1-2 合法侵入は「ぼっち」には効果が薄いです

翌日。


俺は朝早く起きて、荷車を引きながら街にあるワインセラーに足を運んだ。

この荷車は近くにあった資材置き場から黙って拝借したものだ。後で返しに行かなくてはいけない。



(ここだな……。うん、予想通りこの時間は業者の出入りが多いな……)


そこは街で一番大きなワインセラーで、多くの従業員が働いている。

俺はワインセラーのカギを持っていると思われる男に声をかけた。


ちなみに彼もまた妖怪であり、アカナメ曰く『手の目』と呼ばれるそうだ。

その名の通り、顔ではなく手に目がついていることが特徴だ。


うつらうつらと眠そうな態度をとっており、夜中から早朝にかけての警備を押し付けられているのが見て取れた。



「すみません、ワインの注文をいただいていまして。セラーのカギを開けていただけますか?」


俺の心臓は緊張でドクンドクンと高鳴っていた。


このスキル「合法侵入」は、どんな身分であっても入り込めるというわけではない。

「相手が特別に怪しまない立場」の人のふりをしないと、すぐに正体がバレる。


たとえば、家族のような『明確に身分だけで顔がわかるもの』には化けられないし、『私は王様だ』と言って民家に訪れても『こんなところに王様が来るわけない』と看破される。



だが、「ワインの宅配業者」のように、対象が『顔を知らないもの』や「知り合い」のように『不特定多数の対象者がいるもの』であれば問題はない。


それであれば『普通の変装と何が違うの?』と思うかもしれないが、合法侵入でバレる基準は基本的には『顔バレ』と『言動』だけだ。

通行証や制服などは持っていなくても、相手は怪しむことはない。



「ほう、こんな早くに、ワインの搬出をするのか……?」


そういいながら手の目は俺に手を向けてきた。


もっとも友達が一人もいたことのない相手に『友達』といえばバレてしまうように、この妖怪がワインの搬入業者の顔を事細かに覚えていたら、通らない。


俺は緊張しながらうなづく。



「は、はい……」

「……そうか。あんたも朝早くから大変だな。ちょっと待っててくれ」



だが、彼は俺の顔に興味がないのだろう。

正体はバレなかったようで、ワインセラーに案内してくれた。



「それじゃあ、あんたのほうで必要なものを持って行ってくれ。持ち出したワインについては、そこに業者名と銘柄を記載してくれ」



なるほど、ここでは彼ではなく俺たち自身が搬出したワインについて書けばいいのか。

ただでさえ、妖怪たちはまともな教育を受けていないものが多い。


特に手の目はその身体的な特徴から、文字を書くと目が回ってしまうらしく、妖怪の中でも書字を苦手としていると聞いていた。



また、そもそも手の目が管理しているワインセラーには、さほど高価なものがないため、そこまで管理に厳しくないのだろう。実際ワインを物色していたが、安酒ばかりがそこにあるのがわかった。



(えっと……。一番いいのはやっぱり……これだな……)



しばらく俺はワインを探した後、一番度数の高いワインを選んだ。

値段もさほど高くないので、このワインセラーに与える経済的な打撃も小さいだろう。



(ごめんな、今度倍にして返すから……)



