第3話、どうしてオレの布団で寝ている?
次の日、息苦しさで目を覚ました玲喜は視線を這わせた。
端正な顔立ちをした男が、横向きに寝ている玲喜を抱きしめて寝ている。重いと思ったのは追い出した筈のゼリゼの腕だった。
銀色の長い睫毛に覆われている綺麗な二重瞼が微かに揺れて、ゆっくりと上下して玲喜を捉える。
「何でまたオレん家にいるんだよ」
「寝れそうな場所が此処しかなかったからだ」
「違う! どうやって家の中に入った? 鍵掛けてあっただろ……、お前まさか!」
自分で言っておきながら玲喜は息を呑んだ。
扉ごと壊して入ってきたのかと思い、ゼリゼの腕の中から抜け出すなり玲喜は玄関へ急いだが、鍵は掛かったままで壊れてもいなかった。安堵の吐息をつく。
「鍵くらい魔法でどうにでもなる」
大きく伸びをしたゼリゼが玲喜のところまで歩み寄る。
「魔法⁉︎」
「見てろ」
百聞よりも一見に如かず。
玲喜の目の前で、ゼリゼが右手の指先を動かす。すると、かかっていた鍵が外れる音がして触れてもいない扉が勝手に開いた。
「妨害魔法も張られていない扉等開けて下さいと言っているようなものだ」
どうだ見たか? とドヤ顔をしてくるゼリゼを見ていると頭に血が上ってくるのが分かった。
最後の一言がなければ「凄いな」くらいは言っていたかもしれない。
「堂々と不法侵入しといて威張るな!」
だがこれで昨夜に電気が点いてたり消えてたりしていた謎は解けた。全てはゼリゼの魔法だったのだ。
——何だよそれ。すげえ便利。カッコいい!
思ってはみたものの、悔しかったので口にはしなかった。
「おい、食事はまだか? いい加減腹がへった。あとシャワーも浴びたい」
至極当然と言わんばかりにゼリゼがテーブルの前についている。
自分でやれよ、と言いたかったが一人分も二人分も大差ない。
玲喜は簡単に目玉焼きとベーコンを焼いて味噌汁とご飯をよそうとゼリゼの前に出した。
いただきますと手を合わせて箸を手にしたが、ゼリゼは不思議そうに箸を眺めている。
「もしかして……箸を見たのは初めてなのか?」
「これは、箸というのか」
角度を変えてじっくりと観察している所は何だか少し可愛く見えて、玲喜は表情を綻ばせる。
興味深そうにしているゼリゼに、取り出してきたナイフとフォークとスプーンを用意した。
「これなら使えるか?」
「むっ、俺もこの箸とやらを使いたい」
玲喜の見様見真似で扱おうとするも、中々上手くいかない。
玲喜が使い方をレクチャーしその通りにしてみても、テーブルの上に落ちて転がっていった。それを見て玲喜が吹き出す。
「笑うな。我が帝国ならば、不敬罪で牢獄行きにしてやるものを……」
「オレが訴えればゼリゼの方こそ住居侵入罪で前科持ちになるぞ?」
不服そうにそっぽ向いたゼリゼはどこか幼く見えて、玲喜は観察するように見つめた。
「ゼリゼって何歳なんだ?」
「生を受けて十九年目の生誕祭を少し前に終わらせた所だ」
「十九⁉︎」
まさか二つも年下だったとは思わず玲喜は目を剥いた。
やたら貫禄のある喋り方をするのもあり、年上のイメージがあったからだ。
「これは美味いな」
どうやら味噌汁が気に入ったらしい。
「味噌汁って言うんだよ。中身は豆腐とほうれん草」
「味噌汁……豆腐……ほうれん草」
おうむ返しにしながら、初めて口にしたのか目が輝いている。
どうやら思った事をそのまま口にする性格らしい。そう思ったら否定的にしか見れなかったゼリゼの事も、気にならなくなってきた。
「ぐっ……」
またしても箸が転がっていく。それを見ているとまた笑えてきた。
ゼリゼは箸を使うのを諦めたのか、ナイフとフォークを使い始めた。
「ゼリゼ、そろそろ風呂入るか?」
