03 気持ち(2059文字)
「
幼い頃から事ある毎に言われて育った。
お陰様で、相手に何かしたり何かしてもらったりと、人とかかわる時には、常に相手がどういう気持ちでいるかを考えるようになった。
その甲斐あって、幼稚園、小学校と友人関係は良好で、友人間の衝突を仲裁することもあり、親や先生から
「両方の立場で考えられて偉い」
と誉められたりもした。
そうして中学生になった頃には、どんな人の気持ちも手に取るように分かるようになっていた。
…つもりでいた。
あの事件が起こるまでは。
忘れもしない あの日、数学の授業中に、国語教師である担任が慌てて教室の扉を開けると、私を呼び出し、すぐに帰り支度をするよう促した。
訳が分からないまま急いで帰り支度をし、廊下へ出たところで担任から聞かされた、父が刺されて救急搬送されたと。
病院まで車で送ってくれるとのことで、初老の担任は息を切らしながら、車を回すため職員玄関に走って向かってくれた。私も走って玄関へ向かった。
途中、国語の授業が自習となり はしゃぐ他クラスの前を通った時には、複雑な感情が渦巻き軽く吐き気をもよおした。
道中、担任は私を気遣い、ずっと前向きな言葉をかけ続けてくれた。
病院に着き、受付で案内された方へ早足で向かうと、廊下の先で泣き叫ぶ声が響いていた。
…母の声だ。その瞬間、状況は理解したが感情が追い付かない私は、無意識に立ち止まっていた。隣を歩いていた担任が数歩先に行ってしまってからゆっくり戻ってきて、無言で私の震える肩を抱いてくれた。
どれだけの時間そうしていたか分からない。凄く長い時間だった気もするし、一瞬だった気もする。ただ覚えているのは、先生の目から涙がこぼれ落ちていた事と、私は泣いていなかったこと。
もちろん凄く悲しかったし、色んな感情や記憶が渦巻いていたが、それらが何か具体的な形に纏まろうとすると、その手前で霧散してしまい、また纏まろうとすると霧散しを繰り返す。俗に言う【頭が真っ白になる】というのとは違い、頭は凄い勢いで回っているのに、何も考えられていない。
きっと心が壊れてしまわないための自己防衛本能なのだろう。
ようやく再び歩き出し、廊下の角を曲がった先で、泣き崩れる母と兄の前に立った。
ーーー
弁護士の父を尊敬していた。理屈っぽくて面倒臭いと思うこともあったけど、父が言う事を間違っていると思ったことはなかった。いや、思ったことはあったが、すぐに私の方が間違っていると解った。父がその都度丁寧に説明してくれたから。
そんな父が、刺されて亡くなった。
父が弁護を担当していた被告人の逆恨みによる犯行だったようだ。
もちろん、犯人のしたことは許せない。許せる訳がない。犯人が話した犯行理由は、全くもって自分勝手で理解しがたいものだった。だが、犯人の中ではそれが当然だったのだろう。しばらく考えた末に、誰がなんと言おうと犯人は実際そう思っていたのだ。と私は理解した。絶対に同意することは出来ないが。
そして母に、
「犯人の気持ちが分かった」
と話すと、母は物凄く驚き、暫く言葉が出ず、潤んだ瞳でこちらを見つめ続け、やがて激昂してまくしたてた。犯人の気持ちが分かるということは、私も父を殺したかったのだと解釈したらしい。
そんな意味で言ったのではない、理解と同意は別だと いくら説明しても、冷静さを失った母の耳には届かなかった。
あれほど
「
と言っていたのに、分かると言ったらこんなことになるなんて…
それから、母との間は なんとなくギクシャクしてしまった。
一ヶ月ほど経ち、母との微妙な距離感に耐えかねた私は、落ち着いて言葉を選びながら、あの日の釈明をしようとしたが、犯人や父の話になると、母は私の言葉を受け入れようとしない。
それでも根気よく説明を続け、ようやく母に分かってもらえた。
どんな人の気持ちも分かると思い上がっていた自分が、母という最も身近で大切な人の気持ちが、全く分かっていなかったのだと思い知らされた。
ーーー
そして今、私は大学受験に向けて猛勉強中だ。
父の意志を継いで弁護士になる道も考えたが、犯罪心理学を学び、警察の心理職に就くことを目指している。
ドラマ等では犯罪心理捜査官の名前で出てくるものの、実際には心理職とか心理員と呼ばれているらしい。
犯罪被害者に対するカウンセリングや、青少年への指導が主な仕事だが、稀に警察官に対するカウンセリングや、犯人の説得を行うこともあるとのことで、多少の危険が伴うのではないかと母は少し心配しつつも、応援してくれている。
「犯罪者を根絶やしにしてやる!」
と息巻いて一足早く警察官になった兄は、私も警察を目指すと知ってから
「妹に負けていられない」
と今まで以上に張り切っているが、いつも空回りで危なっかしい兄を何らかの形でフォローしたいのも、志望動機のひとつだというのは、兄にはもちろん内緒だ。
今は、誰よりも
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