第30話 第三部 3・札幌地区大会第二日目
札幌地区大会の二日目が始まった。
「私は昨日ベストに近いの跳べたから、あとは智子に任せるからね。頼むね!」
山野紗季はこの日に行われる走り高跳び予選を棄権した。
混成競技と単独種目とを掛け持ちするのは難しい。特に今回は同じ日に重なってしまい、五種目目の走り幅跳びとも時間が一部重なってしまった。でもそれ以上に山野紗季は七種競技にハマりかけていたかもしれない。
幅跳びは今まで体育の時間でしか経験はなかった。春からのわずかな時間でノダケンと一緒に助走練習を何度も繰り返してきた。中間マークを入れるノダケンのやり方を真似て助走の正確性を高めることを目標とした。
「お前のそのスピードを生かす跳び方を意識しろ」
私への沼田先生のアドヴァイスはそれだけだった。ノダケンによるとカールルイスタイプの跳び方だという。古いビデオも何度か見せられて、なんとなくイメージはつかんだような気になった。つまりそれは、要するに踏切を意識しすぎることなく駆け抜けるようなジャンプをするということらしい。
「踏切板ばかり見てるとうまくいかないみたいだ」
彼自身はそんな感覚で跳んでいるらしい。確かに去年の新人戦も、昨日のジャンプもノダケンの踏切はスピードを活かせていた。ただ彼のジャンプはかなり高く上がる。私はあんなには上がらないので、かえってあのビデオのカールルイスのジャンプに近いのかもしれなかい。
一回目の跳躍は踏切が合わなかった。最後に足合わせをしてしまったので助走スピードを活かすことができずに4m37㎝という記録になってしまった。初めての競技でもあるし、昨日は合計点でトップになるという予想外の好記録だったので、無駄に力が入ってしまったかも知れない。4m87㎝を跳んだ手稲東高校の選手がトップに立った。彼女は長身で手足が長い。そして、とても細い。足の筋肉なんてどこにあるのかわからないほどだ。こういう選手が練習を積んで強くなっていくのかもしれないと思えた。ここにきて本当に自分の身長のなさが恨めしくなってきた。
二本目。あとから悔やむのはカッコ悪い。今までやってきたポイントをもう一度思い出して、でも、慎重になりすぎることなく「楽しんで」行こうと考えた。昨日の菊池さんの笑顔が思い出された。ノダケンのジャンプが頭の中にあった。
大きな抵抗もなくすんなりと踏み切った感じが良い結果につながったようだ。着地までの流れがうまく出来た。空中で両手両足を使って大きく弓なりに反った反動がうまく着地動作につながった。砂場横のメジャーでは5mラインのあたりに着地したはずだ。白旗が上がり、掲示板に5m05㎝という数字が表れた。練習も含めて5mラインを越えたのは初めてだった。幅跳びの記録としてそれほど良いとは言えないけれども、私にとっては新記録というか初めての5m越えの公式記録だった。503点はちょっと不満が残る得点だけど、まあ今は満足できる。
走り高跳び予選では川相智子がいつものように慎重に135㎝から競技を開始し、予選通過記録の145㎝を一回でクリアーした。相変わらずバーのはるか上を体は通過していた。2本目の幅跳びを終えた後に彼女のジャンプを見ていた山野紗季が頭の上で両手を叩き、川相智子はそれに気づいて両手を振った。
八種競技五種目目110mハードルは彼女たちの競技より前に始まっていた。去年の札幌地区大会では、ここで大転倒をして北海道大会の出場を逃す原因を作ってしまった。そんなこともありハードルは因縁の種目だ。上野先生のアドバイスから跳び方の修正と経験を積んで、去年の新人戦では15秒台を二度記録していたので、自分ではかなり安定した跳び方に変わったと自信をもってレースに臨んでいた。
今北海道では抜群の強さを発揮している函館北洋高校の南一樹と並んでレースに臨んだことも大きな経験になっていた。そしてその試合でゴール直前に逆転されてしまったこともしっかりと反省点として練習に活かしててきた。今日がそのことを実践で証明できる今年初めてのレースとなる。
同じ組には15秒台で走る選手が一人いて、彼は去年の全道新人戦でも決勝で共に競った選手だった。入れ込みすぎないように冷静にと自分に言い聞かせたからだろうか、ちょっと早すぎると感じた号砲に出遅れてしまった。二つ隣で一歩前を走る彼が15秒台の選手だ。喜多満男は僕と並んでいる。一台目の着地がうまくいき、インターバルへの流れでリズムをつかんでからは二台目三台目とスムーズに越えていけた。四台目に挑んだところで先頭になったことを感じた。それでも力むことなく、両腕をほぼ同時に振り込むようなフォームでうまくリズムを取ってインターバルを素早く刻み続けた。