「風呂……、シャワーの事か?」
「そうだ。そうか、日本以外では風呂って言わないんだな」
食事が終わり少し腹を休ませてから、ゼリゼと風呂場へと向かった。
なんて事ないように服を脱いでいくゼリゼから視線を逸らす。玲喜は目のやり場に困っていた。
思わず触ってしまいたくなる程に鍛え抜かれて引き締まった筋肉がついていて、貧相な体の自分と比べてしまい落ち込んだ。
——この体が十九? 嘘だろ。
服を着ている時には然程思わなかったが、くっきりと腹筋が割れている。着痩せするタイプらしい。
「シャンプーするぞ。目を閉じててくれ」
「ああ」
線の細くて綺麗な色合いの髪の毛が絡まないように、丁寧に洗っていく。頭を洗い終えた後に、ゼリゼの背中に泡のついたボディウォッシュタオルを滑らせた。
「手洗い場でシャワーを浴びるのは初めてだ」
「手洗い場じゃない。ここは風呂場って言うんだよ。バスルームとも言う。あと、そこにあるのは浴槽っていって、お湯を溜めて体を浸けるんだ」
「此処で? 俺の体の半分も入らんが?」
悪意のない眼差しと鏡越しに目が合う。
「そうだ。まあ、お前ははみ出すだろうな。てか、ゼリゼがデカ過ぎるんだよ」
ゼリゼの性格が何となく分かった玲喜は、もう噛みつくのはやめていた。
害意はないという事が分かったのは大きい。
庶民であるどこにでもいる平凡な自分と、かたや皇子とでは、今までの暮らし自体が違い過ぎたのだ。
いわゆる価値観の違いというもので、ゼリゼにはこちらを貶すつもりはない。
風呂場内の説明は終えたので、話題を変えた。
「ゼリゼは、日本に来る前に何か変わった事をしたとか無かったのか? 後二カ月もしない内に、オレはここを出て行かなきゃいけないから、それまでに戻る方法を探さないと戻れなくなるぞ」
「二カ月?」
「ああ。この土地の買い手が見つかったらしい。今オレは立ち退きを要求されているんだ」
「何だそれは。俺が話をつけにいってやろうか?」
ゼリゼの言葉に思わず笑みが溢れた。
第一印象は最悪だったが、意外と世話焼きの良い奴なのかも知れない。新しい発見だった。
「いや、いいよ。どっちみちオレにはこの土地と家を守っていけるだけの経済力が無いんだ。だからこれで良かったんだと思う。喜一郎にも負担になったら直ぐに手放せと言われていた。だからオレの事はいいよ。ゼリゼが元の国に早く戻れるように手掛かりを見つけよう。ここにくる前に、何か変わった様子はなかったのか?」
「特には……。ただ従者と異世界の話はしていたな。其奴も少し前に異世界へと飛ばされたと言っていた」
ゼリゼの言葉に玲喜の動きが止まった。
「ゼリゼの国では頻繁にあるのか?」
「どうだろうな。俺は其奴の話しか聞いた事がない。こんな事になるのなら戻り方もきちんと聞いておけば良かった。御伽話感覚で聞いていたから、まともに取り合ってもいなかった」
背中を洗い終えてボディウォッシュタオルをゼリゼに手渡す。
「前は自分で洗ってくれ」
玲喜の初恋相手は同性だった。
五歳の頃、ゼリゼと同じように突然この家にやって来た男だ。
——やっぱり何となくだけどゼリゼと似ているんだよな。
顔立ちや髪の色合いは全然違うけれど、そこにいるだけで圧倒的な存在感を醸し出す所や、食事中の所作、立ち姿などが特に似ている。朧げな記憶を辿っていると懐かしくなってきて、それと同時にこの場に居た堪れなくなってきた。
次からはゼリゼ一人で風呂に入れるように、手早くシャンプーやトリートメント、ボディソープの説明を終わらせるなり風呂場を出た。
玲喜は己のセクシャリティーは同性だと思っている。
初恋以来同性にも異性にも恋愛感情を抱いた事はないが、この状況下で生理的に体が反応しないとは言い切れないし、気付かれたくなかった。
