第95話 アメリカ本土の戦い

1946年(昭和21年)1月


俺は遂にこの世界に来て60年という節目を迎え、前世の記憶と合計すると120歳を超える事になった。

だが、そんなことよりアメリカ合衆国との戦争が終われば本当の意味で「終戦」としたいところで、その達成の為にこの世界に飛ばされたのだと思うようになっている。


ハワイ沖で発生した史上初の空母機動部隊同士による航空戦の結果は一方的なものであり、ハリー・S・トルーマン大統領としては予想もしない不本意な結果だっただろう。

合衆国の海上戦力の殆ど全力を注ぎ込んだハワイ攻略作戦の成果はゼロであり、宣戦布告無しによる卑怯な騙し討ちとの国際評価が固まることにより、アメリカ合衆国の立場は極めて悪いものへと変化して、開戦直後から合衆国民の厭戦気分の醸成に直結した。


合衆国民の立場から見たら前任のランドン政権もそうだったが、その前のルーズベルト政権のニューディール政策の失敗によっていまだに世界恐慌の痛手から脱していないにもかかわらず今回の戦争だ。

わけの分からないうちに政府が日本に対して騙し討ちをしようとして無残な返り討ちにあい、世界中から非難の声が集中するという事態は予想外だっただろうし、これまで挫折の経験が少ない白人層を中心とした支配階級としてはフィリピン問題に次ぐ、自国への愛着の喪失と自信を打ち砕かれる事態へと直結した。


そもそも何故トルーマンが日本への騙し討ちを計画したのかといえば、これもF・ルーズベルトの置き土産と表現できるものだろう。

俺は最初にアメリカ合衆国の行動を堀大佐から告げられた時は、NECの分断工作をやったのが日本だとバレたことによる報復かな?と思っていたのだが、そうでは無くトルーマンの取り巻きが起こした暴走だった。


アメリカ合衆国から見た状況は「雪隠詰め」に等しい状況だとは以前に述べたが、まさしく周囲は敵だらけで、アメリカ連合国、テキサス共和国、メキシコ、パナマ、南米諸国が英仏と結んだ同盟関係は極めて厄介な存在だ。

しかも、北のカナダもイギリスとは一心同体で一瞬たりとも油断できず、うっかり手を出したらイギリスが黙っていないし、日本も確実に参戦する。


このまま時が経って、更に状況が悪化する前に乾坤一擲の大勝負に出たということだろうとは思うが、彼らは古代中国の「遠交近攻」に学ぶべきだったと思うぞ。

それから普丁戦争、普墺戦争と普仏戦争を実行したビスマルクだって重要な示唆を与えてくれただろう。


しかし結果は無謀とも言える選択をした。


トルーマン自身は外交経験がこれまで全く無いというキャリアだった。

よって日本を含む諸外国への知見にも乏しかったが、だからといって勉強し直したわけでもないというのが、まず最初のミスと表現出来るだろう。

責任ある立場になったら外交問題と歴史の勉強をするべきだったのだ。


その不足分を埋めるためにトルーマンが頼ることになったのは、外交経験と歴史の知識が豊富なスタッフたちだった。

ただし経験と知見が豊富なスタッフらは、スターリンと共産党によって「汚染」されており、導き出された答えも悲劇的なものだった。

それは日本によって「不当に奪われた」ハワイを奪還し、太平洋における地歩を固めたうえで、テキサスやアメリカ連合と対峙しようという誇大妄想と言えるプランだった。

しかも実行したタイミングが最悪で、せめてもう一年早く、ランドン政権末期にでも実行できていれば日本も全力で迎撃できなかっただろうから、奇襲攻撃の成果があったかも知れないが、ソ連もドイツも降伏した後になってわざわざ仕掛けるのはいかにも外聞が悪く、アメリカ国民ですら呆れる行為だったと言えるだろう。


日本から見たら完全に独ソと時間差をつけた各個撃破の形となったのだが。


その後の太平洋における海上戦闘はもう一方的なものとなった。

日本の空母機動部隊は真珠湾にて補給と整備を行い、アメリカ海軍の残存艦艇の掃討に乗り出した。

その結果、開戦から2か月後の1946年(昭和21年)2月にはアメリカ艦隊は全滅と表現するしかない惨状に追い込まれた。

既に太平洋における航空戦力は壊滅し、戦闘機によるエアカバーが全く期待できない状況下、すなわち制空権を完全に失った状態で12隻にも及ぶ日本の空母機動部隊、それも最も小さい空母でも基準排水量3万8000トンを誇る大型空母で、主要兵器がアメリカが見た事もない四式滑空魚雷という圧倒的な航空戦力の前に抵抗する手段すらない状況で沈められていった。