去年の大会ではこのあたりで派手に転倒してしまったことが頭をよぎったが、上体のバランスがしっかりしている今はそんなことにも動じないで走り通すことができた。自分の前に誰もいないのは分かっていても胸を突き出してしっかりとフィニッシュを決めた。着順ではなくタイムで得点が決まるので、少しでもタイムを縮めることがこの競技のポイントなのだ。
15秒68は新人戦の記録に及ばないけれど、相変わらずの厚別名物向かい風の中なので仕方がない。この記録だと769点になる。スタートで抜群の飛び出しを見せた札幌茂岩北高校の選手は15秒87で二着になった。喜多満男は二人のスピードにリズムを狂わせられたようで17秒台の記録に終わった。
六種目目はやり投げ。女子の六種目目もやり投げだが、この後に種目が二つ残っている男子の方が先に行われた。そして女子の走り高跳び決勝もこの後すぐ始まることになっている。やり投げは第三コーナー側で高跳びは第二コーナーで行われる。山野紗季が走り高跳びに参加していたら完全にぶつかってしまう時間設定になっていたのだ。
沼田先生が記録員をしているやり投げの着地点には30m、40m、50mのところにラインが引かれ、高跳びのピット位置を守るように補助員たちがたくさん並んでいる。低く投げられたやりは芝生の上を滑って行ってしまうので注意が必要になるのだ。一般の全国的な試合になると80m超えのスローがあるので、フィールドの他の競技は行わずに安全確保に徹することも多い。逆に混成競技などの初心者はそれぞれがどのくらいまで投げられるのか差がありすぎるので、補助員たちは立ち位置の判断に迷うことも多いという。
今日は真ん中の40mライン前後くらいの記録が多かった。補助員たちもそのあたりの近くに待機し、計測器を準備していた。野田賢治の番になると沼田先生が補助員へ下がるように指示を出し、計測の先生も心得ていて補助員の立ち位置を再確認し始めた。競技開始前のミーティングでおおよその記録の予測を打合せしていたようだ。
ハンドボールやバレーボールの練習は踏切までのステップの入れ方に工夫が必要で、やり投げのクロスステップの足さばきにも結び付くものがあった。一投目でただ一人50mラインを越え51m29cmを記録したが、記録を書き込んでいる沼田先生は不機嫌な表情をしていた。立場上大っぴらにアドバイスはできないような雰囲気で、なんだか落ち着かない態度に見える。
でも大丈夫。この時は自分で原因が分かっていた。投げ出す角度が低すぎたのだ。野球でセンターからバックホームする時だと、ピッチャーマウンドを過ぎてからバウンドするようなライナーを意識すればいいボールが行く。でも、やり投げはそれではだめで、思った以上に上に向かって放り投げないと距離は出ない。クロスステップは結構うまくいってる。二投目は方向だけ意識することにした。
少し長めにした助走から横に構えていた槍を担ぎ上げ、意識的に強めなアクセントを付けたクロスステップを三回入れた。最後は走り高跳びの踏切のように、右ひざを深く折り左踵の長いスパイクピンを走路に食い込ませるつもりで投げの構えを作った。大きく後ろに残した槍を真上に投げ上げるつもりで固定した左足に上半身をかぶせて右腕を振り切った。
白線の2mほど手前で後ろに蹴り上がった右足が止まり、走路に両手をついてファールを防ぐことができた。投げ終わった後の助走スピードはまだ制御できないでいた。両手をついてしゃがんだ姿勢から、高い軌道を取った槍がしっかりと地面に突き刺さるのが見えた。「おー!」という歓声とともに、スタンドで大きな拍手が起こった。
56m48㎝と表示された掲示板が回転し、再び歓声が上がった。これは南ヶ丘の生徒たちのものだ。やり投げはこの記録でも685点にしかならない。三投目には稲陵高校の選手が51m86㎝を投げ、喜多満男も50m69㎝まで記録を伸ばした。
山野紗季のやり投げはまだまだ時間がかかりそうだ。もちろんそれは当たり前でしょうがないことだった。上半身の力の弱さは女子選手全体に言えることで、砲丸投げと同じように混成競技の参加者に共通する課題だった。山野紗季はキャッチボールと同じように肩を回して投げられるのだが、助走の後半にあたるクロスステップの入り方などはほとんどできていなかった。他の多くの選手と同じように、助走なしの記録と大差ない投げになってしまっていた。これからの大きな課題になるだろう。30mラインに届いた女子選手は5人に満たなかった。
