第40話 5『チャンピオンになるんだ! (1)』

あるはずのものがなぜだか見つからない……。

 また……? 始まった?


何度も何度も同じ道を通って、そして、もう一度戻ってまた最初の

場所から繰り返して……。

 また……、なのか?


「ケンちゃん何してんのこんなところで」

誠さんだ。剣道着で書道している。


「なんも心配することなんかねえから」

婆ちゃんが? 時計のねじを巻いてる!


「ケンジもう逃げるのはやめだ。そんな必要なんかねえんだから。お前の爺ちゃんは……死んだけどよー」

そうだ、爺ちゃんの葬式に行かなくちゃ。


「ケンにいキャッチボールしよう」

「ケンにい今度いつ帰ってくるの?」

「ケンちゃん、ありがとね」

義母さん……なんで泣いてる?

父さんは無言で葬儀の支度をし始めた。


「私のぉ、知り合いがねーぇ、みんな、逝ってしまったぁ、のぉ……」

丹野の婆さんが……泣いてるの、かな……まだ、線香あげに来ない……。

もう朝の光が……。


恐る恐る目を開けると……カーテンの隙間から強い光が差し込んでいた。

もう随分と遠ざかっていた「あの夢」をまた見ていた。けど、なんだか違った。いつも誰も出てこないのが僕の夢だったのに、今日はみんなが次々とやってくる。


徳島インターハイ二日目の朝はそんな夢の中から抜け出して始まった。カーテンを開けると本当に雲一つない青空が広がっている。まだ眠っている健太郎とタクが夜中じゅう頻繁に寝返りを打つ様子は感じていたし、ベットから半分はみ出しているタクの足が妙に毛深いことにも気づいていた。健太郎は途中から枕を抱きしめて膝を折りたたむようにして小さく丸まっていた。

 自分が眠っていたのかどうかはわからない。オレンジ色の夜光塗料で時間を表示しているベッドサイドの時計。その光る数字を何度も目にしたのは覚えていた。そして今あの夢から抜け出した。


今日は八種の残り四種目がおこなわれる。今日、今年の全国チャンピオンが決まる。余計なことなんか考えているときじゃない。最初の種目に全力を出せるように準備するだけだ。そしてこれが終わったら、達哉と佳織にお土産を買おう。それから……戻ったらすぐ岩内に行ってやらなきゃ。


「よし!」

野田賢治が勢いよく飛び起きると、野田琢磨が驚いて寝返りをしたとたんにベットからずり落ちた。

「うーん……」

という唸り声の中川健太郎はまだ枕を抱きしめていた。


「ノダケン、これバッグに入れておきなさい」

上野先生が朝食後に渡してくれたのは二つの携帯マグだ。

「こっちはね氷の入ったポカリだよ。そしてこっちの小さい方はねOS1だからね。これは氷はなし」

「オーエスワン? ですか?」

「そう、知ってるよね。経口補水液。脱水の時はねこれが一番。両方ね大塚製薬の商品だから競技場でサービスしてくれるけどね。たぶんOS1の方はしょっぱく感じるからね、そんなにごくごく飲むもんじゃないよ。ポカリは甘いから口当たりいいけど、OS1の方が吸収早いから。一気に飲まないで少しずつ何回も飲むんだよ。のどが渇いてからじゃなくて、競技の途中でも、少しずつ。わかった?」


「そうします。ありがとうございます。でもこれ、二つもどうしたんですか?」

「大丈夫、心配しないで。それはね、沼田先生からのプレゼントだよ。こっちの小さい方は私からの前祝いだよー! 全国チャンピオンになるんだからね!」

「はい、やります!」

「えー! なんかいつもと違うぞー! 力強ーい! も~楽しみだわー! よし! じゃあ、行っといで!」


朝食会場に来る前に姉の菊池美咲からメッセージが届いていた。妹と母と三人が人差し指を突き出したポーズをとっている写真が添付されたその下には「ネットで中継見てるよー。ガンバレー!!」そんな文字が踊っていた。少し大きくなった妹の美穂が大きな口をあけて笑っている。美穂の肩に手を置いた母の笑顔。姉の美咲は岩教大のジャージを着ている。


