第17話、城下街へ行こう

 3




 玲喜はゼリゼとラルと共に市場に来ていた。

 海に浮かぶ島だけあって漁業が盛んな国だ。

 それぞれの店の従業員が客を呼び込む声で賑わっている。

 黄色に赤にピンク、青に緑といった色とりどりの見た事も無い大きさの異なる魚が沢山並べられていて、見ているだけでも楽しい。

 本当に食べられるのか疑問に思ったくらいには、ドギツイ紫色と黄緑色が螺旋を描いた四角い魚がいて驚いた。

 ——どうやって泳ぐんだろう。

 目に鮮やかだ。まるで水族館にきているような楽しい気分にさせられた。

 腕を引かれて見上げるとゼリゼに微笑まれる。

「迷子になるぞ、玲喜」

「じゃあゼリゼを掴んでる」

 服の裾を緩く掴むと、ゼリゼが目を瞠った。

「? ごめん、嫌だったか?」

 パッと手を離す。

「どうせなら、こっちにしろ」

 今度はゼリゼの方から手を取られ、指を絡めて繋がれた。

 目的である味噌や一番ダシになりそうな魚と箸を求めて色々な店に入る。そこで初めて重要事項を失念していたのに玲喜は気が付いた。

「あ、そういえば忘れてた! オレ此処の通貨って持っていない……どうしよう。日本のお金って両替出来たりしないよな?」

 財布は常にズボンの後ろポケットに入れていたので多少金自体は持っていたものの、使えなければ意味がない。

 ゼリゼとの暮らしに慣れていたのもあって、つい日本にいる感覚でいた。

「俺が出すから気にするな。日本にいる間、お前も俺に移住食や金の心配をさせた事はなかっただろう? それに己の妃に不自由をさせるほど甲斐性無しじゃない」

 クシャリと髪を混ぜて頭を撫でられる。

「そんな事より、体調が悪くなったらすぐに言え。俺としてはそっちの方が気になる」

 身長を屈めたゼリゼに軽く口付けられてしまい、玲喜は自分でも分かるほどに顔が熱くなった。周囲の視線も痛い。

「あーあーあー。私も居るのでお忘れなく」

「何だ居たのか」

「出たよ、このクソ皇子……」

 またラルの心の声が漏れていた。

 いや、こめかみに微かに血管が浮き出ていたので元より隠す気のなかった言葉だった可能性も高い。それに城内からずっと一緒なのだから気が付いていないわけもなく、態となのはすぐ分かる。

 ラルは従者だ。行動を共にして当たり前の存在である。シレっとうそぶいたゼリゼの言葉を聞いてラルの顔も引き攣っていた。

 色々見て回っていると、易者がこちらに向けて手招きしているのが見えた。

 フードの隙間から褐色の肌が覗いている。

「ねえねえ、こっちおいでよ」

「え、オレ?」

「うんうん、そう。お兄さん貴方だよ、玲喜」

 ——え?

 思わずゼリゼの手を離して、易者の元へと歩み寄っていた。

「何でオレの名前……?」

 訳が分からず困惑する。

「お兄さんとはまたすぐ会えると思うから、それはその時に話すよ」

 声を聞く限りでは若い少年なのだが、ヴェールを被っているのもあって年齢性別共に不詳だった。

「今日は忠告だけしとく。二度目の死が貴方について回っている。気をつけなね、お兄さん。貴方が消えると混沌が訪れるから」

「え? 二度? 混沌て……」

 濃い黄色がかった易者の目がチェシャ猫のように細められる。

 本心で言っているのか冗談なのかも分からなかった。

 どういう意味だろう? そのまま鵜呑みにすると、己は一度死んでいてその後で生き返った事になる。そしてまた死ぬ危険があると言われているのだ。

 しかし、混沌とは何だ?

