『逆、猫吸い譚 ~雄の三毛猫、三条国芳は今日もすず子の匂いを吸う~』

緑野かえる

第一章 すず子、いきなり吸われる

第1話


 季節は夏の終わり、三連休をもぎ取ったその初日。

 疲れてるんだから家でごろごろしていればいいのに、私は前から行きたいと思っていた観光地へ日帰り旅行に出て来てしまっていた。

 電車移動で二時間も掛からない手ごろな場所は相変わらず混んでいたけれど、私が行ってみたいと思っていた場所は駅からちょっと離れた所にあった。


 観光パンフレットに載っているくらいだから知る人ぞ知る程ではないのかもしれないけれど格式高い古い神社がある、とのこと。

 噂では“縁切り神社”と呼ばれているところ。


 私には、切りたい縁があった。


 人間関係、全部だ。


 もう疲れちゃったーー会社も友達も恋愛も、目まぐるしい日々に心が酷くざわつく毎日。

 まだ大丈夫、どうにかすればきっと。

 そうやって自分の置かれた状況を一回整理しようと言う感情のままに生活をした結果、気が付いたら私の部屋の中はぐちゃぐちゃどころか、何もなくなっていた。

 生活に必要なごく最低限の物を残して、私の部屋はひどくがらんとしている。掃除がしやすくていいかな、と思う事にしたけれど自分が思っているより心の問題は深刻かもしれない。


 そんな何もない寂しい部屋にいても、と何かに誘われるように出掛ける支度をしてアパートから出て、今は観光客で溢れている駅から乗った路線バスに揺られていた。


 とん、とバスのステップから降りれば空気の違いが分かる。

 すっと胸に入って来る草木の青い匂い。

 辺りを見渡せば神社へのルートを示す小さな看板があったのでその通りに道を行く。


 ショルダーバッグを一つ、お財布とスマートフォンとパウダーのコンパクトにリップが一本。ハンカチにティッシュ。

 服は無難にコットンの半袖カットソーとロングスカート。


 ざり、とヒールの低いぺったんこパンプスの底が砂利を踏めばバス停からすぐ側、私の目の前には大きな石造りの鳥居があった。

 それを見上げたら不思議とスッと気持ちが落ち着いて、覚えたての作法で鳥居をくぐる。


 ざり、ざり、と小さな砂利が鳴るのを聞きながら思っていたよりも広い境内をあちらこちらと見回しながら奥へと進む。

 二の鳥居、手水舎、これで良かったっけ、と間違っていたらごめんなさいと心の中で誰ともなく言いながら辿り着いた先にあった渋い色をたたえた厳かな拝殿。


 その拝殿の佇まいに私はろくでもない事を考えていたな、と思い始める。縁を切りたいと言う考えをもってこの神社に来てしまったなんて、なんだか神様に失礼だ。

 少し立ち止まってじっくりと拝殿を見上げ、それからお賽銭箱の横にも書いてある参拝の仕方を確認してから「少しだけ、今の生活が良い方向へ行きますように」とお願いをする。


 人と人との縁を切ってしまいたくなるくらい、私のメンタルはがた落ちしているけれど……この神社に来てみたら少し前を向けそうな、そんな気がしてお願いごとを変えた。


 これで良かったんだ、と心地いい風が吹いている境内を軽く散策していると参拝者は私一人だけなのだと今更ながら気が付いた。

 駅から路線バスで終点近い所まで乗らなきゃいけない神社。

 やっぱり来るのは地元の人が多いのかな、と寄った社務所の方にも神職の人は見当たらない。

 時間的に昼の休憩時間なのかもしれない、と『お声掛けください』と書かれ、窓口に立て掛けられていた木札から視線をずらす。


 ふと、私の視界に入ったのは『おみくじ』の四文字……とその箱の上でのんびりと寝そべっている三毛猫さんの姿。

 猫が大好きな私は吸い寄せられるようにそのおみくじの箱の前まで来てしまった。三毛猫さんは猫さんらしい振る舞いでゆっくりとした動作で私を見上げる。その毛並みは短毛の子よりちょっと長めな中毛の、白と黒と赤茶の混じった柔らかそうな癖っ毛さんだった。


 触れる前に私の匂いを確認して貰う為に指先を低く差し出しながらこんにちは、と話しかければ少しだけ指に鼻先が当たって後はもう興味が無さそう。それでも首筋を撫でることは許してくれたようだった。

 周りには本当に人の気配が無かったからつい、その三毛猫さんが女の子だと思って「恋愛とか、人間関係とか、難しいね」と撫でてあげながら余計な話を呟いてしまう。


 そうしたらその三毛猫さんが寝転がったまま器用におみくじの箱の中に手を入れて……ひとつ、小さな爪の先に引っかかった物をべし、と私の目の前に置いた。まさか選んでくれたの?と慌てて隣に備え付けてあった木箱に初穂料を納めておみくじを受け取り、慎重に紙を開く。


「なるほど……」


 私の目に映るのは『大凶』の二文字。

 なるほどなるほど。

 おみくじを開いたまま立ち尽くしている私を見上げた三毛猫さんは目が完全に覚めてしまったのか、私の方をちらっと見ただけでおみくじ箱から下りて、どこかに行ってしまった。


(あれ……今の、って)


 おかしいな、としっかりめなメイクをしている私は目元を擦りそうになって思いとどまる。今、何となくだけど飛び下りた三毛猫さんの長いしっぽの下に……いや、何かの残像か癖毛のせいかな。

 生まれて来る子の殆どが女の子の三毛猫さんのお尻に男の子の丸いのなんて……ない、筈。


 私、やっぱり疲れてる。

 だからこうしてふらっと気分転換に日帰り旅行に出て来たんだけど……どこかでお茶でもしようかな、と神社を後にすることを決めて鳥居を出る前にまたご挨拶をして、背を向けた時だった。


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