この三人は今朝の夢には出てこなかった。もしかすると、これまで何度も見てきた夢の中で、僕はこの三人を探していたのかもしれない。


「おー武部ー! 速くね! まだ7時だぞ!」

タクがホテルのロビーから武部を見つけてすぐに入口に向かった。

サブトラックに向かう前の時間なのに、大きなカメラマンバックを担ぎ、ポケットのたくさんついたメッシュのベストを着た武部はサングラスを手にしてにこやかだった。

「しまなみ海道に行くのにさ、うちの親たちがもう朝早くから入れ込んでてさ、ホテルの駐車係が来る前から動き出しちゃうんだから。久しぶりのドライブだからなんて、もう三日間も走りっぱなしなんだぞ。変な人たちだわ」


「ミーさんはまだ鳥取?」

「それがさ、夕べ遅くにやっと連絡が来てさ、今日しまなみ海道でうちの親たちと合流することになった」

「しまなみ海道って言ったら愛媛から広島だったかなー。すっごく遠くない?」

「北海道の距離の感覚に比べたらとんでもなく近いんですよー。全部高速使えるから。一回岡山に出てさ、広島から愛媛に向かう。200kmちょっとぐらいだろ。尾道で美由紀を拾って、帰りは松山から徳島自動車道に入ればすぐだよ。」

「武部さー、なんでそんなに詳しいー?」

「タク、世の中には地図って言う便利なものがあるからね。それを読めばいいんだよー」


「タックン、地歴と数字については裕也君にかなわないからね。でもミーさんはもっとすごいけど」

「伝説の武部美由起、先輩、ですかー。京大だもんねー」

「ああ、あのね、智子がハイジャンで出るって言ったらね応援に来るってさ。それで”しまなみ海道自転車旅”と”竜馬に出会う一人旅”を半分で切り上げるんだと」

「ホントにー! えー! ミーさん来るのー! えー、なんか緊張してきたー」


出発前に延々とそんな話を続けている彼らと離れ、野田賢治は中川健太郎と二人サブトラックへ向けて歩き出した。

徳島から出発して日本を代表する会社になった大塚製薬がこの地に大きなスポーツ公園を造った。

その「鳴門・大塚スポーツパーク」に陸上競技の会場「ポカリスエットスタジアム」がある。「オロナミンⅭ野球場」や武道場、テニスコートなどいろいろなスポーツ施設がまとめられた総合スポーツ公園だ。どの施設もきれいに整備されている。

鳴門の渦潮を意味する「ブォルテス徳島」はポカリスエットスタジアムを本拠地とするサッカークラブだ。

 

鳴門大塚国際美術館なども含め、すべて自らの出身地に展開する大塚製薬は、地元に貢献する企業の代表かもしれない。札幌にもコンサドーレ札幌を支援する「白い恋人」の石屋製菓がある。北海道初のプロスポーツチームとして誕生した「コンサドーレ」をJ2時代から有り余る支援をしてきた石水勲社長の石屋製菓も地元に貢献する企業の代表だ。自らの会社の敷地内に練習場とクラブハウスまで作って提供している。現在はそこも同じように観光地化していて海外からの客も含めてたくさんの観光客が訪れている。札幌の観光名所の一つにもなっている。地元に根差して発展し、その地に貢献してくれる企業こそ応援していきたいものだ。


サブトラックになっている第二競技場に着くと、もう何人もの選手たちがアップを開始していた。芝生に転がってストレッチしているグループや外周をジョグしている選手たちもいる。

 第二日目の進行表ではハードルが11時40分、やり投げが14時40分、高跳びは16時40分、1500mは何と19時40分から始まる。長い一日になりそうだった。そして、この暑さがどうなるのか。


八種類の競技の中で一番興味深く練習にも一番時間をかけている競技なのに、なぜだか自分にとっての鬼門となっている110mハードルは、二日目の成績を左右する重要なスタート種目だ。


一日目の合計でノダケンに次ぐ二番手にいる高橋駿平のハードルは15秒12。抜き足を二度ハードルに引っかけても動じることなくスピードを保ってゴールした。彼は技術よりもスピードで押していくレースをした。この組には14秒台の選手が2名いて高橋は4番目のゴールだった。やっぱり本州勢のハードルは強い。何かハードルに対する根本的なものが違うような気がする。


三組目の選手が派手に転倒して場内がざわついている。走りなおした選手に大きな拍手がわく。自分の姿に重ねてしまったノダケンにマンナンが後ろから声をかけた。

「大丈夫、大丈夫!」

間違いなく自分に向けられた言葉だとノダケンは思ったが、こんなことで動揺してしまうような練習はしてこなかった。確かに去年のハードルの大転倒がいつでも頭の中にはあるけれど、それはもう技術的に克服できていた。


