リリカル・チェンジ
まままな人
第一章「 Lilycal‐Cloth(リリカル クロス)」01
01
黒木純麗(くろき すみれ)にはわからなかった。
例えば、今、目の前にいる三人の生徒。
校門を過ぎたところで声をかけてきた三人が、わからない。
「やっ! 待ってたよ、純麗さん!」
「ねぇ、今日こそバレー部入らない? 入ろうよ!」
「今ね、ちょうど朝練中なんだよ! 見学だけでもさ!」
と、彼女らは瞳をキラリと輝かせて言う。それがわからないのだ。
なんでそんなに必死になのか。
なんでそれほど本気になるのか。
純麗にはわからない。
「入りませんって……というか、前も待ち伏せされたから、時間ずらしてきたのに……」
と答えると、
「いくらずらしたってね、あなた百メートル先からでもわかるもん!」
はっきりと言われてしまう。
まぁ、それはそうだろうなと、純麗も思った。
こうして立ち話をしているだけで、通り過ぎる生徒ら皆が目を向けてくる。まるで見てはいけないものを見てしまったかのように、横目に見てくる。
それは自分の背が高いせいだ。
いや、高すぎる。
二年生でバレー部の先輩を見下ろしながら、やはりそう思う。
無論、彼女らが小さいわけではない。
自分の2メートル16センチという身長が、女子というか、もはや人間として大きすぎるのだ。
体重なんて103キロだ。考えるだけで切なくなる。
だけど、この体躯がスポーツの世界においてどれだけ有利であるかは純麗にも理解がある。昨日はバスケ部、その前は柔道部、毎日毎日、どこかしらの部活が純麗に声をかけてくるのはわかる。
だって、まだ高校一年生なのだから。
しかも、六月の中旬、入学して二ヶ月しか経っていないのだから。
この市立葉桜(はざくら)中央高等学校は、偏差値64の昔からある学校で、この近辺では、少子化だとか学力格差だとかのせいで、普通に勉強した子はここに入るしかなくなる。ボロくて汚らしい校舎はある意味町のシンボルだ。
純麗も例に漏れず、ただ普通にここへ入学したつもりだった。
見上げると、表に垂れ幕がかかっている。
《祝・第八十二回全国高校バレー大会〝準優勝〟!》
準優勝、の部分は赤い字で強調されている。
「バレー部、充分、結果残してるじゃないですか……」純麗が言うと、
「優れた武将というものは、常に二手、三手、先を考えているものよ!」
「武将て……」
「──先週の体力テストでさ、立ち幅跳びの記録、男子を超えたんだって? 運動得意んじゃん! 細いように見えてしっかり筋肉はあるんだよねぇ。中学の頃、部活やってなかったって聞いたけど、本当はなにかやってたでしょ?」
別の先輩が純麗の二の腕を揉んだ。
「ぬふふ……バネもあるねぇ。いまからでも遅くない! バレー部、入ろうよ!」
キラリと輝く彼女らの瞳。
その目が、純麗にはどうしてもわからなかった。
「……さーせん……」
1年B組の教室。
純麗の席は、当然のごとく一番後ろにあった。
純麗がそこで授業の準備をしていると、近くの席の友達と今朝の話になる。
「ふーん。やっぱり断っちゃったんだぁ」
と残念そうに言うのは、目堂未夢(めどう みゆ)だ。
小柄な生徒で、立っている未夢の頭はちょうど、座っている純麗と同じ高さになる。
純麗は机からはみ出る脚を邪魔そうにして、ぶっきらぼうに答えた。
「どうせ、あたしにはわからないからさぁ」
「わからないって?」
「なにかに一生懸命になる気持ち。──別に否定するわけじゃないけど、なんであんなに必死になるのか、あたしにはわかんない。なに食べたらあんな充実した顔ができるの。そういう子供ってどうやったら育つの」
「あはぁ……向こうが聴きたいんじゃないかなぁ?」
純麗の体を見て、未夢は笑う。
「どっちにしてもだよ。あん中にあたしが混じって、一緒に汗をかく姿なんて想像できない」
そう。自分が青春の香りのする汗を流すなんてありえない。
強烈なスパイクを打って、チームの仲間たちとハグでもするのだろうか。その時、自分はどんな顔をしているのだろう。まさか、大声で喜んで笑っていたり?