太平洋における制空権と制海権を完全に掌握した日本軍は、続いて昨年から制式採用された戦略爆撃機「鳳凰」航空団300機をイギリスの連邦国カナダに進出させた。

同時に護衛任務の夜間戦闘機「極光」戦闘機隊500機も日本~カムチャツカ半島を経由してカナダへと送り込んだ。

この「鳳凰」爆撃隊と護衛戦闘機隊はカナダ南部、アメリカ合衆国のノースダコタ州とミネソタ州に近い、マニトバ州ウィニペグにその拠点を整備して、1946年(昭和21年)3月からアメリカ合衆国全土の爆撃目標、それは独ソ戦と同様だが主に社会インフラ、軍事拠点や軍需工場、造船・港湾設備や発電所といった目標に対して夜間爆撃を開始し、アメリカ軍戦闘機の活動が弱まり始めた後は昼間爆撃に切り替えてアメリカの継戦能力を削り、初めて国土が戦場となってしまったアメリカ国民の厭戦気分をもっと高めていく事になる。


ウィニペグからは最も遠いカリフォルニア州サンディエゴでも片道2500kmと、最大航続距離1万2000kmの性能を誇る五式戦略爆撃機「鳳凰」にとっては全く問題とならない距離だ。

問題となるのは随伴する護衛戦闘機「極光」の航続距離で、護衛戦闘機の無い爆撃隊は当初は多少の損害が出たものの、4月末にはメキシコの協力でメキシコ北部ノガレスに「鳳凰」200機と「極光」500機が進出して以降はアメリカにとって安全な街は無くなった。


国際常識で言えば基地を提供したという事実は、イギリスとその連邦国や露仏は当然として、メキシコを含む中南米諸国、その同盟国であるアメリカ連合国(南部諸州)、テキサス共和国もアメリカ合衆国に対して宣戦布告を行ったに等しい状態になった事を意味し、「アメリカ合衆国は世界を敵にしてしまった」と、合衆国の国民が認識するに至った。


象徴的な出来事はパナマ運河に関するもので、これまではアメリカ合衆国籍でも軍艦を除く貨物船やタンカーの通航は認められていたが、日本政府がアメリカ船舶の通航料金の補填を申し出て以降は、全ての合衆国船舶の通航が出来なくなった。

またカリブ海にもパナマ運河を経由して「宗谷」型護衛空母に守られた日本艦隊が進出したことで、力づくでの通航も不可能になった。

更には追加投入された「鳳凰」爆撃機隊300機が、共闘の証としてアメリカ連合国のテネシー州ナッシュビルまで進出したことによって、東海岸の諸地域も間断ない爆撃に晒されることになった。


1946年(昭和21年)5月

アメリカ本土への爆撃は激しさを増している。

西海岸の主要なインフラ関連では発電所、飛行場、サンディエゴ軍港や一般の港湾設備、鉄道、主要な道路、送電網、橋梁、軍需工場、コンビナート、油田、鉱山、更には莫大な国家予算を注ぎ込んで完成させたフーヴァーダムなどを破壊し、ラスベガスも電力の供給を断たれて陸の孤島になった。


ここに山口大将率いる空母機動部隊からの攻撃隊も加わって、西海岸において僅かに生き残っていた小規模の倉庫や貯蔵施設、石油タンクや鉄塔といったインフラが被害を受けた。

更にはこれら一連の攻撃でアメリカを代表する構造物のひとつだったサンフランシスコのゴールデンゲートブリッジも崩れ落ち、アメリカ国民に衝撃を与えた。

また急遽構築されたであろう対空陣地や対空レーダー網も爆撃対象となった。

結果としてアメリカ合衆国の東西の連絡と物流が完全に遮断され、継戦能力は著しく低下し始める。

以前に紹介したように21世紀でもそうだが、アメリカ合衆国という国は東西の海岸に都市が集中していて、西海岸のカリフォルニア州からシエラ・ネバダ山脈を超えた東側の内陸部は砂漠地帯や草原地帯が続いていて、あまり人は住んでいないのだ。


