第37話、いつの日か

 


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 マーレゼレゴス帝国には、いつからか持ち込まれた一冊の絵本が人気を博していた。

 双子の少年たちの冒険譚である。

 誰かが手書きで書いた絵本らしき異国語の読み物は、マーレゼレゴス帝国では珍しがられて、口伝で広まりその絵本を読むために老若男女問わず列を成して順番待ちをする有様だった。

 日本語で書かれた読み物は皆が読めるように今では翻訳されている。その有様を知った新王が、その本を大量にコピーして、街中に無償で配った。

 皆喜んで手にして読み、古くなった絵本を魔法で修復しては何度も人々を楽しませた。

 もうそれは絵本ではなく、マーレゼレゴス帝国の歴史の教科書にさえなりそうな勢いだった。

「~で、双子の少年たちと、皇子さまたちは街の人たちと城を再建させましたとさ」

 噴水のある大広場にある木陰で読み聞かせをしていた少女が、絵本を読み終える。すると話を聞いていた男の子が少女に視線を上げた。

 薄い水色がかったシルバーの髪色の男の子の首元には、小ぶりにしたアクアマリンのネックレスが光っている。

 少女は、アレキサンドライト色をした瞳を持つ男の子に手を伸ばして、そのネックレスを撫で上げた。

 大きな粒の中に赤い点が一つだけ深く深く沈みこんでいる。だがあまりにも儚くて消え入りそうだった。

「ねえ、リンちゃん」

「どうしたの?」

 少女の癖っ毛の短い髪の毛が風で揺れる。

「どうしてこのお話はここで終わってるの? 続きはー? 結局悪い人はどうしたの?」

 ふふ、と笑みをこぼした少女……リンが男の子としっかりと目を合わせた。

 リンの黄色の瞳が、チェシャ猫のように細められる。

「王さまと皇后さまに聞いてみるといいよ」

 すると男の子がムスッとした顔をした。

「やだよ。父様も母様もさ、いーーーっつもイチャついてばっかりなんだもん! いつになったら倦怠期っていうやつ来るの? 夫婦ってやつには来るもんなんでしょ? 友達が言ってたよ。でも来ないんだもん。本当っーに嫌になる!」

 そう言うと、リンは芝生の上を転げ回りながら大笑いした。

「あはははは。仕方ないじゃないか。だってこれ王さまと皇后さまたちの昔のお話なんだから。たくさん苦労した分、平和になった今はイチャイチャくらいさせといてあげなさいよ」

「ええええーーーっ!」

 男の子が驚きの声を上げる。

「なんだよそれ、これ父様と母様のお話しなの? うえーーー、つまんないーー! 急に嫌になってきた!」

 男の子が叫んだ所へ二つの人影が歩いてきたが、男の子は気がついてもいない。

 絵本は過去にセレナが書いた絵本だった。ゼリゼの考えていた通り、絵本は予知書に近かった。

 それ故に土台の設定はしっかりしていても、主人公も、封じた相手の事も、物語の結末も曖昧に濁されたまま終わっている。

「もう僕その本は見ないから、リンちゃん今度から別の絵本にしてよね」

「どうかしたのか、キナリ?」

 現れた人物の声に男の子の体がビクリと跳ね上がった。そして立ち上がるなり、一目散に走り去って行く。

「どうしたんだ、あいつ?」

「玲喜、ゼリゼ。もうイチャつき終わったの?」

 ニヤニヤしながら問うたリンの言葉に、玲喜が盛大に咽せる。飲み込もうとした唾液が気管に入った。

「おいっ、リン! 子どもには変な事言うなよ?」

「アタシじゃないよ。キナリから聞いたんだよ。ねー? 二人ともイチャついてばかりだもんねー?」

 去っていく男の子……キナリに向けてリンが大声で呼びかける。

「えーー? し……っ、知らなーい!」

 玲喜は頭痛がした。

 目の前でイチャついた覚えはないからだ。

 ゼリゼは処構わずに通常運転で玲喜に絡みに行くが、子の目がある時には、玲喜はゼリゼとは絡まない。

 なのにイチャついてばかりと言われているとなれば、王室にある二人の寝室へと忍び込まれている。

「キーナーリ! お前ちょっと戻ってこい!」

「やばっ、ヤダよ! 怒られるのヤダ! じゃあね、リンちゃんまたねー!」

 大手を振って去っていく我が子を見て、ゼリゼが声を殺しつつも肩を揺らして笑っていた。

「ゼリゼ……お前まさか気が付いていたのか?」

「たまに気配があるのは知っていたが姿は見ていないからな。魔力を使って遠視しているのだろう」

「教えろよ!」

「教えるとお前は俺に触れさせてもくれなくなるだろうが。これ以上我慢させられて堪るか」

 真っ赤な顔をした玲喜が怒り出したが、身をかがめたゼリゼに唇を落とされ、複雑そうな顔をしながらも玲喜は大人しくなる。

「普っ通~にイチャつかないでくれる?」

 リンにジッと見つめられ、玲喜の顔が更に赤くなった。




 ***




 数年前のあの日、城ごと周辺全てが吹き飛んだ時、リンが即座に開いた空間にレターナ以外が吸い込まれた。

 玲喜にとっては見慣れた場所で、古くなり朽ちてはいるが、まだ喜一郎の家があるのが分かって、玲喜は嬉しくて人目も憚らず泣いた。

 警備隊を合わせた城にいた人たちは、己たちのいる場所を見ては驚き、それからは呆然としている。

 玲喜……いや、マギルの体が大泣きしているのだ。

 直視してはいけない、と皆の呼吸と動きが止まっていた。

 ジリルとラル、アーミナだけは転げ回ってまで爆笑しているが。

「はーい、皆んな帰るわよー!」

 数日後、帰る準備を整えたリンがマーレゼレゴス帝国への扉を開ける。

「玲喜っ、ブフッ、またマギルの体に……、ぐふっ、入ってね~」

「ジリル様、やめて下さい……っ、ボクの無い腹筋がまた壊れてしまいます」

「私も……っ、死にそうです」

 そんな三人の事情は無視して、ゼリゼがラルに視線を向ける。

「ラル。帰ったら例の奴らは解散させて、ついでに建物も解体しておけ」

「私もちょうど同じ事を思っていた所でした。喜んでそうさせていただきます!」

 ゼリゼからの言いつけを聞き、ラルが薄笑みを浮かべる。リンも分かったのかピクリと耳を震わせた。

「アタシも連れてって。猫の手も借りたいでしょう?」

 一瞬にして伸ばした爪を、リンがペロリと舐める。

「そうですね。長年集めた証拠が膨大な量になってますので、人手が足りなかったので丁度良かったです。猫の手もお借りしましょう。解体も早そうですし。すぐに別の施設も作りたいですしね」

「?」

 玲喜にはよく分からなかったが、第一弾目に戻っていく皆に手を振って別れる。

 マーレゼレゴス帝国に戻った城の者たちは、かつて城のあった場所を見てまた呆然としている。

「待って、僕も行く~」

 面白そうだからとジリルが混ざり、ラルとリンと一緒に嬉々として、教会のある方角へ出かけていくのを皆が眺めていた。

 それからすぐに戻ってきたリンの力を借りて、玲喜はアクアマリンのネックレスの一部と一緒にレジェを封印した。

 やっと元の体に戻れ、真っ先に腹に手を当てた。

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