第3話 新しい猫ください


 あまりにも聞き分けの良い鈴音は他の獣人たちには不審に思えたようだった。

 引っ越しして二日ほど経過したときに、黒豹の獣人が話しかけてきた。今後についてご要望はありませんか?ということだったので珈琲でもご一緒にと誘った。確か旦那様の側近だったなと鈴音は思い出す。何かにつけすぐに睨んできたから顔は覚えている。澄ました顔で総スルーしたが。

 契約婚と知りながら、嫉妬するような人たちも蔑むものも勝手にかわいそうといいだすものもいるのだ。それは種族問わずである。

 だから、鈴音は一々相手をしない。

 面倒である。

 お金があればいいじゃない、という話でもある。

 なにを言おうが私がお金持ち。そういう気持ちで寛大に見逃してあげるのがお仕事。もっとも人生経験が少ないお嬢様であったら居直れなかっただろう。


 珈琲は鈴音がいれた。信用云々の話ではなく、自衛としてこの部屋に来てからはすべて自分でやることにしている。

 番が現れたら今の奥様は用済みと考えるものもいなくはない。犯罪であってもやるやつはやる。そして揉み消せないことに愕然としたりする。今も昔も獣人たちはこの世界の権力者ではある。ただし、今は、絶大な、とはつかない。

 数を減らした一族がいつまでも優勢であると思うほうがどうかしているだろう。


「……奥様は落ち着いていますね」


「そうかしら。どうせこんな事になると思ってたから」


 鈴音は微笑んで珈琲に口をつける。 困惑したような視線は予想がついていた。

 彼らの主たる鈴音の夫。良家に生まれ育ち、期待を裏切らず有能に育った優しい男。というものをあっさり手放すことを理解できないらしい。この家の奥方ということにも価値を置いている。

 価値観の違い。この一言で片付くが、そこには大きな溝がある。

 獣人たちは群れのリーダーに信頼を置きすぎる。誤った道であっても正すことはまずない。だからこそ、鈴音の前世の夫は早死にしたのである。まあ、獣人にしては、ではあるが。


「これから大変ですよ。頑張ってください」


 あくまで立ち去るものとして、鈴音は振舞う。

 金は払えよとは思うが、この側近に言ったところで話にならない。そんなことを言えば、家の奥方として権力を振るいたいのかといいだすに決まっている。若いのに頭の固いと鈴音は思っているが、態度には出さない。


「情はないのですか?」


「あったら面倒なのでは? 契約婚ですよ? いつか、捨てられるための結婚に何を期待してるんですか?」


 要は結婚ビジネスだ。

 鈴音が家に売られるように嫁いだのはこの家で知らぬ者はいない。望みもしない結婚。最初から愛されるなど期待もしていない。それでも尽くしてきたのだ。

 と勝手に変換されたようだ。


 深刻そうな顔の側近を見て鈴音は推測した。


「……失言でした。申し訳ございません」


「猫が欲しいです。可愛い長毛種」


「手配いたします」


 勘違いされていると察しながら鈴音はおねだりした。浮気性な猫型セイブツより、本物のほうがいい。


 数日を経て、やってきた猫はお嬢様だった。

 なぁに? にんげん? 興味ないわ。

 そう聞こえるような無視っぷり。ソファに許可なく上がりくつろぐ姿はすでに我が物顔である。


「こ、こらっ!」


 使用人宅からやってきた猫である。

 すでにそこでもお嬢さまやっていたと鈴音は察した。

 元々は使用人の祖母が飼っていたが、施設に入るということで引き取り、その一年後、結婚することになり引き取り手募集中だったらしい。都合よく鈴音が欲しいのが長毛種のかわいい子ということで選ばれたのが、彼女だった。


「す、すみません。他人の家ならちょっと遠慮すると思ったんです。申し訳ございません」


「いいわ。

 名前は?」


「エカテリーナです」


「女帝」


 昔々、数いる皇帝候補を蹴散らし、女帝となって君臨した人である。


「エカテリーナちゃん」


 鈴音の呼びかけにちらっと視線を向けたが、それだけだった。いや、うにゃと鳴いた。


「はいっ!おやつですね!」


 連れてきた使用人が、しゅぱっとおやつを取り出し、固まった。自宅ではなく、元になる予定ではあるが奥様宅であることを思い出したらしい。


「どうぞ。差し上げて? お腹が空いてるでしょうし」


「すみません」


 恐縮しながらもおやつをあげているあたり根性が座っているのか、エカテリーナに調教されているのか。


「かわいいわぁ」


「食べてる間はですが……」


 といいつつ、うちの子可愛いでしょ! が滲んでいる。


「この子を預かるわ。大切にするわね」


「よろしくおねがいします」


 がしっとあつい握手を交わし、鈴音はエカテリーナちゃんの飼い主、あるいは下僕となったのである。

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