当然だが東海岸への爆撃も同様に行われていて、こちらにはパナマ運河経由で移動した「宗谷」型護衛空母50隻から飛び立った攻撃隊が加わり、ドイツと同じくニューヨーク軍港に係留されていた、少数ながら残った軍艦や貨物船、タンカーといった船舶もあらかた沈められた。

ニューヨークのマンハッタン島にある高層ビル街にも日の丸をつけた三式戦闘機が攻撃はしないまでも低速で飛びかって、アメリカ人にこの世の終わりを想起させた。

自由の女神像も壊してもよかったのかもしれないし、実際にいつでも爆撃出来たが、アメリカの象徴でもあるから、やり過ぎると反感を買って逆効果になる恐れがあったので、ここは自重させた。


その代わりにハドソン川対岸のニュージャージー州側に集中して大量の爆弾を落とした。

田園が拡がっているだけの何もない地域を狙った爆撃だったが、対岸にあるマンハッタンのビル群からは爆撃の激しさは目撃されていただろうし、音も聞こえていたはずだから恐怖に震えただろう。

トドメとしてマンハッタン上空に飛来した「鳳凰」は爆弾の代わりに「紙爆弾」を投下した。

そこには「Manhattan, like New Jersey today, can always be returned to its former wilderness.」(マンハッタンは現在のニュージャージーのように、いつでも昔の原野に戻せます)と書かれていて、ニューヨークのビジネスマンたちを恐慌状態に陥れ、ウォール街も一時機能不全に陥る事態となった。


アメリカを代表する工業地帯である五大湖周辺も安全ではない。

ここは「鳳凰」の拠点だったウィニペグからも近く、合衆国各地への爆撃の帰路に余った爆弾を捨てる絶好の場所として利用された。

スペリオル湖の西にあるメサビ鉄山、アパラチア炭田一帯、エリー運河を含む五大湖を繋ぐ水路と港、ピッツバーグの製鉄所、デトロイトの自動車工場、クリーブランドの製鉄所などが目標だった。

これら諸地域は鉄鉱石と石炭を利用した製鉄、作った鉄を原料とした製品としての自動車工場や造船所に、それらの輸送手段としての水路や運河という繋がりがあったが故に大きな産業地帯を構成していたが、鎖が断ち切られるように連携が崩れていった。


更に俺が特別に指名したニューメキシコ州のあの街だ。

そこはサンタ・フェやアルバカーキといった街の北方に位置するロスアラモスで、ここには原爆の研究施設がこの世界でもやはり存在していて、戦争終了後に判明したことは原爆開発が最終段階まで進行していたという事実だった。

これはルーズベルト政権の後を継いだランドン政権で実行されてきた研究で、アメリカ生まれのユダヤ人科学者のロバート・オッペンハイマーを中心に研究が進んでいたが、彼らは爆撃によって研究施設と運命を共にした。


6月末

もうこの段階までくるとアメリカ合衆国の戦意は消失、あるいは喪失に近い状態だっただろう。

しかし、大統領になって2年目のトルーマンとしては簡単にギブアップできなかったのだろうか。

それとも政権を支えていた周辺の関係者たちが降伏を是としなかったのかは知らないが、戦争を続行する判断を下した。


それに対して行動を起こしたのが南部のアメリカ連合国とテキサス共和国で、合衆国に対する宣戦布告と共に陸軍兵力を北上させていった。

同盟国側とテキサス、アメリカ連合、メキシコ、ハワイ王国、パナマはこれに伴って新たなアライアンスを結成した。参加国は以下の通りだ。


J 日本

C カナダ

R ロシア立憲君主国

A アメリカ連合国

F フランス

T テキサス共和国

P パナマ

H ハワイ王国

B イギリス

M メキシコ


以上10カ国で、全体を表す名称として各国の頭文字を繋げて、JCRAFT-PHBM(ジェイクラフト ファブム)が採用された。


特に意味のある単語では無かったが世界中で「日本が作った」という意味に捉えられたみたいで、実態としてはまさにそうだから否定はしなかった。


または10という意味でDeca Alliance(デカ アライアンス)とも言われた。

ABCD包囲網やAUKUS(オーカス)みたいな呼び方だ。


結果としてアメリカ連合国首都のバージニア州リッチモンドからほど近い位置にあった、アメリカ合衆国首都ワシントンD.C.はアメリカ連合国の宣戦布告から10日後の7月4日に陥落し、トルーマンを筆頭とする合衆国政府はニューヨークを目指して落ちていった。

