第14話 おまけ 奥様って

 碧唯(あおい)と翼(つばさ)は藤沢家の女中だった。大きなお屋敷勤めというのは高給取りで人から羨望される立場である。

 そう、つい先日までは、彼女たちもそれに誇りを持っていた。


「奥様って優しかったわね……」


「そうね。当たり前すぎて、忘れてたわ」


 休憩時間に庭の片隅に逃げ出して二人はそう言ってため息をついた。彼女たちは5年ほど前から住み込みで働いている。時期としては主の結婚を機に雇い入れられたことになる。


 二人はこれまでこの屋敷で人間関係に困ったことがなかった。揉め事が大きくなる前に奥様か奥様の指示を受けた執事が仲裁をしていたからだ。それに種族の違いで扱いが変わることもなかった。他の屋敷では獣人などが上であることが多いが、ここは良くも悪くも能力主義だった。

 それが気に入らない獣人がでていくこともあったが概ね奥様に説得され、納得していたようだった。


 その奥様がいない。ちょっとした不在ではない。

 奥様は主と離婚することになり、屋敷を去ったのだ。


 それ以降、屋敷はぎすぎすとしだし、空気が悪い。特に純人である彼女たちは少々肩身が狭くなってきた。ほかの屋敷と同じように。


「一緒についていけばよかった」


「ほんと、それ」


 奥様付と決まっていたわけではないが、年も近いしと親しくはしていた。それでも出ていかれるときについていくほどではなかった。

 現状を考えれば判断を誤ったと言える。


 離婚も別に奥様が悪いことをしたわけではない。

 契約婚のため、主が番を見つけた時点で婚姻関係が終了することに決まっていた。その通りに手続きをされるだけの話である。


 それにしてもと碧唯は思い返す。

 朝は、いつも通り出かけていったのに、帰ってきて冷たすぎる態度に変貌していたのは驚いた。愛し合っていたという風ではなかったが、それなりに良好な関係を持っていたように見えていたのに。

 獣人たちはそれを気に留めることもなく、主の番様が見つかったと喜んでいた。


 そして、奥様が邪魔者といわんばかりの扱いは嫌な気持ちになった。それでも、屋敷の給金のほうを選んだのだから碧唯が何か言う権利はないだろう。

 当の奥様はそういうものよねと苦笑して、荷物をまとめ別居に応じていた。

 片付けのついでという風に使用人たちに小物を渡していた。これまで世話になったと。そういう心遣いができる人だった。


「今から雇ってくれないかなぁ」


「どうかな。噂じゃ、お金くれないから離婚しないとかわめいてるとか聞いたから、主が出し渋ってんじゃない?」


「なんかそれどころじゃなさそうだものね」


 すぐに番様をお迎えするという風だった屋敷は、いまだに番様がやってこない。これもまた噂であったが、拒否されているらしい。それも徹底抗戦の構えとか。

 攫って来ればよくわかってくださるはずなのに、と違法行為を悔し気に語る獣人に二人はドン引きである。なお、獣人以外の番の概念を持たない者たちもドン引きだったらしい。さすがにあれはないと言っていたのを碧唯も小耳にはさんでいる。