山野紗季の記録は28m80㎝の454点だ。
山野紗季がやり投げで苦戦している同じ時に女子走り高跳びが始まっていた。140㎝の高さから始まった決勝でも川相智子は最初の高さから跳び始めていた。通過記録の設定が低かったせいか21人が参加した決勝だ。最初の高さから跳び始めると、次の高さまでかなり待たなくてはならなくなる。川相智子はまだこのあたりの駆け引きに慣れていない。45、48、51、54、57、60、と3センチ刻みになってからもすべての高さを律儀に跳んでしまった。どれも一回の試技でクリアーし、持っている力が本物であることは証明できていたが、ここまですでに7回も跳躍してしまっている。
解説本にある何かの調査研究によると、走り高跳びの場合ベストパフォーマンスを発揮できるのは5回から7回くらいの跳躍であると言われていた。
160㎝をクリアーしたのは3人。昨年の新人戦で優勝している川相智子以外の二人は初めての決勝進出者だ。そのうちの一人は一年生で4月に本格的な練習を始めたばかりだという。この二人は二回目や三回目で成功するという跳躍をつないで60も三回目でやっとクリアーしている。特に京野琴美という手稲東高校の一年生は、跳ぶたびにバーが大きく揺れているのに落下することなく成功させてきた。体の浮きはそれほどでもないが、長い手足を上手に使って大きくきれいなアーチを描き、バーの中間部分あたりを跳んでいる。ジャンプの方向性も併せてもっとも効率的な跳び方をしている証拠だった。
163㎝に初めて挑む二人は全く跳躍にならなかった。北翔高校の三年生は踏切を駆け抜けて跳びあがることができず、京野琴美は踏み切ったとたんに手でバーを掴んでしまった。この二人は跳ぶ回数が増えてしまったが為に疲労がジャンプする力を削り取ってしまったことに加え、163㎝という初めての高さへの「数字の恐怖」に負けてしまっていた。
自分の前に跳んだ二人の跳躍を目にした川相智子は、去年163㎝に成功していても「その恐怖」に感染したみたいに一本目を失敗した。体は十分上がっていると思ったのに、彼女の気持ちは萎縮し、余計な力が動きを固くしてしまった。
「智子ー! まだまだ上がってるよー!」
やり投げで苦戦したばかりの山野紗季が大声を上げた。
「大丈夫! まだまだ余裕だよー」
小さな声ですれ違いざまにそう言ったのは、補助員として400mハードルのセッティングをしている菊池美咲だ。
「川相―! 背中―! 伸ばして―。背中―!」
第一コーナーのスタンドから身を乗り出した野田琢磨がメガホンを手に叫んでいる。
「智ちゃーん! ガンバレー! まだまだ―! だいじょうぶー!」
スタンドからの派手な応援はまたまた祥子だった。そして隣にはしっかり武部君がカメラを構えている。
今日初めての失敗にこれだけの人たちが関心を持ってくれていることが分かり、川相智子は嬉しくてしょうがなかった。これらのすべてを自分の力に変換できる。他の二人のことなどもうどうでもよくなってしまった。
二度目の跳躍は、素早い踏切動作からしっかりとアーチを作り、抜きまでを一連の流れとして完了できた。冬季練習で何度も繰り返したバスケのレイアップシュートのように右手が役目を果たした。この跳躍で優勝を決め、次は自己新となる166㎝に挑戦だ。この高さを跳べれば智子にも菊池さんにも記録で上回れる。そう考えるとまた新たな気力が湧いてきたのだが、今日はもう9本も跳んでしまっていた。しかも三人での優勝争いになってしまったことで自分が思う以上に体力は削られていて、一本目の跳躍でもうこれ以上跳べないことが分かってしまった。
「川相、全部跳ぶ必要なんかないんだぞ。もうお前くらいの記録になったらな、最低でも50から跳ぶようにしないとな。力は蓄えておかないと、今のお前なら7本が限度だぞ。3㎝刻みになったら、自信あるときはパスしろ。自分の調子を早いうちにつかめるようにすれば、どこでパスするか作戦立てられるだろ。最後には試技数の勝負になることだってあるからな。今日のはいい経験だと思え! でもよ、優勝してよかったな。お前が札幌の一番なんだからな。よくやったぞ!」
沼田先生の誉め言葉は珍しいことで、今日は笑顔まで見せている。