7月4日といえばアメリカ合衆国の独立記念日とされていた日だが、皮肉なことにその宣言がなされてからちょうど170年後に実質的にアメリカ合衆国は敗北した。


アメリカ合衆国は世界を敵として滅びたのだ。


アメリカ合衆国大統領が執務を行う建物は、アメリカ連合国軍によって歴史上2度目となる焼き討ちを受けた。

前回の相手は1814年の「ワシントン焼き討ち」を行ったイギリスで、無残に黒ずんだ外壁を取り繕うために白いペンキを塗りたくってゴマカしたことで、以後この建物は「ホワイトハウス」と呼ばれていた。


次は何色で塗り直そうか?


スターリンの息が掛かっていたのだから、赤く塗って見せしめにするのも一興だな。

あるいは真っ黒に塗って、腹黒さとダークさをアピールさせるのも良い。

それから国旗も州が減ったからデザイン変更しなくてはいけないし、ついでに色も変更させよう。


そしてその3日後の1946年(昭和21年)7月7日

もはやこれ以上の戦争継続は不可能と判断したトルーマンは日本政府に対して降伏を申し出た。

停戦交渉といった曖昧なものではなく、明確な降伏の意思を示したわけだ。

彼にとっては想定外の事態だっただろうが、全ては制空権の喪失から始まった合衆国の誤算だった。


8月1日

外務大臣の吉田茂を乗せた戦艦「金剛」がニューヨーク沖に姿を現し、自由の女神像前に停泊した。

そしてアメリカ合衆国の大統領を含む全権団が乗り込み、トルーマンは震える手で日本の海軍軍人が見守る中で降伏文書に調印し戦争は終結した。

同日、ニューヨークはお通夜のように沈んだ空気で満たされており、誰もが下を向いて歩いていたという。

そして日本軍も上陸してニューヨークやロサンゼルスの治安維持を行ったが、史実における日本占領直後のアメリカ軍のように、神奈川県内で何千件もの婦女暴行事件を起こすような蛮行をやらかすはずもなく、規律は保たれていた。


ここからアメリカ合衆国は長い占領時代を迎えることになり、主に日本政府から派遣された総司令部(General Head Quarters)略してGHQが設置されて、アメリカが2度と日本に対して攻撃しないように、大統領権限の縮小と人種差別に対する思想管理、国民生活の近代化を中心に占領政策を行うことになった。


国民生活の近代化に関しては、最初の段階で個人による銃の携帯は厳罰の対象とされ、「廃刀令」と「刀狩」が同時に実施された格好だ。

銃器類の提出期限が設定されて、この期日以降に個人による銃の携帯が発覚した場合の罰則は極めて厳しいものになるだろうが、アメリカは豊臣秀吉から遅れる事350年余りでようやく日本に追いつけることになる。

今後は個人の自由と義務のバランスを考慮して、何をやっても自由なんだとの誤った価値観を修正させるだろう。


次の段階では既に日本がこの世界で達成済みの「国民皆保険」の導入も検討中だ。

いわゆる国民健康保険だが、これも21世紀になっても銃規制と同様に共和党が反対し続けた結果として導入できなかった制度で、遅れたアメリカ社会を日本並みのレベルに高めてあげなくてはいけない。

彼らにとっては不本意だろうが、「外圧」を使ってアメリカの弊風を吹き払うつもりだ。


人種差別問題も深刻だった。

特に黒人と先住民族に対する差別は露骨なものだったから、壊滅したとはいえK.K.K団の如き団体は認められない。

このように、今まで見えていても見えないふりをしていた矛盾が敗戦とともに噴出して、アメリカ合衆国国民の自信をどんどん奪っていった。


少なくとも今後は「合衆国は偉大だ!」と絶叫するような大統領はもう現れないだろう。


これによって北米大陸には平和が訪れると思いたいのだが、実はアメリカだけでなく問題は世界に山積しているから、恒久平和を実現させる為にはここからが本当の意味で俺の戦いだ。


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