、どこか懐かしく感じた私は、少しの間、物思いにふける。しかし、この学校はどこかがおかしい──。


「……すごい古い」


 私は校門の石垣にびしっと張り巡らされた苔を手で触りながらぼそっと呟く。そう、この学校は何もかもが古かった。この学校のどこを切り取っても「古い」といった感想が出るほど、それが明らかだった。


 スマホを見ると、時刻はもう十時。そろそろ帰ろうと校門から体を離すと、重い荷物に耐えられなかったのか、酒の入ったビニール袋が破れてしまう。コロコロとビール缶が校門をくぐって学校の中に入っていく。追いかけようと、私は慌てて鉄の門によじ登る。門から飛び降りて着地しようとするも、泥酔していた私にそんなことをできるはずがなかった。私はバランスを崩して、そのままアスファルトに倒れこんでしまった。


 ◇


「あの、大丈夫ですか?」


 瞼を通り抜けて差し込んできた太陽光を遮るように、一つの影が現れる。細めた目を徐々に開いていくと、そこには広がる青空、そして、すらっとした少女が私の顔を覗き込むように身を屈ませていた。


「だ、大丈夫です」


 少女に返答し、私は重く感じる体を起こす。学校の敷地内に佇むビール缶、じわじわと痛む膝。どうやら、私はアスファルトに倒れこんだまま夜を越してしまったようだった。


「膝擦り剥いちゃってる……ちょっと待っててください、絆創膏と消毒を持ってきます」


「ほ、本当に大丈夫ですから!」


「大丈夫じゃないです、放っておくとばい菌に感染しちゃいます」


「……お願いします」


 私が答えると、少女は校舎へ向かって歩いて行く。


 私が酒に酔っていたことで招いた怪我なのに、私よりずいぶん小さい少女に治療してもらうとか──もう、恥ずかしい。


 アスファルトの上で項垂れて、少女が帰ってくるのを待つ。しばらく俯いたまま固まっていると、少女は救急箱のようなものを抱えて歩いてくる。少女は私の前で箱を広げて、道具を取り出す。


「ちょっと痛みます」


 そう言うと、少女はあどけなく整った顔を私に近づける。少女は長い髪を耳に掛け、丁寧な所作で私の傷口に消毒を塗る。治療が終わり、上から大きな絆創膏を貼ってもらう。


「……ありがとうございます」


「全然大丈夫です。そういえば、名前言うの忘れてました。わたしは茜音です。茜音ちゃんと呼んでくれると嬉しいです」


「水野いろはです。同僚には水野か、こころさんって呼ばれてます。よろしくお願いします」


「敬語なんていらないですよ、わたしはまだ十六歳なので」


 茜音ちゃんは優しい声音で言って、相好を崩す。天使のような笑みに、私の心はほんわかと温かくなる。


「いろはさんはのためにここに来たんですか?」


「アオハルサイ……?」


 初めて聞いた単語に、頭の中にはてなが浮かぶ。


「もしかして、別の用事があってきたんですか?」


 私がアオハルサイという言葉にピンと来ていないのを察したのか、茜音ちゃんは私に別の質問をする。


 酒に酔ってビール缶を追っていたら、ここで寝ていた──なんて、到底言えるわけがない。


「……え、えーと」


「その怪我だと家まで帰るのも難しそうですし、休憩がてら、アオハルサイの人たちに会いに行きませんか?」


 言い訳になりそうな言葉を探す私に助け舟を出すかのように、茜音ちゃんが再び口を開く。私はとりあえず頷き、校舎のある方へ向かっていく茜音ちゃんの後ろをついていく。


 校舎は薄暗く、埃がそこら中に散っていた。天井の隅には蜘蛛の巣が張られてあり、とても生徒がここで生活しているとは思えない雰囲気だった。過ぎていく教室もすべてカーテンが閉まっていて、掲示物どころか、椅子や机もないことに気味悪さを感じる。怖くなった私は、ちらっと茜音ちゃんの顔色を窺うも、何一つ臆せず、奥へ奥へと進んでいく。


 こんな不気味な空間に連れていかれて、何か恐ろしいことが待っているんだろうか。茜音ちゃんが言っていたアオハルサイの人たちとは、実はこの学校をアジトにしている怖い人たちなんだろうか。起こり得そうなことを考えていると、今すぐにでも帰りたくて仕方がない。しかし、優しく接してくれた茜音ちゃんがそんな酷いことをしないだろうと考えると、妙な安心感が芽生えてきた。


 しばらく歩いていると、廊下のつきあたりにぽつりと光る一つの教室が見えてくる。もぬけの殻となった校舎に突然現れた人の気配。不気味な光景に私は、思わず身構える。だんだんと距離が縮まっていく明かり。恐怖心と少々の安堵を混ぜたような複雑な気持ちで、私は明かりのついた教室の前に辿り着く。


「戻ってきました」


 私は唾を飲みこんで、恐る恐る教室の中を見回すと、そこには和気あいあいと、大きな布に色を塗る男女の姿があった。


「茜音ちゃんお疲れー。ってもしかして、新人ちゃん?」


 おちゃらけていそうな男性がペンキを塗る手を止めて顔を上げる。明るい男性の声に釣られて、皆のぎょろっとした視線が私に集まる。心臓がきゅっとなるような緊迫感が私を襲う。


「隼人、新人ちゃんが怖がらせちゃってるじゃん」


 ボブ髪の女性が彼に軽くチョップしてツッコむと皆が笑い出す。雰囲気についていけず、固まってしまった私のもとに年上の別の男性がこちらへ歩いてくる。


「私はこのアオハルサイのリーダーの乾翔だ、よろしく」


「み、水野いろはです」


 軽く挨拶を交わすと、乾さんが手を差し出してくる。慣れないやりとりに困惑しながら、私はそっと握手する。


「いろはさんはアオハルサイに参加しに来てくれたのかい?」


「さっき茜音ちゃんも言っていたんですけど、アオハルサイってなんですか……?」


「あれ、ここに来たんだったら知っていると思っていたんだがね」


「わたしが怪我していたいろはさんを勝手に連れてきたので、アオハルサイについては何も知らないと思います」


「そうか。では、アオハルサイがどういうものか教えてあげよう──」


「──アオハル祭、それは青春をやり直す祭りだよ」

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