寵愛バトル

高橋カノン

第1話 政略結婚のなれの果て

「陛下。また、でございますか」


 夫であるエレンデール国王は、誠に情けない顔で私の前で朝食のパンを細かく千切っている。


「そなたには済まないと思っているのだ」




「何でまた、下女などに」


 私はため息を堪えて、出来るだけ何でもなさそうな声に調整して夫に尋ねた。


「何でだろうか……」


 無能ではないはずなのに、なぜ家庭の中ではこのようなのか、私は朝から胃もたれの心配をしなくてはならない。一応国政については、国王の義務を果たしている。周囲は及第点だと考えているだろう。だが、家庭の中では、私に面倒事ばかりを押し付けてくる。




(夫としては、無能なのだろうか……)




 私は、夫の今までの愚かな行いを一つ一つ、あげつらいたくなるのを静かに耐えた。仕事はやっている。務めは果たしてくれる……。だから、これ以上は望んではならないと、心の中で繰り返し自分に言って聞かせた。




「陛下はどのようにお考えですか?」


「王妃に任せる。そなたの良いようにしてくれて構わない」




(丸投げ、ですか。陛下)




「ソフィア、そんな顔をしないでくれ。私は本当に反省しているのだ」


 視線を泳がせながら、私の顔色を窺って夫が言った。


「陛下は反省されても、同じ事を繰り返されているのをご存じでいらっしゃいますか?」


「……多分、分かっている」


「では、反省はされていないと存じます」


「ソフィア、そんなにきつい言い方をしないでくれ」


いかにも国王が可哀そうな声で言うので、給仕たちはそれとなく私の様子を伺っている。




(そうして、私を悪者にするのですね……。まるで私がいじめているようではないですか)






 ごく一般的な政略結婚だった。公爵家に生れ、一つ下の王子と六歳の時に婚約した。婚約と同時に、夫は王太子になった。ご生母の地位が低いため、王太子になるには私と婚姻して後ろ盾を強化する必要があったのだ。


 子供の頃の事なので、好きも嫌いもなかった。六歳の頃の私にとっては、公爵令嬢でも王太子妃でもさして違いがなかった。変わったのは妃教育と称して、毎週王宮に通う事になったくらいだ。




 一つ下の夫ウィリアムは、幼い頃から美しかった。プラチナブロンドの髪と青い瞳で、子供の頃は女の子のように見えた。だが見た目ほど軟弱ではなく、ほどほどに剣術をこなし、ほどほどに学問も収め、王太子として順調に成長していった。




 幼い頃の一つ違いは大きかった。夫は私を気に入ってくれたように見え、周りを安心させた。しかし、実態は、良く言えば私に懐いたというだけだ。私も弟が出来たくらいにしか思えなかった。つまり姉弟のように育ち、その関係性が今も続いている。




(昔から困った事があれば私に相談して、丸投げして、自分はすっきりするのね)




「陛下、下女は里に下がらせます。充分な事はしてやるつもりです。それでよろしいですか?」


「ああ、頼む。まさか側室にするわけにはいかないからな」


 あからさまにほっとしているのが、腹立たしい。


(下女に相当ごねられたのね……)




 身分の低い女ならどうとでもなりそうなものだが、一応情けをかけた相手を慮る所は評価できる。


(でも、相手が悪かったみたいね)




 ***




 女は陛下付きの下女だった。毎朝、朝の支度を担当しており陛下のお目に留まったらしい。


 白い肌に赤い髪が映えて、生き生きとした茶色い瞳が若さを強調している。綺麗な子だと思った。


 だが、一国の国王の周りに誰もいなくなる事はない。


(どうやって、陛下と関係を持ったのかしら)




「王妃様には申し訳なく思っております」


 王妃である私の許しもなく直答している事から、下女という立場で言っているのではない事がわかる。


「無礼な。王妃様に勝手に話かけるなど!」


 侍女の子爵令嬢のローレンが即座に反応して、女を咎めた。




 女ははっとして、立場を思い出したらしい。後ずさりして顔を伏せた。


「申し訳ございません……!」


「名は何といいますか?」


 もちろん知っているが、あえて尋ねてみる。


「リリーです、王妃陛下」




「では、リリー。里はデルファニア地方でしたね。家政婦長が紹介状を書きます。デルファニアで職が得られるように協力しましょう」


「え?」


 思いがけない事を言われたように、顔を上げた。


(やはり、後宮に入れてもらえるつもりだったのね)




「リリー、あなたには一番いい方法だと考えます。退職金も弾みましょう。受け入れてください」


「そんな、陛下はそんな事は……!」


「陛下からあなたの事は一任されました。吞み込んでください」


 呆然とするリリーをローレンが部屋を出るように促した。暫く足元を見つめ、メイド服の裾の方を掴み動かなかった。




「お下がりなさい!聞こえないのですか!」


 ローレンの強い叱責にリリーはトボトボと部屋を出ていった。私は彼女を哀れだと、思った。




(男を見る目がないからですが、期待する気持ちも理解はできるわ)




「陛下、お会いになる必要などありませんのに!」


 ローレンは最近行儀見習いにあがった侍女だ。私の実家のフォースリア公爵家の遠縁で、幼い頃から可愛がっていた子だった。そのせいか、こんな時は私の代わりに怒ってくれる。私にとっては有難い慰めになる。


「陛下の周りに、”何かの意図を持った”不穏な女が近づく可能性は否めないでしょう?ただの下働きか、確かめたかったのよ」


「それにしても……」


 ローレンは不満そうだ。




 部屋にシンクレア伯爵夫人が入って来た。彼女も侍女の一人だ。


「陛下、あの下女の周辺を調べさせましたが、特段問題は見つかりませんでしたわ」


「そう。一体どこで会っていたのかしら……」


 シンクレア伯爵夫人は一瞬ためらったが、結局教えてくれた。


「朝の支度のクローゼットの中だそうです」


 ちょっと意味がわからなかった。




「何て事!」


 ローレンが小さく叫んだ。私の代わりに……。


「何でそのような!」




「ウィリアム陛下は朝の支度の時、自らお衣装を選ぶのにクローゼットに入られるそうです。その時クローセットにはリリーだけを入れて、他の侍女は下がらせていたようです。もう、ここ三か月位は毎日だったそうです。皆、口が堅かったですわ……」


 何と言うか、夫のそういう所は未だに理解できない。後宮に側室が二人いて、どちらも政略ではなく夫本人の強い希望で側室になった。その上、下女とクローゼット。


 私は眩暈を覚えた。




「陛下、どうかお気を強くお持ちになって」


 伯爵夫人もローレンも真摯に慰めてくれた。毎回毎回、夫の女の後始末をさせられる王妃など、歴代の王妃の中にもいただろうか。


 夫が女にだらしないのは事実だが、あまり世間の噂にはならない。それは全て、私が陰で後始末をしているからだ。二人は、そんな私の苦労を労ってくれるのだ。




(政略結婚なんてするものじゃないわね)


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