第二章 国芳、いたずらをする
第6話
私はただ、きらきらと輝くばかりの庭を眺めていた。
あの日の夜、私に無理やりお酒を飲ませた三条さんは私の体を抱くことは無かった。
そればかりか「すまない」と謝って、寝所から出て行ってしまった。
今の私は一人。
私のためにたまちゃんが用意してくれた部屋にいた。お庭がいちばんよく見渡せるんです、とたまちゃんが言っていた部屋の廊下、広縁に座って……二日経った今も空くことのないお腹、乾くことのない喉をそのままに昼の庭をぼんやりと眺めている。
気を利かせたたまちゃんが私の座っている左右に几帳を用意してくれて、ふいに誰かが部屋に入ってきてしまった時、すぐには姿を見られないようにしてくれた。
それでもたまちゃんも、私の様子を見て悲しそうにしている。
あんなに張り切っていた子の期待を無碍にしてしまった私も……でも、悪いのは三条さんだ。
私に死相がある?
本当に、そうなのかもしれない。
だから私は、人ではない体になってしまったのかもしれない。
このままあと一日、二日……とにかく何も口にしなければ元の場所へ帰る事が出来るのだろうか。
お茶なら三日、お酒なら一週間と三条さんは言っていたからその間、何も口にしなければ。
でも、私を元いた場所に帰してくれるなんて約束はしていないし三条さんも帰すつもりがないような口ぶりだった。
それにこの空かないお腹だって、普通じゃない。
あの夜を越した朝、迎えに来てくれたたまちゃんは「どうでした?お優しかったでしょう?」と瞳を輝かせていたけれど無理やりお酒を飲まされただけで何もなく、布団の上にいたと言うのに一睡も出来なかった疲れた私の表情を見てしゅん、と白い耳を下げていたのを覚えている。
今朝も果物を抱えて私の様子を伺いに来てくれたたまちゃんの耳が伝えてくれる感情は、悲しさをたたえていた。
私はこちらの食べ物を口に出来ない。
肩に掛けてくれた豪華な刺繍の入った羽織りものも今の私には重く、それだけで体が押し潰されてしまいそうで。
とん、と音がした。
几帳の向こうからちら、と顔を出した白い猫。
首には銀色の組紐を結んでいて、その白猫はたまちゃんなのだと知る。
「……たまちゃん」
呼びかけたら少し間を置いて、するんと几帳の脇から体を滑らせるようにたまちゃんがやって来た。そして膝を崩して座っていた私の緋色の袴の上にそっと真っ白な手を置いて、見上げる。
座って良いですか、の意味だと汲んで裾を少し直して「どうぞ」と言えば良く懐いた猫のようにたまちゃんは私の太ももの上に乗って丸くなる。
「触っても良い?」
問いかければ返事の代わりにごろごろと喉が鳴る。
短くも、たまちゃんの真っ白な毛並はとても手触りがよく、滑らかで、温かかった。背中を撫でる私の手を心地よさそうに喉を鳴らしながら……瞼を閉じている。
あ、と声に出しそうになって口をつぐむ。
たまちゃんには、尻尾が無かった。
根本の方に短く――生まれつきなのか、それとも事故か怪我か。
丸く短く残っているだけの膨らみ。当時瀕死だったのだと聞いたけれどそんなこの子を拾ったのが三条さんで。
大切にされていなければ、こんな白く美しい毛並にはならない。
だからたまちゃんにとってこの場所は住み心地の良い場所なのかもしれない。
けれど私は突然、三条さんに連れて来られてしまった。
たまちゃんの背中や首元を撫でていたらどうしてだろう……私も少し眠くなってきて……たまちゃんの喉のごろごろのお陰か、ずっと張りつめていた意識がゆっくりと、沈むように。
「す、すず子さま?!だれか、だれか来て!!国芳さま!!」
暗い眠りの世界に落ちて行く意識の向こうで人の姿になったたまちゃんが私の背中を支え、私の記憶はそこでぷつりと途切れてしまった。
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