召喚聖女に問題あり ~もふもふな世話役の恋と受難~

伽野せり

聖女召喚

第1話

 ぽかぽかと温かな初春の昼さがり、聖徒チレ・ミュルリは書庫で本を読んでいた。

 うららかな春の陽は窓から本の上に差しこみ、頁を白く輝かせている。外では色とりどりの花が咲き乱れ、鳥が愛らしく鳴いていた。

 広い書庫にはチレしかいない。温もりに誘われて、いつの間にかチレはうつらうつらと船を漕いでいた。

 ――なんて気持ちのいい日だろう……。

 こんな日には、長年の願いがかなって、聖女様が異世界から降臨されないだろうか。

 半分眠りに入りながら夢想する。

 ――早くお越し願いたい……そして、この世界を救っていただきたい。そのためなら、私は何でもするだろうに……。

 先代の聖女がこの世を去って八年。魔族との戦いを抱えたこの世界で、新たな聖女の召喚は住民全ての望みであった。

「聖女様……」

 ほとんど恋慕に近い感情で、寝言を呟く。

 そのとき、書庫の外から誰かが駆けてくる足音がした。

 バタバタとひどく慌てた様子なのは神官のひとりだろうか。入り口までやってくると、彼は大声で叫んだ。

「チレ様! ここにいらっしゃいましたか!」

「……どうなさいました。そんなに慌てて」

 いきなり夢から引きあげられて、チレは目を見ひらいた。居眠りしていたのを悟られないように、しゃんと背を伸ばす。

「聖女様の召喚が、ついに成功されました!」

「えっ」

 驚いて、手にしていた本をバサリと落とす。

「本当ですか??」

 床の本を拾うことも忘れて神官に走りよった。

「はい、たった今、降臨なされました。まだ魔方陣の中にいらっしゃいます」

「……ああ」

 自分の願いが異世界に届いたのだろうか。

「それはめでたいことです」

 大召喚師が八年にわたり、毎日欠かさず祈りを捧げたおかげで、ついに念願叶って聖女がやってきたらしい。

 興奮気味の神官とともに、チレは急いで書庫を後にした。階段をおりて建物の外に出ると、中庭を突っ切って高い塔へ向かう。もつれそうになる足を必死に繰り出して、塔の中にある召喚聖堂へと走った。

「今度の聖女様はどんな方ですか」

「私もまだよく見ていません」

 神官は途中で出会う仲間にも、降臨のしらせを大声で告げた。すると皆が仕事の手をとめて集まってくる。

「本当に、聖女様が?」

「ああ、よかった。これでやっとこの国も救われる」

 白や灰色の質素なローブを着た仲間たちが口々に歓喜の声をあげた。全員で召喚聖堂に向かい、あけ放たれた大きな両扉を抜けて堂内に入る。中はしんと静まりかえっていた。

 広いホールには大召喚師をはじめ、聖徒と多くの神官がいた。ホールの真ん中には魔方陣があり、それを囲んで誰も口をひらかず、厳かな雰囲気で立ち尽くしている。

 人々の背後から、チレは背伸びをして魔方陣を眺めた。背の低いチレには向こう側がよく見えない。ひょこひょこと首を動かして隙間からのぞき見ると、星形の魔法陣の中にひとりの人物が確認できた。

 床に描かれた、精緻な文様と古代文字。その中心に尻餅をつくようにして座る人間。ぽかんと呆気に取られた表情で周囲を見渡しているのは――。

「男だ」

 チレは小声で呟いた。それに隣の神官が「シィッ、静かに」と注意してくる。

 聖女は、黒髪に黒い瞳の若い男性だった。手足は長く、紺色の上下揃いの服を着て、首元から模様の入った細長い布を垂らしている。

 しかし男であったが、今回の聖女は歴代聖女の中でも際だった美しい容姿をしていた。

 自分が今まで仕えてきた四人の聖女。彼が五人目の主になるのか。

「☆@&%$#……」

 聖女が声を発する。それは異世界の言葉だった。

「=☆‰£‡σ§仝#☆、○⚠#㏄ーÅφ」

 意味不明な言語がホールに響き渡ると、神官らはハッと我に返ったようにあたふたし始めた。

 前もって準備してあった木の板を何枚も取り出して、聖女の前に並べてみせる。木の板には羊皮紙が貼りつけてあり、そこには歴代聖女が異世界から持ちこんだ様々な種類の言語が書かれていた。

『いらっしゃいませ、こんにちは。ようこそお越しくださいました』

 どれも一様に、そう記されている。

「¢☆‡㏍……?」

 聖女は訝しげな顔つきになって木の板を凝視した。並んだ板を順番に眺め、やがて一枚に目をとめると、文章に沿って目玉を動かす。

 それを見て取った神官は、「ニホン語だっ!」と叫んで、控えていた神官に『ニホン語』と書かれた箱を急いであけさせた。中から何枚もの板を取り出すと、アセアセと聖女の前に並べる。

『暴れないで、落ち着いてね』

『我々は、敵ではありません。あなたの味方です』

『我々は汚くありません』

『泣かないで、怖くなんかないよ』

 書かれた文字を、男の聖女は、あり得ないものでも見るかのような恐怖の混ざったまなこで凝視した。

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