そう思いながら、俺はワインを持ち出した。





そして、夕方。

俺はほかにも複数のワインセラーにいき、ワインを用意した。


あまり一つのセラーからワインをたくさん持ちだすと『業者を装った泥棒かもしれない』とバレてしまうためだ。



そして荷車がいっぱいになった段階で俺は納屋に戻り、アカナメに首尾を報告した。



「ねえ、ねえ、作戦はどうでした?」

「ああ、バッチリだ」


そういって俺は、荷車いっぱいに載せたワインを見せた。

それを見てアカナメは、嬉しそうに笑う。


「よかった~! あたし、心配したんですよ?」

「ああ、心配かけてすまなかったな」



ちなみにこの『合法侵入』は俺自身にしか効果がない。

腕力のあるアカナメを連れて行きたかったが、それが出来なかったため彼女には納屋で待機してもらっていた。



彼女は俺の体をまた、嘗め回すように見つめながら、はあはあと興奮したような笑みを浮かべてくる。



「……そ、それにしても、相当緊張したみたいですね?」

「なんでわかるんだ?」

「だ、だってだって、すっごい量の垢が出てるじゃないですか! 美味しそうで、ああ、もう! ……あたし、我慢できません!」

「うお!」



そういうとアカナメは俺を押し倒し、また昨日のように体をべろべろと嘗め回してきた。




「うひゃひゃひゃひゃ! やめ、やめろって! 疲れてんだよ!」

「嫌です! あたしもう、おなかペコペコで……! ほら、わきの下なんかすごい! ちょっと舐めただけでボロボロとおいしい垢が出てくるじゃないですか!」

「うわひゃひゃひゃひゃ! ぶわひゃひゃひゃひゃ!」



ただでさえワインを運び出すのに苦労したのに、こんなに全身を嘗め回されたら体力を消耗しきってしまう。

だが、彼女と俺の力関係では逆らえるわけもない。俺は彼女の嘗め回しに必死になって耐えた。





しばらく俺の体を嘗め回した後、満足したようにニコニコといい笑顔を向けながら彼女は俺に笑いかけてきた。



「はあ~……。こんなおいしい垢が取れるなんて、最高です~……。えっと……そういえば今思ったのですが、まだあなたの名前を聞いていませんでしたね……」

「あ……はは……そ、そうだったな……。俺、の、な、名前、は……『ぬぁーり・ひょん』……だよ……」



だめだ、全身がくすぐられたせいで、まだ体がいうことを効かない。

俺は自分の本名『ナーリ・フォン』と正しく言えなかった。




「へ~……。『ぬらりひょん』っていうんですね? えへへ、覚えましたよ?」



そうアカナメはニコニコと笑って答えた。

ちょっと※発音が違う気もするが、まあいいか。


(※ナーリ・フォンはもともと日本人ではないこともあり、アカナメ達の話す微妙なイントネーションの違いを正しく認識できていない)



「あ、ああ……あんたの名前は?」

「え? ……ああ、あたしたち妖怪には名前はないんです。なので今まで通り『アカナメ』って呼んでください!」

「そ、そうだな……よろしく、アカナメ」

「ええ! ……あ、そうだ! 昨日からあたし、垢を食べさせてもらってばかりだから、あたしもごちそうを作ったんですよ!」



そういってアカナメは草……確か『笹』とかいう、元の世界ではアジアに分布する植物だったか……に似た葉につつんだ、饅頭のようなものを見せた。



「これは?」

「ぬらりひょん様のために作ったお夕飯です! ……ぬらりひょん様、昨日あたしから『お礼』を受け取らなかったじゃないですか? だから、その埋め合わせも兼ねたんです!」

「お礼? 筋トレ手伝ってもらったのがお礼じゃないのか?」



そう聞くと、アカナメは顔を真っ赤にして手を振った。



「あ、いえ! 何でもないです! ……と、とにかくどうぞ!」

「ああ、ありがとう」



そういって俺は饅頭を一口食べる。




……その瞬間、口の中に恐ろしい苦みが広がり、脳が『この毒を今すぐ吐き出せ!』と全力で命令を下すのを感じた。




「ぐわあああああ!」

「ど、どうしました、ぬらりひょん様?」

「ぶはあ、はあ、はあ……」


ただでさえ『嘗め回し』で体力を消耗していた時に、この饅頭の威力は命に係わる。

俺はげーげーと必死で吐き戻しながら尋ねた。



「い、いったい何入れたんだ、アカナメ?」

「え? 干し飼い葉ですけど?」

「……干し飼い葉だと?」



言うまでもないが、それは動物の餌だ。

だがアカナメは微塵も悪意を感じさせない表情で尋ねる。



「だってぬらりひょん様、言いましたよね? 俺たち人間は基本的にに食べられないものはない、って」

「そ、それは……あくまでも常識の範囲の話であって……」

「ええ。だからお馬さんが食べられるものは人間も食べられると思ったんです」



よく考えたら、彼女たちアカナメは垢しかたべない。まして、この世界に人間はいないのだ。

そんな彼女に『人間の常識』なんてものを期待した俺が愚かだったのだ。



「いや、俺にも食えないものはあってさ……この飼い葉もその一つなんだ……」

「そうなんですか? あんな大きいお馬さんが食べるんだから、ぬらりひょん様もこれを食べたら、力がつくんだと思っていました!」


「その理屈なら、鷹がネズミを食うからといって、俺がネズミを食ったら空を飛べるようになると思うのか?」


「え? ……た、たしかに……」




それを聞いて、あか舐めは恥ずかしそうに頬を染めた。



「やれやれ……。これから俺もあんたたち『妖怪』のことを理解するように頑張るからさ。あんたたちも俺みたいな『人間』のことを理解するようにしてくれないか?」

「え? それって……。サテュロスをやっつけた後も、一緒にいてくれるってことですか?」

「ああ。……俺は居場所がないからさ。正直一緒にいさせてくれると嬉しいんだけど……うわ!」



アカナメはその発言によほど嬉しかったのか、急に俺に抱きついてきた。



「わああああい! じゃあ、絶対に一緒にいてくださいね、ぬらりひょん様!」

「あ、ああ……。うお!」


俺が一瞬喜んだ瞬間、首筋にまた生暖かい感触が走る。

……そうか、これは抱きつくふりをして首筋に残っていた垢をなめとっているだけだ。


まったく、アカナメは俺の垢が目当てで喜んでいるだけなんだな。まあ、それはそれでいいのだが。


しばらくしてアカナメは俺から舌を離し、首に手を回したまま俺の顔を見てにっこり笑った。

こんなかわいい子にじっと見つめられると、普通ならドギマギするのだろう。



……だが、俺は普通じゃない。

じっと見つめられても心が動かなかった。



「えへへ、ぬらりひょん様? ずっと一緒にいてくださいね~?」

「あ、ああ……。それじゃ、どいてくれ。そろそろ出発しないと行けないからな」

「……は~い。ご主人様って名前通り『ぬらりくらり』した人ですねえ……」


一瞬だけアカナメは憮然とした顔を見せたが、俺は特に気にせずに立ち上がった。

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