 そういう空気感の違いが、この屋敷の雰囲気の悪さの理由でもある。


 二人は顔を見合わせて再びため息をついた。


「仕事、しよっか」


「やだなぁ」


 ぼやきながら二人が戻ったころ、屋敷は来客で騒がしかった。

 弁護士を名乗る男が応接室で、使用人の聞き取り調査をしている、らしい。


「奥様のこれまでの話をするように、という通達だ。

 離婚の慰謝料の決定に揉めてるらしい」


「慣例ではその後の人生を保証ということですよね?」


 最近知ったばかりの知識を翼が披露している。

 話をしてきた使用人もうなずいている。そういう保証がなければ、いつ捨てられるかもわからない婚姻したくもないだろう。

 まあ、保証があっても碧唯は嫌だが。


「それ以上となると強欲だと思えるな」


 獣人の使用人がそう嫌そうに言う。総じて、番様が見つかって以降、獣人たちは奥様には冷淡である。


「あの奥様が、そんなに欲しがるかな?」


 翼がぽつりとつぶやいていた。


 各5分程度らしく、それほど待たずに碧唯も応接室に呼ばれた。

 碧唯の前に話をしていたらしい獣人の使用人は首をかしげていた。


「なぁ、奥様って、意外といいひとだった?」


「いい人ですよ……」


 いまさら何をと碧唯は告げる。

 そっかと獣人は腑に落ちないような顔で去っていった。なんだったのか。


「時間をとらせて済まない」


 応接間にいたのはなんだか裏家業のような風貌の男性だった。弁護士?なの? とびびりながらも碧唯は椅子に座った。


「名前は」


「碧唯です」


「ああ、君が鈴音さんと親しかった女中か。

 君の目から見て彼女は散財をしていたように思えるか?」


「いいえ。

 部屋着はファストファッションで、プチプラがお好きでした。あと、猫グッズを買いあさるくらいでしょうか」


「ここでも猫か。

 宝飾品やブランド品は?」


「家に一杯あるので使いまわせばいいという主張でした。確かに、鞄は売るほどにありますし、あ、売られたことはないですがっ!」


「それはすでに執事に聞いたから大丈夫だ。

 つまり、お小遣い以上に散財している形跡はない、と」


「そう思います」


 そう碧唯は言って一つだけ懸念を思い出した。熱を入れていた動画配信者がいたはずだ。猫の着ぐるみみたいなのが動くもの。可愛いですねというとそうでしょと熱を入れて語っていた。

 なお、旦那様とは全く似ていないので何かの投影ということはないだろう。


 まあ、余計なことだろう。碧唯は黙ることにした。


「……ところで、夫からの贈り物は」


「花ばかりでした。それも、なんていうんですかね……」


 ちょっと主の名誉にかかわるので碧唯は言いよどんだ。


「値が張るのか?」


「一つずつ選んだというのではなくて、もう、ブーケになっているお徳用みたいなのです……」


「……ほんとうに?」


「ええ、たぶん、駅近くの花屋のものです」


 彼は頭が痛いと言いたげだった。碧唯もそれはどうかと思うが、奥様はいつも嬉しそうに受け取っていた。ただし、部屋に飾ることはなかったなとも思い出した。


「彼女の家の采配は?」


「きちんとされていました。ここまで過ごしやすい屋敷はいままでありませんでした」


「特別贔屓にするものもなく?」


「強いて言えば、私ともう一人、翼が年も近いと親しくしていただきました。

 ついていけばよかったと思っていたところです」


 その言葉に彼は少しだけ微妙な顔をした。


「一人で気軽と思っている風だった」


「ですよね……」


 部屋に下がった後にたまに呼ばれることはあったのだが、部屋ではくつろぎまくっていたから。

 奥様もずっとじゃ疲れちゃうの。秘密ねと口止め料の高級パックやお菓子をもらったことがある。


「よくわかった。また、何か聞くこともあるかもしれないがその時は頼む」


「承知しました」


 碧唯はそういって部屋を出る。次は翼の番のようで、緊張した面持ちで入っていった。

 出ていた翼は微妙な顔をしていた。


「奥様の好きな色、聞かれたんだけど、聞かれた?」


「ううん。なんだろね」


 変なのとその時は思うだけだった。


 それからしばらくして、離婚は成立し奥様は元奥様となる。

 そして、ちょっと働いてみる? と元奥様から声掛けをもらって二人は新しい職場に転職することになった。

 うきうきと出勤した新しい家にいたのは、あの時の弁護士だった。

 訳が分からない二人に元奥様はちょっと困ったようにこう紹介した。


「新しい婚約者なの」

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