スタートから飛び出した5レーンの選手は幅跳びでも7mに近い記録を出していた二年生の選手だ。それを追いかけるように一台目のハードルに挑んだノダケンは、いつも通りの踏切ができ抜き足の動きも悪くないことを感じた。インターバルのピッチを刻むリズムも練習を重ねたとおりにできている。風は全く気にならない。微風と言っていい。


一台目のハードルをスピードに乗って越えた時点で、自分の調子が良いことがはっきりとわかった。寝不足なんか関係なかった。幾分インターバルがつまりながら練習の時以上にリズミカルにハードルを越えていった。走る、跳ぶというこの競技が、走路の反発力が強いことを一番はっきりと実感させた。自分の体が軽くなったような錯覚に陥ってしまう。


10台目、最後のハードルを右足のふくらはぎをこすって越えた。瞬間、今までに何度もイタイ思いをしてきた「転倒」が頭をよぎった。右足がハードルに触れただけで体のバランスやリズムを崩しているわけではないのに、頭の中で勝手にトラブルを演出してしまっていた。100mや400mでも強い相手と競っていると、必要以上に体に力が入り、それまでの動きができなくなってしまうことがある。その結果スピードは急に落ちることになる。


今、左右のレーンに他の走者の姿は見えない。自分が先頭で走っていることはわかっていた。にもかかわらず、「転倒」というイメージが頭の中に記録されていた過去の中からやって来て、手にも足にも必要のない緊張を与えてしまった。左の抜き足がスムーズに出てこなかった。足首から踵へと引きずるようにハードルに打ち当てた。10台目のハードルは倒れ、身体のバランスが崩れた。上体が起きてしまい、まだ空中にあった右足が着地できずに体の真下よりも後ろに接地してしまった。つま先のほんの一部分だけが路面に触れ、体重がしっかりと乗らないうちに左足が地面を捉えた。体が右側に向いたまま次の一歩を踏み出さなけらばならない。レーンの右側のラインをかろうじて交わし、右足を遠回りさせながら何とか姿勢を整えられた。前のめりに手足をばたつかせながらゴールへとたどり着いた。


この組では二着に入れたものの、何ともかっこわるいゴールの仕方だったに違いない。それでも、今までだったらきっと派手にハードルをひっくり返した挙げ句、自分も転倒していたに違いない。走路に転がっている自分の姿が思い出された。額に汗を感じた。15秒28のタイムは練習でのベストタイムと同じくらいだから悪くはないけれども、自分を抜いて行った埼玉の選手は15秒07だったし、まえの組でも14秒台の選手が2人いたのだ。


マンナンはこの種目を苦手にしていた。体の硬さとピッチを細かくの刻むのが自分に合わないと感じていた。それでも監督の「なにゆうて万年」先生は奈良の外崎のいる東雲高校の出身だ。そこの先生にハードルをたたきこまれてきている。その指導は彼にもしっかり伝わっていた。

彼はいつものようにスタートラインに並んだ選手にレッシャーをかけるべく大きな気合を入れている。

「ウォシッ!」


トップでスタートを切ったマンナンだが、やはり外崎は本物だった。一台目のハードルに低い姿勢で跳びかかると、次から次々とハードルをまたぎ越していく。全く跳ぶという雰囲気じゃなかった。まさにハードルをまたぎ越していった。ハードル間でもも上げ練習でもするような感じに速いペースでピッチを刻んでいる。映像で何回も見た外国選手の一流ハードラーの動きに似ていた。スピード感はあまりないけれど見事なまでに完成されたハードリングだった。14秒83のタイムを出した。

マンナンは16秒07。函館の時よりかなり伸ばしてきた。こいつもやっぱりすごいヤツだ。


昨日の時点で180点あった外崎との差はハードルで120点ほどに縮まった。まだまだ……。


汗で濡れてしまったシャツを脱いで乾かしながら昼食をとっていると田上先生が通りがかりに声をかけてくれた。

「おー、野田君! がんばってるねー! 期待してるよ!」

話が長いことで有名な田上先生だが、すぐに通り過ぎて行ってしまった。競技の最中なのでちょっと気を使ってくれているようだ。いつもならこんなことはない。


「マンナンは今日も元気いっぱいだよなー。パワーあるなアイツー、ハードルぶっ倒して進んでる感じがするねー」

「倒すのはハードルだけじゃないもの! あの人」

「あー、うまい。さすが山野。なんかわかる気がするねー」

「結構マジに頑張れる奴じゃねえの、アイツ。競技してるときはいい顔してるよー」

今日は武部にも弁当が用意されている。沼田先生が田上先生を通して一人分増やして注文してくれたのだ。


「野田、今日は若干の向かい風だからな、うんと高く放り投げろ。こういう日は槍の角度が合えば伸びるラインがあるんだ。それに乗せられれるかどうかが勝負よ!」

確かに12時を過ぎたころから風が強く感じだした。体感でも2メートルを超えていることがわかる。まあ、厚別の風には比べられないが、参加する選手たちは強烈な暑さがちょっとでも解消されることを期待しているに違いない。


