(4)――「もう良いんだよ、紫鶴。わたしは納得してる」

 それからも、軟禁生活は順調に続いた。

 朝、目が覚めたら朝食を食べて、ユカリと遊び。

 昼、昼食を食べて、軽く体操で身体を動かしてから、ユカリと遊び。

 夜、夕飯を食べて、ユカリと遊んで、眠りにつく。

 遊びのネタは思いの外尽きることなく、遂に軟禁生活は六日目を迎えた。

「……んん」

 夏の生温い風が、部屋に吹き込んできた。

 相変わらず、朝の換気は僕の起床前に行われている。昨日まではその気配に全く気づけなかったが、どうやら今朝は、僕の目を覚まさせるほど風が強いらしい。

「あ、ごめん、起こしちゃったね」

 僕が起きたことに気づくと、ユカリは即座に窓を閉めた。

 そうしてふわりと僕のところへ移動してくる。

「起きるには少し早いよ? もう少し寝る?」

 言いながら、ユカリは僕の頭を撫でた。

「んんん……」

 覚醒しかけた意識は、そんな風に優しく撫でられると、再び微睡みに戻っていきそうになる。子ども扱いするなよ、と抗議する気も起きない。

「なあユカリ……前にもこうしてくれたこと、あったっけ……?」

 ぼんやりする頭は、思ったことをそのまま言葉にした。

 元々、ユカリはあまり僕に触れようとしない。小学生の頃にそれを指摘したら、哀しそうに微笑んで「だって、気味が悪いでしょ」と答えたのである。もちろん僕は否定したけれど、ユカリはその主張を変えようとはしなかった。

 ユカリはそれくらい僕に触れないように意識しているのに、どうして僕は今、ユカリに頭を撫でられ、懐かしいと感じているのだろう。どうしても思い出せない。

「……紫鶴が小六のときに、一回だけ」

「小六……?」

「あはは、覚えてないか。あのとき、四十度近い高熱だったもんね」

「それって、秋くらいのこと?」

「そうそう」

 なんとなくだけれど、高熱にうなされていたことは覚えている。ユカリなりに心配して、看病してくれていたのだろう。

 ――学校の友達に、怖いって言われた。

 と。

 断片的な記憶が、不意に蘇る。

 数日間に及ぶ高熱で弱気になった僕は、意識を朦朧とさせながらユカリに泣きついたのだ。

 思えば、昔から同級生には距離を取られていたのだろう。だけど僕の隣にはいつもユカリが居て、寂しいなんて思う隙さえなかった。

 怖いと言われたのだって、面と向かってのものではない。

 放課後、ユカリと公園でかくれんぼをしているとき、たまたま公園に居合わせた同級生達が言っているのを、偶然耳にしてしまったのだ。

 ――紫鶴君って、いっつも一人だよね。

 ――なんにもないところに向かって、ずっと一人でぶつぶつ言ってたぞ。

 ――うええ、怖過ぎ。意味わかんね。

 ユカリに聞かれなくて良かった、と当時の僕は安堵すると共に、このことは絶対に彼女には話さないと心に決めた。その決意も虚しくユカリにこのことを零してしまったのは、いくら体調が悪かったとはいえ、小学生の僕が未熟であったことの証左だろう。

 あの日。

 僕がたった一言弱音を吐いてしまっただけで、ユカリは全てを理解したように、ごめんね、と言いながら僕の頭を撫でたのだ。

 そうだ。思い出した。

 あの日を境に、ユカリは僕と遊ばなくなったんだ。

 守護霊として僕の傍に居続けてくれたけれど、積極的に同級生と交流するよう促すようになった。だから中学生になる頃には僕にも友達が増え、学校で浮くことなく過ごせるようになっていた。

 勉強や部活が忙しかった所為じゃない。

 ユカリが意図的に僕と距離を置いたからだったんだ。

「……謝る必要なんてないんだよ、紫鶴」

 ユカリは、僕の心を読んだように言う。

 その声音は、子守唄のように穏やかだ。

「あの頃、わたしは紫鶴に甘え過ぎてたんだ。わたしが視えてる紫鶴と遊ぶのが、楽しくて仕方なかった。その所為で、自分の存在意義を忘れちゃってたんだよ」

 ユカリはゆっくりと言葉を紡ぐ。

「わたしはキミの守護霊だから、キミを傷つけるような存在にはなりたくない。だからあのときの選択が間違っていたとは思わないし、あの日以降の紫鶴の行動は、絶対に正しいんだよ。大丈夫だいじょうぶ、紫鶴はもう、わたしが居なくても、一人でも、きちんと生きていける」

「……それが、この軟禁の理由?」

 まるでもうすぐ居なくなるかのような口ぶりに、僕は間違いであってくれと祈りながら、そう尋ねた。

「うん」

 果たして、ユカリは僕の想いも虚しく、肯定した。

「この間、カミサマみたいな人がわたしのところに来て、言ったんだ。守護霊として在れるのは、守護している人間が二十歳の誕生日を迎えるまでだって」

「それって――」

 ユカリはくだらないことで嘘はつかない。だからこの告白は、紛うことない事実だ。

 だからこそ、僕は彼女の言葉に血の気の引く思いがした。

 だって僕の誕生日は、明日だ。

「もう良いんだよ、紫鶴。わたしは納得してる」

「でも」

 反論しようとする僕の口元に指を当てて、ユカリは言う。

「一回死んじゃってるからかな、不思議と、消えることを怖いとは思わないんだ。だからきっと、大丈夫」

 そう言って、ユカリは再び僕の頭を撫でる。

 触れられている感覚は確かにあるのに、その手に温もりは無い。むしろ、冷たく感じるほどだ。だけど僕にとっては、これほど安心するものは他にない。それなのに。

「この軟禁は、わたしの最後のわがまま。消えちゃう前に、あの頃みたいに紫鶴と遊びたかったんだ。付き合わせちゃってごめんね」

「良いよ、気にしてない。僕も楽しかった」

「そっか」

 ユカリは柔らかく微笑むと、片手で僕の視界を覆った。

「もう少し寝よっか、紫鶴。目が覚めたら、また一緒に遊ぼう」

「うん」

 窓の外ではセミが鳴き始めていた。

 夏の盛りに、ひとつの終わりが近づいている。

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