『玲喜っ、ダメよ……玲喜、戻ってきて』

 全身が脈打ったかのように熱くなった。

 そんな記憶はない筈なのに、セレナがそう叫びながら泣いていた。

 ——何だ、これ。

 ある筈のない記憶の一部が脳に直接なだれ込んできて、訳が分からず困惑する。

 そんな玲喜の思考を遮るようにゼリゼが口を開いた。

「おい、貴様。適当な事をほざくな。行くぞ玲喜」

 手首を取られてどんどん先に進まれ、玲喜は自然と絡れそうになるくらいの早足になった。リーチの差を考えて欲しい。

「ゼリゼちょっと待て。止まれよ! お前と二十センチは身長差あるんだぞ。その歩幅に合わせるのはしんどい!」

「ああ、すまん。つい……。抱き上げるのを失念していた」

「そこじゃねえよ!」

 寧ろ抱き上げられなくて良かった。

 あれは恥ずかしすぎる。握られていた手首が痛いくらいに熱を持っていた。

 一体どうしたというだろう。ゼリゼらしくない行いだった。

 反対側の手で手首を擦りながら周りを見渡すと、ラルの姿がなくなっている事に玲喜は気がついた。

「あれ? ラル居なくなってる。逸れたんじゃ? 戻った方が良いんじゃ無いか?」

 日本みたいにスマホなどの電子機器はマーレゼレゴス帝国にはない。

 玲喜が一人あたふたしているとゼリゼが右手を挙げて空に何かを書いていた。

「何してるんだゼリゼ?」

「ラルに送るメッセージを作成している。これで後で問題なく合流出来る」

 ゼリゼが呪文を唱えると文が空気に溶ける。

「凄いなゼリゼ! 魔法使いって感じでカッコいい! オレもそういう魔法なら使いたい。前にお前がやってた鍵開けたり電気つけたりしてたやつも。ああいうのはオレには出来ないのか?」

 瞳を輝かせて玲喜が尋ねると、何故かゼリゼは顔を押さえて反対方向を向いてしまった。

 指輪の時もそうだったが、ゼリゼは意外と照れ屋なんだよなと玲喜が考えていると、ゼリゼは咳払いをしながら玲喜に向き直る。

「魔力量の調整が必須になる。玲喜には先に魔力を抑える道具をつけよう。教えるのはそれからだな。指輪、ネックレス、ブレスレット、アンクレット、カフスならどれが好みだ?」

「指輪かな? できたらで良いんだけどアクアマリンがいい。昔セレナの装飾品の中にもその指輪があったんだけど、ゼリゼに渡す時、何故か無くなっていたんだよな。あれだけ欲しかったから残念に思ってたんだ。ネックレスのアクアマリンは大きすぎてオレには着ける事自体が無理だ。無くしたらと思うと……怖すぎる」

「すぐ作らせよう」

「ありがとう! アクアマリンってゼリゼの髪と目みたいで綺麗なんだよ。お前と初めて会った時も本当はそう思ってた。日本じゃ船乗りを愛してしまった人魚の涙とも言われてて、切なくって何だかいいだろ? それも気に入ってる理由の一つだ」

 まるで自分たちみたいだからとは言わなかった。

 またしても顔を押さえたまま微動だにしないゼリゼを見て、玲喜が言った。

「顔が痛いのか?」

「いや……何でもない。気にしなくていい」

 先程からゼリゼの挙動がおかしいとは思いつつも、玲喜はその後少しして復活したゼリゼと店を周り、箸と味噌を手に入れた。

 味噌はこの国ではあまり売れないらしく、作っている店自体もここだけのようだ。

 ゼリゼが店主と定期購入の契約を結んでいた。

 残すは鰹節、あれば昆布も欲しい。玲喜はゼリゼを残して見て回りながら店員に声を掛けていき別の店へと繋いで貰う。

「こんな水草なんて要らねーよ」

「この店はもっとマシなモンはねえのか」

 からかい口調の喧騒事が起きているのが分かり、玲喜は視線を向けた。

 ——何処にでもいるんだな、ああいう輩って……。

 そう思いながら、何が揉める原因になっているのかと男たちがその手にしている物を見る。

「あー! 昆布! すみません、これを乾燥させた物はないですか?」

 玲喜は急いで駆け寄り、男が手にしているモノを指差して店主に問い掛けた。

「あるよ。でも君……早く逃げた方がいいと思う」

 戸惑いがちな返答がくる。

「へ?」

「何だ、お前……」

 無視されたと感じたのか、男たちが玲喜を取り囲んで絡み始めた。

 男の太い腕が持ち上げられ、玲喜に向かって拳を振り下ろされる。

 が、玲喜に当たる前に、何もない空間に男たちの体が浮遊した。

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