高橋は上半身の強さが目につく投げだった。得意種目でないにしても48m87では優勝争いから後退した気がする。本人も納得いかない様子だ。槍投げを専門にする沼田先生が言うような向かい風に乗せられるラインが見つけられずに終わってしまったようだ。 マンナンは高橋以上に上半身の力に頼った投げだが、さすがにその力は強く52m86㎝まで記録を伸ばした。彼には風など関係ないような強烈な腕力があった。


 外崎は長い腕を振り回して遠心力で飛ばそうとでもいうような投げ方をする。下に構えた槍を大きく後ろから回すことで助走スピードを上げようとする投げだった。見ているものにその身長と手の長さを見せつけるような大きな動作の投擲だ。一投目で56m68㎝を投げトップに立った。


ノダケンは一投目に55m33㎝を投げたが、沼田先生が言う向かい風のラインをつかめずにいた。二投目は角度を上げすぎて槍が風にあおられてしまった。上空で尻を下にして揺れながら垂直に落ちてきた槍は刺さることなく横向きにごろんと芝生に横たわった。44m23㎝の記録はハードルで差を詰められた思いをしていたノダケンに更にプレッシャーをかけ始めた。次の走り高跳びは外崎の得意種目でノダケンとは大きな差があるので、何としてもここで差を広げておきたい気持ちが強くあったのだ。


誰もが向かい風を利用できずに記録を伸ばせずにいる。三投目、ノダケンは投げの角度にばかりこだわりすぎず、助走のリズムを大切にすることにしてスタートを切った。サイドステップで大きく後ろに残した槍を、左足のスパイクをしっかりと地面に打ち込むようなつもりでブロックし大きくアーチを作って腕を振った。槍にまかれたグリップの糸をしっかりと中指で切るようにして槍に回転を与えた。振り切った腕が軸足のところまで振り下ろされ、踵のスパイクでピタッと止まった左足のブロックを解くとそのまま柔道の受け身をするように前に転がった。停止線ぎりぎりに踏みとどまったが左膝に少し違和感を覚えた。


かなり高さの出た槍は向かい風を切り裂くように回転を強めて進んでいる。一瞬そのまま空中に止まりそうな動きの後、先端の重さを思い出したかのように急角度で落下した槍は芝生面に突き刺さった。

「64m34㎝」の表示板が目に入った。

スタンドから歓声が上がった。南ヶ丘の皆が叫んでいる。ノダケンには見えなかったが沼田先生が強く右こぶしを握り締め、上野先生が清嶺高校の生徒たちと一緒にジャンプしながら頭の上で大きく拍手していた。


初めての60m台がこの場面で出た。外崎との差はここでさらに百点以上広がった。

「見つけたな。あれが向かい風の時のベストラインだ。」

沼田先生の口が緩み、上野先生がみんなを代表するように言った。

「本当にチャンピオンになっちゃうよー! もう!」

まだ二種目残していても、上野先生はノダケンの勝ちを確信してしまったようだ。

「高跳びで失敗しなければな」

沼田先生はまだ慎重な言い方をしている。ても、彼の唇は笑いを隠せないでいる。


16時40分からの走高跳は外崎が段違いの力を見せつけた。

競技は165㎝から開始され180㎝から3㎝刻みになる。高橋駿平はこの種目が苦手なようで175㎝を跳んだところで終わりになった。体が上がり切らないことにはしょうがない。彼はこれ以上跳べそうにない動きだった。残り一種目を残して彼が6000点を超えることはなくなった。


 マンナンはこの種目でも自分のペースで自己記録を更新した。スピードよりも振り上げ足と両腕振り込みのダイナミックな跳び方が定着して安定感が増したようだ。183㎝を一回でクリアーした後、次の高さも惜しい跳躍だった。


外崎は180㎝から跳び始め、他の選手に大きなプレッシャーを与えた。83をパスした後86も余裕をもってゆったりと跳び越えて見せた。さらに189㎝をパスしたところでこの二組目で残っているのはノダケンともう一人埼玉の鈴木という選手だけになった。