「オレ扉のとこにいるから」
タオルを準備してその場に座り込んだ。
——参ったな。何でこのタイミングで思い出してしまったんだろ。
気まずさしかなくて頭を抱える。
同性愛に嫌悪感を示す輩は多い。
これから動き辛くなるのを考慮し、なるべく性癖の露見は避けたかったのに、よりにもよって初恋相手を思い出すなど、意識しろと言われているような気になってしまう。
思考回路を切断したくて、風呂場の外からゼリゼに声をかける。
「異世界へ転移してまた戻れてるのなら戻り方は確実に存在しているよな。何か条件があるのかな」
「それが分からないから困っている」
「そうだよな。ごめん。ちょっとオレ、ゼリゼが着れそうな服探してくる。タオルここに置いとくから」
自分の服ではゼリゼには狭いだろうと思い、生前に喜一郎が縫ってくれた大人用の浴衣を手に取った。
風呂場へ戻るとゼリゼはもう風呂から出ていて、腰にタオルを巻いている。
「何だこの妙な服は?」
「ああ。浴衣っていうんだよ。喜一郎がいくつか縫ってくれたんだけど、オレには大きくてさ」
この年になっても玲喜には大きかったが、ゼリゼにはちょうど良さそうだ。
「意外と似合うな。下着はこれから買ってくるから少しの間我慢していてくれ」
「分かった。しかし動き難い服だな」
「すぐ慣れるよ」
近くのコンビニまで急いで自転車を漕いだ。
歩き難いと文句を言いながら、初めて着るタイプの格好にゼリゼが心を躍らせているのは明白で笑ってしまった。
年相応で意外と可愛い所があるゼリゼを見ると微笑ましい。
問題はゼリゼの着ていた服を普通に洗濯しても良いのかどうかだった。
「なあ、この服いつもどうやって洗ってるんだ?」
「俺が分かるとでも思っているのか?」
胸を張って言われる。
「だよな……。一応聞いてみただけだ」
自ら服を洗う皇子なんて想像もつかない。玲喜は頭を悩ませた。
洗剤につけると生地に施されている宝石が痛みそうだし、クリーニングに出すとしても高くつきそうだ。それに代物が代物だけに盗難となると目も当てられない。
気をつけながら手洗いし、太陽光で生地や装飾品が傷まないように部屋干しにした。
当の本人は浴衣が気に入った様子で鼻歌混じりに家の中を徘徊している。
先に掃除でもしようかと室内に視線を巡らせた。
テーブルの上に指輪やネックレスが無造作に置かれているのを見て、玲喜は悲鳴を上げそうになった。
こんな高価な代物を適当に放置しないで欲しい。その内の一つに目が行き、玲喜は息を呑んだ。光の当たり具合で色味が変わったからだ。
アレキサンドライト。日の当たり方次第で青と赤に色を変える希少性の高い宝石である。
昔セレナが自分と玲喜の瞳の色と同じだと教えてくれた石の名前だ。また、王族の証である指輪だとも聞かされている。
玲喜はそれを掴むとゼリゼの手を取り、左手の人差し指にその指輪をはめた。
昨日見た時もそこにはめていたので、人差し指で間違いない。
「アレキサンドライトは王族の証なんだろ? こんな無造作にテーブルに置きっぱなしにしちゃダメだろ。盗まれたらどうするんだ」
玲喜は若干腹を立ててゼリゼの指にはめたのだが、その本人であるゼリゼはポカンと間の抜けた表情をしていた。
「ゼリゼ? どうかしたのか?」
「いや……別に」
一体どうしたと言うのだろう。
ゼリゼは顔ごと玲喜から逸らして表情が見えないようにしている。耳まで赤いので照れているのは一目瞭然であった。
暫く間を開けてから、ハッと我に返ったようにゼリゼが玲喜を見た。
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