川相智子たちが競っていた高跳びのピットとは反対側になる第3コーナー側のピットで八種種競技の高跳びが始まった。川相智子と同じようにバーの上でアーチを作るタイミングがまだうまくない僕は、とにかく高く上がることを一番の目標にして踏切の力強さに重点を置いて臨んでいる。
走り高跳びの空中動作がうまくいくかどうかは、結局のところ助走から踏切までをしっかり走れているかどうかで決まるのだということが最近になってようやっとわかってきた。リズミカルな半円を描くような助走、後傾姿勢や内傾姿勢をうまく生み出す重心を下げた素早い踏み込みのあと、縦回転が組み合わさった踏み込みが完成されると空中での余裕が生まれ、バーを見ながらのクリアランスがうまくいくことが多かった。このことはハンドボールの選手がフェイントをかけたような左右のステップから跳び上がったり、クイックや時間差やブロード攻撃で位置とタイミングを変えながら跳び上がるバレーボールの選手から学んだ。
160㎝から始め、70、75、80、をクリアーしたところで二人が残り、東札幌高校の三年生が83を三度失敗した。僕は186㎝を一回でクリアーできたことでもうこれで終わりにした。まだ一種目残しているので少し体力を温存したかった。670点を獲得して最後の1500mに向かう。
途中で会った山野紗季が「余裕でやめたんだね」とウインクし、川相智子は「まだまだねー」と笑顔を見せた。こんな二人の劇的な変化には驚きを隠せない。
山野紗季の最終種目800mは女子の混成にとってはきつい種目なのに、彼女は2分29秒00でゴールした。得点は705点でもこの記録は立派だ。去年の16継の経験と冬季練習のスタミナ強化のたまものだろう。バドミントンもハンドボールも攻守にわたって休むことなく動き続けるスポーツだから、それが活かされているに違いない。
800mを全員が完走し終わったことで、彼女の初めての七種競技は4544点という合計点で他を大きく引き離して優勝したことが確定した。二位に入った札幌啓生学園の三年生は4228点だったので彼女の総合力がかなり高いことを証明していた。
山野紗季はすべての種目をやり遂げた満足感や達成感とともに、昨年上野先生に勧められたころの迷いが消えてしまった開放感のようなものを感じていた。それでも菊池さんの5000点を超える記録には、全く追いつけていないことに次なるファイトを燃やすことになった。
野田賢治の1500mはあまりタイムを伸ばせないでいた。冬季練習で動きの鋭さや柔軟性を身に着けていても、昨年から身長が3センチ伸び、体重も5㎏ほど増えてしまった。どちらも鍛えることで成長した部分なのだが、体を自在に扱うためにはそれに合った筋力も同時に獲得しなければならない。バーベルなどの重りを使わず自重トレーニングを基本とするのが沼田先生の方針なので、まだ成長した分に合った筋力を獲得するまでには至っていないかもしれなかった。
僕自身はまだ成長期の中にいたのだ。体重の増加と筋力アップでダッシュの後半が伸びたり、投擲の距離が延びることは実感できた。ただ、長距離走の後半はきつさを増してしまった。これも鍛錬を続けることで解消するはずだったが、シーズン初めの今の時期はまだそこまで到達していなかった。
長距離を得意とする何人かの選手に先行され、最後まで追いつけないまま5番手でゴールした。4分36秒98は最終種目である疲労の分を考慮してもまだ10秒くらいは縮められそうな記録だ。得点は699点。8種目の合計では5866点となり、何と気づかないうちに北海道の高校記録を更新する得点となっていた。全国高校記録には200点以上及ばないが、従来の記録を大きく上回る記録だった。珍しく場内アナウンスでこの内容を繰り返し流したために、観客席から盛大な拍手が送られた。
終了後本部席前で道新と陸マガなどの共通インタビューが行われ、たくさんの質問にしどろもどろのヘタクソすぎる返答を繰り返した。この様子は当然ながら武部のカメラにしっかりとらえられ、スタンド上からも部員たちが全員でへたくそな話に拍手を繰り返してくれた。川相祥子は南ケ丘の生徒に囲まれていることにも全く臆することなく誰よりも大きな声で「ノダケーン!」と叫び続けた。
インタビューの後にやって来た菊池美咲は顔を真っ赤にして褒めてくれた。そして補助員の仕事は終わったからと言って、スマホで撮った写真をその場で母に送った。
上野先生と沼田先生は他校の先生たちに声をかけられるたびに苦笑いを繰り返すしかなかった。
「いやー、もー、ついに全国に知られちゃったねー! 早すぎない?」
「まいったなー、この記録だと、もう全国の大学からお呼びがかかってしまうなー」
「ランキング1位で行っちゃうよきっと。全道大会だともっと行っちゃうかも! 函館向かい風吹かないからね!」
「高校記録更新かー?……あるかもしれないか! 槍も砲丸も今日よりまだいけるわなー!」
「10秒台と49秒台がいつでも出ちゃうんだから、だれも叶わないよねー! もー、ひと冬過ぎただけで信じられないくらいすごい選手になっちゃたよー! 体もどんどん大きくなってるしさー。どうするー?」
「……田上先生とか、やっぱ片桐大先生に相談しなきゃだめかねー?」
「もうね、誰って言うことなくて、オール北海道でやろうよー。みんなの力借りなくちゃ。普通じゃないよ彼の力。紗季ちゃんもそうだし、菊池さんも、函館の南一樹のハードルもさー、川相さんだって可能性いっぱいでしょ!」
「これ終わったら、相談だな」
「そうだねー……全道の前にさ、オール北海道だってー!」
上野悦子はやたら嬉しそうで珍しく興奮した声で……はしゃでいるようにも見えた。
この日男女の混成競技と女子走り高跳びで優勝者を出した南ヶ丘高校に注目が集まった。しかもこの3人ともに全道大会でもトップ争いをすることが間違いない記録を出している。1日の終了ごとに最終打ち合わせで役員と監督の先生方が集まる競技場内の本部席では必然的にその話題になっていった。
南ヶ丘高校は言うまでもなく難関校として有名で、入学するための努力は並大抵のものではない。家族ぐるみの目標として小さなころから塾通いや家庭教師をつけて勉強一筋でやってきた生徒が多い学校だ。決して部活を目標に入ってくることはない。病院の跡継ぎがやたらと多く医者になることが義務付けられた生徒たちが陸上部内にさえ複数いるのだ。名の知れた企業の経営者や役員の子弟、帰国子女などの数も多い。個人主義ともとられるほど「自主自律」を前面に出すがゆえ、教師の強い指導に絶対的に従って伸びてゆくという、一昔前の女子高の部活動的な雰囲気は全くない学校なのだ。それにもかかわらず、今年は2日目を終わったところで3人の優勝者を出し、明日の準決、決勝に進む選手も何人も出てきている。
昨年まで全国大会の常連で中心選手だった大迫勇也が卒業し、天才と呼ばれた隠岐川駿もオランダへと帰ってしまった今年の結果なのだ。
補助員として二日間を過ごした菊池美咲は、役員を務めている先生方の話を聞いて沼田先生と上野先生の力を強く感じていた。そして今年岩教大に入学してわかったことは、この二人も大学の先輩たちだったということ。しかも北海道の陸上界では最も中心的な役割を果たしてきている片桐優作先生の優秀な教え子たちであったことだ。その他にも彼らの仲間たちが北海道の陸上界を引っ張り、北海道から盛り上げて陸上競技自体の価値を高めようとする動きを作り出していることを知った。
もし、私がいくつか勧誘されていた本州の大学に進学していたらそんなことなど考えることもなく、インカレで勝てる練習に特化して生活していたことだろう。関東の大学だったら他大学との競争に明け暮れしていて、そのことを一番の目標としていたに違いない。今日、陸上というスポーツが小さな範囲から抜け出せていない原因がそんなところにあると感じてしまったのだ。日本の中のごく限られた地域にしか当てはまらない競争で生きていることは、離れた場所から見なければ見えてこないということだ。
東京中心の関東圏にある強豪校にいなくたって、北海道にいながらでも日本の中心選手たちと勝負できる。今はそんな気持ちになっていた。それは上野先生たちも同じ考えでいたのだ。
2日間補助員としてこの大会に参加できて本当に良かった。予想外なことに、弟である野田賢治の仲間たちとも仲良くなれたし、陸上にかかわっている人たちの思いがすごく伝わってくる大会だった。去年までだって自分が知らなかっただけで、この人たちを中心に北海道の陸上を発展させてくれていたのだ。だから私だって陸上の名門でもない旭山高校にいながらいろいろな先生たちに指導してもらえた。今の自分のこの記録だって自分だけの力だなんてことはありえない。そして今ここで活躍している高校生たちも、同じようにその方たちの思いがその結晶となって現れてきているに違いないのだ。
その流れにしっかり乗せてもらって私の弟も、今ここで輝き始めた。
それもとびっきりの強い輝きをもって……本当に輝いていた。
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