いやいや、ありえないって。
「……なーんて、背が高いだけで、やってもいないのに。やだやだ、あたしって人のこと見下してるみたいじゃん」
純麗は鞄から取り出した筆箱をポイッと机に放った。
この話はおしまいという合図だ。
すると、未夢が言った。
「じゃあ、やっぱり私と映研に入ろうよ!」
と前かがみになった未夢の顔は、キラリと輝く瞳だ。
バレー部員たちと同じ目だ。
「うげっ……」
未夢は早口に言う。
「今日は水曜日! つまり、週に一度の映研活動日だよ! ふふっ、実はね、今日上映するのは私の推薦した映画、あのシルベスター・スタローンの名作『オーバー・ザ・トップ』なんだよ! 純麗ちゃん、知ってる?」
「……知らな──」
「まぁ、スタローン映画じゃ一般に知られてないかもね! でもでも、すっごい名作なんだよ! スタローンがお父さん役を務めるトラックの運転手がね、離れて暮らしていた息子とともに入院中の妻に会いに行くんだ! その長い道のりの中で親子の絆がだんだんと育まれていくの! だけど、到着したときには母親は亡くなってしまって、息子は心を閉ざしてしまうっ……」
ベラ、ベラ、ベラと──
映画の話が始まると、未夢は口が止まらなくなる。お喋り機関車だ。
「……あー……」
「──でぇ! 子供に伝えていた言葉はスタローン自信にも向けていた言葉だって逆に教えてもらうんだよ! うおおお! 頑張れお父さん! オーバー・ザ・トップだぁああっ!」
未夢は高々とガッツポーズを掲げた。
たぶん、その映画の台詞なのだろう。
「純麗ちゃん! 映研に入ろう! 『オーバー・ザ・トップ』を観に行こう!」
「いや。今、あらすじぜんぶ言われたけど──」
「それはそれ! これはこれ! ほらほら~っ!」
未夢は純麗の腕を掴んで揺すった。
「やだ、やめて。引っつき虫みたい……あとで摘んで捨てちゃうよ」
「ひどぉいっ!」
結局。
というより当然のごとく、純麗は映研の部室へは向かわず、一人で下校することにした。
歩道を歩いていると、通りがかった小学生たちが、まるで大怪獣を見たかのように喜ぶ。数メートル離れると、声が聞こえてくる。
「──すっげぇでっけぇ!」
「──俺の親父よりでけぇよ!」
純麗の嫌いな言葉だ。
こうして目立つというのは自分の性格に合っていない。
だいたい、交通機関に乗って立ったときなどは、他人の顔がちょうど自分の胸の位置なので気まずくなるし、座席だって脚がはみ出るから窮屈だ。不便極まりない。
だから、いつも徒歩で移動していた。
「……あたし、怪獣じゃないんだけどな……」
歩きながら、いつもいろいろ考えている。
そりゃあ、未夢はいい友達だけど、向こうがあたしをどう思っているかなんてわからないし、今だって「友達」なんて単語を出していいのかわからない。だって、また、映研の誘いを断っちゃった……。
本当は、あの子と一緒の部活に入ってみたいって思ってる。
だけど、あんな本気な人間の輪に、自分なんかが入っていいのだろうか。映画なんて普段そんな見ない。なにかに熱中する気力も情熱も、あたしにはない。
歩いていると、お腹が鳴る。怪獣と表現されたくないけど、見た目どおりの大食いだ。お昼にパンを食べたはずなのに、下校時間になるとすぐこれだ。
暑さと空腹で気だるい気持ちになる。
「……はぁ……なんか食べて帰ろう……」
どうせ早く帰っても「ただいま」を言う相手はいないのだ。
純麗の両親は共働きだった。
朝早くに家を出て、夜遅くに帰ってくる。だから、平日は一時間程度しか会わないし、休日だって必要最低限の会話しかしない。
もちろん、二人は生活のために働いているのであって、それは自分を育てることに繋がってるから、「話をする機会がない=愛されてない」ということにはならないことは、純麗もわかっている。
ただ、独りの時間はある疑問を抱(いだ)かせる。
──あたしって、大切に思われているのかな……。
血の繋がりはあるけれど、あれは本当に親なのだろうか。ただ一緒の家に住んでいるだけじゃないか。それは家族と表現できるのか。
大切にされてるって実感がないから、何かを大切に思う感覚もわからない。
みんな何かに一生懸命になってるのに、あたしは何にも本気になれない。
何にも熱中できない。
──あたし、一生こうなのかな……。
純麗にはわからなかった。
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