第21話

 胸がじゅわっと熱を持つ。それは経験したことのない心地よさだった。

 舌を重ねあわせ、ハクトが形を確かめるように輪郭をたどっていく。口の中を探るように、裏表と舌全体をゆったりとこするようにする。チレの中に何があるのか知りたがって、あちらもこちらも触れてみなければ気がすまないというように。その動きに翻弄されて、チレは呼吸をするのを忘れていた。

 何だかとっても気持ちいい。ずっとこうしていたくなる。あったかくて、優しくて、くすぐったい。

 うっとりとキスに酔いしれていると、しかし段々息が苦しくなってきた。離れたくない。けど苦しい。

 すると、唇が急にパッと離れた。

「ふ、――うっ、ふうっ」

「はっ、はっ、はあっ」

 慌てて息継ぎをしたのは、チレだけではなかった。ハクトも肩を上下させて同じようにしている。どうやらふたりとも呼吸をとめていたらしい。

「……」

 ハクトは口元を拳で拭って、こちらを真剣な目で見つめてきた。

「……どうだった?」

「え?」

「魔力だ」

「あ……、はい」

「こっちに移った気はするか」 

 チレは首を傾げた。

「なんとなく、そんな気がしないでもないですが……。ハクト様はどうですか」

「俺も、よくわからなかった。するのが精一杯で」

 ちょっと上気した表情で呟くものだから、いつもと違う顔つきにチレはドキドキしてしまった。

「ではその続きをもっとしてみてはどうでしょうか」

 と提案したのは、扉の外の声だった。

 そちらに目をやれば、トトと神官長がこっそりこちらを観察している。

「……お前ら」

 ハクトが顔を赤くした。

「のぞいてんじゃねえぞっ」

「しかしこれはとても大切なことなので、私どもとしてもキチンと確認しなければなりませんから」

 と言いつつ、ふたりのヒゲが興味でプルプル震えている。ハクトはおもむろに長椅子から立ちあがると扉まで歩いていき、大声で怒鳴った。

「今度のぞいたら焼きハムにしてやるからな!」

 そしてバタンと扉をしめた。

「まったくとんでもねえ奴らだ」

 椅子に戻ってくると、怒りながら腰かける。チレは短くなったローブを膝下まで引っ張りながらたずねた。

「……で、では、続きを、するのですか?」

 鼓動を早くする心臓が気になって身を竦め、上目で聞く。

「……」

 ハクトがこちらに目を移し、そして視線を逸らした。眼差しは苛ついているように見える。黙ったまま落ち着きなく膝を揺らし、やがてぶすっとした調子で言った。

「続きをして、俺に魔力が戻ったら、俺とお前がしたことが、ハム人間たちにバレることになる」

「え?」

 もちろんそうだろうが、バレて何か問題があるのだろうか。

「それはイヤだ」

「え? なぜですか」

「クソ恥ずかしい」

「…………」

 チレは目をみはった。たしかにおおっぴらにするには憚られる行為だけれど、世界中の人が普通にやっていることだ。しかも今は魔力を戻すほうが大事だと思うが、それでも羞恥心のほうが勝るのか。

 異世界人の恥ずかしさの基準がよくわからない。ハクトの言い分はまるで汚れを知らぬ乙女のようだ。それともこの人は、そういった方面ではまったく純真な童貞なのか。未経験なのはチレも同じだが、こちらは三百余年生きてきた知識の積み重ねがある。だからハクトほど繊細でもなかった。

「そうでございますか。では、どうしましょう?」

 ハクトの顔はまだ赤らんだままだ。

「とにかく、キ……キスだけで、すむのなら、それで解決するわけだから、当分、そっちを試せばいいだろ」

「そうでございますね」

 ほんのちょっぴり残念な気持ちがわいたのは気のせいだろうか。

 そのとき、チレはまったく別のことを思いついた。

「もしかして、ハクト様は私が男だからイヤなのでしょうか?」

 異世界人もルルクル人も恋愛対象は異性が一般的だ。

「え?」

 ハクトがキョトンとする。そのままの顔でチレを見つめ、首を傾げて思案した。

「……いや、どうだろ。それは……別に……」

 そして悩んでいる自分に驚いたように、目を瞬かせる。

「別に、いいだろ。そんなことは。どうせ男でも女でもやることは大体同じなんだし」

 急に機嫌を悪くしたように立ちあがると、大股で寝室のほうへといってしまった。

「疲れた。ちょっと昼寝する。邪魔するんじゃないぞ」

 言い残して、ベッドに潜りこむ。そのままモゾモゾと身じろぎし始めたので、チレは邪魔をしないように、控え室へと引きあげた。

「あ、元に戻してもらうのを忘れていた」

 異世界人のままだったことに気づいて寝室に引き返す。

「ハクト様」

 と声をかけたが、上がけの中のハクトが動く気配はない。仕方なくチレはヒトの姿で控え室に戻った。

 チレがすごす狭い部屋には、壁に鏡がかかっている。毎朝身だしなみを整えるために使うその鏡を、しゃがんでのぞきこんだ。

 鏡面には不思議な姿の青年が映っている。

 肩まで伸びた栗色の髪、大きな焦げ茶色の瞳、ぷにっとした赤い唇。そして華奢な肢体。この姿が上級品なのかそうでないのか、チレの異世界人判断基準を持ってしてもよくわからない。

「自分のことって、客観的に見られないものなんだなあ」

 両手で頬をさすってみたり、引っ張ったりしてしげしげと眺めたりした後、ローブをまくりあげて、足の間にぶらさがったものを見つめる。

「うっ……これは可愛くない」

 やっぱりルルクル人の姿のほうがいいやと、密かに呟いたチレだった。

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