第2話 息子の夜泣き
「今日はどうなさいますか?」
ローレンが髪型を聞いてくる。
「いつもの通りで結構よ」
「まあ、お美しい金髪ですのに。少し華やかになさっては?」
「執務に邪魔にならなければいいわ」
本当にそうだった。髪型など仕事の邪魔にならなければいいし、美しいかどうかは問題ではない。
ローレンはため息をつく。
「だって、悔しいではないですか!側室方はあんなに毎日きらびやかに飾って、正妃の陛下が毎日毎日お仕事ばかりで。新しいドレスも、最近は新調なさっていないではないですか!」
「そうね……。では、ローレン、シンクレア伯爵夫人と相談して、普段着と夜会用のドレスを少し見繕ってちょうだい」
「陛下!仕立て屋を呼びましょう?リッツパール夫人の店が最近社交界で評判ですわ」
「面倒なのよ……」
「陛下はもう少し、ご自身のお美しさを引き立てる事をお考えくださいませ。背も高くてスタイルもよろしくて、こんなにお美しいのに!」
「でも、王妃が美しいかどうかはさほど問題ではないの」
「……そうかもしれませんが」
ローレンは不服そうである。私が今少し社交やドレスに興味を持ってくれたらと思っているのだろう。
正直そんな時間はない。王子が二歳になったばかりだし、姑である先の王妃もなかなか手間のかかる方だし、執務も忙しい。その上、陛下の女性問題まで私の仕事だ。着飾っている場合ではない。
「ウィリアム王は、本当に王妃様をもっと気遣われるべきですわ」
ローレンは悔しそうに言う。せっかく王宮に行儀見習いに来てもらっているので、彼女には夫の浮気の始末をする姿など本当は見せたくなかったのだが。先日のリリーの一件から、怒りが収まっていないようだ。
夕食の席の話題は、もちろんリリーの事だった。
「陛下、彼女は里に下がらせました」
「そうか!やはり、そなたに頼むに限る!さすが仕事が早いな」
自分の女性問題を、私の仕事と言うのが気に障った。
彼は結婚した七年前から、朝食は必ず私と取り、週末の二日は夕食も共にするのを習慣にした。結婚したばかりの頃、既に一人側室がいた。その頃は私も若かったので、よく側室の元から朝食の席に来れるものだと呆れていた。今では、この習慣さえも煩わしくなってしまった。何しろ、話題は面倒事の報告会なのだから。
「陛下、お立場がありますのでほどほどになさいませ」
「うん。分かった、そうする。そなたの気持ちも考えなくてはならないからな。もちろん、正妃はそなたなのだから、安心してくれていいが」
(驚いた。私が嫉妬していると思っているのかしら……)
「今度、北の鉱山の視察に行くのだ。そなたも行かないか?ダイアモンドの産地なのだ。そなたに贈り物が出来たらいいな」
「仕事が溜まっております。あと、お義母様から夜会を近いうちに開くように言われておりますし」
「後宮に頼めばいいではないか」
あの側室たちに、お義母様のお相手が出来るわけがない。
「ふうん。そなた、仕事仕事ばかりだな。少し休んではどうだ?」
(誰のためにこんなに忙しいと思っているのかしら……)
「エドワードもおりますし」
「別に母親がいつもいる必要などないだろう。私など、乳母がいれば十分だったぞ」
「エドワードは、夜に寝かしつけが必要なのです」
「乳母の仕事ではないか」
「確かにそうですが、あの子は少し……ちょっとクセがありまして……」
息子のエドワードは二歳になってから、夜に癇癪を起すようになった。一度私が寝かしつけをしてから、それが習慣になってしまい、夜に部屋に行ってやらないといけなくなった。
「そうだ。子育てなら母上がそなたの良い手本になるだろう。母上にご相談してはどうだ?きっと良い助言をしてくれると思うぞ」
名案を思いついたというように、明るく夫がそう言った。
(あなたのお母様がどんな方か、まだ分からないのかしら……)
「そなたは、まだ子育てをよくわかっていないのだ。私からも母上にお願いしておこう」
(やめて!やめて頂戴!!)
私はイライラしてきた。
「だから、最近夜部屋にいないのだな……」
「いらしてたのですか?先ぶれはなかったので……」
「うん。急に顔を見たくなる夜もあるではないか」
(国王がふらふらと出歩いてもらっては、側近が困るでしょうに。そうやって、色々な所で女性に目をつけるのかしら)
「では、視察の同行は考えておいてくれ。なるべく一緒に行こう」
「……検討いたします」
エドワードは、ウィリアムにそっくりだった。美しいプラチナブロンドで青い瞳、幼い頃のウィリアムを思い出させる。ただし、ウィリアムはもっと華奢な女の子のような容姿だったが、エドワードはもっと男の子らしい容貌をしている。
「母様、母様、ねんねは嫌ー!」
癇癪が酷いと、乳母に報告された時はここまで酷いとは思わなかった。夜寝る時間になるとグズグズとぐずって、しまいには泣き出す。手足をバタバタさせて、ベッドで暴れている。最初はどうしたものかと驚いた。
「うわあーん!!」
こうなると、もう駄目だ。育児の専門家にも相談したが、色々意見が分かれた。薬を飲ませるとか、聖水を飲ませるとか、いっそ泣かせておく等、意見は様々だった。ただ、共通する意見は、後一、二年すれば収まるだろうというものだった。
初めての子育てで、専門家や実家の母にも相談したが、結局効果のある方法は見つからなかった。
私はぐずって泣き叫ぶ息子を抱きしめて、じっと時が過ぎるのを待つしかなかった。大人しくなったと思いベッドに寝かせると、また泣き出す。
乳母は、私が抱くと眠るのが早いと言った。癇癪の報告を受けた時、乳母に任せ側で見守ってみたが何時間も泣き続けた。よくあれほどエネルギーがあると感心しつつ、息子は大丈夫なのかと心配になった。それからは、寝かしつけには私も参加する事にした。エドワードは私が来るのが当たり前になってしまった。
「陛下、翌日に差し障りますから、乳母を増やして任せた方が良いですわ」
「でも……」
「貴族女性が、ましてや王妃様が子育てに消耗する必要などありません」
シンクレア伯爵夫人の言うことはもっともだが、エドワードに「母様、母様」と縋られるとその手を振りほどく事ができないし、部屋に行かない間、私を呼んで泣き続けているかと思うと居たたまれないのだ。
結局、エドワードの部屋に行くのが一番楽なのである。
「王妃様のお体は一つなのですよ」
伯爵夫人に心配されながら、毎晩エドワードの部屋に行っていた。
だが、まさかそんな時に夫が部屋に来ているとは思わなかった。懐妊が分かった日から、夫は部屋に来なくなった。周りに窘められたそうだ。無事に出産するまでは後宮に行くように勧められたという。それがそのまま習慣となり、ウィリアムが寝室に来なくなってそろそろ三年が過ぎる。
産後の体も辛かったし、仕事やあれやこれやが忙しくそんな事はすっかり忘れていた。それでも、夫は私の部屋に来る事は覚えていたのかと、妙に感心してしまった。
(あちらこちらで女性問題を起こし、後宮にも小まめに通っているのに、よく私の事まで思い出せるものね)
私はエドワードを寝かしつけて、侍女たちを下がらせた。部屋で一人になると一気に力が抜けて、ベッドに沈み込んだ。
(とても視察に行く体力はないわ……)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます