第14話 涙を拭いてくれる人

突然私の執務室に現れたウィリアムは、ティムの姿を見るなり私を咎めた。自分の行いを省みて下さいと言いたかった。




「そなた、執務中だろう」


「王妃様のお加減が心配になり、マナが……」


「ロッドランド!そなたには聞いていない!」


 ティムの言葉をウィリアムが遮った。


「大変失礼いたしました……」




(やめて頂戴……!)




「陛下、どうされたのですか?私はマナの流れを診てもらっていただけですわ」


「手を握られて、うっとりと目を閉じていたように見えるが?」




「私を侮辱なさるのですか?副官や侍女と同席していて、何も恥ずかしい事などございません。陛下こそ、そのような物言いをなさるとは……!」


「ほう……。私の思い違いなのか。まあ、いい。だが、執務室で診察とは適切とは思えぬな。ルイスも同席させるべきだ」




「分かりました。次回からそういたしましょう」


 私はいつもの通り平静を装ったが、心の中でははらわたが煮えくり返っている。




「皆、外してくれ」


 ウィリアムが人払いをした。出て行く時にティムと目が合ったが、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。私をせっかく気遣ってくれたのに、好意にこのような応え方しかできないとは、本当に恥ずかしい。




「……何か、お話ですか?」


 私から話を振った。本当はもうウィリアムには出て行ってもらいたかったからだ。




「ふん……。そなたの気持ちは分からぬな、王妃。新しい側室に神経質になっているかと思えば、幼馴染の魔導士を部屋に引き入れているとは」




(部屋に引き入れるですって!ああ、せっかくティムのお陰で気分が良くなってきたのに。心臓がまた早鐘を打つわ……)




「来月、フローリアが入宮する。準備はこちらで行っているので、王妃に面倒をかける事はない。デビュッタントも中止だ。それで良いな?」




(良いな?ですって……?)




 私が黙っていると不満だと思われたようだ。


「まだ、何か気に入らないのか?母上まで使って抗議してきたというのに」


「……抗議ではございません。筋を申し上げているまでです」




 ウィリアムは思い切り嫌な顔をして、私を見つめた。そんな顔をされるような覚えはない。




「そなた、本当にフローリアには手を出すなよ……」




「どういう意味でしょうか……」


 やっと言葉を絞り出した。私は奥歯を噛み締めて、ぐっとこめかみに力を入れた。泣いてはならない。




「そのままの意味だ。フローリアを傷つける者は許さない。たとえそなたであってもだ。心の素直な娘なのだ。私は運命だと……思っている。それを忘れないでくれ」




 私は壁に視線を固定したまま頷いた。




 ウィリアムが部屋を出てから、その場にへたり込んだ。


(あれは誰なの……。一体何がどうなっているの?私が何をしたと?)




 もうその後は仕事にならなかった。涙を悟られぬようにして、自室に戻った。侍女たちも帰して私は一人で泣いた。夫が誰を愛そうと構わない。この国には側室制度があるのだ。夫は国王なのだから。だが夫であるなら、私の尊厳を傷つけていいとでも思っているのだろうか。




(ウィリアムは私が側室を虐めると思っている。私は何もしていないし、反対もしていないと言うのに。なのに、なぜこうも、彼は攻撃的なの?)




 心臓が早鐘を打ち、涙がとまらない。頭がガンガンしてきた。


 その時、ふわっと、バルコニーのカーテンが揺れた。ぼんやりと人影が見え、私ははっとした。




(誰かいる!)




 声をあげようとした時に、その人影の正体がはっきりした。




「ティム!」


 私は小さく叫んだ。こんな所を人に見られたら大変な事になる。王妃の自室に、王以外の男性が立ち入る事は出来ない。




「しっ!ソフィア、静かに」


 ティムがそっと私に近づく。


「どうやって?陛下にこんな所を見られたら……!」


 私は心臓が止まりそうな気持になった。




「あんな側室を三人も抱えるような男に、とやかく言わせるな!」


 ティムは吐き捨てるように言った。


「ティム!」


(そんな不敬な言葉を誰かに聞かれたら……)




「一人で泣いていたのか?フォースリア公爵家も、君を愛する者たちも、皆君を一人で泣かせるために王宮に送り出したんじゃないんだぞ……」


 優しい言葉に、また涙が溢れそうになる。だが、もうこれ以上弱い姿は見せられない。私は精一杯虚勢を張って、微笑んだ。新しい側室や夫の言葉に傷ついて泣くなど、王妃としてあまりにも無様だ。




 ティムは近づいて私の頬にそっと触れた。そして、流したばかりの涙を指で拭ってくれた。私は急にその指が不安になり、後ろに身を引いて距離を取った。




「ソフィア、手を……」


 私は手がやっと届くくらいの距離を保ったまま、ティムに向かって右手を差し出した。彼はその手を取り、そっと握ってくれた。昼間の続きのようだ。細く静かに彼の魔力が体の中に入ってくる。清らかな水の流れのようなその魔力を受け入れると、嘘のように体の中の熱が鎮まっていく。熱く燃えた頭の中もひんやりと冷え、心の中まで癒されるようだった。




(優しい人。昔から変わらない……)




 ほっと一息つくと、ティムが私を見つめていた。


「ソフィア、もしこれから、耐えられないような辛い事があったら、俺が必ず君とエドワード王子を守る。だから、これだけは覚えていて。君は苦しむ必要はない」




「大丈夫よ、ティム。ちょっと気持ちが高ぶっただけ。いつもの事だもの」


 虚勢を張る私の言葉に、彼は気づいたのだろうか。寂しそうに笑って、私の手のひらに口づけをした。




「ソフィア、もう行くよ」


 ティムは来た時と同じようにバルコニーに出た。すると、静かな光のゆらめきと共にその姿が消えていった。


(あれは、魔法陣……?)




 ティムの姿がなくなってから、彼の触れた頬に、自分でも触れてみた。まだ感触が残っているような気がする。




(ティムは昔から優しい人だったけど、あんな事をする人だったかしら?)


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