17時を過ぎ、傾いた陽光が真夏の強烈な暑さを少しやわらげてくれていたが、それまで吹いていた風もやんでしまった。瀬戸内海地方特有の夕凪がこれなのかもしれない。じっとりとした重たい空気を感じるようになった。


189㎝に上がったバーに向かいスタートを切ろうとしているノダケンのすぐ後ろを5000m競歩の選手たちが通り過ぎて行った。襟足を隠すフラップのついた帽子をかぶった選手たちのユニフォームはべったりと肌に張り付いたように見える。


 バーをもう一度見つめ、最後の6歩を頭の中でシミュレーションしてみる。しっかりとバーを越えるイメージをもってスタートを切った。踏み切ってからの動きがスムーズにいく感覚を持てるようになったのは函館から帰って来てからだった。バーの上でのアーチが少しだけできるようになり、踵が通り越すまでの流れも固まってきた。高さはかなり出ているようで、跳び終わった後に外崎がいやな顔をしているのをノダケンは見逃さなかった。


鈴木選手はこの高さを落とし、192㎝に挑むのは外崎との二人だけになった。八種競技の七種目目で残ったこの二人が合計点でも優勝争いになったのは間違いなかった。


189㎝成功のイメージのままノダケンはスタートを切りこの高さを一回でクリアーした。ところが外崎はこの種目で勝負に出なければ勝ち目がないので、ノダケンが成功した直後に自信を持った言い方でこの高さをパスした。

「パスしまーす!」

残っていた選手たちが驚きの声を出した。

外崎の表情が今までと違っていた。勝負師の顔だ。


次の195㎝をノダケンは越えられなかった。

一回目の跳躍。自己記録更新への意気込みが助走のスピードにつながった。いつも以上に速い助走が踏切前のいつも通りの動きをほんのちょっと変えてしまった。後傾姿勢の角度が足りずかかとから入った踏切がつぶれてしまったのだ。かかとのスパイクピンが外側の一本だけ刺さり、伸びきらない左足の膝が足首を内側に曲げた。大きく振り込んだ両手を上に向ける前に腰が前に出てそのままセーフティーマットに飛び込んでいった。


頭の奥が熱くなってきた。

左足の関節付近が痛み出した。

足首が腫れてきた。

もう次の試技には向かえない。


全国大会だというのにまた、また、医務室に向かうことになってしまった。


「ホントにもう、あんたは医務室好きなんだからー、もう徳島に来てまでー」

駆けつけた上野先生は笑いを引き出そうとしていても彼女の目は緊張を隠せずにいる。

「パスにやられたな。外崎の余裕に焦ったんだろ」

沼田先生の声はいつもより少し語尾が弱い。


合計点でまだ200点以上もリードしていたのに外崎の自信満々のパスがそれまでのリズムを崩してしまったようだ。いやいや、外崎のパスは大きなプレッシャーになったかもしれないが、ここでリズムを崩してしまうようではノダケン自身の力もまだまだだと言うしかない。そして、ここであきらめずに勝負に出た外崎もさすがに全国ランキング一位の実力者だといえる。


外崎は膝を高く上げて弾むようなリズミカルな助走から長い腕を大きく振り込み、女子選手のような柔らかく大きなアーチを作って跳び越えた。どの高さでもバーの上を滑って越えていくような跳び方をする。198㎝のあと一気に205㎝の自己記録を狙った外崎の跳躍は惜しくも失敗した。いや、いつ飛んでもおかしくない跳躍だったと言った方がいい。ここで彼が205㎝を超えていれば優勝争いの力関係は大きく動いていたはずだった。

 

七つ目の種目を終わって、ノダケンの5534点に対して外崎は5345点。その差は189点。最後の1500mでこの差を逆転するのはかなり難しい。


ノダケンの足首の状態を見ていた上野先生の顔はますます厳しくなっていった。

「まず氷でしっかり冷やしておこう。ほら、アイスボックスに氷がいっぱいあったから、こうやってビニール袋に入れて、両側から挟んでテーピングでぐるぐる巻きにして……」


去年の全道大会、旭川で大迫裕也が足首をやってしまった時のことを沼田先生は思い出していた。全国大会を辞退するしかなかった彼の無念を忘れられずにいた。母親の運転する車で札幌に帰らなければならなくなった時の大迫勇也の顔が思い出された。この徳島の全国大会でまたしても……。


彼の妻である上野悦子がノダケンの状態を見ている。沼田恭一郎にとっては胸を強い力で押さえつけられたような時間が続いていた。

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