一寸先はまっくら!

時雨 柚

1

 仕事を失って、食う当てがなくなって、私はとりあえず、ギターを持ってローカル線に乗り込んだ。

 夢のような時間だった。聳え立つビル群は、私にとって、贅沢すぎるおもちゃだったのだ。子供心を捨てきれないまま大きくなってしまった体は、それに見合ったサイズのおもちゃを欲する。都会でも田舎でもない中途半端な町で育った私には、都心はそんな私を正面から受け止めてくれる遊び場のように見えていた。

 だからといって、私はそんな場所に軽々しく移り住めるような人間ではなかった。地元の県立大学に進学して、地元の企業に就職して、生涯地元で生きていくような、そんな人間のはずだった。東京に憧れる人なんて、私の周りだけでも山ほどいた。私より熱意がすごくて、才能もあって、努力もしていて、それでもいろんな理由で行けない人も、もちろんたくさんいた。

 がたんがたんと電車が揺れる。気づけば、線路の脇の様子が、私の地元に近くなってきていた。ちょっとぼろい家、アパート、商店、そしてお年寄り。全然知らない土地だけど、少し懐かしい。

 大学に進学したころには、周りは地元に残ることを決めた人ばかりになっていた。当然だ。上京する夢を叶えた人は、そのころには軒並み東京に移り住んでいたのだから。

 幸いと言っていいのかはわからないけれど、私の友達に上京した人はいなかった。みんな車を使えばすぐ会いに行けるような距離感にいて、高校時代とあまり変わらないような日々が始まった。

そのくせ私は、いつかは東京に住みたいだなんてことを、ぼんやりと考えていた。音楽でもやってみれば行けたりしないかな、なんて軽い思い付きで、バイト代をはたいてアコースティックのギターを買った。夢中になる、なんて熱量はなくて、趣味と言うにしても言いすぎなような、触る程度に楽しんだ。そんな調子だから、叶う夢も叶わないのだけれど。

 私はずっとつけていたヘッドホンを外して、電車を降りた。誰もいない駅のホームで電車を見送ると、どの車両も空っぽだった。誰も乗せないで、あの電車はどこへ行くのだろう。私はこのまま、どこへ行くのだろう。聞いたこともない名前の駅を出て、冷たい空気の張った通りを歩き始めた。

 大学にはへんてこな人もいるもので、こんな私でも、心を通じ合わせる人ができた。初めは学部が同じくらいしか接点がなかったけれど、部屋にお邪魔するようになって、部屋に上げるようになって、だんだん接点が増えていった。周りには内緒にしていたつもりだったのだけれど、仲の良い人には一人、二人とばれていった。

 きっとあの頃は、幸せだったのだと思う。東京が遊び場だとしたら、あの人の存在は家のようなもので、魅力的でこそないものの、いるだけで安心できる。あの人にとってもそうだったら良かったのだけど、あいにく今の私には、確認する術がない。

 お互いのアパートの前を待ち合わせ場所にして学校に向かって、一緒に昼食をとって、並んで帰る。休日にはドライブに出かけたり、買い物をしたり。たまには二人で夜を明かしたりなんかして、まるで恋人みたいだった。もちろん私も、あの人も、そして周りも、そう思っていたんだと思う。

 そうした時間を過ごす中で迎えた、ある冬の日。私の部屋で、その人は私のギターを見つけた。長いこと手入れされていないことが素人目にもわかるような、悲惨な状態だった。名前のある関係を持ってから触らなくなっていたギターは、いろいろな思い出を内包しているような(実際は、大した思い出もなかったのだけど)、ノスタルジックな埃を纏っていた。

 盲目的に優しいあの人にとって、そのギターがどう映ったのか、うまく想像できない。その日の記憶が、あまりないのだ。フラれたわけでは、ないと思う。フったわけでもない。口論でもしたのだろう。僕なんて放っておいて、自分の夢を追うべきだ──なんて、頭の中で簡単に再生できるくらい、あの人が言いそうなことだ。きっと私は否定しただろうけど、うまく噛み合わないまま、お開きにでもなったのだろう。私たちの関係は、それくらい脆かったのだ。

 ベンチと鉄棒しかない小さな小さな公園のベンチに、私は腰掛けた。背負っていたギターケースからギターを取り出して、和音を鳴らす。上京する前に戻ったみたいだ。あのころ持っていたものは、もう何一つ残っていないけれど。

 あの人とは、その件以来合っていない。自分の存在が〝夢〟の妨げにでもなると思っているのか、単純に会いたくないのかはわからない。かくいう私の方も、別に会わない理由もないのだけれど、会う理由もないから、会っていない。心にぽっかり空いた穴を埋められるのはあの人の存在だというのもわかった上で目を逸らして、寂しさとか、虚無感とか、他にもいろんな言葉にならないことを無理やり乗せて、唄った。

 それが、私を東京へと誘った。

 いわゆる「バズってしまった」というやつだった。よほど感銘を受けたらしい人からスカウトが来て、あれよあれよという間にCDが出た。曲を作るのなんて最初で最後だと思っていたのに、私はギターと共に、東京へ引っ越すことにした。思いがけず、夢が叶ってしまった。姿を晒すのは嫌だからその類の仕事は断っていたのに、いろんなところで歌うことになった。地元の友達からの連絡も引っ切り無しで、ちょっとした、どころではない有名人になった。

 そうして忙しい日々を送るうちに、二曲目、三曲目とリリースして、鼻高々になる暇すらなく、私は「一発当てた人」に成り下がった。契約は無かったことになって、私は三年程度は生活に困らない程度のお金を持った、一般人になった。

 聞いたことのあるような気がする旋律を奏でる。思えば、初めて曲を作った時も、聞き覚えがあるようなないような、とても自分の曲とは言い切れない代物だった。まああのころはただのアマチュアだったし、今もそうだし、もう気にすることでもない。

 これからどうしようか。私は何をして生きていこうか。さっぱり見当もつかない。だけど、歌詞だけはすらすら浮かんでくる。私は手元の曲に合わせて、唄った。空虚で、寂しくて、悲しくなる曲だ。観客さえいない中で歌い終えて、私はからからと笑った。

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